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二話 幸せだった私の生活
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父は変化が得意な妖狐で、私にいつも変化の稽古をつけてくれていた。
小屋に物がほとんど置いていないのも、変化が得意な父が必要になったものを即座に髪の毛一本から用意することができるからだった。
変化は妖怪の多くができる基本的な妖術なのだが、私には、まだ訓練が必要だった。
私は木の枝を想像しながら体に力を込めると右手が中途半端に木の枝に変化するだけで、失敗してしまった。
「惜しいな。体全体が木の枝になる意識が足りてなかったんだろう。父さんが葛の歳の頃はここまでできなかったよ。才能あるぞ。流石は我が娘だ。はっはっは」
父は優先的に身を守ることに繋がるような変化を私に教えてくれた。最初の課題は丸石に化けることだった。複雑な形状をしていない丸石への変化は、私でもすぐに習得することができた。
しかし、木の枝になると途端に難易度が跳ね上がった。不規則に枝分かれする形状は、正確に想像することすら難しく、自身の体を想像に対応させることは困難を極めた。
「父さまは、変化の力を使ってどう戦っているのですか?」
「変化は想像を形にする力なんだ。相手がしてきたことに対抗するものを想像出来る限り父さんは負けたりしないさ。だから、葛。世の中のいろんなものを観察するんだ。だけど一つだけ注意が必要だ。変化は本物には及ばないということを覚えておきなさい」
父は髪の毛一本を自身の頭から引き抜き、木の板に変化させ小屋の壁へと投げつけた。すると父の変化させた木の板は粉々に割れ、小屋の壁は無傷だった。
「同じ物体がぶつかり合っても、変化で模倣したものは打ち負けてしまうのですね」
小屋自体は実際の木材を使って建てたものであり、変化で模倣した木材は偽物である。これは父の力量不足ではなく変化における理の一つであった。
「そうだ。だが、世界には様々なものに溢れている。水だって、鉄だって、土だって、炎だって、木だって、なんでも武器になりうる」
父は小屋の壁に当たり粉々になった木片を言葉の通りに変化させて見せた。
「父さま! すごいです! これなら他の妖怪たちにも負けませんね」
すると父は、何やら首を傾げて考えるような素振りをすると私に言い聞かせた。
「葛……。念のため言っておくが、他の妖怪を攻撃するために力を行使してはならない。身を守るためにしか使ってはいけない。私たちの力は強大だから、他の者が畏れているのだ。友好こそ私たち妖狐は示していかなくてはならないのだよ」
やはり、父もだ。
そんなぬるいことを言っていたら、いつか限界が来て殺される。そんな危機感が常に私の中では渦巻いていた。こんな辺境の地で、隠居しているのが何よりの不安だった。孤立している状態では妖狐の討伐の作戦が進行していても気付くことができない。
「どうしても、私には納得できません。不安で仕方がないのです」
「大丈夫だ。お父さんもお母さんも大妖怪が来ても死んだりしないさ。だから、相手が死なない程度に反撃して追い返すだけでいい」
自信に満ち溢れた父の言葉に私は少しの不安を覚えた。それはきっと私が外の世界を知らないからだ。
「私たちが世界に認められるには時間がかかる。何しろ、『憑依』は生物に対する絶対的な優位性と捉えることすらもできる力だからね。他の妖怪たちが怖がるのは無理のないことなんだよ」
父の得意とする『変化』ですら、想像を形にする恐るべき力だが、これは妖怪の世界では『化かし』の範疇に収まる妖術であった。ただ、母の得意とする『憑依』の脅威度合は他の妖怪にとって桁違いだった。
生物への絶対的優位性とまで言わしめる、その力の正体は生物を操ることができる点にあった。父は憑依の方は苦手なようで一対一の憑依しかできない。しかし憑依が得意な母は、一対多の憑依が可能で、その対象は視界に入る”全て”の生物だった。
極論を言えば母は視界に入った生物を問答無用で殺すことができるのだ。例えば可動域を無視して首をねじり切ることだったり、心臓の動きを停止させることだったりする。
現状、対抗する手段がないことが、恐怖を煽る一因となり抑止力となっていたが、対抗する手段を見つけられたら他の妖怪との全面戦争が始まりを告げることになる。
「……私は父さまや母さまを攻撃しようとする者たちを許すことはできません」
「ありがとう。でも、許さなくてもいいんだ。理不尽を飲み込むことでしか進まない物事もあると、葛には知ってほしい」
父は私の頭を撫でて、優しく抱きしめた。安心する匂い。安心する温かさ。このささやかな幸せを壊そうとしている存在がいるというだけで、私は常に怒っていた。
十五歳の私には到底納得できるような状況ではなかった。千年近く生きた両親の老成した慈悲深い判断に同意できなかった。
私は焦燥感に駆られていた。
(私のせいで父や母が死ぬことなど絶対にあってはならない)
子供心にも両親が交代で外へ出ていくのは護衛や見回りも兼ねているのだと、なんとなく察していた。父や母は他の妖怪に襲われたとしても自分で自分の身を守ることができるが、私を守りながらの戦いになったら不利になることは間違いない。
自然と私は手を強く握って歯を食いしばっていた。
「もう一度、木の枝の変化やってみます」
「あぁ、やってごらん」
私はもう一度木の枝に変化しようとした。見本にするために近くに落ちていたものを拾った枝を睨みながら力を込めた。
しかし、また右手が中途半端に木の枝に変化するのみであった。
「すごいな。さっきより、形状の再現度が上がっているな。いっそ、見本を見ないで自分の体全体を置き換えることに意識を向けてもう一度だ」
頷いて、逆に参考にしていた木の枝を見ずに再び意識を集中させた。するとカランという音とともに、急に目線が低くなる感覚に襲われた。
すると父は頬をほころばせて私という木の枝を手に取った。
「おぉ、できたな。その感覚を忘れないようにな。忠実に形状を再現する必要のある場面は意外と少なかったりするんだ。おおまかな形の方が変化しやすい。まぁ、もう少し経験を積めば忠実に形を再現することも慣れると思う。すごいぞ、葛。自信を持っていいぞ。これからはお母さんに憑依を教えてもらうといい」
私は変化を解いて人型に戻ると、尾が二本に増えていることに気がついた。
「父さま……尻尾が増えました!」
父は、はにかんで私の頭を撫でまわした。
「今日はお祝いだな。お母さんに伝えておいた。少ししたら帰ってくるだろう。」
妖狐にとって尻尾が増えることはめでたいことだった。力をつけた証である。九本の尾を持つ母にはまだまだ遠く及ばないが、私も妖狐として成長できていることが実感できて嬉しさは一入だった。
少し経つと、息を切らして母が戻ってきた。
「あぁ、本当に尾が二つに……頑張りましたね」
母は私の姿を見るなり、抱きしめた。後ろからは、父が抱きしめ私は挟まれてしまった。これ以上ない幸福感で嬉しくて涙が出そうになるほど目が潤んだ。
父はおもむろに離れると魚を手に取った。
「みんなで食おう」
父は人差し指を脇差のような小さな刃に変化させると、慣れた手つきで魚を切り分けていき、三本のくしに刺し囲炉裏に青い狐火で火を灯した。青い火の灯った囲炉裏を三人で囲み各自でくしに刺した身を炙った。食事自体は特別なものではなかったが、三人揃っての食事というのは滅多になかったので、嬉しくてたまらなかった。
「母さま、これからは憑依の稽古をつけてくれませんか?」
私は母にずいと近づき、強く主張した。
小屋に物がほとんど置いていないのも、変化が得意な父が必要になったものを即座に髪の毛一本から用意することができるからだった。
変化は妖怪の多くができる基本的な妖術なのだが、私には、まだ訓練が必要だった。
私は木の枝を想像しながら体に力を込めると右手が中途半端に木の枝に変化するだけで、失敗してしまった。
「惜しいな。体全体が木の枝になる意識が足りてなかったんだろう。父さんが葛の歳の頃はここまでできなかったよ。才能あるぞ。流石は我が娘だ。はっはっは」
父は優先的に身を守ることに繋がるような変化を私に教えてくれた。最初の課題は丸石に化けることだった。複雑な形状をしていない丸石への変化は、私でもすぐに習得することができた。
しかし、木の枝になると途端に難易度が跳ね上がった。不規則に枝分かれする形状は、正確に想像することすら難しく、自身の体を想像に対応させることは困難を極めた。
「父さまは、変化の力を使ってどう戦っているのですか?」
「変化は想像を形にする力なんだ。相手がしてきたことに対抗するものを想像出来る限り父さんは負けたりしないさ。だから、葛。世の中のいろんなものを観察するんだ。だけど一つだけ注意が必要だ。変化は本物には及ばないということを覚えておきなさい」
父は髪の毛一本を自身の頭から引き抜き、木の板に変化させ小屋の壁へと投げつけた。すると父の変化させた木の板は粉々に割れ、小屋の壁は無傷だった。
「同じ物体がぶつかり合っても、変化で模倣したものは打ち負けてしまうのですね」
小屋自体は実際の木材を使って建てたものであり、変化で模倣した木材は偽物である。これは父の力量不足ではなく変化における理の一つであった。
「そうだ。だが、世界には様々なものに溢れている。水だって、鉄だって、土だって、炎だって、木だって、なんでも武器になりうる」
父は小屋の壁に当たり粉々になった木片を言葉の通りに変化させて見せた。
「父さま! すごいです! これなら他の妖怪たちにも負けませんね」
すると父は、何やら首を傾げて考えるような素振りをすると私に言い聞かせた。
「葛……。念のため言っておくが、他の妖怪を攻撃するために力を行使してはならない。身を守るためにしか使ってはいけない。私たちの力は強大だから、他の者が畏れているのだ。友好こそ私たち妖狐は示していかなくてはならないのだよ」
やはり、父もだ。
そんなぬるいことを言っていたら、いつか限界が来て殺される。そんな危機感が常に私の中では渦巻いていた。こんな辺境の地で、隠居しているのが何よりの不安だった。孤立している状態では妖狐の討伐の作戦が進行していても気付くことができない。
「どうしても、私には納得できません。不安で仕方がないのです」
「大丈夫だ。お父さんもお母さんも大妖怪が来ても死んだりしないさ。だから、相手が死なない程度に反撃して追い返すだけでいい」
自信に満ち溢れた父の言葉に私は少しの不安を覚えた。それはきっと私が外の世界を知らないからだ。
「私たちが世界に認められるには時間がかかる。何しろ、『憑依』は生物に対する絶対的な優位性と捉えることすらもできる力だからね。他の妖怪たちが怖がるのは無理のないことなんだよ」
父の得意とする『変化』ですら、想像を形にする恐るべき力だが、これは妖怪の世界では『化かし』の範疇に収まる妖術であった。ただ、母の得意とする『憑依』の脅威度合は他の妖怪にとって桁違いだった。
生物への絶対的優位性とまで言わしめる、その力の正体は生物を操ることができる点にあった。父は憑依の方は苦手なようで一対一の憑依しかできない。しかし憑依が得意な母は、一対多の憑依が可能で、その対象は視界に入る”全て”の生物だった。
極論を言えば母は視界に入った生物を問答無用で殺すことができるのだ。例えば可動域を無視して首をねじり切ることだったり、心臓の動きを停止させることだったりする。
現状、対抗する手段がないことが、恐怖を煽る一因となり抑止力となっていたが、対抗する手段を見つけられたら他の妖怪との全面戦争が始まりを告げることになる。
「……私は父さまや母さまを攻撃しようとする者たちを許すことはできません」
「ありがとう。でも、許さなくてもいいんだ。理不尽を飲み込むことでしか進まない物事もあると、葛には知ってほしい」
父は私の頭を撫でて、優しく抱きしめた。安心する匂い。安心する温かさ。このささやかな幸せを壊そうとしている存在がいるというだけで、私は常に怒っていた。
十五歳の私には到底納得できるような状況ではなかった。千年近く生きた両親の老成した慈悲深い判断に同意できなかった。
私は焦燥感に駆られていた。
(私のせいで父や母が死ぬことなど絶対にあってはならない)
子供心にも両親が交代で外へ出ていくのは護衛や見回りも兼ねているのだと、なんとなく察していた。父や母は他の妖怪に襲われたとしても自分で自分の身を守ることができるが、私を守りながらの戦いになったら不利になることは間違いない。
自然と私は手を強く握って歯を食いしばっていた。
「もう一度、木の枝の変化やってみます」
「あぁ、やってごらん」
私はもう一度木の枝に変化しようとした。見本にするために近くに落ちていたものを拾った枝を睨みながら力を込めた。
しかし、また右手が中途半端に木の枝に変化するのみであった。
「すごいな。さっきより、形状の再現度が上がっているな。いっそ、見本を見ないで自分の体全体を置き換えることに意識を向けてもう一度だ」
頷いて、逆に参考にしていた木の枝を見ずに再び意識を集中させた。するとカランという音とともに、急に目線が低くなる感覚に襲われた。
すると父は頬をほころばせて私という木の枝を手に取った。
「おぉ、できたな。その感覚を忘れないようにな。忠実に形状を再現する必要のある場面は意外と少なかったりするんだ。おおまかな形の方が変化しやすい。まぁ、もう少し経験を積めば忠実に形を再現することも慣れると思う。すごいぞ、葛。自信を持っていいぞ。これからはお母さんに憑依を教えてもらうといい」
私は変化を解いて人型に戻ると、尾が二本に増えていることに気がついた。
「父さま……尻尾が増えました!」
父は、はにかんで私の頭を撫でまわした。
「今日はお祝いだな。お母さんに伝えておいた。少ししたら帰ってくるだろう。」
妖狐にとって尻尾が増えることはめでたいことだった。力をつけた証である。九本の尾を持つ母にはまだまだ遠く及ばないが、私も妖狐として成長できていることが実感できて嬉しさは一入だった。
少し経つと、息を切らして母が戻ってきた。
「あぁ、本当に尾が二つに……頑張りましたね」
母は私の姿を見るなり、抱きしめた。後ろからは、父が抱きしめ私は挟まれてしまった。これ以上ない幸福感で嬉しくて涙が出そうになるほど目が潤んだ。
父はおもむろに離れると魚を手に取った。
「みんなで食おう」
父は人差し指を脇差のような小さな刃に変化させると、慣れた手つきで魚を切り分けていき、三本のくしに刺し囲炉裏に青い狐火で火を灯した。青い火の灯った囲炉裏を三人で囲み各自でくしに刺した身を炙った。食事自体は特別なものではなかったが、三人揃っての食事というのは滅多になかったので、嬉しくてたまらなかった。
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