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トイの青空
189.
しおりを挟む閉まり切っていなかった扉の前で立ち止まり、暫く中の様子を伺う。
シスターの耳にトイの笑い声が飛び込んできた。
こんなトイの笑い声は初めて聞いた。育児院で子どもたちのために気を使って強く弾けさせた笑い声でもなく、思わず出てしまったというような心の底からの純粋な笑い声だ。
トイの屈託のない笑みが、声を通して脳裏に浮かんでくる。
シスターは踵を返し、未だに空を突き抜けるような笑い声が響く部屋の前から静かに立ち去った。
長い階段を降りる。使用人の一人にどうぞ此方へ、と促され一階の客間へと向かったが、目当ての人物はいなかった。
未だにごたついている他の使用人に居場所を聞き、別室へと連れて行って貰う。
ノックをしてから部屋に入れば、ハイデンが自分で自分の身体を治療している所だった。他の使用人は、どうやら対応に追われているらしい。
「客間にご案内をと、他の使用人に伝えていたのですが」
ハイデンは僅かに驚いた顔でシスターの来訪を迎えた。
「ええ、通して頂きました。私が貴方を探しに来ただけです」
「そうですか」
客人の前で治療している姿を晒すことをハイデンは良しとしないらしく、椅子から立ち上がって突然の訪問者を迎え入れる準備をし始めた。
「ハイデンさん、お立ちにならないでください」
「そういうわけには」
シスターは動こうとするハイデンをやんわりと制し、傷の手当をさせてほしいと願い出る。もちろん断られたが、シスターは元々強引にことを運ぶところがある。
自分よりも背の高い男性を椅子に座らせ手を洗い、傍に用意されてあった治療道具の中身を確かめる。
「あの、シスター」
「お礼を、したいのです」
シスターは小さくため息をついた。
「お礼ですか」
そこに混じる複雑な感情に気が付いたのか、ハイデンは大人しく椅子に腰を降ろした。
「ええ。トイのことを守ろうとしてくださって有難うございました」
「……こんな状態で、お恥ずかしい限りです」
ハイデンはまさに満身創痍という出で立ちだった。頬は殴られた痕が目立ち、鬱血している。
怪我の度合いは他の使用人たちよりも激しい。まだ大きな腫れはないが、そのうちもっと酷いことになるだろう。腕の方は赤らんでいて、打撲痕が浮き出ている。骨は折れていないようだ。
「でも貴女が来たのが後でよかったです。巻き込まれなくて」
「ええ、私もそう思います。タイミングがよかった」
シスターが屋敷に連れてこられた時には全てが終わっていた。
かつてトイをいたぶっていたソンリェンの仲間がトイを襲いに来て、ソンリェンがトイを守ったらしい。
シスターは説明を受けた後、危ないからと迎えに来てくれた使用人の一人に車の中で留まるように言われ様子を見ていたが、彼女が見たのは癖のある茶髪の年若い青年が子どものように泣きながら、数人の屈強な男を引き連れて車に乗り込もうとしている姿だった。
あの青年から命がけでトイを庇ったとは聞いていたが、どこまで本当かはわからない。
ただ、数日前ここを訪れた時までは綺麗だった廊下やカーペットに血が散っていたり汚れていたりと、ばたばたと慌ただしい屋敷全体に相当のことがあったのだろうということは察しがついた。
そしてハイデンの身体の傷。
扉の向こうから聞こえてきたトイの泣き声と、笑い声。
扉の隙間から見えた光景は、ある程度予想していたものだった。
ソンリェンとトイは、抱き合っていた。
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