夏の嵐

宝楓カチカ🌹

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限界

04.

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 頑なに押し黙る俺に痺れを切らしたのか、姫宮がヤケ酒の如くジョッキを煽った。
 上下する姫宮の喉に、氷の溶けたジントニックが流れていく。

「は……クソまずいな。よくこんなものが飲めるね。水道水の方がはるかにマシだ」

 でも、俺への嘲りが周囲に向くのは耐えられない。

「なんっ、だよその言い方……! おまえが来たいっつって勝手に着いてきたんだろ、なんでいつもいつもそう自分勝手なんだよ!」
「黙れ」
「黙るのはおまえだ、急にキレやがって!」
「身勝手な君に言われたくない」

 俺より乱暴に置かれたジョッキの底が、割れてしまいそうだ。

「あの日僕は君に好きにしろと言った。来栖さんと付き合うんだろう? だから僕も好きにする。それの何が悪い」

 姫宮の目はだいぶ据わっていた。それでいてくつくつと喉を鳴らしてせせら笑うものだから、少し腰が引けてしまう。
 あまりにも歪な笑い方だった。姫宮のこんな顔、滅多に見ない。

「ねぇ、橘。君の服、キレイなYラインだね。よく似合っているよ」
「……は?」
「ハイウェストのスキニーの黒パンツに白シャツ、そして中はボーダーか。いかにも女子ウケしそうな格好だな、すごくカッコいいよ。ふふ、君の努力は本当に涙ぐましいね。髪も染めて、よくもまぁ毎日毎日上手に擬態しているものだ」

 擬態。その一言に首の後ろがひんやりする。
 夏祭りの日に乱暴してきたあの男たちにも、似たようなことを言われた。
 透愛ちゃん、擬態が上手だねって。

「君の友達も、来栖さんも、誰一人として君を普通の男だと信じて疑わないだろうね」
「ひめみや」

 口の中が、痛いほどに渇く。

「はは、かまととぶるなよ。本当の君をみたらみんなどう思うんだろうね」
「……」
「君、幻滅されちゃうんじゃない? もうそろそろ、潮時だと思うけど」
「──樹李!」

 唾を吐き捨てる勢いで叫び、テーブルを叩く。
 息が乱れ、肩が上下した。
 名前で呼んだのは姫宮を止めたかったからだ。7年前のあの時も、名前で呼べば姫宮の激情はほんのわずかばかり和らいだ。
 居酒屋特有のぼうっとした照明が、あの日窓から注いできたオレンジの光と重なって。

「やめろ……!」

 ギリっと歯を噛み締め、唸る。
 かつての姫宮の瞳には、怯え切った俺の姿が写り込んでいた。でも今は違う。お互いにそれなりに成長した。
 今の俺は姫宮の言いなりになることはないし、姫宮が望んだ「いい子」になる気もない。
 過ぎ去った過去に怯えてしまうことはあったけれど、今の姫宮は怖くない。
 ──そうだったのかと、この瞬間理解した。
 夏祭りの夜、同じαでも、姫宮に恐怖を抱かなかったのはこれが理由だ。あいつらは俺をΩとしか見なかった。でも姫宮は違う。
 姫宮と俺は、対等だった。
 あの夏の日から今日まで、姫宮は一度たりとも俺を「Ω」として見なかった。Ωだからと扱われ、馬鹿にされたこともなかった。心配は、されたけど。
 こいつは俺をずっと、「橘透愛」として見てくれていた。
 襲ってきたあいつらをぶちのめした姫宮が怖くなかったのは、慣れじゃない。
 こいつと身体の関係があるからでもない。
 番、だからでもない。
 俺を助けてくれたのが、他でもないこいつだったからだ。「姫宮樹李」だったからだ。
 今、俺はそのことに気付けたのに。
 それなのに今こいつは、俺を嘲った。
 何もかもが違うと思っていた、あの男達と同じような厭らしさで。

「おまえ、そんな風に思ってたのかよ……」

 力が抜けた。声がどうしても震えてしまう。

「俺のことを、俺を……」

 卑しい賎しい、Ωのメスだって?



 お互いに煮え立つような沈黙が続いたのは、たぶん10秒ほど。



「どうして今ここで、名前で呼ぶの……」

 ぽつりと零した姫宮が俯いた。黒い前髪が落ちて彼の額を覆い隠す。
 突然、姫宮が革の財布から万札を10枚以上取り出して、ばん、と叩きつけるようににテーブルに置いた。
 枚数の多さに周囲がぎょっとする。
 ここは古いタイプの居酒屋なので、現金しか取り扱っていないのだ。

「騒がしくして悪かったね。これは迷惑料だよ、どうぞ?」

 大して悪びれてもいない姫宮がさっさと立ち上がった。「おい待て」引き留めようと伸ばした手は届かず袖を掠め。

「好きなだけ食い散らかして騒いでから帰ればいい。頼まれたって二度とこんなところ来るものか。反吐が出る」

 奴は最悪過ぎる空気だけを残して去って行ってしまった。

「こ──のバカッ」

 ごめん! と友人たちの顔も見ずに謝って、俺は急いで姫宮の後を追いかけた。



 *



 一方その頃、残された面々はというと。

「え、えーっ、なに今のぉ……!」
「すごいものみちゃった……」
「うっそぉ衝撃。そういうこと、だったの?」
「ちょ、ちょっとまて、どういうことだよ! 姫宮って来栖狙いだったのか? ごめん、俺てっきり」
「いーかげんにしろバカ、おまえってマジで幸せな生き物だな」
「あたたっ、なんだよ綾瀬ぇっ」
「うーん、姫宮、お釣り受け取ってくれるかなぁ……」

 などなど、反応も三者三様だった。

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