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このクソな世界を守って〜林檎ところもの場合〜
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暑くて暗い、煮詰まったような夜だ。
ころもさんが固有武器である『蒲公英のクレヨン』でアスファルトに魔法陣を描けば黄色い魔法陣から青い鯨が次々生まれる。
今日もころもさんは絶賛脱力モードで、ラムネをボリボリ齧りながら寝そべって魔法陣を描いている。凡そ、戦闘中の魔法少女とは思えない態度だ。
あたしらの敵である『蟲』は今夜は、三又の銛を持つ人魚を思わせる上半身に、下半身は百足のような姿をして身体中に炎を纏った個体だ。この炎のせいで苦戦させられている。
あたしは身軽さが取り柄なので銛での攻撃自体は突き刺そうとされても投げつけられても躱せるのだが、炎のせいでこちらからの攻撃が出来ないのだ。何せ、あたしの固有武器は『ルビーの双剣』――文字どおりルビーのような透明感の紅い刀身を持つ一対の短剣なのだ。斬れ味は抜群だがリーチが短く、攻撃のためには敵の至近距離まで接近しなければならない。
「ころもさん、鯨、もっとお願いします! 鯨の人手が足りません!」
「うぃ~。ちょっと待ってね~ん」
ころもさんは口調は緩慢ながら手は要領よく迅速に魔法陣を描いた。
「火消し、火消し、っと……」
「悠長に構えてないでくださいよ~! あたしらの戦場で油断は文字どおり命取り! 基本中の基本っすよ! わかってます!? って、熱ッ!」
まったく、ころもさんは本当に脱力系というかなんというか。
あたしのバディである、蜩 ころも(ひぐらし ころも)さんは年はあたしの二歳上、魔法少女経験年数は三年上の先輩魔法少女だ。
身長百四十五センチメートルの骨の細そうな薄い身体に、ゆるく結ったツインテール。容姿もなんとなく脱力系、という感じがする。ツインテールは普段は黒髪だが、変身すると淡い黄色に染まる(変身とともに自分の魔力の色に髪と瞳が染まるのは魔法少女の特徴で、あたしの場合は赤だ)。タレ目で、いつもだらしないくらいにこにこしているのでこちらも怒る気が失せる。
それに、あたしのことをやたら好いてくれるし……。だから、あたしもついころもさんに甘く接してしまう。
ダラダラしているように見えた間にもころもさんは着々と仕事をし、あっという間に完全体の魔法陣を描きあげる。これまでに召喚した小さな鯨たちを一つの塊に融合させ、巨大鯨を召喚して一気に消火する。『蟲』は知性をほとんど有さないなりに『人魚』がたじろいだのがわかった。
しめた……!
体表を覆っていた炎のヴェールを失った『人魚』にあたしは持ち前の身軽さを活かして猫のように組みつき、心臓への渾身の一撃を与える……!
「ギギャッ!? ……ギャアァァアァァアアァァア!?」
気味の悪い断末魔を上げて『人魚』は死んだ。
「人に近い姿の敵って、魔法少女になりたての頃は人間を斬ってるみたいに錯覚しちゃって攻撃に躊躇したっすけど、手慣れてくると急所が人と同じ心臓でわかりやすいのは助かるっす」
あたしがふとした気づきを漏らせば、ころもさんから
「林檎ちゃん、成長したねえ~。おねいさんは先輩として嬉しいゾ~」
と、頭を撫でられる。
「ちょ! 子ども扱いやめてほしいっす! あたしだって今年で中学校卒業、四捨五入したらハイティーンなんすよ?」
「ほほ。その思考回路こそが既に青いのぅ」
ころもさんがおちゃらける。
「もぅ~!」
そうこう話しているうちにころもさんは寝落ちしてしまう。魔法陣を描くというころもさんの戦闘スタイルは一瞬一瞬に最適解を選びとる判断力と、ミスをしない集中力を求められる。さらに、何を描けばどんな魔法が使えるのか、膨大な数の術式を記憶し、次々に応用版を生み出してはそれも海馬に新たに保存しているのだと思うと尊敬しかない。
だから、戦闘後は極度の脳疲労により寝てしまうのだ。いくらころもさんが小柄でもあたしだって身長は百五十センチメートルギリギリで、あたしは敏捷性はあってもパワータイムではない。それでも、おぶってころもさんの家の前まで送り、家の前でご家族に気づかれないようころもさんを起こした。
「ころもさん、着きましたよ」
ころもさんの肩を優しくゆする。
「ん。ん~……っ。いつもありがとうね、林檎ちゃん」
「いえ、こちらこそいつもありがとうございマス。お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」
「うん。林檎ちゃんもね」
手を振ってあたしたちはそれぞれの日常に一旦、戻って行った。
★
『蟲』が凶暴化、そして、進化している。
日々の戦闘が激化するにつれ、ころもさんは全くふざけなくなった。生真面目そのものになり、そのことがあたしを不安にさせた。しかも、どんどん変な痩せ方をして顔色も悪くなっていく。
ころもさんはいつも戦闘中に飴やグミ、ラムネを食べていたけど、やがて、ブドウ糖の結晶だけをひたすら齧りながら青い顔で魔法陣を描くようになった。あたしは、ころもさんは単にお菓子が好きなのか口寂しいのか、くらいに捉えていた自分の甘さがころもさんを傷つけてはいなかったかと思い返して怖くなった。
ころもさんは、戦闘が終わって糸が切れれば即気絶のように眠ってしまうほどの脳疲労を凌ぐために、戦闘中はお菓子で常時、糖分を補給していたのだ。油断などでは決してなく、きちんと戦うためのお菓子だったのだ。彼女は最初から誰よりも真面目だったのだ。
寝そべって魔法陣を描いていたのも、立っていられるだけの力が身体に巡らないくらい、持てる全てのエネルギーを脳だけで消費していたのだと気づいたのは、ころもさんがついに倒れて、政府の機密機関が運営する病院に入院した時だった。
『脳と魔力の使いすぎ』
どーでもいいことみたいな口調でそう診断されたと、ころもさんは今まで見せたことがなかったような無念さと踏み躙られた怒りを顕にして、見舞いに来たあたしに訴えた。
「蜩ころもの脳は魔力との相乗効果によって人間の脳が本来持ちうる情報処理能力を遥かに超えた働きをし、天才的な魔法陣を産み出していたが、相応の負荷を負っており、極度の脳疲労により、いずれ脳死状態になる可能性が高い」
無表情と抑揚のない声が特徴的な男――二十代の若さで機密機関の上役を務める夕凪が淡々と話す。
「どうせ限界が近いんだ。政府は蜩ころもを廃棄寸前まで使い潰す気だろうな」
「はあ!? は、廃棄ってなんすか!? あんまりな言い方じゃないすか! 撤回してください!」
あたしが大声で叫んでも夕凪は目を見開くとか、仰け反るとか、人間が驚いた時に見せる脊髄反射的なリアクションを何一つ見せなかった。本当に人間なのだろうか。心がない人間ではない何かだから、こんな酷いことが言えるんだろうか。それなら納得が行く。
「透海 林檎(とうみ りんご)。お前はいい加減、この世界の残酷さに慣れろ」
「嫌っす!」
あたしは断固拒否した。こんな不幸が、こんな理不尽が、あたしにとって当たり前になってたまるか! 少なくともあたしにとってだけは、こんなのは「当たり前」じゃない、「当たり前」にさせない。異常だから、不幸だから、変えなきゃいけない。
苦しくてもそう思い続ける。絶対に。
★
『魔法陣に関してだけは天才的なダメ人間だよ~ん』
政府からこの子とバディを組むようにと命じられてころもさんと引き合わされた日、初対面でピースサインを顔の横に添えながら名乗るころもさんを見て、こんなへらへらした人があたしのバディで大丈夫か? と不安になったのが第一印象。
でも、すぐにころもさんの思い遣りの深さと、本人は隠しがちな繊細さに惹かれていった。
「点滴打ちながらでも戦うよ。あたし、魔法少女でいることがすごい幸せだったの。あたし、魔法少女として以外全部ポンコツだし、KYだし、責められて怖くなった時、本当は心から悪いと思っててもヘラヘラ笑っちゃって誤解招くほうだからさ、ガッコでもずっとぼっちでさ、初めてできた友達の林檎ちゃんが大好きで、家族にもめっちゃ良い子なんだって、魔法少女のこととかはもちろん言えないからネットで出会ったってことにしてめっちゃくちゃ自慢しててさ……」
そう言ってベッドの上でぼろぼろ涙を零すころもさんに、あたしもぼろぼろ泣きながら手を握ることくらいしかできなかった。
★
ころもさんを戦線に出さないでくれとあたしがどれほど頼んでも、政府は聞き入れてくれなかった。ころもさん本人は「この街を守りたい」と同意しているのもあり、ころもさんは再び戦場へ送り出されたけれど、限界が来てついには寝たきりになってしまった。
「泣かないで林檎ちゃん。ごめんね、あたしが弱いせいで悲しい思いさせて。泣かせてごめんね」
「違っ……ころもさんは悪くない、ッ……ころもさんは優しすぎる……ッ」
あたしは泣きじゃくった。泣けば泣くほどころもさんは自分を責めるというのに。
「林檎ちゃん。一度、適合者と判明してしまえば戦うことをやめる権利すらもらえないのが魔法少女の宿命なら……せめてこのクソな世界が少なくともあたし――蜩ころもという一人の人間にとっては幸福な世界だった、って思いながら街を守ってくれないかなあ……幸福な世界があたしの手を離れても壊れて無くなってほしくないの。せめて、林檎ちゃんの手で保存してほしいの」
なんでこんな酷い扱いを受けておいてそんなに優しいことが言えるんだろうと思った。
「必ず守り抜きます」
あたしはころもさんの優しさに免じてクソな世界を守ることを約束した。
「ありがとう。大好きだよ、林檎ちゃん。死なないでね」
★
今日もころもさんは入院している。亡くなるまで半永久的に入院する運命なのだ。
「今日はね、林檎ちゃんが教えてくれた漫画の最終回を読んだんだぁ。すっげ感動した。今日は車椅子で中庭にも出れたし、こうして林檎ちゃんにも会えてマジ良い日だから、マジサイコ~って感じで。……あ、なんか今日、検査らしいから行ってくるね~」
……ころもさんはそのままあたしの前に戻ってくることはなかった。
ころもさんへの面会も禁止され、ころもさんが九割がた政府に何かされているに違いないのに、それが何かわからなくて、もどかしくてあたしは苛立っていた。
「林檎ちゃん、最近、らしくなくガラが悪いわよ。どうしたの? 話してみて」
「藤眼さん……」
澪鳥 藤眼(みおどり ふじめ)さん。ころもさんが倒れて新しくあたしのバディとなった歴戦の魔法少女。背の高い綺麗な人で、少女というより淑女を思わせるほど大人びた雰囲気を持っている。柔和で、人の強ばった心を開かせる不思議なコミュ力がある。
「藤眼さん。ころもさんはやっぱりどこかで政府の人間から何かされてるんでしょうか?」
あたしが聞くと、藤眼さんは一旦、言葉に詰まってから、静かな誠実な声で言った。
「きっと……彼女の脳に蓄えられた魔法陣への経験値をAIにコピーするために連れて行かれたんだと思う。彼女は代わりが見つからないレベルの天才だから、戦力強化のためにAIで彼女の思考パターンを保存、研究するのよ。私はそういう子の前例を見たことがあるわ」
「そんな……ッ! ここまで来てまだ道具扱いで搾れるだけ搾りとるんすか!? せめて、戦線を退いてからくらい、好きな漫画読んだり平和な生活を……だってもう、政府の機密事項明かせないからっつって、家族にだって、この先ずっと会わせてもらえないんすよ!?」
「酷い話だけど、命を奪われるわけではないわ。そこだけが救いよ……」
たしかに、結論から言うと、ころもさんは命は奪われなかった。
でも、酷使されつづけたころもさんの脳は、海馬からデータを写し取られる作業の不可に耐えきれずに脳死状態になってしまい、植物状態になった……。
★
「復讐したい?」
藤眼さんに静かな声で聞かれた。
「いいえ」
とあたしはハッキリした声で答えた。
「復讐なんて、そんなことしてる暇あったら、この世界を――このクソな世界を全力で守り抜きますよ。ころもさんの愛する世界ですから、保存しないと」
「そう。止めるまでもなくてよかったわ」
あたしは手のひらに爪を突き立てて拳を握りしめた。必ず守ってみせる。
あたしが戦って倒さなければならないのは、街を壊す『蟲』と、そして…………
今にもこの世界をめちゃくちゃに壊してしまいかねない、毎秒湧き上がるあたしの復讐心だ。
ころもさんが固有武器である『蒲公英のクレヨン』でアスファルトに魔法陣を描けば黄色い魔法陣から青い鯨が次々生まれる。
今日もころもさんは絶賛脱力モードで、ラムネをボリボリ齧りながら寝そべって魔法陣を描いている。凡そ、戦闘中の魔法少女とは思えない態度だ。
あたしらの敵である『蟲』は今夜は、三又の銛を持つ人魚を思わせる上半身に、下半身は百足のような姿をして身体中に炎を纏った個体だ。この炎のせいで苦戦させられている。
あたしは身軽さが取り柄なので銛での攻撃自体は突き刺そうとされても投げつけられても躱せるのだが、炎のせいでこちらからの攻撃が出来ないのだ。何せ、あたしの固有武器は『ルビーの双剣』――文字どおりルビーのような透明感の紅い刀身を持つ一対の短剣なのだ。斬れ味は抜群だがリーチが短く、攻撃のためには敵の至近距離まで接近しなければならない。
「ころもさん、鯨、もっとお願いします! 鯨の人手が足りません!」
「うぃ~。ちょっと待ってね~ん」
ころもさんは口調は緩慢ながら手は要領よく迅速に魔法陣を描いた。
「火消し、火消し、っと……」
「悠長に構えてないでくださいよ~! あたしらの戦場で油断は文字どおり命取り! 基本中の基本っすよ! わかってます!? って、熱ッ!」
まったく、ころもさんは本当に脱力系というかなんというか。
あたしのバディである、蜩 ころも(ひぐらし ころも)さんは年はあたしの二歳上、魔法少女経験年数は三年上の先輩魔法少女だ。
身長百四十五センチメートルの骨の細そうな薄い身体に、ゆるく結ったツインテール。容姿もなんとなく脱力系、という感じがする。ツインテールは普段は黒髪だが、変身すると淡い黄色に染まる(変身とともに自分の魔力の色に髪と瞳が染まるのは魔法少女の特徴で、あたしの場合は赤だ)。タレ目で、いつもだらしないくらいにこにこしているのでこちらも怒る気が失せる。
それに、あたしのことをやたら好いてくれるし……。だから、あたしもついころもさんに甘く接してしまう。
ダラダラしているように見えた間にもころもさんは着々と仕事をし、あっという間に完全体の魔法陣を描きあげる。これまでに召喚した小さな鯨たちを一つの塊に融合させ、巨大鯨を召喚して一気に消火する。『蟲』は知性をほとんど有さないなりに『人魚』がたじろいだのがわかった。
しめた……!
体表を覆っていた炎のヴェールを失った『人魚』にあたしは持ち前の身軽さを活かして猫のように組みつき、心臓への渾身の一撃を与える……!
「ギギャッ!? ……ギャアァァアァァアアァァア!?」
気味の悪い断末魔を上げて『人魚』は死んだ。
「人に近い姿の敵って、魔法少女になりたての頃は人間を斬ってるみたいに錯覚しちゃって攻撃に躊躇したっすけど、手慣れてくると急所が人と同じ心臓でわかりやすいのは助かるっす」
あたしがふとした気づきを漏らせば、ころもさんから
「林檎ちゃん、成長したねえ~。おねいさんは先輩として嬉しいゾ~」
と、頭を撫でられる。
「ちょ! 子ども扱いやめてほしいっす! あたしだって今年で中学校卒業、四捨五入したらハイティーンなんすよ?」
「ほほ。その思考回路こそが既に青いのぅ」
ころもさんがおちゃらける。
「もぅ~!」
そうこう話しているうちにころもさんは寝落ちしてしまう。魔法陣を描くというころもさんの戦闘スタイルは一瞬一瞬に最適解を選びとる判断力と、ミスをしない集中力を求められる。さらに、何を描けばどんな魔法が使えるのか、膨大な数の術式を記憶し、次々に応用版を生み出してはそれも海馬に新たに保存しているのだと思うと尊敬しかない。
だから、戦闘後は極度の脳疲労により寝てしまうのだ。いくらころもさんが小柄でもあたしだって身長は百五十センチメートルギリギリで、あたしは敏捷性はあってもパワータイムではない。それでも、おぶってころもさんの家の前まで送り、家の前でご家族に気づかれないようころもさんを起こした。
「ころもさん、着きましたよ」
ころもさんの肩を優しくゆする。
「ん。ん~……っ。いつもありがとうね、林檎ちゃん」
「いえ、こちらこそいつもありがとうございマス。お疲れ様でした。ゆっくり休んでください」
「うん。林檎ちゃんもね」
手を振ってあたしたちはそれぞれの日常に一旦、戻って行った。
★
『蟲』が凶暴化、そして、進化している。
日々の戦闘が激化するにつれ、ころもさんは全くふざけなくなった。生真面目そのものになり、そのことがあたしを不安にさせた。しかも、どんどん変な痩せ方をして顔色も悪くなっていく。
ころもさんはいつも戦闘中に飴やグミ、ラムネを食べていたけど、やがて、ブドウ糖の結晶だけをひたすら齧りながら青い顔で魔法陣を描くようになった。あたしは、ころもさんは単にお菓子が好きなのか口寂しいのか、くらいに捉えていた自分の甘さがころもさんを傷つけてはいなかったかと思い返して怖くなった。
ころもさんは、戦闘が終わって糸が切れれば即気絶のように眠ってしまうほどの脳疲労を凌ぐために、戦闘中はお菓子で常時、糖分を補給していたのだ。油断などでは決してなく、きちんと戦うためのお菓子だったのだ。彼女は最初から誰よりも真面目だったのだ。
寝そべって魔法陣を描いていたのも、立っていられるだけの力が身体に巡らないくらい、持てる全てのエネルギーを脳だけで消費していたのだと気づいたのは、ころもさんがついに倒れて、政府の機密機関が運営する病院に入院した時だった。
『脳と魔力の使いすぎ』
どーでもいいことみたいな口調でそう診断されたと、ころもさんは今まで見せたことがなかったような無念さと踏み躙られた怒りを顕にして、見舞いに来たあたしに訴えた。
「蜩ころもの脳は魔力との相乗効果によって人間の脳が本来持ちうる情報処理能力を遥かに超えた働きをし、天才的な魔法陣を産み出していたが、相応の負荷を負っており、極度の脳疲労により、いずれ脳死状態になる可能性が高い」
無表情と抑揚のない声が特徴的な男――二十代の若さで機密機関の上役を務める夕凪が淡々と話す。
「どうせ限界が近いんだ。政府は蜩ころもを廃棄寸前まで使い潰す気だろうな」
「はあ!? は、廃棄ってなんすか!? あんまりな言い方じゃないすか! 撤回してください!」
あたしが大声で叫んでも夕凪は目を見開くとか、仰け反るとか、人間が驚いた時に見せる脊髄反射的なリアクションを何一つ見せなかった。本当に人間なのだろうか。心がない人間ではない何かだから、こんな酷いことが言えるんだろうか。それなら納得が行く。
「透海 林檎(とうみ りんご)。お前はいい加減、この世界の残酷さに慣れろ」
「嫌っす!」
あたしは断固拒否した。こんな不幸が、こんな理不尽が、あたしにとって当たり前になってたまるか! 少なくともあたしにとってだけは、こんなのは「当たり前」じゃない、「当たり前」にさせない。異常だから、不幸だから、変えなきゃいけない。
苦しくてもそう思い続ける。絶対に。
★
『魔法陣に関してだけは天才的なダメ人間だよ~ん』
政府からこの子とバディを組むようにと命じられてころもさんと引き合わされた日、初対面でピースサインを顔の横に添えながら名乗るころもさんを見て、こんなへらへらした人があたしのバディで大丈夫か? と不安になったのが第一印象。
でも、すぐにころもさんの思い遣りの深さと、本人は隠しがちな繊細さに惹かれていった。
「点滴打ちながらでも戦うよ。あたし、魔法少女でいることがすごい幸せだったの。あたし、魔法少女として以外全部ポンコツだし、KYだし、責められて怖くなった時、本当は心から悪いと思っててもヘラヘラ笑っちゃって誤解招くほうだからさ、ガッコでもずっとぼっちでさ、初めてできた友達の林檎ちゃんが大好きで、家族にもめっちゃ良い子なんだって、魔法少女のこととかはもちろん言えないからネットで出会ったってことにしてめっちゃくちゃ自慢しててさ……」
そう言ってベッドの上でぼろぼろ涙を零すころもさんに、あたしもぼろぼろ泣きながら手を握ることくらいしかできなかった。
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ころもさんを戦線に出さないでくれとあたしがどれほど頼んでも、政府は聞き入れてくれなかった。ころもさん本人は「この街を守りたい」と同意しているのもあり、ころもさんは再び戦場へ送り出されたけれど、限界が来てついには寝たきりになってしまった。
「泣かないで林檎ちゃん。ごめんね、あたしが弱いせいで悲しい思いさせて。泣かせてごめんね」
「違っ……ころもさんは悪くない、ッ……ころもさんは優しすぎる……ッ」
あたしは泣きじゃくった。泣けば泣くほどころもさんは自分を責めるというのに。
「林檎ちゃん。一度、適合者と判明してしまえば戦うことをやめる権利すらもらえないのが魔法少女の宿命なら……せめてこのクソな世界が少なくともあたし――蜩ころもという一人の人間にとっては幸福な世界だった、って思いながら街を守ってくれないかなあ……幸福な世界があたしの手を離れても壊れて無くなってほしくないの。せめて、林檎ちゃんの手で保存してほしいの」
なんでこんな酷い扱いを受けておいてそんなに優しいことが言えるんだろうと思った。
「必ず守り抜きます」
あたしはころもさんの優しさに免じてクソな世界を守ることを約束した。
「ありがとう。大好きだよ、林檎ちゃん。死なないでね」
★
今日もころもさんは入院している。亡くなるまで半永久的に入院する運命なのだ。
「今日はね、林檎ちゃんが教えてくれた漫画の最終回を読んだんだぁ。すっげ感動した。今日は車椅子で中庭にも出れたし、こうして林檎ちゃんにも会えてマジ良い日だから、マジサイコ~って感じで。……あ、なんか今日、検査らしいから行ってくるね~」
……ころもさんはそのままあたしの前に戻ってくることはなかった。
ころもさんへの面会も禁止され、ころもさんが九割がた政府に何かされているに違いないのに、それが何かわからなくて、もどかしくてあたしは苛立っていた。
「林檎ちゃん、最近、らしくなくガラが悪いわよ。どうしたの? 話してみて」
「藤眼さん……」
澪鳥 藤眼(みおどり ふじめ)さん。ころもさんが倒れて新しくあたしのバディとなった歴戦の魔法少女。背の高い綺麗な人で、少女というより淑女を思わせるほど大人びた雰囲気を持っている。柔和で、人の強ばった心を開かせる不思議なコミュ力がある。
「藤眼さん。ころもさんはやっぱりどこかで政府の人間から何かされてるんでしょうか?」
あたしが聞くと、藤眼さんは一旦、言葉に詰まってから、静かな誠実な声で言った。
「きっと……彼女の脳に蓄えられた魔法陣への経験値をAIにコピーするために連れて行かれたんだと思う。彼女は代わりが見つからないレベルの天才だから、戦力強化のためにAIで彼女の思考パターンを保存、研究するのよ。私はそういう子の前例を見たことがあるわ」
「そんな……ッ! ここまで来てまだ道具扱いで搾れるだけ搾りとるんすか!? せめて、戦線を退いてからくらい、好きな漫画読んだり平和な生活を……だってもう、政府の機密事項明かせないからっつって、家族にだって、この先ずっと会わせてもらえないんすよ!?」
「酷い話だけど、命を奪われるわけではないわ。そこだけが救いよ……」
たしかに、結論から言うと、ころもさんは命は奪われなかった。
でも、酷使されつづけたころもさんの脳は、海馬からデータを写し取られる作業の不可に耐えきれずに脳死状態になってしまい、植物状態になった……。
★
「復讐したい?」
藤眼さんに静かな声で聞かれた。
「いいえ」
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「復讐なんて、そんなことしてる暇あったら、この世界を――このクソな世界を全力で守り抜きますよ。ころもさんの愛する世界ですから、保存しないと」
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あたしは手のひらに爪を突き立てて拳を握りしめた。必ず守ってみせる。
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