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一話 私の生きた二十年
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私はようやく知ることができたのだ。世界はこんなにも広かったのだ。
それは美しく、醜い。優しく、厳しい。穏やかで、激しい。
まだ、見ぬもので溢れている。見聞が広がった今なら、確信を持って言える。
例え、敵対者であっても、殺すだけでは解決しない状況はある。
草木も生えない荒野には地面を抉られるほどの激しい戦闘の跡があちこちにあった。
それらの戦闘痕は目の前にいる壮年の男によって作られたものだった。
私に敵意を向ける壮年の男の正体は数百年生きた大天狗である。手には、岩塊のような黒い特大剣を持ち、黒い翼が左右に生え、山伏姿をしている。
一方の私は、数日前に尾が四本になったばかりの二十年しか生きていない妖狐だった。
一人で戦ったのなら、勝負にすらならなかっただろう。それほどまでの実力差があった。
だが、私が戦えたのは隣に立つ青年がいたからである。人間でありながら大天狗の身体能力に肉薄する青年は、身の丈と変わらないくらいの大太刀を構えて、天狗に睨みを利かせていた。青年の髪は男としては長く、表情を隠し陰気な印象を与える。だが、その隠された表情は精悍で、闘志にあふれていた。
私の首元に特大剣があてがわれるという危機の中でも、私は殺されない確信があった。
「私の生きてきた全てを開示する準備を私はしてきました。妖狐は心を読み取れるのと同時に伝えることもできるのです。今こそ、伝える時が来ました。ご覧ください……これが私の生きてきた道です」
そうして、私は目の前にいる天狗を見据え、意識を集中させた。
◇◇◇
赤い夕陽が差し込む小さな木造の小屋で私は母に膝枕をされながら頭を撫でられていた。母とは違い、白ではなく黒い髪で生まれた私は、父の方に影響されたのだろう。
「私、母さまみたいな白い髪が良かったです」
母への憧れは強かった。見た目もそうだが、大妖怪に相応しい強さを合わせ持っていたからだった。
私の強さへの憧れの気持ちは強かった。それは早く強くならなくてはという焦りでもあった。
「葛も、変化を使いこなせるようになれば、好きな髪の色や長さだって自由自在に変えられるようになるわ」
母は、そう言うと瞬きする毎に髪の色と長さを変えた。黒、金、銀、赤、青、緑、と色を巡りながら長髪や短髪に変わり、やはり白の長髪に落ち着いた。
「母さまは、白の長髪を選んでいるのですね」
「そう。お父さんがね……。お母さんの白い髪を綺麗って言ってくれたから」
こんな辺境の地で質素な格好しているのが不相応と言える美貌を持つ母は髪に手櫛を通しながら、思い出すように呟いた。
山奥にひっそりと建つ小さな木造の小屋。雨や風から守り、家族三人で川の字に寝ることのできる広さはあった。小屋として最低限の機能を果たす程度。
それが私たち家族の住まいだった。つたの巻き付いた古びた小屋で、山奥にあるため来客は無い。隠れ住むような、この状況には、私たち家族が人間でないことが原因だった。
ただの妖怪なら、まだ救いがあっただろうが、私たち家族は妖狐だったのだ。
「母さまの尻尾は九本。これからまだ、増えるのでしょうか?」
「どうでしょうね? お母さんにもわからないわ。葛は、まだ尻尾が一つだけど、二つになる頃には『憑依』が使えるようになるかもね」
私は思わず考えこんでしまった。それはいけないことのように思ってしまったからだ。
「でも、私たち妖狐が他の妖怪に嫌われるのは『憑依』を使えるからなのに……使えるようになっていいのでしょうか?」
「悪用するのがだめなの。でも、身を守るためには必要よ」
妖狐は生まれ持った固有妖術『憑依』のせいで、人間だけでなく他の妖怪にすら避けられ隠れ住むことを余儀なくさせられている。
憑依とは生物に乗り移り意のままに操ることができる、恐るべき妖術だったからだ。
しかし、隠れて穏やかに暮らしているおかげか、日々の暮らし自体は平穏だった。父も母も平気な顔をして食べ物を持って、毎日帰ってきていた。
「ただいま……おっと」
ふらついたように父は壁に手をついて、私を見て笑顔を見せた。
かき上げた艶のある黒い髪は、母の白い髪とは別方向の美しさを私に感じさせた。一日の内、家族が一同に揃うことは、あまりなかった。薄く微笑み迎える母を儚げな暗さを思わせる美人と例えるならば、父はその真逆で明るい笑顔は、陽気で活発な印象を与える男性だった。八本の黒い尾はピンと立っている。
「おかえりなさい、父さま。今日は……魚ですね」
「あぁ、あとで焼いて食おう。じゃあ、お母さんは行ってらっしゃい」
母は私に手を振り、小屋を出るところだった。こうして毎回、父と母は入れ替わりで外へ出ていくのだ。私が外出することは稀だった。他の妖怪に疎まれている、という状況では自分自身を守る方法を身につけていない私が迂闊に出歩くことは危険だった。
「行ってらっしゃい。母さま」
母と父の会話は無い。一瞬の目配せだけで、全てお互いの伝えたいことが伝わる。それこそが、意識共有という『憑依』の力の一端だった。意識の階層での会話であり、妖狐同士ならば遠隔での情報伝達も可能にする。
父は私の横に座ると目線を合わせた。
「じゃあ、約束していた変化の稽古をしようか。昨日から始めた木の枝になる変化はできるようになったか? やってごらん」
「はい!」
私は、意気揚々と見本の木の枝を握りしめた。
それは美しく、醜い。優しく、厳しい。穏やかで、激しい。
まだ、見ぬもので溢れている。見聞が広がった今なら、確信を持って言える。
例え、敵対者であっても、殺すだけでは解決しない状況はある。
草木も生えない荒野には地面を抉られるほどの激しい戦闘の跡があちこちにあった。
それらの戦闘痕は目の前にいる壮年の男によって作られたものだった。
私に敵意を向ける壮年の男の正体は数百年生きた大天狗である。手には、岩塊のような黒い特大剣を持ち、黒い翼が左右に生え、山伏姿をしている。
一方の私は、数日前に尾が四本になったばかりの二十年しか生きていない妖狐だった。
一人で戦ったのなら、勝負にすらならなかっただろう。それほどまでの実力差があった。
だが、私が戦えたのは隣に立つ青年がいたからである。人間でありながら大天狗の身体能力に肉薄する青年は、身の丈と変わらないくらいの大太刀を構えて、天狗に睨みを利かせていた。青年の髪は男としては長く、表情を隠し陰気な印象を与える。だが、その隠された表情は精悍で、闘志にあふれていた。
私の首元に特大剣があてがわれるという危機の中でも、私は殺されない確信があった。
「私の生きてきた全てを開示する準備を私はしてきました。妖狐は心を読み取れるのと同時に伝えることもできるのです。今こそ、伝える時が来ました。ご覧ください……これが私の生きてきた道です」
そうして、私は目の前にいる天狗を見据え、意識を集中させた。
◇◇◇
赤い夕陽が差し込む小さな木造の小屋で私は母に膝枕をされながら頭を撫でられていた。母とは違い、白ではなく黒い髪で生まれた私は、父の方に影響されたのだろう。
「私、母さまみたいな白い髪が良かったです」
母への憧れは強かった。見た目もそうだが、大妖怪に相応しい強さを合わせ持っていたからだった。
私の強さへの憧れの気持ちは強かった。それは早く強くならなくてはという焦りでもあった。
「葛も、変化を使いこなせるようになれば、好きな髪の色や長さだって自由自在に変えられるようになるわ」
母は、そう言うと瞬きする毎に髪の色と長さを変えた。黒、金、銀、赤、青、緑、と色を巡りながら長髪や短髪に変わり、やはり白の長髪に落ち着いた。
「母さまは、白の長髪を選んでいるのですね」
「そう。お父さんがね……。お母さんの白い髪を綺麗って言ってくれたから」
こんな辺境の地で質素な格好しているのが不相応と言える美貌を持つ母は髪に手櫛を通しながら、思い出すように呟いた。
山奥にひっそりと建つ小さな木造の小屋。雨や風から守り、家族三人で川の字に寝ることのできる広さはあった。小屋として最低限の機能を果たす程度。
それが私たち家族の住まいだった。つたの巻き付いた古びた小屋で、山奥にあるため来客は無い。隠れ住むような、この状況には、私たち家族が人間でないことが原因だった。
ただの妖怪なら、まだ救いがあっただろうが、私たち家族は妖狐だったのだ。
「母さまの尻尾は九本。これからまだ、増えるのでしょうか?」
「どうでしょうね? お母さんにもわからないわ。葛は、まだ尻尾が一つだけど、二つになる頃には『憑依』が使えるようになるかもね」
私は思わず考えこんでしまった。それはいけないことのように思ってしまったからだ。
「でも、私たち妖狐が他の妖怪に嫌われるのは『憑依』を使えるからなのに……使えるようになっていいのでしょうか?」
「悪用するのがだめなの。でも、身を守るためには必要よ」
妖狐は生まれ持った固有妖術『憑依』のせいで、人間だけでなく他の妖怪にすら避けられ隠れ住むことを余儀なくさせられている。
憑依とは生物に乗り移り意のままに操ることができる、恐るべき妖術だったからだ。
しかし、隠れて穏やかに暮らしているおかげか、日々の暮らし自体は平穏だった。父も母も平気な顔をして食べ物を持って、毎日帰ってきていた。
「ただいま……おっと」
ふらついたように父は壁に手をついて、私を見て笑顔を見せた。
かき上げた艶のある黒い髪は、母の白い髪とは別方向の美しさを私に感じさせた。一日の内、家族が一同に揃うことは、あまりなかった。薄く微笑み迎える母を儚げな暗さを思わせる美人と例えるならば、父はその真逆で明るい笑顔は、陽気で活発な印象を与える男性だった。八本の黒い尾はピンと立っている。
「おかえりなさい、父さま。今日は……魚ですね」
「あぁ、あとで焼いて食おう。じゃあ、お母さんは行ってらっしゃい」
母は私に手を振り、小屋を出るところだった。こうして毎回、父と母は入れ替わりで外へ出ていくのだ。私が外出することは稀だった。他の妖怪に疎まれている、という状況では自分自身を守る方法を身につけていない私が迂闊に出歩くことは危険だった。
「行ってらっしゃい。母さま」
母と父の会話は無い。一瞬の目配せだけで、全てお互いの伝えたいことが伝わる。それこそが、意識共有という『憑依』の力の一端だった。意識の階層での会話であり、妖狐同士ならば遠隔での情報伝達も可能にする。
父は私の横に座ると目線を合わせた。
「じゃあ、約束していた変化の稽古をしようか。昨日から始めた木の枝になる変化はできるようになったか? やってごらん」
「はい!」
私は、意気揚々と見本の木の枝を握りしめた。
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