夏の嵐

宝楓カチカ🌹

文字の大きさ
上 下
93 / 227
限界

11.

しおりを挟む
「……あなたは、知らないから」

 透貴の視線が、さ迷う。

「あなたは、知らないんです。あの子が、あの男が、どれほど……」

 ふっと、透貴の肩から力が抜けた。
 俺を見つめながら、どこか遠くを虚ろに見ている。

「知らないって何をだよ。なぁ透貴。あれは……事故だったんだ。不幸な事故。コドモの過ちだ。あいつだってわざとやったわけじゃない。むしろ俺が急に発情しちまったから、充てられてラット状態になっただけで」
「事故……事故ですって?」

 透貴が、ここにはいない姫宮をせせら笑った。

「あれが、子どもの過ちなわけが、ありますか」

 透貴の声が、静かな怒りに打ち震えている。

「知らないんですよ、あなたは。あの男があの時、なんて言ったのかを」
「あの時って、なに」

 続きを長く言い淀む透貴の服を、引く。
 俺の中では、パズルのピースがはまりかけていた。
 やっぱり俺の知らないところで、透貴と姫宮には何かあるのだ。

『透貴さんの怒りはもっともだ。あの人は、僕をよく知っているからね』

 姫宮のあのセリフが、長いこと棘のように引っ掛かっている。聞くに聞けなかったけれど、これで確信した。
 透貴は俺の知らない姫宮の何かを知っている。

「言いたくないです」
「言ってくれ」
「嫌です。絶対に言いません」

 俺の知らないあいつの感情の欠片を、俺はどうしても知りたいんだ。

「お願い、透貴……頼むよ。このままじゃダメだ。俺もう、18歳になったんだよ」
「あなたが傷つきます!」
「それでもいいっ」

 少し、声を張り上げる。

「それでも、いいんだ……」

 俺が引くつもりがないことを、透貴はようやく悟ってくれた。 

「後悔、しませんか」
「しねぇよ。俺のことだろ? なら俺にも知る権利はあるはずだ」

 20秒ほど待った。

「落ち着いて、聞けますか」
「……ん」

 こくりと頷く。透貴の重い口が、ようやく開かれた。

「7年前、義隆があの子に聞いたんです。どうして透愛にあんなことをしたのかと……これは、これは俺に対する当てつけか、と」

 ──それは、俺も盗み聞きしていた二人の会話のことじゃないか?

「私は、二人が話しているのを聞いてしまった。もう、今後をどうするのか、義隆と話し終えた後です」

 俺が怖くて逃げ出してしまった続きを、透貴は聞いていたのか。

「あの子……義隆に、なんて答えたと思います?」

 透貴の頬が痙攣し始め、その顔が憤怒に歪み始める。
 まさに鬼の形相だ。もう、俺の前で義隆のことを「さん」付けで呼ぶ気はないらしい。

「当てつけ、だって? そんなくだらないもののために……」

『当てつけだって? そんなくだらないもののために……』

 兄の声が、脳内で勝手に、姫宮の声で再生されていく。
 すうっと兄が──姫宮が──細く息を吸いこんで。





『僕は橘を手に入れたわけじゃない』





 ああ、ああ──ああ。そうだったのか。

「そう言ったんですよ、あの子は、あの男は……ッ」

 髪を振り乱して、テーブルに拳を叩きつける透貴。
 そして俺の知っている姫宮ならば、きっと。

「そう言って、ッ、あいつは──わらったんですよ!!」

 やっぱり。
 これで、透貴が姫宮を苛烈に憎んでいる理由も、姫宮を事あるごとに「ケダモノ」と蔑んでいた理由もわかった。この7年間、俺のために絶対にこのことだけは言うまいと、胸の奥底にしまい込んでいたに違いない。
 現に透貴は、忌々しさ極まりないとばかりに歯ぎしりをしている。
 ギリギリ、ギリギリと、ああ……また透貴の八重歯が擦り減ってしまう。
 俺のために、兄の歯が。

「もう、わかったでしょう……? 透愛、あれは恐ろしい子どもです、おぞましい男ですっ、あなたの前では、鋭利な牙を隠しているだけです!」

 激しく肩を揺さぶられる。

ケダモノなんですよ──透愛!」

 目を覚ませと、言われている。

「うん」

 深く頷く。

「うん、そうだな」

 俺は、静かに涙を流しているらしかった。

「と……透愛、ごめんなさい、本当はね、まだ言うつもりなんてなかったんです。でも……!」
「違う。違うんだ透貴、ただ、おれは……俺、は」

 溢れる涙を透貴に拭われる前に、そっと手を押し返す。

 ──なぁ姫宮。おまえ、バッカじゃねえの?
 ふざけんな……ふざけんなよ。当てつけのために俺を手に入れたわけじゃないって、なんだよそれ。
 あれは事故だったんだろ?
 俺が勝手にヒートんなっておまえがそれに反応しちまっただけの話だろ?
 おまえは俺のことが嫌いで、大嫌いで。それでも番になっちまったから仕方がなくセックスしてて、おまえは俺を見捨てられなくて、だから俺たちこんなに拗れまくってんだろ?
 そうだろ、なぁ……違うのかよ。
 違うのか、姫宮。
 俺の見えないところで、いや、おまえが見せないように、この7年間ずっと隠し続けていた真実が、おまえの中にはあるのか? あるんだな?
 それじゃあ、それは、あまりにも、あまりにも──

「姫宮らしすぎるって、泣いてんだ……」

 滲む視界の向こう側に、姫宮の幻影を見た。
 霞がかっていた過去が晴れていく。
 今ようやく、思い出した。



 運び込まれた病室の中。
 どうしてこんなことにと、叫ぶ透貴の慟哭の向こうで、突っ立っていた姫宮。視界を横切る医者や看護師の人影はスローモーションのようにぶれていて、見える世界はモノクロで、姫宮だけが鮮明だった。

『ひめみや?』

 声をかけると、姫宮は体を震わせて。

『こっちこいよ。そこ寒ィだろ? ここ、日があたってあったかいんだ』

 細い腕を伸ばす。その瞬間耐えきれないとばかりに、その瞳が揺れて。

『なぁ、姫宮。俺さ、おまえと──』

 その先の自分の言葉は、やっぱり記憶の端が途切れてしまう。
 でも、あいつの表情だけは思い出せた。
 そうだ、あの時、姫宮は泣いたんだった。
 黒いビー玉みたいな目なのに、静かに溢れる涙がキラキラ光っているのが不思議で不思議で。

『おまえ、キレーだなぁ……』

 舐めたら、一体どんな味がするんだろうって、思ったんだ。


 目を、瞑る。


「あんまりにもあいつが、あいつらしすぎて、泣いてんだ……」









 ───────
 確信犯でした。
しおりを挟む
感想 141

あなたにおすすめの小説

イケメンがご乱心すぎてついていけません!

アキトワ(まなせ)
BL
「ねぇ、オレの事は悠って呼んで」  俺にだけ許された呼び名 「見つけたよ。お前がオレのΩだ」 普通にβとして過ごしてきた俺に告げられた言葉。 友達だと思って接してきたアイツに…性的な目で見られる戸惑い。 ■オメガバースの世界観を元にしたそんな二人の話  ゆるめ設定です。 ………………………………………………………………… イラスト:聖也様(@Wg3QO7dHrjLFH)

ヤンデレだらけの短編集

BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。 全8話。1日1話更新(20時)。 □ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡 □ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生 □アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫 □ラベンダー:希死念慮不良とおバカ □デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。 かなり昔に書いたもので、最近の作品と書き方やテーマが違うと思いますが、楽しんでいただければ嬉しいです。

変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話

ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。 βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。 そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。 イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。 3部構成のうち、1部まで公開予定です。 イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。 最新はTwitterに掲載しています。

ヤンデレ化していた幼稚園ぶりの友人に食べられました

ミルク珈琲
BL
幼稚園の頃ずっと後ろを着いてきて、泣き虫だった男の子がいた。 「優ちゃんは絶対に僕のものにする♡」 ストーリーを分かりやすくするために少しだけ変更させて頂きましたm(_ _)m ・洸sideも投稿させて頂く予定です

平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです

おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの) BDSM要素はほぼ無し。 甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。 順次スケベパートも追加していきます

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

【連載再開】絶対支配×快楽耐性ゼロすぎる受けの短編集

あかさたな!
BL
※全話おとな向けな内容です。 こちらの短編集は 絶対支配な攻めが、 快楽耐性ゼロな受けと楽しい一晩を過ごす 1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。 不定期更新ですが、 1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー 書きかけの長編が止まってますが、 短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。 よろしくお願いします!

処理中です...