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このクソな世界を守って〜林檎と藤眼の場合〜

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 鈴虫が鳴いている。
 今夜は藤眼さんとバディを組んでからの初任務。蟲との戦闘を前にしても藤眼さんは余裕があり、かといってふざけたり油断しているわけでもなく、集中力の高さを感じさせてしんと涼しげだった。
 凪いでいる、といった印象。

 今日の蟲は、骸骨が蛾の羽を生やした個体だ。

「準備はいい? 林檎ちゃん」
「っす!」

 藤眼さんの全身を一瞬、無数の黒い羽根が渦を巻いて包んだかと思えば、一羽の鴉が現れる。式神だ。藤眼さんは式神を使役して戦うのだと、事前に本人から聞いていた。

「黒曜。頼んだわよ」

 黒曜と名を呼ばれた鴉はカアと鳴き、枝分かれするように七羽に分裂して、蛾の羽で逃げ惑いながらこちらに飛びかかる機会を狙う蟲に隙を与えまいと七方向から襲いかかり、啄んだ。
 しかし、蛾の鱗粉には毒がある。鴉たちは毒にやられてバタバタと地面に墜落していった。

「そんなっ!」
 焦ったのはあたしのほうだけで、藤眼さんは凛とした眼差しのまま今度は茶色の羽に包まれた。

「夜笛(よるぶえ)、お願い」

 今度は大きな梟が飛び立っていく。
 しかし、やはり、鱗粉の毒にやられてしまう。

「藤眼さん、ここはあたしにやらせてくれませんか?」
「林檎ちゃん、毒にやられてしまうわよ、今のを見ていたでしょう?」
「いえ、実は以前から試してみたかった戦法があるんすよ」

 説明すると、藤眼さんは目を見開いた。
「林檎ちゃん、あなた、冴えてるわね」

 先輩である藤眼さんに許可をもらったあたしはあたしの固有武器である『ルビーの双剣』を握りしめ、蛾の羽目掛けてぶん投げた。

「あたれッ!」
 命中……!
 学校の体育の授業を通じて自分に投擲の才能があることは知っていた。
 羽がザクッ! と切り落とされ、並大抵じゃない切れ味を持つ透き通る赤い刀身はアスファルトに突き刺さる。

 ルビーの“双剣”というからにはもう一振あるわけで、

「もいっちょ!」

 ザクッ!

 短剣はひゅんひゅんと回転しながら同じくアスファルトに刺さった。
 羽を失った骸骨がバラバラと崩れ落ち、地面に落下して散らばった。

 
「やるわね」
 藤眼さんは拍手して褒めてくれる。こういう時、ころもさんの場合は頭を撫でてくれ……
 ……今、この場面で何を考えているんだあたしは。
 自分にゾッとした。

「というか、あの……藤眼さん、変身してないのに戦ってたっすよね?」
 藤眼さんは何の変哲もないセーラー服タイプの高校の制服で、髪も魔力の色で変化することのない左右で編んだ黒髪のまま、式神を操っていた。一体どういうことなのか。
 すると、藤眼さんは
「私、魔法少女じゃないもの」
 と、さらっと答えた。
「……はい?」

「私は『蟲祓いの巫女』の家系に生まれたの。蟲祓いの巫女というのは魔法少女の古来からの呼び方よ。それだけ古くから続く由緒正しい家だってこと。優秀な魔法少女を代々輩出する家系で、とはいえ、私はその魔法少女の能力を持たず生まれたことで苦労もしたけれど。ある時、あまりにも強い蟲に家を襲撃されて……才能ある魔法少女であるはずの妹でも対抗できなかった。家族を蟲に全滅させられたのちに行き場を失くした私を拾ってくれたのが式神使いの師匠で。そこで初めて、私は自分には式神使いの才覚があって、何の役にも立たない無能ではなかったことを知ったの。けれど……もし先に式神使いの力を手に入れていたとして、私を虐げた家族への恨みと、それでも、家族を守りたい気持ちと、どっちが勝ったかしら。今も天秤にかけつづけているわ。だから私は復讐を毛嫌いするのよ。そのイフ――もしも――の中で復讐を選ぶ自分を想像すると身の毛もよだつから。私は、いつだって復讐よりも今、自分にできることをしたい」

「なんつーか……すごいっすね。その背景でそんな風に思えるなんて。ころもさんを政府にあんなことにされた時も、あたしが復讐に走らないよう釘を刺してくれたのは藤眼さんでした」
 あたしが言うと藤眼さんは
「林檎ちゃん、あなた、いい子ね」
 と寂しそうに笑った。この人はきっととても孤独だ。それはあたしでは埋められない。
 藤眼さんはすごくいい人だけど、あたしの孤独も藤眼さんでは埋められない。

 あたしは、蟲に殺された母親の亡き骸の腹を裂いて助け出され、この世に生まれた人間なのだと、魔法少女になる以前に世話になっていた児童養護施設の職員からも、夕凪からも聞いている。
 生まれた時から蟲を呪い、蟲に呪われる運命なのかも。……なんて、自分に酔いすぎか。
 あたしは家族を知らない。あたしにも誰かがいてくれるのだと初めて思えた相手がころもさんだった。


(だとしたら、あたしの今、為すべきことは、ころもさんが愛した世界を守ることだ。はっきりしてる。復讐よりも、今、自分にできることを――)
 

 それから、あたしと藤眼さんは孤独な生い立ち同士か徐々に親しくなっていった。
 生まれてこのかたスマバに行ったことのなかった藤眼さんと季節ごとの新作フラッペを飲みに行く仲になった。

 ……ころもさんとよく行っていた店舗は避けてわざわざ別の店舗を選ぶ自分が後ろめたかった。


 あたしは一番守りたい人を守れなかった。それでもこの悲惨な、クソな世界を守り続けていく。


 ……。
 …………。
 ………………。
 だけど、ごめん。ころもさん。あたし、やっぱりしんどいよ。
 ころもさんが頭を撫でてくれない、戦闘後のご褒美スマバにころもさんと行けない世界で、負けたら死ぬ命がけの戦いを続けるのは。

 藤眼さんはいい人。でも、ころもさんじゃない。
 尊敬できて優しい先輩。
 そう思いたいのに、どんどん、どんどん強まる藤眼さんへの認識は「ころもさんじゃない人」。
 タチの悪いシンプルさでひたすらにそうだった。

 少なくとも今よりは平和だった頃、ころもさんと戦闘後によくスマバにクリームたっぷりのドリンクを飲みに行って、あとは、あたしたち、よく、冬の公園でココアを飲んで、熱いココアは寒いとこで飲むのが一番美味しいと知った。 

 それで、そう。ころもさんは何度も同じ言葉を言ったんだ。

 
『林檎ちゃん、大好きだよ』
『好きすぎてきもかったらごめんね』

 
 藤眼さんは絶対的にころもさんじゃないんだ。
 ごく当たり前の事実に耐えかねてあたしはさめざめと泣く。
 あたしのバディはころもさんしか有り得ない。





「そんなに物欲しそうに見ないでくださいよ。団子くらいあげますから。はい! ……え? だって串ごとあげないとなんかアレじゃないすか。……ねえ?」
 
「あたしだってスカートくらい履きますよ! 普段の戦闘服は動きやすいからパンツスタイルで助かってますけど、ほんとはもっとガーリーなふりふりの、アニメに出てくる魔法少女~! みたいなヤツがよかったなあ、なんて思わなくもなくて、……ちょ! あ! 笑わないでくださいよお!」
 
「きもくなんか、ないっすよ。あたしもころもさんのこと好きだし、同じくらい好きだけど、それだとあたしもきもいってことになっちゃいますし」

 ……。
 …………。
  
「林檎ちゃん、聴こえてる? ……聴こえてなくても言わせてね。あのね、きっと私もあなたと同じこと考えてる。今のバディが失ったバディの代わりにならないことを許せない自分を、許せない。そして――それでも、私たち、守りたい人を守れないのにそれでも、この散々な世界を守らなきゃいけない。そんなの耐え難い。私は家の恥と罵られて……耐えるという分野を少し多く練習してきたから、まだもう少しは立っていられるみたい。ころもちゃんが好きだった世界のこと――あなたところもちゃんがまた元気にフラッペを飲める日が来るまで、それまで私がこの非道い世界を守るから、ころもちゃんと二人だけの世界でゆっくり休んでて待っててね」




  
「澪鳥藤眼。お前と透海林檎のバディは解消されることになった」
「あら、夕凪。まだ生きてたの」
「澪鳥。お前は俺に対してそれしか挨拶を知らないのか?」
「あら。不公平なことを言うのね。あなた、自分からは私たち魔法少女に会釈の一つもしないじゃない。銃や刀に『おはようございます』や『お世話になっております』を言う人が滅多にいないのと同じことかしらね」
「相変わらず憎しみの感情が絡むと途端に口が達者になるな、澪鳥」
「無言で睨んだほうがよろしくて?」
「透海を戦線から外す。寮の個室の壁のシミを蜩ころもに見立てて四六時中喋りかけている。壁じゃないほうを向かせようとしただけで酷いパニックと攻撃性だ。なまじ身体能力が高いだけに手に負えん。あれでは到底使い物にならん」
「使い物にならない、……あなたたち政府の人間はその言葉が大好きね」


「……お前にその台詞を言われた回数は二桁にのぼるぞ。“彼女”の件を余程恨んでいるのか?」
「当たり前でしょう」
「あいつになら近々会えるさ」
「……っ!? ……そうはいっても、あなたたちのことだから、惨たらしい姿に作り替えられた彼女に、でしょう? 今のうちから重々身構えておくわ」
「皮肉を言えど目が嬉しそうだぞ、澪鳥」

「…………あら、私、まだ泣けたのね……」
 
 
 
(つづく)
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