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雨音
123.
しおりを挟む眩暈がしそうなほどの既視感に見舞われる。
突然ソンリェンに連れられ綺麗な月が見える丘の上を訪れた際にも、同じような言葉をかけられた。
あの時と違うのは今が夜ではないことだ。包み込むように光る月ではなく血のように赤く禍々しい夕陽が差し込む車内で、ソンリェンの瞳が昏く光っている。
するりとソンリェンの手が伸び、手首に絡みついた。やけに優しい仕草で腕を撫ぜられる。ソンリェンの手の甲には血管が浮いているのに、強く掴まれていないことがさらに恐怖を煽ってくる。
「これ、あの女から貰ったやつらしいじゃねえか」
くいと、ディアナから貰ったミサンガを引っ張られた。頷くこともできずにソンリェンの指先に弄ばれるそれを見つめる。
久しぶりにぶつけられるソンリェンの底知れぬ怒気に、身体が竦んで動かなかった。
「なんの願い込めてんだ? てめえは」
顔を近づけて来たソンリェンの吐息が、唇にかかって震える。
「俺からいつか、逃げられるようにってか? バカだなトイ」
どうして今の今まで忘れていたのだろうか。
このソンリェンという人間は他の男達の中でも特にドライで、短気で、冷徹で。
泣き叫ぶトイを冷めた目で一瞥するような人間だった。
「……逃がすわけねえだろうが」
一層暗いトーンで囁かれ、ぶちりと何かが切れた。
トイの手首に巻かれていたミサンガが、はらりと足元へと落下していく。ソンリェンによって勢いよく引き千切られたのだ。
ただ、落ちたミサンガを見つめる。
「あ……」
しかし些細な逃避すらも許さないというように、今度は捻り握りつぶす勢いで首に手が巻き付いてきた。
「ァ、ぅッ」
「よそ見してんじゃねえよ」
ぎりぎりと喉が狭まり圧迫感が増す。ゆっくりと、しかし確実に長い指先に首を絞めつけられて直ぐに視界が霞み始めた。
「お前がよこしたこれ、あの女に渡す予定だったんだろ? ん?」
トイの首を圧迫し続ける手首のミサンガが、ソンリェンが込める力に合わせてぶるぶると震える。やはりディアナとの会話も聞かれていた。
「お前にナメられんのも、二度目だな」
ゆっくりと覗き込んでくる空色の瞳すらも、白く濁る。
「あのディアナって女、次の玩具にするか……?」
「やめっ……」
ふるふると首を振っても力は微塵たりとも緩まない。たった片手のどこにこれほどまでの力があるのか、簡単に気道が堰き止められていく。
苦しい、酸素が足りない、開きっぱなしになっている口からだらだらと唾液が零れていく。
「っか……、ふ、そ、りぇ……」
こわい、こわい。最後に会った時はあんなに、優しく頭を撫でてくれたのに。
「アイツらも、次は女がいいって言ってんだよ」
強制的に合わせられた視線の先で、濁った底なし沼のような青昏い瞳が揺れていた。
暴虐の限りを尽くす手のひらは激しいのに、絶対零度の視線だけは暗い茂みの中に潜む獣のように静かだ。
その牙は確実に、トイの息の根を止めようと狙いを定めている。
そこには、時々ソンリェンから感じることができていた少しの柔らかさも、戸惑いも、ぬくもりも見当たらない。
「どうしてほしい」
トイは、ソンリェンの心の奥深くに潜む何かを踏み荒らしてしまったのだろう。
そうであれば今のトイに逃れる術はない。
「どうしてほしい、なあ、トイ……」
「……、ッぁ」
今度は両手で、今まで以上に締め上げられる。ぎちぎちと首の肉が軋む音がする。薄らぐ視界の中、かりと手の甲に爪を立てることしか出来ない。「ソンリェン様」と誰かの諫めるような声が聞こえた。
「……ぁ、ディア、ナには、何も……しな、で」
「そんなにあのガキが好きかお前」
「くっぅ……、ァ……!」
限界だった。がん、と足で座席を蹴る。必死さが伝わったのかそれとも別の理由か、ふいにソンリェンの手が離された。
わずかに灯った命の火を絶えさせぬため、大きく口を開き必死に息を吸う。一気に逆流してきた空気のせいで、気道が擦り切れるように痛んだ。激しく咽る。
ソンリェンの顔は見えないが、冷えた視線を向けられていることだけはわかる。
久しぶりに与えられた暴行らしい暴行に、まともに声も出ない。車のドアにもたれ掛かり呼吸を整えることだけで精一杯だった。
しかし休息は長く与えて貰えなかった。喉を抑えていた腕を引っ張られ、唐突に唇を塞がれる。
「ん──っ」
それはいつもの口づけとは違かった。熱くぬめる舌先が口の中になだれ込んでくるのは同じなのに、絡みついてくる舌がとても苦かった。
煙草の苦みではない。舌が痺れるような痛いほどのえぐみだった。
味が嫌で首を振るも、逃がすまいと大きな手のひらで顎を固定され動かせない。
「っ……ぐ」
喉の奥にどろりとした液体が流れ込んでくる。苦みの正体だろう。飲み込みたくなくとも口の中はソンリェンの大きな舌でいっぱいな上、首を絞められたことではやく酸素を取り込みたくて一気に飲み込んでしまった。
「う、ぇ……」
渋さが喉の奥に残る感覚に背筋が震え、力が抜けた。トイがごくりと喉を鳴らしたのを見計らっていたのか、ソンリェンの唇が離れていく。
「な、にを」
飲ませたんだ、と口にする前に、突如として視界がぼやけた。
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