夏の嵐

宝楓カチカ🌹

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限界

12.

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「と、あ?」
「バッカだなぁ、あいつ……大事なことはなんも、言わないでさ」

 もう一度、馬鹿野郎と心の中で強く吐き捨てる。

「ごめん、透貴。俺、姫宮が獣だってこと知ってる。知ってたんだ、でも……」

 ひゅっと息を詰まらせた透貴が、縋るように俺の頬に触れてきた。
 首を振って、大好きな兄のぬくもりから逃れる。

「でも俺、あいつのこと憎んでない」

 自分で発したその一言は、すうっと胸に入ってきた。なんの穢れもない清涼な水のように。

「憎んでないんだ……憎んで、ない。俺、透貴と同じじゃない……ごめん」

 透貴の腕が、力を失ったように落ちていく。

「それは、おかしいです」
「おかしくない」
「おかしいです。駄目です、そんなの認めません。あなたはあの男のことを、恨んでないのですか」
「恨んでるよ」
「なら!」
「──でも!」

 透貴の言葉を、遮る。

「でも……っ、俺があいつを恨んでる、一番の理由は!」

 何度も何度も膨れ上がりかけて、押さえつけていた感情がついに、弾けた。

「あいつが俺のこと、これっぽっちも見てくれないからだ……!」

 ふらりと、透貴の身体が傾いた。
 姫宮は俺を嫌っている、ずっとそう思っていた。罪悪感と責任感から俺の傍にいて俺を抱くのだと。だからこそ俺は、俺に微塵も興味を持ってくれない姫宮が恨めしかった。
 心底、心底、恨めしかった。
 でも、もしもそうじゃないのなら。
 おまえが俺に対する感情を、静かな嵐の真ん中に巧妙に隠しているだけなのだとしたら。

 もう恨む理由が、見つからない。





 もう「好き」しか、残らない。





 ああもう認める──認めるよ。姫宮が好きだ。
 異性に好意を寄せられるたび、苦しかった。受け入れられないことが男として情けなかった。自分を恥じていた。けれどもそれ以上に、姫宮に抱く自分の想いを自覚するのが怖かった。
 義隆の言っていた通りだ。俺、臆病になってた。

「俺、バカだ……今更、気付くなんて」

 番を失った他のΩと同じように狂うのが怖い?
 Ω性に抗えない?
 だからあいつとは番関係を解消したくない? あいつを求めてしまう? あいつから離れられない?
 馬鹿言えよ。
 俺は純粋に、姫宮の傍にいたかったんだ。
 姫宮が好きだから。
 きっと俺は、こんな関係になる前から姫宮のことが気になっていた。だから話しかけた、友達になりたかった、姫宮の本当の笑顔が見たかった。
 幼かった恋の芽はあの夏にぺちゃんこに踏み潰されて。
 それなのに7年という歳月の中で、しっかりと育ってしまった。
 今にも咲き乱れそうな蕾を、花開かないようぎゅっと押し込めても無理だった。
 あの夜見上げた花火だって、導火線に火を付けられれば抗うまい。
 俺ももう、抗えない。

「くそ……ひらいた。ひらいちまったよ……姫宮ァ……」

 これが俺の限界だったのだ。
 落ちて落ちて燃えカスとなっても、ずっと熱は燃え続けていた。
 熱い想いが、俺の中には確かにあった。
 もう、見て見ぬふりはできない。

「あつい……くそ、ちきしょう……」

 胸の奥が、燃えるようだ。夏祭りの夜の比じゃ、ないぐらいに。
 胸元をくしゃりと握り潰す。
 ──俺、ホントのホントにバカだ。なにが、あいつに好きな奴でもできれば諦めもつくだ。全然、諦められてなんかなかったじゃん。
 俺、あの美月って人に嫉妬してた。
 いいなって羨んでた妬んでた。姫宮に愛されてって。なんで俺じゃないんだろうって。姫宮は俺の番なのに、俺たちは結婚だってしてるのに、あいつは俺の夫なのに、あいつが抱くのは俺だけのはずなのにって。
 俺だけが、あいつに抱かれるはずなのにって。
 いいな、いいなぁ……姫宮にこんなに想われて。
 ずるいずるいずるい──ズルい。そんな卑しい単語の羅列ばかりが頭の中に浮かんでいた。
 こんなにも、自分の心は醜いものだっただろうか。
 最悪だ。自分の置かれた境遇に胡座をかいて、本当の気持ちから目を背けて見ないフリをしていた自分が。
 自分の心を誤魔化し続けていた自分自身が。
 最低そのものじゃねえか。

「あの男が、好きなんですか?」
「……」
「透愛、とあ……?」

 透貴の声は、藁にも縋らんとばかりの弱々しさで、震えていた。

「わ、私は、あなたのことを愛しています、愛しているんです」
「俺も透貴のこと、愛してるよ」

 心から言った。本当のことだからだ。
 蒼白だった透貴の顔に、一瞬だけ赤みが戻った。

「ずっとずっと愛してる。ホントに、心から」

 でも。

「俺──姫宮が好きだ」

 透貴を見ながらきっぱりと言い切れば、透貴が口を押えて首を振った。

「ごめん透貴。あいつをブン殴るのは透貴じゃない、俺の役目だ」

 もう声は震えない。
 透貴の気持ちが痛いほどにわかる。だからこそ。

「だって姫宮は、あいつは俺の──番なんだから」


 耐え切れないとばかりに玄関を飛び出して行った兄を、俺は追いかけなかった。


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