夏の嵐

俺たちの関係

02.

　
「……僕は、君と、結婚していると思うのだけれど？」
「なにが結婚だよ、こんなの形式的なもんだろ」

　姫宮が振り向く気配がしたので、ごろりと背を向ける。
　あんまり、顔を合わせていたくない。
　客観的に見れば、確かに姫宮は加害者で、俺は被害者なのだろう。でも俺だって、強烈なヒートを起こして姫宮に自分を襲わせた加害者だ。
　体育館じゃなく、人が沢山いる職員室にでも駆け込めばよかったのに。
　あれは、お互いに未熟だったが故に起こった、不幸な事故だった。
　コドモの、過ち。
　ヒート時のαによるΩへのレイプは罪になりにくい。しかし姫宮家は社会的地位の高い家柄だったため、事件が表沙汰になれば経歴に傷が付くと考えたのだろう。
　彼の父親は責任を放棄せず、俺の将来的な生活の安定を約束してくれた。
　この一件を口外しないことを条件に。
　そして7年前の取り決め通り俺たちは籍を入れた。互いの気持ちなんてそっちのけで。
　ちゃり、とネックレスがシーツに流れ落ちる。ピカピカと、眩しい金色の輪っか。意味のない輪っか。
　この指輪の裏側に刻まれている番号なんて、ただの記号に過ぎない。
　俺たちは、愛し合ってもいないのだから。

「大学卒業したら一緒に暮らすってのもさ、ぶっちゃけイメージわかねぇっつうか。だっておまえ想像できる？　俺らが一緒にテレビみたり料理したり掃除洗濯したりすんだぞ？　あとは……バカみたいなことして2人で爆笑したりとか？　ムリだろ、そんなの」

　そもそも爆笑する姫宮が想像できない。こいつ、どんな風に笑うんだろ。外面用のニコニコ笑顔は置いておいて、目を閉じても小学校の頃の冷笑しか思い出せない。
　心から俺という存在を疎んでいた顔。
　そう、嫌われていたのだ。それなのに、姫宮は俺から離れられない。

「無理でもするしかないだろう。僕らが生涯添い遂げることは、覆しようのない事実なんだから」

　覆せない事実ね、その通りだ。でもやっぱり、俺はおかしいと思う。
　セックスは、好きな人同士がするものだ。結婚は、愛し合った者同士がするものだ。俺は恋を知らない。小学校の頃クラスでも可愛いって評判の女子の隣の席になってドキドキしたことはあるけれど、それっきりだ。
　姫宮は、恋をしたことがあるのだろうか。
　そんなことを考えるたびに、彼に哀れみさえ覚える。
　姫宮は可哀想だ。過去の罪にこんな形で今でも縛られ続けるなんて。

「この際だから言うけどさ、俺に変な操とか立てなくてもいーんだからな」
「……別に、そんなものを立てているつもりは」
「いーって。もうお互い大学生なんだし、もっと気楽にいこうぜ？」
「気楽にって？」
「気楽には気楽にだよ。大学生っぽく合コン行ったりさぁ。今日だっておまえ、パーティーに誘われてたじゃん。おまえのこと狙ってる子ぜってー多いし、可愛い子がいたらいいんだからな……しても」
「……なにを？」
「なにって……セックスだよセックス。言わせんな」

　努めて明るく振舞った。姫宮だって健全な男子だ。同性の俺なんかを相手にするよりも、柔らかい女の子を抱いた方がいいに決まってる。
　第一、誰もが羨む家柄のαの男が俺以外に経験がないだなんて……いや、もしかしたら普通にヤッてんのかな、言われないから俺が知らないだけで。
　でも、そうだとしても、俺に気を使ってコソコソされるのは嫌だ。

（もう俺は、おまえを、自由にしてやりたい）

「俺そういうの別に気にしねぇし。まぁ、ヒートんなったらヤルことはやってもらうけどさ」

　そこは勘弁なと、笑う。
　姫宮を自由にしてやりたいとは言っても、捨てられるのは困る。

（つがい、解消してやりてぇけど……でも俺、死ぬのは、怖い）

　俺だって人間だ。自分の命は大事だ。
　発情の苦しみから逃れるために、薬物に溺れるΩは多い。渋谷の方ではうろうろしている。
　今朝、女子が噂していた動画は、実は俺も見た。見てしまった。廃人になったΩが、ホームレスの男性に跨って腰を振りながら、自分を捨てたであろう番の名前をぶつぶつ呟いている姿に、ぞっとした。
　それにスマホのカメラを向けている野次馬の姿にも、顔が歪んだ。
　シーツに顔を埋める──嫌だ、あんな風に狂いたくない。見世物にも、なりたくない。
　だから姫宮には番関係さえ継続してくれれば他には何も望まない。いつでも離縁していい。むしろ、早く姫宮に好きな子ができればいいと思う。
　運命だなんて、ありはしない。
　でも、もしも姫宮に「運命の番」とやらが存在しているのなら万々歳だ。抱き合えることに喜びを感じる相手がいるのなら、そっちを優先してほしい。
　そうしたら俺だって、いい加減諦めもつくというものだ──え、諦め？

（ま……待て、俺、今なに考えた？　諦めって、一体なんの……）

　自分の支離滅裂な思考回路に混乱していると、突然寝具を剥ぎ取られ、ぐるんと視界が回った。

「え──わっ」
「よくもそんなことが言えるね」

　ぎりぎりと手首に食い込んできた指に、痛みで顔が歪む。

「ひめ、みや？」