きみの涙は蜜の味

須藤うどん

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花の名前も知らないね

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 宅飲みでやや飲みすぎて酔った俺は、浴びるほど飲んでいたのになぜか全然酔っていない透瑠(とおる)に押し倒されていた。
 透瑠は俺の恋人だかなんだかわかんない。多分、ちゃんとした恋人じゃないんだと思う。友達も……どうだろう。透瑠と俺の関係性で不正解ではないとわかるのは、コンビニでのバイト仲間というくらい。透瑠は俺の四つ上で、俺よりバイト歴も長いのに、特に要領の良いほうではない俺と比べてもとにかく仕事ができないし、平気でサボる。クビにならないのは裏で店長に抱かれてるからって噂がある。
 まあ、それでもおかしくないのかも。透瑠は美人だ。
 色白で肌が薄いせいで血色が透けやすいのだろう。頬が常に桜色だ。丸く火照る頬っぺたのせいであどけないのが却って色っぽい。縦にも横にも大きいが特に横に大きい目力のある瞳。下瞼の縁がぷっくりしていて、鼻と口が小さい。銀色に染めた髪が似合っていて雪の妖精のような不思議な雰囲気を持っている。

「んん……あんまり勃たないなあ。酔ってるからかあ?」
 透瑠は随分と苦労しながら俺のちんこと格闘していた。
「これじゃ入んないや」
 ディスられている気がしてイラッとする。
「きみはあれだけ飲んでよく酔わなかったな。儚げな見かけに反してザルなのか?」
 責めるような声色になってしまったが、どうせ透瑠は気にしないので問題ない。
「ザル? ああ違うよ。オレ、こういう体質だから、酒飲んでも酔えないんだ。涙から酒造ったりできねーかな」
「それは……なんとなく悪趣味に感じる」
「あはは! ……冗談だよ」
 冗談に聞こえなかった。

 透瑠の食性はとても変わっている。特殊体質の持ち主なのだ。
 ごく稀な確率で生まれる「食涙者(しょくるいしゃ)」と呼ばれる人間。ヒトの涙だけを栄養源とする短命な人たち。
 多分、それ以上にも色々、食涙者に関して現時点でわかってる情報はあるんだろうけど、俺はなにせ無知だから知らない。


 
 透瑠に初めて出会った時、透瑠は人気のない夜道で泣いている男の涙を吸って食べている最中だったから、透瑠が食涙者であることは最初から知っている。
 男は喚きながら泣いていて、どうやら男は本気で透瑠を好きだったのに透瑠が浮気をしたせいで泣いているようだった。知らない人だけれど男が可哀想に感じた。
 一方、透瑠は少しも泣いていないし、平然としていて、俺に見られたことに気づくととぼけるようにして俺をからかった。
「なぁに? オレに関してなにか感想があるなら言ってごらんよ。小柄だね、とか、細いね、とか、綺麗だね、とか」
 ヤバい場面を見られたはずなのに狼狽えもしない透瑠からの突然のからかいと、涙を吸う姿の人外感も相俟って俺は怯えていた。
「あ……いや……」
 掠れた声でかろうじて人語らしきものを発する。
「百五十九センチ、四十五キロ、赤ちゃんのときから綺麗な子だねぇって言われてきて、それだけは揺るぎなく取り柄なんだよ」
 聞いてもないことを透瑠はすらすらと喋った。ずっとこうやって、他者の悲しみも恐怖もなんでもないと踏み躙って飄々と生きてきたのか? 俺は透瑠を恐ろしく思った。
「食涙者……なのか……?」
 こういうことで興味本位はよくないってわかっていたのに思わず聞いている自分がいた。
「そうだよ」
 透瑠はなんでもないことのように答えた。



「拓真(たくま)と寝ただろ」
 拓真は俺と透瑠の働くコンビニでのバイト仲間で、俺とは通っている大学は違うが同学年、単純、実直、馬鹿の良い奴で、同い年でありながら自分より少し精神年齢が幼く感じるものの、俺にとっては気の合う相手だ。
「ああ、アレ? 大した意味は無いよ。オレ、スケベだからどうせ早く死んじゃうなら色んな人とセックスしてみたいし」
「拓真は勘違いしてるぞ。きみが本気だって」
 俺が諌めても、透瑠はなんでもないことみたいに
「そう」
 とだけ答えたので、俺はやるせなくて、それ以上怒る気力を失ってしまった。



 翌朝、俺たちは訳もなく公園にいた。敢えて訳を付けるなら、「天気がいいから散歩でも」くらいのものか。
「オレ、花が好きなんだ。名前を覚えるのも楽しいよ。直(なお)はこの花の名前を知ってる?」
 透瑠が水色の小さな花を摘んで俺のほうに突き出した。見たことはあるけど名前は知らない、と俺は答える。
「知らないの? 初級編だよ」
 透瑠は摘んだばかりの水色の花を地面に捨てた。花が可哀想に感じた。
「この花は?」
 透瑠は今度は変わった形の紫の花を摘んで俺に見せた。俺は先程と同じ返答をした。
「それも知らないんだ……」
 一拍置いてから透瑠はあははっ! と無邪気に笑った。
「きみは何にも知らないんだね。これはホトケノザでさっきのはコイヌノフグリだよ」
「あ、そう」
「なんで興味持ってくれないの?」
 透瑠は拗ねたが、そういうことこそ、本当の「なんでもないこと」なんじゃないだろうか。透瑠はなんでもなくない大変なことを、「なんでもないこと」のように扱うけれど。
 天気が良いので喉が渇いて、俺は自販機でスポーツドリンクを買って飲んだ。
「コレ、前よりグレープフルーツの味薄くなったか? 果物も値上がりしてるだろうから、値段そのままで果汁減らしたかなあ?」
「え、それ、無果汁だよ。容器に書いてあるじゃない。なんで知らないのさ」
 透瑠が言う。俺がさすがに、花の名前の時よりはだいぶ衝撃を受けていると、透瑠はまた、あははっ! と笑った。
「きみは何にも知らないんだね!」
 透瑠はにこにこしながら「何にも知らないんだね」を繰り返す。さすがにぐさぐさと来た。透瑠は花の名前は知っていても、無知を笑われたら傷つくとか、そういうことは全くもって知らない。
「きみこそ、知ったほうがいいことがたくさんあるよ……」
 透瑠は俺の言ったことはスルーした。
「オレが今日教えたこと全部覚えて帰ってね。きみは世界への興味が薄いだけで頭が悪いわけじゃないんだからすぐ覚えて自分の知識になるよ」
 透瑠は伸び上がって、今は特に泣いてはいない俺の目許に小鳥のようなキスをした。
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