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姫宮 樹李
07.
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僕の中の天秤が止まった。
ぐらついていたのはほんの最初の方だけで、あの日を境に徐々に徐々に橘側に傾き切ってしまったのだ。
橘は、僕にとっての利益なのだろうか、それとも不利益なのだろうか。わからないが、彼は片方の秤にずっと乗り続けている。
反対側がどんなに膨らもうとも、びたりと固定されていて上下にも揺れない。
酷く重量のある橘がただ笑って、手の甲に顎をのっけて、そこに座っている。
僕の橘を見る目が完全に変わるまで、そう時間はかからなかった。
よく女の子に間違えられる僕とは違い、橘の前髪に隠れている眉毛は、ちょっと太くて少年っぽい。
それなのに橘は変声期を迎えていない僕よりも声が高く、よく動く唇からはキャンキャンと仔犬みたいな声が出る。
その口を塞いでやったら、どんな風にくぐもるんだろう。
そんなことを想像しながら、渇いた自分の唇を何度も舐めた。
──手に入れたいなぁ、あれ。
「姫宮くん、どうしたの?」
「え?」
「なんか最近、すっごく楽しそうだよ?」
「……あははっ、堀田さんとお喋りできるのがすっごく楽しくて!」
「えっ」
「ちょっと梨花、楽しいだって!」
頬を赤らめる女に満面の笑みを見せてやりながら、意識だけは終始、橘の方へ。
何も感じなかったモノクロの毎日が、彼のおかげで一気に色づいた。あのリップを通して、間接的に彼の唇に触れた一瞬の、例えようもない恍惚感。
思い出すたびに心が躍る。
もっともっと、あの感覚を味わってみたい。
そんな欲求は日を追うごとに増していき、僕の異常な行動はどんどんエスカレートしていった。
まずは、放課後。
彼の机を漁り、橘が持ち帰るのを忘れたスプーンセットを取り出した。
本当に注意力散漫というか……間抜けだな。
でもその間抜けさのおかげで、僕はこんなことができるのだ。
くん、と匂いを嗅げば、給食のカレーの香りに混じる微かな乳臭さが、鼻孔に広がった。唾液臭というやつなのだろうけど、橘の唾液の匂いだと思うと全く不快じゃない。
むしろ、ずっと嗅いでいたい。
喜びと緊張のあまり震える手でスプーンを口元まで持っていき、まずはかしりと、前歯で先端を噛む。
彼の八重歯を思い出しながら舌を這わせると、ぶるりと臀部が震えた。
丸みをおびた金属のへこみをぺろぺろと犬のように舐め、あむっと食んで舌で包み込めば、橘の匂いをより一層濃く感じた。
昨日のとび箱の授業で、橘は8段を飛んだ。
僕にとっては難なく飛べる高さだったけれど、橘と僕以外に飛べる子どもはいなかった。
だから2人で、8段とび箱を独占した。
しかも橘は高い段を飛べたことが相当嬉しかったらしく、ぴょんぴょん飛びまくっては周囲に自慢していた。「すげーだろ!」とキラキラ眩しく、ずっと笑っていた。
気をよくした彼の後ろに並べば、橘のたっぷりとした汗の匂いが鼻孔まで届いた。
そしてその時を待てば、飛び上がった瞬間の橘の小ぶりなお尻を、真後ろから何度も凝視できた。
半ズボンからのぞく、彼のよく焼けた脛と腿。
その上にある彼のきゅっと引き締まったお尻の形を思い出しただけで気が急く。
ぐっとスプーンを喉の奥まで押し込めば案の定うぇ、と咽てしまい、慌てて浅いところまで引き抜いた。
けれども口の中からは出さない。
一秒たりとも出してなるものかという気概だった。
ああ……これが、橘の唇の向こう側の、味。
人目を気にしながら注意深く、それでも時間の許す限り丹念に舐めしゃぶった。
僕は何をやっているんだろうと、正気に返る瞬間も確かにあった。
橘の私物をこんなふうに好き勝手しているだなんて、誰かに見られでもしたら僕の人生は終わりだ。
考えるまでもなく、不利益側の方が重い。
はずなのに。
楽しそうに秤にぶら下がっている橘が僕を見て言うから。
──なぁ、俺おまえと友達になりたい!
そう、言うから。
口の中で転がし続けた金属が、そのうち溶けて無くなってしまうんじゃないかと思うぐらいに、橘の唾液と僕の唾液が、僕の口の中でとろとろに混ざり合っていく。
口からスプーンを取り出すと、べたっと溢れた大量の唾液が糸を引いた。
てらてらと濡れた丸みをおびたへこみに、うっとりと頬を赤く染めた自分の顔が、映っていた。
フォークもスプーンと同じくらい丁寧に舐めしゃぶって、ようやく満足した。
これを明日、橘は使うのだろう。
もちろん朝に水道で洗いはするだろうが、僕が舌で舐った事実は変わらない。
これが明日、橘の口の中に入る。
彼の唇にはリップで触れることができた。
次はあの白い八重歯と彼のちんまりとした舌に、これを介して触れられるのだ。
僕と橘が舌で、混ざり合うのだ。
想像するだけで、ゾクゾクと口許がにやけて止まらなかった。
そして次の日、元気に別のスプーンセットを持ってきた橘に本気で絶望した。
橘のくせに二つも持つなと、その日は内心怒り狂っていたのだが。
プールの授業中、偶然にも隣のレーンに橘が立ったことで気分はいくらか落ち着いた。
強く照り付ける太陽の下、ちらりと彼を盗み見れば彼のぺったんこの胸が目に入る。
プールの寒さにまんまるく尖った粒が、美味しそうな苺ミルク色であることを初めて知った日の、明け方。
飴玉みたいな橘の胸に吸い付く夢を見ながら。
僕は生まれて初めて、夢精した。
──────
じゅりくんが変態街道に足を踏み入れてしまいました。
こんな気持ちの悪い攻めなのに読んでくださってありがとうございます。
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