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キレイな人
06.*
しおりを挟む『はぁ、あ、んっ、……ンん、はぁ』
腰を穿つたびに、橘が可愛く声を詰まらせ……くぅ、と熱く吐く。
キレイにしてあげる。そんな思ってもいない理由を持ってくれば、彼の身体を貪る行為も許されるのだ。ついつい首回りにキスマークを残してしまうぐらいに、僕は彼の肌に夢中になった。
別に、誰になにをされたって橘はキレイなままだ。
だから本来であれば、上書きなんて必要ないのだけれども。
「全部舐めたから……これで、臭いもなくなったね」
あっという間に、僕の匂いと唾液にまみれた橘の肢体。
それでもまだ、満足はできなかった。
彼は、爪を整えていた。浴衣からもたっぷりとアイロンをかけた匂いがした。新しいシェービングクリームを使っていることだってすぐに気づいた。
彼のことでわからないことなどない。だって舌触りが違うのだから。
いつもの君と、全てが違う。
彼が頭の先から足の先までをしっかりと整えてきたのは、あの女のためなのだろう。
「今日の君、頭のてっぺんから爪の先まで、完璧だったね。髪の匂いも、いつもより……うん、念入りだ」
僕以外の人間のために念入りにセットされた柔らかな髪を、苛立ち紛れにかき乱してやる。
「そんなに楽しみだったんだね、今日のお祭り」
耳朶に唇を寄せ、少し乱暴に奥をつく責め方に、橘が目を閉じて首を振った。
違うだって? うそつきだな、君は。
「ねぇ、楽しみだった?」
橘の、たっぷりと蜂蜜を含んだようなとろけた眼球にも舌をねじ込んでみたい。
7年前はやったっけ、やったか、僕のことだからな。
「答えて」
入院していた橘の目も、ずいぶんと充血していたし。
『楽しみ、だったよ』
快感に浮かされた艶やかな声のまま、橘が瞳を揺らした。
『楽しみだったんだ、本当に……』
冷静に、目を細める。
「……そうだろうね」
僕も楽しみだったよ。君と、夏祭りを楽しめるかと思って。
動きづらいのか、浴衣を蹴飛ばした橘の足を捕らえて、肩に乗せて奥をばちゅん、と抉る。
『ン……ぁっ』
続けざま、ぐぽぐぽと最奥を抉りながら自嘲気味に笑う──どうして、僕じゃないんだろう。
今夜、甘酸っぱい青春を謳歌するはずだった彼は、どういうわけだか今こうして僕に抱かれている。
こうして今、誰よりも近くで繋がっているのは僕だというのに、やはり遠い。
この人は僕の番なのに。
僕たちはもう結婚だってしているのに。
この人は僕の妻なのに。
この人を抱く権利があるのは僕だけのはずなのに。
この男は、僕だけに抱かれるはずの存在なのに。
奪われたくない、ズルい。いいな、女ってだけで橘にこんなに想われて。ずるいずるいずるい──ズルい。
そんな卑しい単語の羅列ばかりが頭の中にこびり付いて、消えやしない。
『は──ン、うん……うむ』
激情に身を任せて、あの女と食べ物を共有し続けた彼の唇を、無我夢中で貪り尽くした。
せっかく歯磨きしたのにって嫌がられたけれども、我慢ならなかった。歯茎に付着した食べ残しだろうが歯の隙間に入り込んだ残りカスだろうが、橘の口の中に一度入ったものなら僕にだって食べる権利があるはずだ。
本気で、そう思っていた。
彼の熱い口内で、僕の唾液と橘の唾液を舌で混ぜ合わせ続ける。
『め、みや……花火。ほら……あっちで、花火……みろよ、キレイだよ……』
そんなのは知っている。見えている。
橘の色素の薄い瞳を通して、背後で弾けるちらちらとした光りがはっきりと。
僕の額から浮き出た汗が彼のまぶたの上に落ちて、そのたびに閉じられてしまうのがもったいない。
できれば一秒たりとも隠されることなく、君の輝く瞳を眺めていたいのに。
花火なんかいらないよ、君さえいればいいんだ。
「見えてるよ。ここにある」
橘、知ってる?
僕にはね、キレイな君がずっとずっと見えているんだよ。背後でバンバン打ち上がり続ける喧しいだけの花火だって、君に比べればただの発光体の塊に過ぎない。むしろ騒音だ。
それでも君が僕の傍にいてくれさえすれば、こうして一緒に花火を感じることだってできるんだ。
『ひめ、みや』
「ん?」
『おまえ、かみ、短く、なったな……』
「何年前の話をしているんだ」
どうしたんだ、突然。
『なん、で、切った……?』
「……前も言ったろ、邪魔だったからだよ」
『そ、だっけ』
「長い方がよかった?」
橘が唇を閉ざしてしまった──やっぱり今日の橘は変だ。ヒートでもないのに、こうして僕に身体を委ねようとしたり、やけに積極的に腰を揺らしてみたり。
彼の真意は、いったいどこにあるのだろう。
「言ってよ、橘」
『……あのな』
うん。
『俺、ずっと、おまえに聞きたいこと、あって』
「うん、なに?」
やわい瞼にキスを落とし、いつもよりも優しい口調で促してみる。
「ほら、いいから言ってごらん……?」
そして。
『おれたち、さ……運命のつがいだと、思うか……?』
一瞬にして、浮かされていた心地よさが一気に氷の中へと滑り落ちていった。
「これが──これが運命だって?」
あれだけ大きかった花火の音が、水を張ったように静かになる。
そうか。
今日の橘がおかしかった理由がようやくわかった。
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