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十六話 彼が体験した悲劇の始まり

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「……私は忍さんを独りにしたくないのです。だから、全力で予言に抗いますよ。私にはあなたに希望をちらつかせた責任があるのです」

 忍の心象風景に一瞬だけ風が通り抜けたのを私は見た。その一瞬だけ燻った木々はパチと音を立てて火の粉を飛ばした。炎が燃え上がるまでには至らなかったが、予兆を感じずにはいられなかった。

「俺が簡単に死なないと勝手に期待しただけだ。君に責任なんてない……」

「いいえ、あります。忍さんが認めなかろうと責任はあります」

 忍は肩を落とし、深いため息を吐き微笑んだ。

「君は不思議だ。そんなにも強情だったのか……。まだまだ知らないことが多いな」

「私も忍さんのことをまだ、知れてないのです。もし良ければ、白峰に襲われた経緯を教えてくれませんか? 大妖怪が人間を襲うにはそれなりの理由があるはずなのです。それが鞍馬の予言に繋がるかもしれませんし……」

「俺の記憶を覗いてきた方が早い。遠慮なく憑依してくれ」

「わかりました。では、見ますね……」

 多くの人間は心を読まれることに抵抗を抱くことが多いと思っていた。実際に忍の心を読み取り始めた時に少しの抵抗が感じられた。それでも、忍は心を読ませてでもいち早く情報を伝え考察する時間を捻出しようと考えたようだ。

 私はその心意気に報いるべく、記憶を辿り始めた。記憶を過去に辿る時は心象風景の中で巻物を広げていく感覚だった。忍の心象風景である、焼け焦げた森だったような場所で私は巻物に目を通し始めた。

 私の視線に入った文字に意識を集中させると、その出来事があった場所へ傍観者として立つことができる。そうして追体験を通して記憶を見ることができる。

 先程の鞍馬との出会い、昨夜に私が尻尾の増えたことを見せにきた光景と、新しい出来事の順に辿っていった。

 その過程で忍が全てを諦めて孤独を選ぶに至った経緯も知ってしまった。幾人もの仲間を妖怪に喰われ、潰され、切り刻まれて、溶かされ、忍は心を閉ざしていったのだった。両親を失っただけの私の悲劇など霞んでしまうほどの苦悩がそこにはあった。

 長屋の忍の部屋にあった散乱した物の数々は、かつて仲間だった者の遺品だったことがわかった。

(あんなものに囲まれていたら忍が余計辛くなる……)

 私は見ることも、いたたまれなくなって一気に記憶という巻物を広げて、大きく過去へ向かった。そして、五年前に相当する記憶に辿り着いた。

 十五歳の忍は武家の跡取りとして、庭で太刀を振って稽古に励んでいた。指導役と見られる老人に刀の持ち方や振り方を細かく教わっていた。辺りを見渡すと何やら話し込んで議論をしている配下の武士たち、屋敷の掃除をしている使用人の女たちの姿があり、一般的な武家屋敷という印象だった。

 しかし、私は思わず目を疑う人物がいたことに気付いた。

 私の父がいたのである。

 忍の顔に似た父と思われる男性が縁側に肩を並べて、親密そうな様子で会話をしていたのである。私の父は尻尾と耳を隠して人間の姿をしていたが、見間違えるはずがなかった。忍本人に会話が聞こえていなかったので、会話の内容を窺い知ることはできなかったが、父同士が交流をしていたという事実を知れただけでも、大きな収穫と言えた。

(やっぱり、父が私と忍を引き会わせたのは理由があるのかしら?)

 妖狐と接点のある人間ならば、大天狗が粛清に動く理由になりうる。

 そして、少し時を進めると、ついに悲劇は起きてしまった。

 忍が指導役から座学で学んでいて、配下の武士は武器の手入れをしているありふれた日常の中に突如として白峰が現れたのだ。

 配下の武士たちは白峰が天狗とわかりつつも刀や槍を持ち、周囲を囲んだ。全員が死を覚悟した引きつった表情をしていた。

「悪いが君たちには安定のためのいしずえになってもらう」

 地面に突き立てられた特大剣を片手で持ち上げて肩に担いだ。その異常な筋力は見ただけで周囲の武士を恐れ慄かせた。

 様子を見守っていた忍の父は白峰へ向かって平静を装って尋ねた。

「我々を殺しに来たのか? 何者だッ」

「殺される理由に一番心当たりがあるのは君なのではないか?」

 明らかに、私の父の接触が原因だと言われているようなもので私にとっては苦しい事柄であった。忍に申し訳が立たない。

「……ッ! 皆のものッ! この者は人の敵である。かかれ!」

 忍の父の号令で一斉に配下の武士たち八名は白峰に向かっていったが、白峰の特大剣の一振りで斬り捨てられた。驚愕して固まっていた父に一歩、また一歩と歩を進めて白峰は近付いていった。

「忍! 逃げろ! 生きるんだッ」

 急に声をかけられた忍はハッとして太刀を持ったが、言葉を聞き終える頃には忍の父は特大剣に袈裟切りにされて即死していた。

 忍は唇を噛みながらも反対側へ向かった。

 指導役の老人、忍の母が立ちはだかるが、まるで紙をちぎるかのように容易く斬られて死んでいった。

 そして、忍はすぐ後ろへ白峰に追いつかれ、忍は振り返って叫んだ。

「なんで……なんで殺すんだッ! 俺たちが何か悪いことをしたのかッ」

 忍の悲痛な叫びに白峰は眉一つ動かさず、次の標的として忍を見据え近付いていった。

「少年……お前にはなんの罪はない。安定のために死んでもらう。ただそれだけだ」

 また「安定」という言葉だ。

 私の父を両断した時も、『安定の礎になってくれたことに感謝する』などと宣って頭を下げていたのを思い出した。

 まるで自らが正義の執行者であるかのような物言いに心底呆れながらも私は続きを見守るしかなかった。

 これはすでに起きた過去なのだから。

 正直この状況から、忍が生き残る未来が想像できなかった。それでも忍は果敢にも手にした太刀で白峰に斬りかかった。だが、白峰は圧倒的な力の差を見せつけた。

 忍の振った太刀を指でつまんで受け止めると、小枝を折るかのように太刀を折って投げ捨てたのである。呆然とした忍に特大剣は振るわれた。

 しかし、特大剣は忍の首を斬る寸前でぴたりと止まり、白峰は臨戦態勢を解き、大きなため息をついて忍を憐れむように見た。

「そうか……お前も奴に気に入られた者か。まぁ、いい、見逃せとのお達しだ。好きに生きればいい。私の名を覚えておくといい。天臣坊てんしんぼう白峰千尋しらみねちひろだ。どうせ、私への復讐の道を歩み、お気に入り同士の戦いを奴は見て楽しむのだろうな。本当に悪趣味な奴だ」

 白峰は踵を返すと忽然と姿を消した。

 独り取り残された忍は、屋敷を見渡し改めて事態を把握すると大粒の涙を流し、言葉にならない叫び声をあげて、地面を拳で叩いた。

 思わず私も拳を握り全身が力んでいた。
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