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前篇
10.交渉(1)
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「なんだあんた今起きたの? おそよう」
リョウヤがダイニングルームに来てからだいぶ経つ。もぐもぐと柔らかな(びっくりするぐらい柔らかかった)パンを咀嚼していると、心なしか目を見開いている鬼畜男と目があった。
というか、恭しく使用人が扉を開けたので目を向けたらそこにいた。
「よく眠れた? 散々俺ん中に吐き出してスッキリしてたみたいだけど」
「……なんだこれは」
「見てわかんない? 朝ごはん食べてんの。あの檻に突っ込まれてからほとんど何も食べてなかったから、すっげー腹減ってたんだよね」
奴がリョウヤではなく近くにいる使用人に話しかけたことはわかっていたのだが、とりあえず口を挟む。ついでにほかほかのポテトを割り、フォークで刺して口に運んだ。ほろほろと崩れるそれに水分を奪われて喉が詰まり、けほけほとむせながらカップを煽り、苦いコーヒーごと固形物を胃に流し込む。
アレクシスは未だに状況が呑み込めていないのか、扉の近くで立ち尽くしたままだ。
「……あれの食事は、部屋に運べと命じておいたはずだが?」
「は、はい、それがその、実は……」
「あのさ、普通に考えてわかんない? あんたに犯されまくった血生臭い部屋で朝食なんか食べられるわけないじゃん。俺がここに連れてきてってお願いしたの。じゃなきゃ俺なんも食わないから餓死するよって……あ、この肉うまいね。なんて肉?」
ぶすっとフォークで刺した肉の端切れを持ち上げると、アレクシスの頬がぴくりと動いた。頑なにリョウヤと目を合わせようとしないし、同じ空間にいることが不愉快極まりないって顔だ。
これからアレクシスと腹を割って話さなければならないので、このまま無視され続けるのは非常に困る。
「あんたさ、そんなとこでぼさっと突っ立ってないでさっさと座りなよ。せっかくの朝食が冷めちゃうじゃん。ああ、それとも俺がいると食べにくいとか? 結構繊細なんだね、アレクって」
ここで初めてアレクシスは、長いテーブルの真ん中に堂々と座っているリョウヤに視線をよこした。
「なんだ、そのふざけた呼び名は」
「別にふざけてなんかないけど。あんた、アレクシスって名前じゃなかったっけ?」
「稀人に、僕の名を呼ぶことを許可した覚えはない」
「だってご主人様なんて死んでも呼びたくないし、旦那様なんてもっと嫌だし」
むしゃりと味の薄い肉を噛みちぎり、ごっくんと流し込んだ。殴られた時にできた内頬の傷が、肉にかけられたソースにじわりと滲みて痛い。独特な色合いからして果物のソースか何かだろう。
「それに、俺だってあんたに稀人って呼ぶことを許可した覚えないよ」
アレクシスの片眉がくい、と上がった。
「──ほう、どうやら勘違いをしているようだな」
「なにが?」
「いいか、貴様は僕が買った財産だ。その財産をどう扱うのかは僕の自由であり、貴様の意思は関係ない。あれだけのことをされてもまだこうして反抗するというのであれば」
『俺は4歳で、この世界に来た』
「……なに?」
右手に持ったフォークで、かぁんと白い皿を軽く叩く。ナイフが用意されていなかったのは凶器になりうるからだろう。フォークの先端も丸い。肉も、あらかじめ切られていた。徹底していることだ。
「この世界に来たのは4歳の頃って言ったんだ。俺はまだ小さかったから、あっちの世界……二ホンでの記憶はだいぶ薄いんだけど、にいちゃんはよく話して聞かせてくれた」
「なんの話だ」
「そうだね、例えばどんな両親だったとか、どんなところに住んでたとか、なんでこっちに来ちゃったのかとか。山の上にあるジンジャにお参りに行く途中で崖から落ちて、気付いたらこの世界にいたんだって。それからはずっと、ナギサにいちゃんが俺を守ってくれた。どんな時もね」
「どうでもいいことをべらべらと……貴様の過去に興味はない」
「あんた人の話聞かないやつだなってよく言われない? 短気って損気だと思うよ」
アレクシスの赤い瞳が、「ふざけるな」とばかりに細められた。薄々感じてはいたが、やはりこの男は冷静そうに見えて気が短い。扱いやすくて結構だ。
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