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姫宮 樹李
14.
しおりを挟む診断書。
濡れた靴下。
散乱したプリント。
そして、床に落ちていた彼のスマートフォン。
それら全てを彼のランドセルに突っ込み、肩にかけて立ち上がる。
なるべく音を立てないよう窓を閉め、しっかりと施錠した。
そしてズレた橘の机と椅子を元の位置に戻してから、教室を出る。
橘が逃げた方向はわかる。おいでおいでと、甘い香りが僕を手招きしてくれているから。
息を殺して、匂いを頼りに1Fまで降りていった。人の気配を感じれば、素早く物陰に隠れた。冷静に、しかし急いで、忍び足で誰の目にも入らぬよう下まで駆け降りることに成功し、そのまま体育館へと続く外廊下に出ようとしたところで、足が止まった。
緑のスニーカーが、ぽんぽんと脱ぎ捨てられていた。
どうやら橘は、ここで靴を脱いで外廊下を上ってきたらしい。
つまり彼は蝉の声が煩い雑木林を通り、校舎裏のヤブの中からフェンスを飛び超えて忍び込んだのだ。
秘密基地や道なき道を通るのが好きそうな、彼らしい。
つまり、だ。
橘が小学校に戻ってきたことは誰も知らない。
事情が事情だ、十中八九友人にも伝えていないだろう。
知る人間がいるとすれば、一人だけ。
これは確実に確認しておく必要がある。
タイミングが良かったのか、悪かったのか。肩から下げた橘のランドセルの中がぶぶっと震えた。
夏の日差しの陰となる白壁の下で、彼のスマホを取り出す。
子ども用のスマホだ。
ロック画面には、メッセージが届いたことを知らせる表示が出ていた。
【透愛、今どこですか?】
アイコンは、たぶん橘の幼い頃の写真だろう。
5、6歳頃だろうか、ほっぺがぷにぷにもちもちしていて可愛らしい。舌で舐って食べてしまいたいな。
けれども、僕が持っていない橘の写真を持っているこの男に舌打ちしかける。
会ったこともない相手だけれど、こいつは橘を生まれた時から知っている相手だ。
画面を睨みつける眼差しも、憎々し気なものとなってしまう。
橘のスマホのロックナンバーは、ちゃんと頭の中に控えていた。なぜなら、目を皿のようにして何度も盗み見たから。
これほど、自分の観察能力の高さと記憶力の良さに感謝したことはない。
15桁以上の数字を素早く打ち込み、さっさとメッセージアプリを開く。
ざっとスクロールして、これまでの会話を確認する。橘は、今日は彼とやり取りはしていないらしい。
全体的に見て、大した会話じゃない。毎日毎日たわいもないやり取りばかりだ。
何時に帰るとか、だれだれと遊んでくるとか、だれだれが何をしたとかしないとか。
これなら、真似るのも容易い。
いつも遊ぶ公園、よく出てくる名前、会話の流れ、使用頻度の高い漢字と低い文字、口癖。
それらを数秒でインプットし、会話を始める。
【いまから、春政と遊んでくるー】
ぽん、とスタンプ付きで送信すればすぐに既読になった。
仕事中だろうに随分と暇なことだ、しかし好都合でもあった。
【そうですか、何時頃に帰りますか?】
【しちじ前にはかえる、いま怪獣公園いくとこ! さっき金子がおならした、くさ】
橘に言われたことも、一字一句覚えていたことも幸いした。
その後もいくらかやり取りをし、疑われることなく完全に流れを自分のものにできた。
確信する。橘は、彼に自分の診断結果についてまだ伝えていない。
【わかりました。じゃあ私も仕事が終わり次第迎えに行きますね。夜、雨も降るそうですよ】
【わかった、さんきゅー! とき好き】
最後の一文は死ぬほど、死ぬほど入れたくなかったが、いつも通りのやり取りにするためには必要な文言だった。
【ええ、私もですよ。そうだ、今日の夕飯は手作りハンバーグですからね、楽しみにしてて】
【マジか! やった! もう腹へった~】
頬が引きつりかける。
なにがハンバーグだ、僕の家の専属シェフが作ったハンバーグの方が格別に美味しいに決まってる。
ぽしゅっぽしゅっとくだらない会話を続け、【じゃあまたね】【うん】という一文で会話が終わった。
もちろん最後に、【あっデビハン負けそう!】という一言も忘れずに。
これで、しばらく連絡が取れなくとも奇妙に思われない。
橘は、最近流行りの「デビルズハンター」とかいうゲームに熱中すると、LIMEを確認しなくなるらしい。
そのたびに、【こら、ちゃんと見なさい!】なんて兄には怒られていたみたいだ。
長押しで電源そのものを落とす。これで頼りのGPSも、無駄な機能となった。
僕と橘の間には、こんな電子機器いらないよね。
遠く遠くの方で、ごろごろと雷が鳴る。まるで僕の決断を、後押しするかのように。
これで、僕が今から行おうとしている残酷な行為の全てが、かき消される。
なんてことだ。
ああ──ああ、天も僕の味方をしてくれているだなんて。
「今行くよ、橘……」
君の元へ。
僕は心から笑った。
──────────────────
すみません、3話ぶん一気に公開するつもりが14話のみになっていました。
残り2話も公開しましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
18
【代表作】(BL)
・完結
「トイの青空」
・連載中
「月に泣く」
・番外編連載中
「ヤンデレ気味の金髪碧眼ハーフの美少年に懐かれた結果、立派なヤンデレ美青年へと成長した彼に迫られ食べられたが早まったかもしれない件について。」
更新情報&登場人物等の小話・未投稿作品(番外編など)情報はtwitter記載のプロフカードにて。
宝楓カチカ(twitter)
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