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前篇
35.和久寺 秋一(1)
しおりを挟む黄金とクリスタルからはかけ離れた、生活感のある一室で。
件の稀人とは、案外あっけなく会えた。
「あ、の……」
いついかなる時であってもはきはきと喋れるリョウヤだったが、今は緊張で口が回らない。本当に目の前に座っているのは自分と同じ境遇の人間なのか。そういった感情が、ぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。
「あの」
2回目は、一度目よりも大きく声を出してみた。すると、椅子に腰かけ本を読んでいた青年がぱっと顔を上げた。目を大きく見開いた青年は、手首に着けている時計を見て、急いた様子で立ち上がり。
『あ──ああ、もうそんな時間でしたか! すみません、集中していたもので』
久々に聞いた自分以外のニホンゴに、飛び上がりたくなるほど嬉しくなった。
カツカツと靴を鳴らしながら、長くて薄い、白い羽織りを着込んだ青年が近づいてくる。
カツン、とリョウヤの前で足を止めた青年は、意外と背が高くて見上げる格好になった。
『こんにちは、初めまして。お会いできるのを楽しみにしていました。僕の名前は和久寺 秋一と言います。秋一のシュウは春夏秋冬のシュウで、一は数字のイチです。どうぞよろしく』
柔らかな微笑みを浮かべた青年は、後ろに控えるアレクシスやマティアスではなく、真っ先にリョウヤに握手を求めてくれた。
* * *
『あっ──は、初めまして! 突然おしかけちゃってごめんな、どうしてもあんたに……えっと、シュウイチさんに会いたくて……ッ』
歓喜を抑えきれず、差し出された手をぎゅっと握りしめる。シュウイチという青年がわずかに目を見張り、きゅっと唇を噛んで小さく、頷いた。
かすかに揺れた瞳。それは、湧き上がってくる感情を噛み締めているような表情に見えた。
何か不安にさせるようなことを言ってしまったのだろうかと、焦る。
『ええっと……俺、なんか失礼なこと言っちゃった?』
『いえ……いえ。こちらの世界に来てから、そうやって名前で呼んでいただけたのは初めてだったもので……なんといいますか、感極まっているところです』
すみませんと、少し照れたように、目尻の雫を拭うシュウイチにリョウヤも温かな気持ちになる。その細い両腕と両足に、リョウヤと同じような枷は嵌められていない。しかし優しそうに垂れた眦も、後ろでゆるく1つに結わえられている長髪も、確かに黒だ。
本当にこの人は、リョウヤと同じ世界から来た人間なのだ。
同じ、二ホンという国から。あの月の向こう側から。
『正直に言うと、お話を頂いてからも半信半疑なところがあったんです。まさか5年も経った今、こうして同じ世界から来られた方と出逢えるなんて……こう見えても実はかなり、緊張しています』
『うん、わかる。俺もめっちゃ緊張してる。だって誰かとこんな風に握手するのも久しぶりだし……あのさ、一番最初に俺に挨拶してくれてありがと。すごくすごく、嬉しかった』
この世界では、奴隷ではなく雇い主に声をかけることが常識だ。後ろにいる二人を放置してリョウヤと会話を始めるだなんて、本来ならばありえないのだ。
シュウイチが痛ましそうに、まぶたを伏せた。
『わかります。この世界の差別は、本当に酷すぎますもんね』
心から、自分たちの現状を憂いているその一言に、これまでの全てが報われた気がした。
枯れ切ったはずの目頭も、流石に熱くなる。
「おい、いつまでそうやって手を握っているつもりだ、さっさと離せ。初めに主人ではなく奴隷に挨拶をするなど無礼千万だな。礼儀というものを元の世界とやらに忘れてきたのか?」
出たよ、「おい」が。
あたたかさに満ちた感動の出逢いは、後ろからかけられた冷や水によって冷める。
「……急に入ってこないでくれる?」
「最後までその珍妙な言語で話す気か、貴様らは。ここから引きずり出されたくなければ今すぐ止めろ、耳障りだ」
『ええっと、こちらの典型的な、いかにもって感じの方はどなたでしょう?』
シュウイチが、後ろから茶々を入れてきたリョウヤの夫を見て、にこりと微笑んだ。
『うーん、簡単に言うと……闇市で売られてた俺を購入して子どもを産めって強要してくる鬼畜男かな』
『ああ、なるほど』
『ちなみに、結婚証明書が届いたのは今朝だから、ついさっき夫になったばっかりだよ』
『では、こちらがチェンバレー家の御当主様ですか。ちなみにお隣のヘラついている方は?』
『フラフラ家の次男坊で、鬼畜男の愉快な仲間』
「あ、今フラフラ家って言ったね? そこは聞き取れたよ、私はフランゲル。マティ」
『なるほど、鬼畜男その2って感じですね、把握しました』
『うん、話が早くて助かるよ』
華麗なスルー。
物腰柔らかな見た目に反して、意外と辛辣だ。
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