夏の嵐

宝楓カチカ🌹

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狼の群れ

07.

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 ぎちぎちと、首から上の血が堰き止められ始めた男の顔が、だんだんと赤くなっていく。
 しかも爪立ててねぇか、こいつ。
 金子と呼ばれた男は口の端から涎を垂らしながら、ブンブンと首を振った。
 本当に声が出ないようだ。一瞬、姫宮の手の力が緩んだらしい。
 激しく咳き込んだ金子が、ひゅうひゅう肩で息をしながら叫んだ。

「ち、違う、んです! お、俺たちは別になにも、ここ、こいつ、が」
「うん、こいつが?」
「……じゃ、なくて……透愛ちゃん、が、急には、発情して」
「──は?」

 姫宮の声の温度が、一気に低くなった。

「今、なんて言ったの?」
「え……」
「今なんて言ったの」
「きゅ、急に発情し」
「その前だよ」
「……俺たちは、別になにも」
「違う、そのあとだ」
「あ、と……? 透愛ちゃん、が──……ぎ」

 ごり、と金子の首が悲鳴を上げた。

「誰の許可を得て、彼のことを名前で呼んでるのかな君は」
「ごっ、ごべん、なさい!」
「それに、別に発情しているようには見えないけどね。自分たちの欲望のために僕のお友達に手を出そうとしたんだ、これくらいは覚悟の上だろう?」
「ち、が! た、たち、たちばなさん、がっ……い、だ、痛い! っぎ──か、ふ」

 爪を立てられた部分がぷつりと、嫌な音を立てた。

「苗字で呼んでいいとも言っていない」

 食い込んだ姫宮の鋭い爪が、ついに皮膚を突き破った。滑るように何筋もの血が垂れていく。半狂乱になった金子が姫宮の手を叩き、押しのけようと拳で彼の胸を力いっぱい叩き、足を蹴り、もがく。
 しかし姫宮はまっすぐに立ったままびくともしない。
 どんなにボカボカ殴られてもだ。
 しかも抵抗されればされるほど、姫宮の手の甲の血管がみしみしと浮き上がってくる。
 ──これがαの、本気の力か。

「うるさい口だね。吐く息も臭い……息、しない方がいいんじゃない?」
「……が、は」
「止めてみようか、今、試しに」

 金子の抵抗がだんだんと弱々しくなり、ついに踵がぷるぷると地面から浮いた。
 並んでみてみるとよくわかるが、金子は姫宮よりもほんの少し背が高い。それなのに、そんな相手を姫宮はすらりと伸びた美しい腕で高く持ち上げている。
 金子はもう、激痛と苦しみのあまりぴくぴくと痙攣し、失神しかけているらしかった。
 ──こいつ、首の骨へし折る気かよ。
 金子の口の端から垂れる涎が、泡にかわる。まずい。
 しかし俺が声をかけるよりも先に、隣で硬直していた男が土下座をする勢いで項垂れた。

「ご、ごめんなさい! 先輩、ごめんなさい……! やめてください!」

 聖稜高校の生徒の間でも、αとしての素質も家柄も、姫宮の方が圧倒的に上なのだろう。
 それは、唯一何もされていないというのに姫宮に頭を下げながら震える隣の男を見れば、よくわかる。

「何が、ごめんなさいなの?」
「う……お、俺たち、こ、この人のこと……!」
「ああ、やっぱり別に言わなくてもいいや。見ればわかるし、そんな言葉彼に聞かせたくないしね」

 姫宮が、ぱっと金子の首を解放した。
 金子が膝から崩れ落ち、首を押さえながら地面に突っ伏して嘔吐する勢いでげぼげぼ咳き込んだ。
 腕を折られたかもしれない男も、ボールみたいに吹っ飛ばされた北条とかいう男も、まだその場に横たわったまま呻き続けている。
 特に北条の顔は脂汗まみれで、尋常じゃない痛がりようである。
 あばら骨、何本かイッたんかな。確かにゴキャってよくない音したしな。
 姫宮は細い見た目のわりに腕力も筋力もあるのだ。つまり怪力だ。
 なにしろ俺は7年前、愛らしい顔をしたこいつにシャツを簡単に引き裂かれたのだから。
 漫画ではよく見かける光景らしいが、服というものはそう簡単に破れるものじゃない。
 ましてや小学生の手で、なんて。しかも片腕一つで。
 俺は、姫宮に手も足もでなかった。
 恐ろしい男なのだ、こいつは。

「さてと。あとは君だけだね。顔をあげて? 西園寺くん」

 土下座のポーズをとっている男は、西園寺というらしい。
 西園寺が、震えながらさらに深く頭を下げた。
 額を地面に擦り付けている。よっぽど、姫宮が怖いのか。

「ほら見て、僕もう怒ってないから。大丈夫だよ?」

 こいつの根拠のない「大丈夫だよ」は、昔から信用ならない。経験者である俺にはわかる。
 むしろ、もっと酷くするぞの合図だ。
 姫宮が西園寺の肩を優しく撫でながら、畳みかけた。
 
「あげろ」

 西園寺ががばっと顔を上げた。
 案の定、後頭部を掴まれ、見事に顔面に膝蹴りを食らう。
 ごっと鈍い音が響いた。
 鼻が折れたのか、西園寺は鼻血を出しながら地面に這いつくばってのたうち回る。


 それは、5分にも満たない出来事だった。
 煌々と輝く月の下は、死屍累々。
 まさにそんな単語でしか言い表せられないほどの惨状に、成り果てていた。

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