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前篇
2.闇市(1)
しおりを挟むこれは、出会いの物語。
両手足には重い枷を付けられ、ついでに口枷まで嵌められて小汚い檻に突っ込まれてクズどもに品定めされていた空の晴れたある日。
クズのなかでも最もクズみたいな男に金で買われた。
まず、出会いからして最悪だった。
リョウヤは一瞬でそいつのことが嫌いになったし、そいつもたぶん一瞬でリョウヤのことが嫌いになった。だからこそ躊躇なく道具として選ばれたのだろう。
犯し、孕ませ、子を産ませたらあとは捨てるだけの道具として。
まず、リョウヤが今いる世界はクソだ。腐っている。
この世界には人と忌人という二種類の『人間』がいて、忌人は性別関係なく膣を持ち、子を孕み、出産できる。
人と忌人の見分け方はあまりにも簡単だ。
まず、肌が黄を帯びていること。そして下腹部に特定の模様──陰紋と呼ばれるものだが──があるかどうかだ。もちろんリョウヤの下腹部にも流水模様の痣がある。この痣は皮下組織に深く根付いていて、皮膚をいくら削いでも削れることはなく、肌を何度炙ってもすぐに浮かんでくるえげつない代物だ。
よって、この痣を持って生まれた者は死ぬまで、いや、死んでも忌人なのだ。
また忌人は、肌の色や体格を除けば人とあまり大差ないというのに、劣等種、下等生物として扱われている。昔はもっと酷かったらしいが今でも十分酷い。忌人に人権なんてものは存在しない。よくて愛玩動物だ。
忌人は人よりも線は細いが、足腰が強く体力もあるという理由で、枷を付けられた状態で奴隷として朝も昼も夜も夜中も働かされ続ける。名目上は召使いだが、その実ただの奴隷だった。
また忌人の特性として、性交時に膣から催淫効果のある体液が溢れてくることが証明されている。つまり、人同士よりも忌人との交わりの方が快感を強く感じることができる。
要は、具合がいいのだ。だからこそ、夜の性欲処理の穴として忌人は主人に召し抱えられ、時には客の相手もさせられる。
忌人が、人との情事で妊娠する確立はかなり低い。また、子どもは例外を除いて必ず忌人として生まれる。それ故に、その子どもは奴隷として他家に譲渡され、売りに出される話が後を絶たない。
負のループだ。忌人は文字通り、人に使われながら生きている。
20年ほど前に、忌人にも人権を! と声高々に叫ぶ政治家や人権活動家が出て来た。その結果、忌人の人権保護を目的とした「忌人なんちゃら保護法」というのが施行されてはいるが、機能してない。それ以前に、忌人の人権保護を謳う政治家や人権活動家たちも、それとこれとは別だ、とばかりに忌人が働く娼館に足繁く通い、新たな奴隷を孕ますためにせっせと種を出しまくっているのが現状だ。
依然として忌人は搾取され続けていて、ほとんどがろくな職にありつけない。貧民街などに身を寄せる忌人たちを攫う、「忌人狩り」も後を絶たない。
現に、攫われ売られてきた忌人を売り買いする闇市というものもしっかり存在する。
今、リョウヤが閉じ込められているところのように。
「はいはい、よってらっしゃい見てらっしゃい、上玉がたんと入荷しましたよ~!」
悲惨なこの場にそぐわない呑気すぎるかけ声に、顔が歪む。
リョウヤたちはれっきとした「人間」だというのに、これじゃあまるで取れたての野菜みたいじゃないか。
「そこのお方お目が高い! なんとこの忌人には四肢がありません。それも、その具合の良さのあまりかつての主人が切らせて使用し続けたとか……どうですか、ちょっと壊れてはいますがその分抵抗も致しません。刺激のない奥様との夜の営みの前に、これで気分を上げてみませんか?」
「こちらの双子は経験人数が豊富ですので、パーティーの前座として全員で使用できますよ」
「ああ、こちらの雌は様々な性癖の顧客用の接待としてお使いになれますが……おひとついかがでしょう」
「なに、使用人が足りなくなってきた? ならこちらのを数体購入なさいますか? これなんてどうでしょう、この逞しい体で3人の子を立て続けに孕み、立派に産み落とした雄の個体ですよ! まさに奇跡の胎です」
おぞましさに怒りに打ち震える。ここにいる奴ら全員クズだ。
石の塀が並び、鉄格子で囲われた檻と檻の間が、黒いカーテンで仕切られただけの野外の店。それらが立ち並ぶ中を、道楽を求める金持ち達が上質な革靴を鳴らしながら悠々と闊歩している。
そして、檻に詰め込まれた忌人たちの中で気に入ったものがあれば、それぞれの檻の店主に声をかけては、忌人を引っ張り檻から出し体をまさぐりながら購入を検討していく。
買い手の決まった忌人は購入者へと引き渡され、諦めと絶望に満ちた表情のまま馬車へと連れていかれる。3つ隣の檻では、小さな体をぷるぷると震わせる双子の少年少女に、「この子たちにしようかねぇ、雄と雌、それぞれ一体ずつほしかったんだよ。こんにちは、今日からは私が君たちのご主人様だよ。大丈夫さ、着る服も部屋も、美味しいものだっていっぱい食べさせてあげるからね」と、猫なで声をかける太った豚もいる。ごちゃごちゃした身なりからしてそれなりの金持ちなのだろうが、付き人と余興がどうのと言っている辺り、きっと人間としては扱われないだろう。見世物になるだけまだましだ。
もちろん、品定めをされている忌人たちの中には、せめて人道的に扱われるようにと体をくねらせて色気や愛らしさを振りまいている者もいるが、それだって好きでやっていることじゃない。
そうしなければ生きていけないのだ。人間らしくありたいと、皆が皆、必死だった。
「おい、店主」
かつんと、ひと際上質な靴音が石畳に響き、空気が変わった。
「はい、ただいま……っと、こりゃあ、チェンバレー様のご子息、いや現当主様じゃないですか。この間は本当に、いや本当にありがとうございました。おかげ様でそちらから購入した絹織物が大変好評でして」
男がすっと手を上げたのが、被せられた布の隙間からちらりと見えた。それだけの動作で、あれだけ口やかましかったガマ蛙にそっくりな店主が黙る。
「くだらん挨拶はいい」
その一言で、かなり地位の高い男であることを察する。高圧的な声は威厳に満ちてはいたが、まだ若い。周囲の金持ち達も、突然現れた青年を遠巻きにしながら、チェンバレー家の……とざわざわしている。そこに込められている感情は尊敬と畏怖と、嫉妬だろうか。かなりの家柄の者らしい。
チェンバレーなんて、いかにも貴族ったらしい嫌味な姓だ。
「は、はい、失礼いたしました。ええと、本日はどのようなご用件で」
「忌人を購入するために」
「なんと! 忌人嫌いで有名な旦那様が珍しいですねぇ。贈呈用でございますか?」
贈呈用というのは、文字通り他家へとプレゼントとして送る忌人のことだ。その家の跡継ぎの性教育用として相手をさせる、ということも横行しているらしい。全く反吐が出る。
「壊れにくく孕みやすく、のちの処理に困らないものを一匹」
──こいつ最低だ。こんなクズばかりが集まる場所でも、「忌人なんちゃら保護法」が施行されている手前、屋敷に連れていくまでは忌人をそれなりに扱う輩が多いというのに、取り繕う気もないなんて。
リョウヤは一瞬で、この男のことが嫌いになった。
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