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四十三話 運命は乗り越えるもの

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 そして、母は白い狐火を足に纏うと一気に加速していった。一蹴り毎に加速をしていき放たれた矢のような速さで空を滑っていった。

 あっという間に佐倉の町が見えてきたが、歩きで白峰と戦った場所へ向かったとなると数日かかることが予想できた。忍も処刑の刻限に間に合わせるべく相当な無理をしてたどり着いたことが改めて理解できた。



 町のすぐ近くに母は降り立つと、すでに町民の人だかりができていた。

 それもそのはずである。純白の神々しい毛並みの狐が天から降りてきたのだ。人だかりの中に伊予を見つけて私は母から降りて駆け寄った。

「伊世さん! やりました。私、天狗と和解できました!」

「あんれまぁ、やりおったか……頑張ったのう。葛さんが帰ってきた時のために贈り物を用意しておいたぞ。受け取ってくれるか?」

 伊世が渡してきたものは赤い巾着袋だった。黒い糸で狐を意匠にした刺繍が施されていた。

「もしかして、手作りですか?」

「そうじゃ。拙い品で、すまぬな」

「いいえ、いいえ……どんな高級品よりも嬉しいです。ありがとうございます。大事にします」

 真っ先に思い浮かんだ使い道は、忍から貰った櫛を入れることだ。大切な人から貰った櫛を大切な人から貰った巾着に入れることができるなんて、とても尊いことのように感じられた。

 物見の町民たちがどよめいたことに気付いて見てみれば、母が人型に戻ったところであった。白い長髪に九本の尾をたなびかせた母の姿はやはり、人目に晒されれば瞬く間に多くの人々の視線を集めることは必然だった。妖怪という域を超えた神聖さに人々は人外の存在である母を警戒することすら、忘れていた。

「あれは、母です。実は死んでいなくて、再会できました」

「はぁ……あれが、葛さんの母上か……思わず手を合わせて拝みたくなるのう」

 伊世はそう言って本当に手を合わせて拝み始め、私は笑ってしまった。

 町長もやってきて、忍と母に慌てた様子で話しかけると、忍の説明を聞いて納得した様子が遠くから見えた。町長と母はお互いに一礼をして挨拶を交わしていた。そして町長は私の方を見て大きく頷いたので、私はそれに応じて一礼を返した。

 すると忍はこちらに歩いてきて、私の肩に手を乗せた。

「町長への説明は、君の母に任せてある。俺たちは、今日のところは食って、寝る。それだけにしておこう。お互い無理をしたからな」

「そうね。いろいろ聞きたいことがあるけど、休んでからにしましょう」



 私と忍は市場に出向き、焼き魚をもらうと二人して人目も憚らず大口を開けて食らいついた。焼きたての熱い身にハフハフと口を開けながら、お互いの様子を見ては笑いあった。数日間、お互いに満足に食事を取っておらず、久々の食事は身に染みた。

 その日のうちに私と天狗が和解に成功したことは町中に伝わり、私に対する町からの追放の決定は正式に破棄された。そして母も町に滞在することが許された。

 長屋に戻り、各々ドカっと大きな音を立てて、倒れるように横になったのがわかった。

 運命というものを乗り越えることが、こんなにも大変なこととは想像以上だった。そんなことを何回も繰り返し体験してきた白峰の強さに改めて感服した。

 まだ陽も高かったのに、猛烈な眠気が襲ってきた。私は睡魔に抗うこともせずに、ゆっくりと深い眠りについていった。

 ふと、目が覚めて外へ出てみると陽は落ちて、代わりに満月が世界を照らしていた。朧げな光は忍の背だけを私に見せているようだった。

「忍も起きていたのね。どう? 体は楽になった?」

 話しかけると忍は振り返って笑顔を見せた。

「あぁ、俺の方は大分よくなった。葛の方はどうだ?」

 私は腕を回してみたり、膝を上げたりして体の調子を確認してみた。

「うん。私も楽になったみたい。天狗にもらった薬も効いたのかも」

 忍は「そうか」と呟くと咳払いをして、姿勢を正した。

「もし……生きて町に戻ってくることができたら、言おうと思ってたことがあったんだ」

「うん」

 これから、言われることはわかっている。それでも、言葉にしてくれることが何よりも嬉しかった。

「俺と……結婚してほしい。玉藻さんには許しをもらってある」

「私もね……結婚するなら忍しかいないと思ってた」

 忍は「ありがとう」と呟いて私を抱きしめてくれた。自然と私も忍を抱き寄せ、体一杯で多幸感に包まれていた。

 私を阻むものは全て、排除した。妖狐の迫害という状況も、死の運命も解決した。今後に新しく問題に直面することはあるだろう。だが、忍となら全て乗り越えられる。

 そんな確信が私にはあった。

 忍は私の肩を両手で掴んで、お互いに見つめあった。

 次第に忍の顔が近づいていき、私は眼を瞑り、忍を受け入れた。唇がふれ合い、離れた。眼を開けると眼を潤ませていた。

「やっと……守れたんだ。俺は……俺は…………今まで家族も仲間も守りきれなかった。葛を守れて……よかった」

 忍の守りきれなかった悔しさを自分のことのように知っている私も、思わず目頭が熱くなってしまった。額と額をくっつけて呟いた。

「言ったでしょう? 私はあなたを独りにしないって……」

 忍の頬から涙が伝い、地面へと落ちた。



 私は無意識に忍の心象風景に降り立っていた。そこには今までの赤く燻って焦げた木々ではなくなっていたのである。

 私が櫛をもらった時に案内された丘の中にある開けた森になっていた。心象風景の中では陽が昇っていた。空は雲一つもない快晴である。

 周りを囲む、木々には様々な着物が吊るされていた。長屋にある忍の部屋に散乱していたかつての仲間の遺品の数々だ。忍が実物として持っているものは千切れた布の一片だったのだが、心象風景の中ではどれもが完品であった。忍の部屋で見なかった着物も見受けられた。きっと、あれらは忍が回収できなかったものなのだろう。

 そして、中央には私たちが腰かけた大岩があった。

 そこには忍が使っている大太刀が刺さっていた。その隣には伊世にもらった巾着袋の上に櫛が置いてあった。



 あぁ……なんて……穏やかな風景になったのだろう。



 きっと、忍は救われた。

 今、私の心象風景もきっと、昔とは違うものになっているでしょう。母が見たら、どんな風景だったか教えてくれるかもしれない。

 私も忍に救われました。

 きっと、私の心象風景も穏やかな風景になっているでしょう。

 父さま、いつでも目を覚まして大丈夫ですよ。

 私と皆で妖狐が生きることを許される世界を用意できました。

 もう他の妖怪を恨んでなんかいません。

 父さま、私を忍と引き合わせてくれて、ありがとうございます。



 忍…………

 ありがとう。

 私と出会ってくれて。

 私のために戦ってくれて。

 私を選んでくれて。



 私は、あなたを……

 愛します。

 守ります。

 支えます。



 私たちはこれから苦楽を共に生きてゆくのです。

 願わくは、幸せの多い人生であることを……
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