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古谷京子さんとの関係についてですけれど──。
何度聞いても理解できない。否、理解できないというより上手く翻訳することができないというべきか。外国語に翻訳しようという訳ではない。世間に広く伝えるために使われる世間が分かりやすい言葉、一般の言葉に言い換えることができないということだ。
一般の言葉に置き換えられないということは、世間にそれを受け入れる概念の枠がないということになる。
そうならば、大いにやり辛いということになる。
世間一般の緩い枠で規定される曖昧な概念を絞り込み、きちんと選別された明確な枠組みに移し替え、さらに精錬していく──それが最初のステップだ。
刀の作りかたによく似ていると思う。金属を叩いて伸ばし、それを整えるだけでできる、と思っているものがもしいたら、それは間違いである。
その過程だけでも複雑で繊細なのだ。まず炭と砂鉄を混ぜて鋼を作る。さらにそれを砕き上質なもの、玉鋼と呼ばれるものだけを取る。それを取る作業においてはただの鋼は不純物だ。純度を高くするには、鋼でも取り除かなければならない。
そうした作業を丹念に行い、ようやく純粋な玉鋼になる。だがこれに価値が出るのはこの後だ。それらを再度加熱し、板にし、さらにそれを板に流し込み、加熱する。それらを鍛造し、ようやく刀の形にしていく。その後も叩いて不純物を取り除く。叩いて叩いて。ようやく刀と言っても良いものが出来上がる。
刀に刀としての価値が出るのはその後だ。現在では主に美術品として用いられている。だがその価値も見る人によって様々だ。
その材料の玉鋼など、刀に使わない限りただの石だ。
現実も──同じだ。
出来ごとは、どんな出来事でもまだ鋼にすらなっていない炭だ。砂鉄だ。
混ぜ合わし、不純物を取り除き、漸く玉鋼になる。
しかし──その段階ではまだ価値は定まらない。
それはさらに熱し加工し刀の材料にしなければつかえない。
だから加工する。
言葉を置き換え、選択し、文書に記し、推敲し、精度を上げ、純度を高め、事実という刀にする。
そうしないと、出来事の価値は明確にならない。
この仕事は、正にそういう作業だと私はおもっている。
私が加工するのは、犯罪だ。
罪は法に照らして決められる。その基準は明快だ。
それがルールだ。
しかし、ルールに落とし込めるレベルまで加工しなければ、その明快さは得られない。
胸が打たれる感動的な出来事でも法を犯していれば違法行為だ。
胸糞が悪くなる酷い出来事でも法の定める範囲内なら罪は無い。
切り分けなければならない。慎重に、精密に、微細に切り分けなければならない。
情に流されるなだの気持ちを考慮しろだのという大雑把な切り方ではいけない。そんな入り口で迷っているわけにはいかない。そんなものは、鋼にする段階で選りわけられているべきものだ。
そこまで追い込まなければルールには落とし込めない。落とし込めても明確な回答は得られない。
鋼にする段階でどの砂鉄を選ぶか。それで作る鋼の純度をどこまで上げれるか。
それが私の──弁護士の仕事だ。
殺人か過失致死か。殺意はあったのか。犯行時の精神は正気だったか。
どうであれ、起きてしまった出来事には変わりはないのだろう。死人が生き返る訳もないし、時間も元に戻らない。
だが、どれかを選ばなければならない。
そうしなければ量刑はままならない。判決には従わなければならない。罪刑法定主義は、民主主義の根幹である。ルールは常に明確でなくてはならない。
ルールに当てはめるためには、選ばなければならないのだ。選んで加工し、磨き上げなければならない。
その選択が正しいかどうか、それを精査し判定するのが裁判である。
なのに。
「知り合いです」
針沼総司はそう答えた。
「いや、待ってくれないか。それは、何も言い表していないんだよ。それをいうなら私とあなたも知り合いではあるでしょう」
「そうなんですか?」
「そうでしょう」
そうじゃないって人がいましたから、と針沼は言った。
「はあ、そうですか」
「まあ俺...僕的には顔見知りで名前を知ってる人が知り合い、程度の感覚だったんだですけどそれじゃあよく行くコンビニの店員は知り合いかよとかいわれたんで」
「知り合いなんじゃないですか」
「いや、そういうのは馴染みの客と店員だからって。そんなので知り合い知り合い言ってたら世の中知り合いだらけだ、的な」
「まあ、そうですね。だから聞いてるんです。どういう知り合いか、と」
針沼は考え込んでしまった。
「例えば、私とあなたは知り合いですけれど、顧客と弁護士、なんです」
「僕、客なんですか」
依頼された訳ではない、私は彼の国選弁護人だ。
「いずれにしろ、私にはちゃんと話してください」
針沼は困った顔をした。
困ったような顔をしてますが、というと、針沼は、ええ困ってますと答えた。
「困ることはないでしょう。正直に言えばいいんです」
「正直に言うと違うといわれてきたので、困ってるんですよ」
「正直ねえ」
困るのは私の方だ。
遣り辛い。とても遣り辛い。
何も話してくれない顧客はいた。嘘をつく人もいた。罪が軽くなるならデタラメでもなんでも話すと言い出した人もいた。本当に何も覚えてない人もいた。
だが、話さないなら話させるまでである。話せない理由さえ見つければ、そしてそれを取り除くことができれば、大抵は喋るようになる。
嘘は見破ればいい。見破れなければ、その時点で負けだ。
不信得者は諭せばいいし、忘れているなら思い出させるしかない。
多くの場合、顧客と弁護士の利害関係は一致している。利害という表現に語弊があるなら、同じだ方を向いていると言えばいいだろうか。いや、同じ方を向かなければいけないのである。
少なくとも弁護士は顧客の側に立っている。
被告が減刑を望んでない場合でも、それはそうなのである。顧客のそうした言い分が正当なものか否かは、十分に吟味されなくてはいけない。罪を認め、悔いているのだとしても、検察側の求刑を鵜呑みにしていいという訳ではない。正しい求刑のためには、厳正かつ詳細な審議がなされなくてはいけない。
どうであれ、私は被告側にいる。
でも、この男は──。
遣り辛い。
本当に。
遣り辛い。
何度聞いても理解できない。否、理解できないというより上手く翻訳することができないというべきか。外国語に翻訳しようという訳ではない。世間に広く伝えるために使われる世間が分かりやすい言葉、一般の言葉に言い換えることができないということだ。
一般の言葉に置き換えられないということは、世間にそれを受け入れる概念の枠がないということになる。
そうならば、大いにやり辛いということになる。
世間一般の緩い枠で規定される曖昧な概念を絞り込み、きちんと選別された明確な枠組みに移し替え、さらに精錬していく──それが最初のステップだ。
刀の作りかたによく似ていると思う。金属を叩いて伸ばし、それを整えるだけでできる、と思っているものがもしいたら、それは間違いである。
その過程だけでも複雑で繊細なのだ。まず炭と砂鉄を混ぜて鋼を作る。さらにそれを砕き上質なもの、玉鋼と呼ばれるものだけを取る。それを取る作業においてはただの鋼は不純物だ。純度を高くするには、鋼でも取り除かなければならない。
そうした作業を丹念に行い、ようやく純粋な玉鋼になる。だがこれに価値が出るのはこの後だ。それらを再度加熱し、板にし、さらにそれを板に流し込み、加熱する。それらを鍛造し、ようやく刀の形にしていく。その後も叩いて不純物を取り除く。叩いて叩いて。ようやく刀と言っても良いものが出来上がる。
刀に刀としての価値が出るのはその後だ。現在では主に美術品として用いられている。だがその価値も見る人によって様々だ。
その材料の玉鋼など、刀に使わない限りただの石だ。
現実も──同じだ。
出来ごとは、どんな出来事でもまだ鋼にすらなっていない炭だ。砂鉄だ。
混ぜ合わし、不純物を取り除き、漸く玉鋼になる。
しかし──その段階ではまだ価値は定まらない。
それはさらに熱し加工し刀の材料にしなければつかえない。
だから加工する。
言葉を置き換え、選択し、文書に記し、推敲し、精度を上げ、純度を高め、事実という刀にする。
そうしないと、出来事の価値は明確にならない。
この仕事は、正にそういう作業だと私はおもっている。
私が加工するのは、犯罪だ。
罪は法に照らして決められる。その基準は明快だ。
それがルールだ。
しかし、ルールに落とし込めるレベルまで加工しなければ、その明快さは得られない。
胸が打たれる感動的な出来事でも法を犯していれば違法行為だ。
胸糞が悪くなる酷い出来事でも法の定める範囲内なら罪は無い。
切り分けなければならない。慎重に、精密に、微細に切り分けなければならない。
情に流されるなだの気持ちを考慮しろだのという大雑把な切り方ではいけない。そんな入り口で迷っているわけにはいかない。そんなものは、鋼にする段階で選りわけられているべきものだ。
そこまで追い込まなければルールには落とし込めない。落とし込めても明確な回答は得られない。
鋼にする段階でどの砂鉄を選ぶか。それで作る鋼の純度をどこまで上げれるか。
それが私の──弁護士の仕事だ。
殺人か過失致死か。殺意はあったのか。犯行時の精神は正気だったか。
どうであれ、起きてしまった出来事には変わりはないのだろう。死人が生き返る訳もないし、時間も元に戻らない。
だが、どれかを選ばなければならない。
そうしなければ量刑はままならない。判決には従わなければならない。罪刑法定主義は、民主主義の根幹である。ルールは常に明確でなくてはならない。
ルールに当てはめるためには、選ばなければならないのだ。選んで加工し、磨き上げなければならない。
その選択が正しいかどうか、それを精査し判定するのが裁判である。
なのに。
「知り合いです」
針沼総司はそう答えた。
「いや、待ってくれないか。それは、何も言い表していないんだよ。それをいうなら私とあなたも知り合いではあるでしょう」
「そうなんですか?」
「そうでしょう」
そうじゃないって人がいましたから、と針沼は言った。
「はあ、そうですか」
「まあ俺...僕的には顔見知りで名前を知ってる人が知り合い、程度の感覚だったんだですけどそれじゃあよく行くコンビニの店員は知り合いかよとかいわれたんで」
「知り合いなんじゃないですか」
「いや、そういうのは馴染みの客と店員だからって。そんなので知り合い知り合い言ってたら世の中知り合いだらけだ、的な」
「まあ、そうですね。だから聞いてるんです。どういう知り合いか、と」
針沼は考え込んでしまった。
「例えば、私とあなたは知り合いですけれど、顧客と弁護士、なんです」
「僕、客なんですか」
依頼された訳ではない、私は彼の国選弁護人だ。
「いずれにしろ、私にはちゃんと話してください」
針沼は困った顔をした。
困ったような顔をしてますが、というと、針沼は、ええ困ってますと答えた。
「困ることはないでしょう。正直に言えばいいんです」
「正直に言うと違うといわれてきたので、困ってるんですよ」
「正直ねえ」
困るのは私の方だ。
遣り辛い。とても遣り辛い。
何も話してくれない顧客はいた。嘘をつく人もいた。罪が軽くなるならデタラメでもなんでも話すと言い出した人もいた。本当に何も覚えてない人もいた。
だが、話さないなら話させるまでである。話せない理由さえ見つければ、そしてそれを取り除くことができれば、大抵は喋るようになる。
嘘は見破ればいい。見破れなければ、その時点で負けだ。
不信得者は諭せばいいし、忘れているなら思い出させるしかない。
多くの場合、顧客と弁護士の利害関係は一致している。利害という表現に語弊があるなら、同じだ方を向いていると言えばいいだろうか。いや、同じ方を向かなければいけないのである。
少なくとも弁護士は顧客の側に立っている。
被告が減刑を望んでない場合でも、それはそうなのである。顧客のそうした言い分が正当なものか否かは、十分に吟味されなくてはいけない。罪を認め、悔いているのだとしても、検察側の求刑を鵜呑みにしていいという訳ではない。正しい求刑のためには、厳正かつ詳細な審議がなされなくてはいけない。
どうであれ、私は被告側にいる。
でも、この男は──。
遣り辛い。
本当に。
遣り辛い。
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