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将来の約束──07

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 たかが子どもの力だ、強くもなければ苦しくも痛くもなんともない。
 どちらかというとただ添えられているだけに近い。
 だというのに呼吸が浅くなった。喉が、押しつぶされたかのように詰まる。

 目を見開いたまま微塵も体を動かせないでいる春人に、きめ細かな肌をした西洋人形のように美しい顔の子どもは、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべた。
 弓なりに反った瞳から白目の部分が消える。侵食した青が白を食らい、水面に映る青く輝く綺麗な三日月のような形になった。
 にい、と上げられた口角から真っ白な歯がのぞく。
 もちろんその笑みは、やはり歳相応のものからはかけ離れているもので。

 どこもかしこも、それこそ爪の先まで宝石でできているみたいな琉笑夢は、愛らしい唇を歪ませたまま一言、ささやいてきた。


「春にい、だい好き──春にいは?」


 全力疾走を終えたばかりのように、心臓の鼓動がバクバクと速くなる。
 これはまだ6歳の子どもだ。子どもだけれども。もしかしたら今の言葉は戯言などではないのかもしれない。そう思わせるほどの迫力が琉笑夢にはあった。
 するりと、琉笑夢の手が離れる。やっとまともに息が吸えた。
 堰き止められていた血液がどくどくと脳内を循環し、春人の思考を素早く巡らせた。

「オ……」

 春人は本日何度目かになるかわからない悪寒に苛まれながらも、琉笑夢が求めているだろう答えを紡ぐために強張る唇を震わせた。

「オレも、好きだ、よ」

 嘘ではない。決して嘘ではないのだ。
 懐いてくれる子どもにお兄ちゃん大好きと言われ、オレもだよと返す。こんなのどこにでもあるありきたりな会話だ、三文小説にもなりはしない。
 それなのに、自分の紡いだ言葉がとてつもなく重く感じられた。
 好きだと返した台詞にじわじわと体全体を縛られ、そのまま氷水に沈められていくようなそんな重圧感だった。
 息をする方法をちょっとでも間違えたら一気に酸素が水に奪われて、代わりに口の中に大量の冷たい水をねじ込まれ一気に生命活動を奪われてしまいそうだ。

「それ、ほんと?」

 ごくりと唾を飲む。
 琉笑夢の目は逸らされない。春人にはわかった。今この子どもは春人の言葉に嘘が混じっていないかどうかを見定めているのだと。

「ほ……本当、です」

 ぎこちなく頷く。思わず敬語になってしまった。

「うそ、いってない?」
「お……う」
「うそじゃないって、約束できる?」
「……できる」

 さらに目を細めて再び抱き着いて来た琉笑夢を、強張る片腕で抱きしめ返す。

「ふうん」

 じっとりと首に巻き付けられた腕がさっきよりも冷たく感じられた。

「よかった」

 首の噛み痕に、口づけるようにささやかれた。
 ──何が、よかったなのか。春人に好きと言ってもらえてよかったという純粋な安堵の意味だったのか。それとも春人がそう返したことで、何かをする必要が無くなってよかった、という意味だったのか。
 もしも琉笑夢の望む言葉や態度を返せていなかったらこの子どもは何をする気だったのだろう。例え何かをされていても、力で春人が負けるはずはないのだけれど──今のところは。

 ちなみに琉笑夢の父親はすらっとした長身だったらしい。母親も、女性にしては高い方のようだ。
 琉笑夢が両親に似たら、どうなるか。

 いや、だからホラーかって。これはほんとに、怖い。
 かなり病んでる、俗に言うヤンデレというやつだ。将来が怖い。
 もしかしたら琉笑夢はただの愛情表現が下手くそなお兄ちゃん子なのではなく、ヒト科ヒト属に属するヤンデレ予備軍なのかもしれない。

「春にい、眠い……」
「あー……うん、寝ろ」

 昨夜春人の傍で寝られなかったことに加えて、春人に構ってもらえなかった寂しさと不安とで睡眠も浅かったのかもしれない。
 春人よりも早く起きて、降りてくるのを階段の下で待っていたみたいだし。
 だんだんと、春人の腕の中でうとうととし始めた琉笑夢の体重が重くなって来た。
 春人に体を預けて穏やかにまぶたを閉じる顔は、どこからどうみても子どもそのものなのに。

 ともすればぶるりと震えてしまいそうになる吐息を整えて、春人は琉笑夢を抱きかかえたままそろそろと移動し、同じくそろそろとソファに腰を落とした。


 いや、腰が抜けた。












 その後、数日経ってから琉笑夢は彼の母親の姉に預けられることになり、鈴木家を出て行った。
 やはり実の母親からはネグレクトを受けていたらしい。

 後から聞いた話だが、もともと琉笑夢の叔母はバーを経営していたらしく、琉笑夢を引き取れるようにしっかりと身辺整理をしていたのでその間だけうちが実母から預かっておくという約束だったようだ。

 同県ではなく隣の県で暮らすということもあり、琉笑夢は最後の日はいつも以上に甘えたで、ぐずりながら春人から離れようとしなかった。
 琉笑夢の涙を初めて見た春人は可哀想になり、ついついいつも以上にしつこかった結婚したい攻撃にうんと頷いてしまった。
 正にうっかりだ。やってしまったと焦ったが後の祭りで、これまた初めて見た琉笑夢の満面の笑みに訂正することも不可能となってしまった。

 春人との「将来の結婚」の約束を取り付けた琉笑夢はその後ぱったりと泣き止み、「結婚できるようになったら迎えにくる」と6歳児にしては潔く漢らしい約束を一方的に取り付け、派手な格好をした叔母に連れられて去って行った。
 琉笑夢とした約束だけが嫌な重さを伴い心の奥に残っていたのだが、そうは言っても所詮は子どもの戯言だ。琉笑夢も大きくなれば忘れるだろう。


 そう思って、いたのだが。



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