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第六十話 瓢箪から駒
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転送陣を抜け出すや目の前に広がる光景にエウフェリオとウェンシェスランは腰を抜かし崩れ落ちた。
何だここは天国か。
上下階へ繋がる階段から階段まで貫く長く広い通路の両端に、見渡す限り書架と読書台を備えた卓が立ち並び、棚にはみっちりと書籍が、中には鎖で繋がれた重要そうな物までたっぷりと蓄えられている。
何だここは地獄か。
視線を巡らすとすぐさま徘徊する魔物の姿が目に飛び込み、いくつか倒れた書架から溢れる書籍を踏みしだく様が見える。
「…っ!掃討!するわよ!」
「ええ、この狼藉、許してなるものですか!」
がばと立ち上がった二人はオリンドに掘り当ててもらった魔石を手にすると、それぞれ練り上げた魔力に鬼気迫る怒りを乗せて込めた。途端に数倍にも膨れ上がった悍ましいほどの魔力が渦を巻き近くの魔物目掛けて次々と攻撃を繰り出す。
視界の遠い端に上の階と下の階へ続く階段へ竦み上がって殺到する魔物の姿が映ったが、逃げ出すというなら捨て置きウェンシェスランもエウフェリオも練るように歩いて捉えられる限りを蹂躙しにかかった。
「ひ、…ひぅう…っ」
あまりの後ろ姿に逃げ出す魔物よりも竦み上がったオリンドがアレグとイドリックにしがみついて床に座り込んだ。完全に腰が抜けたらしく膝が跳ねるほど震えている。
「よしよし!怖いな!大丈夫だぞ!俺たちが付いてるからな!よーしよし!」
「なに、おまえさんにゃこれっぽっちも届かせやしないさ。安心しな!」
慌てて背や腕を摩り宥めてくれるアレグとイドリックにオリンドは益々しがみついて、ちょっぴり涙を浮かべた。
「…あり、ありがとう…っ!…っひぐ、うっ…ふ、二人ともっ、本にも棚にも、一切傷も血も付けないで魔物倒してるのが、怖いっ!」
「…あー。な。ブッチブチに切れてんのに冷静なのな。心の底からこえーよな」
正直なところ、自分たちには目もくれず逃げ出していく魔物に対して、可哀想にという感情まで抱いている。
「わかる。わかるぞ。俺もちいとばかり腰が抜けそうだ」
うんうん。頷く二人にしっかりと手を握られて、なんとなく落ち着き始めたオリンドはアレグとイドリックもやや蒼褪めていることにようやく気付いた。
「…あ、…やっぱり、二人も怖い、の?」
聞けば静かにがっつりと頷かれて可笑しさが込み上げた。あの勇者と盾使いがこんな引き攣った顔するなんて。と思えば恐ろしさも随分と和らぐ。
オリンドの緊張が緩んだと見てとった二人もゆったりと苦笑気味に微笑んで、そっと息を吐いた。
「っはー。だってなあ、綺麗な顔して笑いながら破壊神みたいなことすんだぞ?怖く無いわけねーじゃん」
「えあ、は、破壊神て…」
「破壊神だろ破壊神。シェスカのやつも普段は回復魔法やら浄化魔法しか使わんが、ああなると精霊魔法のエグいやつオンリーだからな」
「ああ、え…と、精霊に浄化魔法を通した魔素をあげて力を貸してもらうとかなんとか…」
「そうそうそれ!特に水の精に頼んでやる加圧水流切断とかくっそエグいよな。魔王かっての」
「さすがに今日は使わんだろうけどな。あれはエグい」
「あう…あの…」
言い過ぎなのでは、と言いたいらしき身振りでオリンドが両手を振るのにも構わずアレグもイドリックも腕を組んで渋面を作り更に言い募る。過去に余程恐ろしい光景に遭遇したようだ。
「あとあれ、光の精のやつ!不可視…なんとか…って、目に見えねえ光線とやらで焼き切るんだぞ、信じらんねー!焼いて切るってなんだよ!?エグいがすぎるって!」
「あれな!初めて見た時ゃこれこそ悪魔の所業だと思ったもんだ!」
「誰がエグい魔王で悪魔ですって?」
「あ」
がつり。脳天を掴まれたアレグとイドリックはその場に凍りついた。あわあわと両手を踊らせて焦るオリンドにエウフェリオが柔らかく笑いかける。
「せっかくリンドがシェスカの接近を教えようとしてましたのにね。気にしなくて良いんですよ、自業自得です」
先ほどの身振りはそれだったのか。エウフェリオの言葉を前に項垂れるアレグとイドリックだったが既に後の祭りだ。
「えっ、でっ、でもっ」
「そうよお。気にしなくていいのよリンちゃん。…あたしはちょおっとばかり席を外すから、フェリちゃんが階段に結界を張るの手伝ってあげてちょうだい」
「えっ?…あ、うん」
言うが早いかウェンシェスランは二人を引き摺って転送陣に消えた。七十九階層への相互陣だ。何がある階層だっけと記憶を探ったオリンドは玄関広間の二階にある魔物拷問部屋を思い出して飛び上がるように身を震わせた。
「あわっ、あっ、…あうっ」
「っふふふ!まさか、さすがのシェスカでも拷問まではしませんよ」
「わあ、読まれたっ!」
読むもなにも顔に全部出ているのだが、エウフェリオは意味ありげに笑うだけに留めてから階層の両端にある階段を見渡した。
「さて、私たちしか居ないことですし、逃げた魔物が戻る前に結界を張ってしまいましょうか」
「へああっ!?…うわっ!そうか、階段で戻ってこれちゃうんだ!?」
とりあえずこちらからと九十三階層に向かう階段へ歩き出したエウフェリオの後をオリンドは慌てて追いかける。
「ええ。どちらの階段も、急いで防がないと戻ってきてしまいます」
「わあああ!わ、わかった、すぐ手伝っ…えっ、俺、なんの手伝いができるの?」
「そうですね、魔物の動向探知と私の応援をお願いしたいのですけれど」
「うん!…ええと、逃げたやつはだいぶ離れてるからしばらく大丈夫そう。えっと、あとフェリの応援…!…応援?」
「ええ。応援」
「…ぐ、具体的には…」
「私の腰に抱き付いて、フェリ大好きがんばって。と言っていただければ大変がんばれます」
ウェンシェスランがこの場に居たことなら今頃は脳天に聖杖が減り込んでいたことだろう。だが残念なことに居なかったし、エウフェリオとしてもオリンドが照れてくれたら嬉しいという軽い悪戯のつもりだったのだが。
「フェリ、大好き!がんばって!」
一生懸命にオリンドはエウフェリオの腰にしがみつき、大変真面目に応援した。
エウフェリオ自身が三日三晩頑張ったところで解けはしない結界が張られた。
渾身の出来すぎて戻ってきたウェンシェスランが一目見るなり裏を察して大層目を眇めたことはともかく、行きと同じく引き摺られてきたアレグとイドリックの魂が今にも肉体との縁を切りそうだったこともともかく、これで準備は整った。書架に掛けられた古の結界を解き、繋がる鎖を外せば楽しい閲覧の時間である。と、言っても読めるのは題名くらいのものだが。
「…っあー!今読みたい!今読めるようになりたいわ!あたしったらなんで古代語が読めないのこのポンコツ頭ーっ!」
「わかります!何故にもっと古代語に親しんでこなかったのか…!今からでも解読班長に弟子入りしたい!」
ところどころ描かれた挿絵を見るだに内容が気になって堪らず、鞄に放り込む手を止めてエウフェリオとウェンシェスランは何度も頭を抱えた。
いや、実際は閲覧の時間などでもなく詰め込み作業の時間のはずだが、読みたがる二人のために遅々として進まず、今や辺りは書籍の山だ。運んでは積み上げるアレグとイドリックはしかし先ほどの制裁を思い返せばウェンシェスランに口答えするのも憚られ、すごすごとまた別の本棚へ向かっていく。見かねたオリンドは抱えてきた本をエウフェリオの側に置きつつ声をかけてみた。
「…ん、と。フェリもウェンシェスランも、早目に詰めてかないと、崩れたら危ないし本が傷むよ?」
「えっ?…あ。これは大変なことに!」
自分たちが埋まる分にはともかく、確かに崩れては本が無事では済まない、それはいただけない。すわと立ち上がったエウフェリオはまとめて浮遊の魔法をかけるとあっという間に大まかな題名ごとに選り分け鞄の中へ詰め込み始めた。おまえの部屋のあれこれもそのくらい片付けろよとはイドリックの念だ。
「いやあん!もう少し見せて!もう少し見せてー!」
「…もう!だめ!帰ってから!」
みんなで一緒に作業してるのに、ちょっとわがままだぞ。流石に呆れたオリンドがぴしゃりと嗜める。
「…えっ…?…やだ、…叱られた…?」
一瞬呆けたウェンシェスランが頬を両手で緩慢に包み込んだ。
えっ、もしかして言い過ぎた?
ぎょっとしたオリンドが反射的に謝罪の言葉を口にしかけるや、見る間にニヤけたウェンシェスランは隣で屈み込み悔しげな顔をするエウフェリオの背を強かに何度も叩きだす。
「やあん、叱られちゃった!リンちゃんに叱られちゃったわー!?」
「っ、聞こえてましたっ!…叱られたんですから早く作業に戻ってはいかがです!?」
「…へぇっ!?…なん…なんで叱られて喜んでるの…?」
それになんでフェリが悔しそうにするんだ?…意味がわからない。
困り切ってイドリックを見ると彼こそ眉を下げて笑った。
「うん?そりゃおまえ、遠慮してる相手を叱ったりできるか?」
「そ…れは、無理…。…あっ!…ええっ!?」
つまり遠慮が薄くなったことにウェンシェスランは喜び、それにエウフェリオが嫉妬しているのだと気付けばもう、オリンドこそむず痒い思いと想いが怒涛に湧き出てしゃがみ込んだ。
「ふあうあ~…」
瓦解していく表情筋が自分にどんな顔をさせているのかもわからず両手で覆った。その向こうから包み込む笑い声が聞こえてきて益々眉が下がっていく。
「…ふふ。幸せそうでなにより」
そんなオリンドを見てしまってはエウフェリオもこれ以上拗ねていられない。さて、と立ち上がると作業を再開するべく積み残された書籍を浮遊させた。
体感で二時間ほど過ぎた頃、ようやくあらかたの書架が空になり、ひと段落着いたとアレグは腰を伸ばす。
「っはー。とりあえずこんなもんか?…あとは倒れてんのと、奥の棚だけかあ」
同じ作業を繰り返しに繰り返して固まった関節がこきりと軽い音を立てた。
「そうだな。倒れてる棚の方はどうする?今日やっちまうか明日に回すか…」
「そうですね、やってしまいたいのは山々ですが…。今、何時頃かにも寄りますけど」
「っちゃー。何時っても、早目に昼飯食っちゃったからな。俺の胃袋たぶん時間ズレたぞ?」
「えっ、変な時間に食べた時は腹時計ずれるの?」
「おん?そりゃそうだろ食べたんだからさ。ま、寝たらリセットされっから」
「…そ、…そうか…」
確かにそれはそうかもしれないが、となると逆にいつぞや問うた空腹が続いても腹時計のズレない謎が益々深まった気がして首を傾げたオリンドは、誰かの手を肩に乗せられ振り返った。目が合ったウェンシェスランが黙したままゆっくりと首を振る。
いけない。考えてはいけないのだ。迷路に入り込むだけだ。
悟ったオリンドは静かに頷いた。
「てなわけだし、ちょっくらカロンに時間聞くか…」
「おう?こんな階層で通信できるのか?」
「できるようにしてるのよ。調査団の方は人数多いでしょ?階段付近に中継器を設置して回ってるんですって」
「ちゅうけいき?」
はて、知らない単語だ。首を傾げるオリンドにはいつもながらエウフェリオが即座に反応した。
「飛ばしている途中で弱まる通信の波を、増幅させて繋げる物だそうですよ。なんでも壁などの遮蔽物を挟むと、覿面に波が弱まるとか」
「へえ…探査スキルみたい」
「おや。そうですね、似てますね」
なんとなく理解できたと小さなことにも喜ぶオリンドを見ているだけで幸せで、エウフェリオはそっと抱き寄せて顔を綻ばせる。
「へいへい、俺らしか居ないからってイチャ付きすぎだぞそこの二人。まあ良いけど。見てて面白いから。…おう、カロン、俺俺。今何時?」
「おまえな。端的が過ぎるぞアル」
「おん、俺の腹時計ズレちまって。そうそう。…十六時?…えっ、まだ十六時?」
イドリックは嗜めたが通信機の向こうのカロジェロは察してくれたようだ。
「十六時ですか…ふむ。ではあと二~三時間くらいなら作業できますね」
「そんじゃ、…あー、と、十八時くらいにカロンから連絡入れてもらうか?作業班と飯作る班に分かれねーと」
「そうしましょそうしましょ!それで倒れた棚の下も片付けちゃいましょうよ!」
「そうだな。切り付けたほうがスッキリするだろうし」
「うん。あと、そこの棚の下の、ものすごく魔素も魔力も高い本が気になるし…」
ずどん。
オリンドの言葉が発音され切る前に、爆音の聞こえそうな勢いで倒れていた書架が浮き上がった。
「どれですかリンド!?その魔力の高い本というのは!?」
「へあう!?…あっ、えと、…まっ、待ってて!」
勢いに押されて飛び上がったオリンドは、幾重にも重なった書籍に駆け寄りかけて、しかし躓くようにして急激に立ち止まった。
「ひひゃあ!?なんか居る!…あっ、…ひ、人の骨か」
まさに拾い上げようとした一冊の本に指先を掛ける形で朽ちかけた人骨が散らばっていた。おそらく下敷きになるなりして絶命したのだろう。幸か不幸か覆いのできたことで食い尽くされず残ったと思われた。
「大丈夫ですかリンド!?」
「うん、大丈夫。普通に人の骨だった」
アンデッドでなくて良かったと息を吐いたオリンドは、本を取り上げることを小さく謝罪し、かなり厚めの一冊を拾い上げた。人骨の主が自身の血を吸わせることを避けたのか、周囲の他の本にありありと痕跡の残る中、これは僅かに背表紙の角に黒茶けた染みが残るのみだった。強引に千切られた鎖がぶら下がる表紙には豪華な装飾が施され、見るからに場違いというか棚違いというか、奥に待つエウフェリオをして梃摺りそうな結界を施された書架に収められた物に通ずる装丁をしている。
「なんと…なんと見事な…」
「これ、あっちの棚に仕舞うやつじゃないの?よっぽど慌てて持ち出そうとしたみたいね」
「たぶんそうだと思う。向こうの本と同じくらいの魔力持ってるし…」
「……なんですって?」
「…今なんて言ったかしら?」
「えっ、だから向こうの…、あ、うん。たぶん半分の半分くらい魔導書」
聞き返されているのは言葉ではなく内容だと理解したオリンドは奥の棚、鈍器としても十二分に性能を発揮しそうな分厚い書籍がみっちりと詰まった見上げるばかりの書架四本を示して頷いた。
ウェンシェスランとエウフェリオが膝から崩れ落ち、アレグとイドリックが無表情で両手を挙げる。
「…やべえじゃん。あれの半分の半…、えー…、四分の一、が魔導書?売ったらいくらになんの?…うわ、さすがに俺でも怖えーわ!」
「いや、買い取れねえんじゃねえか?オーリンの地図に大金貨三千枚出すのも難しいつってたんだ。どう考えても買取は拒否の方向だろ。魔導書に関しては俺らの所蔵、ないし、資料価値の高い物同様にギルドに寄贈か国の研究機関に贈呈を提案する」
ざっと見たところ書架の棚には一段に十五冊ほど並んでいる。それが一本につき十二段続いているのだ。百八十冊として計算しても大金貨一万八千枚、公爵の年収でもいいところその半分ほどだろう。とてもではないが冒険者ギルドに出せる額では無い。
「…ふひゃあ!?…そうか、古代のだったら一冊、…ええと、大金貨百枚って言っ…ひゃ、ひゃく!?…ひゃくが、あんなにたくさん…」
ふう。
あまりの価値にオリンドは目を回して倒れかけた。即座にイドリックが受け止めエウフェリオが駆け寄る。
「おいおい、大丈夫かオーリン!?大丈夫じゃ無えな!?よし、フェリに抱き付いとけ!」
「えうう…、ありがとう…こ、腰…腰ぬけた…」
「はい、いらっしゃい。…いやしかし私も足腰がどうにかなりそうですよ。数十冊程度ならあるかもしれないとは考えていましたが…」
「ほんとね…。…えー、でも魔導書よお?寄贈は勿体なくない?」
「とはいえ魔法の種類程度くらいしか読めないのでは…」
誠に遺憾で残念だが宝の持ち腐れにしかならない。臍を噛んだエウフェリオは腕の中のオリンドに癒しを求めて目を落とした。と、そういえば先ほど拾い上げた一冊の魔導書を彼がずっと抱えていたことに気付く。
「すみませんリンド。ずっと抱えさせてしまって。重いでしょう?」
「ううん。大丈夫。…これ、なんの本?」
そんなことよりあの人骨が身を挺してまで庇っただろう本の内容が気になると、オリンドはエウフェリオに表紙を向けた。
「ああ、そうですね。…ふむ…。…む?…記録…、いえ、…記憶の書?」
「へえ?なあにそれ、気になる名前じゃないの」
「どんな魔法ぽいんだ?記憶ってえと、忘れてるもんを思い出したりなんかか?」
俄然興味が湧いたと、価値や今後の扱いのことは一旦棚上げしたウェンシェスランとイドリックは、そそと魔導書を囲むように集まった。遅れてアレグも一応近くに歩み寄る。
「さて、題名だけではいかんとも…。どれどれ」
大概の魔導書は巻頭か巻末の数頁ほどに簡易説明が記されている。これまで発見された数少ない古代の魔導書も例外ではなく、オリンドの膝を借りて表紙を開いたエウフェリオは何頁か捲って読める部分を探した。
「おや、珍しい。内容についての箇条書きがありませんね…。使用魔力は然程でも無いようですが」
「ええ?なにそれ、魔力量だけ書いてあるの?あんまり見たこと無いわね」
「そんなに魔力使わないってんならさ、魔石もたっぷり手に入れたことだし、記憶うんぬんならそんなに危険も無えだろうし、いっぺん発動させてみりゃいいんじゃねーの?」
「ふむ…。それもひとつの手ですか。幸いシェスカも何度か蘇生できるほどの魔石を持ったことですし」
「へっ?」
今すごく怖いこと言わなかったか?
ぎょっとして顔を上げかけたオリンドは危険回避のためあっという間にイドリックに抱え上げられ、次の瞬間にはエウフェリオが魔導書を発動させていた。
「ふぇ、フェリ…っ!」
「…ん。大丈夫そうですよ。特に違和感は…」
無い、と、エウフェリオが言いさした時だった。
『はあい!お待たせ、みんなのサヂェットちゃんだよお!』
どこからかものすごく軽快な声が全員の頭の中に木霊した。
「…ふへっ!?」
「えっ!?なによ、誰!?」
「ってーか、どこから!?」
「おいおい、なんだそりゃあ?」
オリンドを床へ降ろしたイドリックが指差したのは唖然としたエウフェリオ、ではなく、ウェンシェスランの頭上だった。
「ええっ!?…あたし!?」
「あっ!うわあ、…精霊?みたいなのが乗ってる」
見上げたオリンドが目を輝かせる。
彼の言う通り、見目愛らしいストロベリーブロンドの頭頂部には、負けず劣らず愛らしい姿をした手のひらサイズの少年がちょこんと座っていた。
「精霊!?…えっ、あたし、今は呼んで無いわよ?」
『そりゃあ呼んだのはそこの銀髪くんだもの。っていうか他人行儀はヤだな!サっちゃんって呼んでよ!…あー!きみ!苺髪くん!落ち着く!いいねいいね!…にしてもなんなの、そこの僕を呼び出したくんの顔面蒸し風呂直後っぷりは』
「…蒸し風呂直後…とは…?」
放心から立ち直ったエウフェリオは、はて、と自分の顔を撫でて首を傾げ、直後にイドリックが手を打った。
「ああ。整ってる、ってか」
「ぶっは!」
くだらねー。
笑ったアレグの頭にはいつの間にエウフェリオの手元から消えていたのか、記憶の書が減り込んだ。
「いっ…てぇええな!…なんなんだよおまえー!?」
『サっちゃんはサっちゃんさ!記憶の書だよ!』
「…その、貴方はどのような魔導書なのでしょう?」
このままでは埒が開かない。片腕を伸ばしてアレグたちに会話を任せるよう合図を送ったエウフェリオはサヂェットに向き直った。
『あれえ?…知らずに呼んだって?』
「ええ。すみません。先日までこの城の存在も知られておらず、これほどの数の書物が発見されたのもつい今日のことです。研究も進んでいないことから、あやふやではあるのですが、貴方の組まれた時代から、おそらく数百年…あるいは数千年が経過していると思われます。我々には貴方がたの使っていた言語の、簡易的な文面をようやく読めるかどうかという有様でして」
『数百から数千…すっごい大雑把だね!?…ははあ、なるほど、あの文明が滅んじゃうとは驚きだあ。しかも、ほとんどなんにも伝わってないってことか!なるほどなるほど!その上、聞くに僕を呼んだのも偶然ってこと!?すごいね!…なら、僕を呼び出せたのは幸運だったね!』
「…と、言いますと?」
『僕がちょちょいと力を使えば、どんな言語のどんな内容の本でも、誰にもわかるように、なんと言語を持たない生物にもわかるように、記憶させることができるからさ!どうだい、すごいだろう!?』
踏ん反り返るサヂェットに、エウフェリオとウェンシェスランとイドリックとオリンドは揃ってその場に平伏した。
ただ一人、きょとんと立ち尽くすアレグの後頭部に記憶の書がもうひとつたんこぶを作った。
何だここは天国か。
上下階へ繋がる階段から階段まで貫く長く広い通路の両端に、見渡す限り書架と読書台を備えた卓が立ち並び、棚にはみっちりと書籍が、中には鎖で繋がれた重要そうな物までたっぷりと蓄えられている。
何だここは地獄か。
視線を巡らすとすぐさま徘徊する魔物の姿が目に飛び込み、いくつか倒れた書架から溢れる書籍を踏みしだく様が見える。
「…っ!掃討!するわよ!」
「ええ、この狼藉、許してなるものですか!」
がばと立ち上がった二人はオリンドに掘り当ててもらった魔石を手にすると、それぞれ練り上げた魔力に鬼気迫る怒りを乗せて込めた。途端に数倍にも膨れ上がった悍ましいほどの魔力が渦を巻き近くの魔物目掛けて次々と攻撃を繰り出す。
視界の遠い端に上の階と下の階へ続く階段へ竦み上がって殺到する魔物の姿が映ったが、逃げ出すというなら捨て置きウェンシェスランもエウフェリオも練るように歩いて捉えられる限りを蹂躙しにかかった。
「ひ、…ひぅう…っ」
あまりの後ろ姿に逃げ出す魔物よりも竦み上がったオリンドがアレグとイドリックにしがみついて床に座り込んだ。完全に腰が抜けたらしく膝が跳ねるほど震えている。
「よしよし!怖いな!大丈夫だぞ!俺たちが付いてるからな!よーしよし!」
「なに、おまえさんにゃこれっぽっちも届かせやしないさ。安心しな!」
慌てて背や腕を摩り宥めてくれるアレグとイドリックにオリンドは益々しがみついて、ちょっぴり涙を浮かべた。
「…あり、ありがとう…っ!…っひぐ、うっ…ふ、二人ともっ、本にも棚にも、一切傷も血も付けないで魔物倒してるのが、怖いっ!」
「…あー。な。ブッチブチに切れてんのに冷静なのな。心の底からこえーよな」
正直なところ、自分たちには目もくれず逃げ出していく魔物に対して、可哀想にという感情まで抱いている。
「わかる。わかるぞ。俺もちいとばかり腰が抜けそうだ」
うんうん。頷く二人にしっかりと手を握られて、なんとなく落ち着き始めたオリンドはアレグとイドリックもやや蒼褪めていることにようやく気付いた。
「…あ、…やっぱり、二人も怖い、の?」
聞けば静かにがっつりと頷かれて可笑しさが込み上げた。あの勇者と盾使いがこんな引き攣った顔するなんて。と思えば恐ろしさも随分と和らぐ。
オリンドの緊張が緩んだと見てとった二人もゆったりと苦笑気味に微笑んで、そっと息を吐いた。
「っはー。だってなあ、綺麗な顔して笑いながら破壊神みたいなことすんだぞ?怖く無いわけねーじゃん」
「えあ、は、破壊神て…」
「破壊神だろ破壊神。シェスカのやつも普段は回復魔法やら浄化魔法しか使わんが、ああなると精霊魔法のエグいやつオンリーだからな」
「ああ、え…と、精霊に浄化魔法を通した魔素をあげて力を貸してもらうとかなんとか…」
「そうそうそれ!特に水の精に頼んでやる加圧水流切断とかくっそエグいよな。魔王かっての」
「さすがに今日は使わんだろうけどな。あれはエグい」
「あう…あの…」
言い過ぎなのでは、と言いたいらしき身振りでオリンドが両手を振るのにも構わずアレグもイドリックも腕を組んで渋面を作り更に言い募る。過去に余程恐ろしい光景に遭遇したようだ。
「あとあれ、光の精のやつ!不可視…なんとか…って、目に見えねえ光線とやらで焼き切るんだぞ、信じらんねー!焼いて切るってなんだよ!?エグいがすぎるって!」
「あれな!初めて見た時ゃこれこそ悪魔の所業だと思ったもんだ!」
「誰がエグい魔王で悪魔ですって?」
「あ」
がつり。脳天を掴まれたアレグとイドリックはその場に凍りついた。あわあわと両手を踊らせて焦るオリンドにエウフェリオが柔らかく笑いかける。
「せっかくリンドがシェスカの接近を教えようとしてましたのにね。気にしなくて良いんですよ、自業自得です」
先ほどの身振りはそれだったのか。エウフェリオの言葉を前に項垂れるアレグとイドリックだったが既に後の祭りだ。
「えっ、でっ、でもっ」
「そうよお。気にしなくていいのよリンちゃん。…あたしはちょおっとばかり席を外すから、フェリちゃんが階段に結界を張るの手伝ってあげてちょうだい」
「えっ?…あ、うん」
言うが早いかウェンシェスランは二人を引き摺って転送陣に消えた。七十九階層への相互陣だ。何がある階層だっけと記憶を探ったオリンドは玄関広間の二階にある魔物拷問部屋を思い出して飛び上がるように身を震わせた。
「あわっ、あっ、…あうっ」
「っふふふ!まさか、さすがのシェスカでも拷問まではしませんよ」
「わあ、読まれたっ!」
読むもなにも顔に全部出ているのだが、エウフェリオは意味ありげに笑うだけに留めてから階層の両端にある階段を見渡した。
「さて、私たちしか居ないことですし、逃げた魔物が戻る前に結界を張ってしまいましょうか」
「へああっ!?…うわっ!そうか、階段で戻ってこれちゃうんだ!?」
とりあえずこちらからと九十三階層に向かう階段へ歩き出したエウフェリオの後をオリンドは慌てて追いかける。
「ええ。どちらの階段も、急いで防がないと戻ってきてしまいます」
「わあああ!わ、わかった、すぐ手伝っ…えっ、俺、なんの手伝いができるの?」
「そうですね、魔物の動向探知と私の応援をお願いしたいのですけれど」
「うん!…ええと、逃げたやつはだいぶ離れてるからしばらく大丈夫そう。えっと、あとフェリの応援…!…応援?」
「ええ。応援」
「…ぐ、具体的には…」
「私の腰に抱き付いて、フェリ大好きがんばって。と言っていただければ大変がんばれます」
ウェンシェスランがこの場に居たことなら今頃は脳天に聖杖が減り込んでいたことだろう。だが残念なことに居なかったし、エウフェリオとしてもオリンドが照れてくれたら嬉しいという軽い悪戯のつもりだったのだが。
「フェリ、大好き!がんばって!」
一生懸命にオリンドはエウフェリオの腰にしがみつき、大変真面目に応援した。
エウフェリオ自身が三日三晩頑張ったところで解けはしない結界が張られた。
渾身の出来すぎて戻ってきたウェンシェスランが一目見るなり裏を察して大層目を眇めたことはともかく、行きと同じく引き摺られてきたアレグとイドリックの魂が今にも肉体との縁を切りそうだったこともともかく、これで準備は整った。書架に掛けられた古の結界を解き、繋がる鎖を外せば楽しい閲覧の時間である。と、言っても読めるのは題名くらいのものだが。
「…っあー!今読みたい!今読めるようになりたいわ!あたしったらなんで古代語が読めないのこのポンコツ頭ーっ!」
「わかります!何故にもっと古代語に親しんでこなかったのか…!今からでも解読班長に弟子入りしたい!」
ところどころ描かれた挿絵を見るだに内容が気になって堪らず、鞄に放り込む手を止めてエウフェリオとウェンシェスランは何度も頭を抱えた。
いや、実際は閲覧の時間などでもなく詰め込み作業の時間のはずだが、読みたがる二人のために遅々として進まず、今や辺りは書籍の山だ。運んでは積み上げるアレグとイドリックはしかし先ほどの制裁を思い返せばウェンシェスランに口答えするのも憚られ、すごすごとまた別の本棚へ向かっていく。見かねたオリンドは抱えてきた本をエウフェリオの側に置きつつ声をかけてみた。
「…ん、と。フェリもウェンシェスランも、早目に詰めてかないと、崩れたら危ないし本が傷むよ?」
「えっ?…あ。これは大変なことに!」
自分たちが埋まる分にはともかく、確かに崩れては本が無事では済まない、それはいただけない。すわと立ち上がったエウフェリオはまとめて浮遊の魔法をかけるとあっという間に大まかな題名ごとに選り分け鞄の中へ詰め込み始めた。おまえの部屋のあれこれもそのくらい片付けろよとはイドリックの念だ。
「いやあん!もう少し見せて!もう少し見せてー!」
「…もう!だめ!帰ってから!」
みんなで一緒に作業してるのに、ちょっとわがままだぞ。流石に呆れたオリンドがぴしゃりと嗜める。
「…えっ…?…やだ、…叱られた…?」
一瞬呆けたウェンシェスランが頬を両手で緩慢に包み込んだ。
えっ、もしかして言い過ぎた?
ぎょっとしたオリンドが反射的に謝罪の言葉を口にしかけるや、見る間にニヤけたウェンシェスランは隣で屈み込み悔しげな顔をするエウフェリオの背を強かに何度も叩きだす。
「やあん、叱られちゃった!リンちゃんに叱られちゃったわー!?」
「っ、聞こえてましたっ!…叱られたんですから早く作業に戻ってはいかがです!?」
「…へぇっ!?…なん…なんで叱られて喜んでるの…?」
それになんでフェリが悔しそうにするんだ?…意味がわからない。
困り切ってイドリックを見ると彼こそ眉を下げて笑った。
「うん?そりゃおまえ、遠慮してる相手を叱ったりできるか?」
「そ…れは、無理…。…あっ!…ええっ!?」
つまり遠慮が薄くなったことにウェンシェスランは喜び、それにエウフェリオが嫉妬しているのだと気付けばもう、オリンドこそむず痒い思いと想いが怒涛に湧き出てしゃがみ込んだ。
「ふあうあ~…」
瓦解していく表情筋が自分にどんな顔をさせているのかもわからず両手で覆った。その向こうから包み込む笑い声が聞こえてきて益々眉が下がっていく。
「…ふふ。幸せそうでなにより」
そんなオリンドを見てしまってはエウフェリオもこれ以上拗ねていられない。さて、と立ち上がると作業を再開するべく積み残された書籍を浮遊させた。
体感で二時間ほど過ぎた頃、ようやくあらかたの書架が空になり、ひと段落着いたとアレグは腰を伸ばす。
「っはー。とりあえずこんなもんか?…あとは倒れてんのと、奥の棚だけかあ」
同じ作業を繰り返しに繰り返して固まった関節がこきりと軽い音を立てた。
「そうだな。倒れてる棚の方はどうする?今日やっちまうか明日に回すか…」
「そうですね、やってしまいたいのは山々ですが…。今、何時頃かにも寄りますけど」
「っちゃー。何時っても、早目に昼飯食っちゃったからな。俺の胃袋たぶん時間ズレたぞ?」
「えっ、変な時間に食べた時は腹時計ずれるの?」
「おん?そりゃそうだろ食べたんだからさ。ま、寝たらリセットされっから」
「…そ、…そうか…」
確かにそれはそうかもしれないが、となると逆にいつぞや問うた空腹が続いても腹時計のズレない謎が益々深まった気がして首を傾げたオリンドは、誰かの手を肩に乗せられ振り返った。目が合ったウェンシェスランが黙したままゆっくりと首を振る。
いけない。考えてはいけないのだ。迷路に入り込むだけだ。
悟ったオリンドは静かに頷いた。
「てなわけだし、ちょっくらカロンに時間聞くか…」
「おう?こんな階層で通信できるのか?」
「できるようにしてるのよ。調査団の方は人数多いでしょ?階段付近に中継器を設置して回ってるんですって」
「ちゅうけいき?」
はて、知らない単語だ。首を傾げるオリンドにはいつもながらエウフェリオが即座に反応した。
「飛ばしている途中で弱まる通信の波を、増幅させて繋げる物だそうですよ。なんでも壁などの遮蔽物を挟むと、覿面に波が弱まるとか」
「へえ…探査スキルみたい」
「おや。そうですね、似てますね」
なんとなく理解できたと小さなことにも喜ぶオリンドを見ているだけで幸せで、エウフェリオはそっと抱き寄せて顔を綻ばせる。
「へいへい、俺らしか居ないからってイチャ付きすぎだぞそこの二人。まあ良いけど。見てて面白いから。…おう、カロン、俺俺。今何時?」
「おまえな。端的が過ぎるぞアル」
「おん、俺の腹時計ズレちまって。そうそう。…十六時?…えっ、まだ十六時?」
イドリックは嗜めたが通信機の向こうのカロジェロは察してくれたようだ。
「十六時ですか…ふむ。ではあと二~三時間くらいなら作業できますね」
「そんじゃ、…あー、と、十八時くらいにカロンから連絡入れてもらうか?作業班と飯作る班に分かれねーと」
「そうしましょそうしましょ!それで倒れた棚の下も片付けちゃいましょうよ!」
「そうだな。切り付けたほうがスッキリするだろうし」
「うん。あと、そこの棚の下の、ものすごく魔素も魔力も高い本が気になるし…」
ずどん。
オリンドの言葉が発音され切る前に、爆音の聞こえそうな勢いで倒れていた書架が浮き上がった。
「どれですかリンド!?その魔力の高い本というのは!?」
「へあう!?…あっ、えと、…まっ、待ってて!」
勢いに押されて飛び上がったオリンドは、幾重にも重なった書籍に駆け寄りかけて、しかし躓くようにして急激に立ち止まった。
「ひひゃあ!?なんか居る!…あっ、…ひ、人の骨か」
まさに拾い上げようとした一冊の本に指先を掛ける形で朽ちかけた人骨が散らばっていた。おそらく下敷きになるなりして絶命したのだろう。幸か不幸か覆いのできたことで食い尽くされず残ったと思われた。
「大丈夫ですかリンド!?」
「うん、大丈夫。普通に人の骨だった」
アンデッドでなくて良かったと息を吐いたオリンドは、本を取り上げることを小さく謝罪し、かなり厚めの一冊を拾い上げた。人骨の主が自身の血を吸わせることを避けたのか、周囲の他の本にありありと痕跡の残る中、これは僅かに背表紙の角に黒茶けた染みが残るのみだった。強引に千切られた鎖がぶら下がる表紙には豪華な装飾が施され、見るからに場違いというか棚違いというか、奥に待つエウフェリオをして梃摺りそうな結界を施された書架に収められた物に通ずる装丁をしている。
「なんと…なんと見事な…」
「これ、あっちの棚に仕舞うやつじゃないの?よっぽど慌てて持ち出そうとしたみたいね」
「たぶんそうだと思う。向こうの本と同じくらいの魔力持ってるし…」
「……なんですって?」
「…今なんて言ったかしら?」
「えっ、だから向こうの…、あ、うん。たぶん半分の半分くらい魔導書」
聞き返されているのは言葉ではなく内容だと理解したオリンドは奥の棚、鈍器としても十二分に性能を発揮しそうな分厚い書籍がみっちりと詰まった見上げるばかりの書架四本を示して頷いた。
ウェンシェスランとエウフェリオが膝から崩れ落ち、アレグとイドリックが無表情で両手を挙げる。
「…やべえじゃん。あれの半分の半…、えー…、四分の一、が魔導書?売ったらいくらになんの?…うわ、さすがに俺でも怖えーわ!」
「いや、買い取れねえんじゃねえか?オーリンの地図に大金貨三千枚出すのも難しいつってたんだ。どう考えても買取は拒否の方向だろ。魔導書に関しては俺らの所蔵、ないし、資料価値の高い物同様にギルドに寄贈か国の研究機関に贈呈を提案する」
ざっと見たところ書架の棚には一段に十五冊ほど並んでいる。それが一本につき十二段続いているのだ。百八十冊として計算しても大金貨一万八千枚、公爵の年収でもいいところその半分ほどだろう。とてもではないが冒険者ギルドに出せる額では無い。
「…ふひゃあ!?…そうか、古代のだったら一冊、…ええと、大金貨百枚って言っ…ひゃ、ひゃく!?…ひゃくが、あんなにたくさん…」
ふう。
あまりの価値にオリンドは目を回して倒れかけた。即座にイドリックが受け止めエウフェリオが駆け寄る。
「おいおい、大丈夫かオーリン!?大丈夫じゃ無えな!?よし、フェリに抱き付いとけ!」
「えうう…、ありがとう…こ、腰…腰ぬけた…」
「はい、いらっしゃい。…いやしかし私も足腰がどうにかなりそうですよ。数十冊程度ならあるかもしれないとは考えていましたが…」
「ほんとね…。…えー、でも魔導書よお?寄贈は勿体なくない?」
「とはいえ魔法の種類程度くらいしか読めないのでは…」
誠に遺憾で残念だが宝の持ち腐れにしかならない。臍を噛んだエウフェリオは腕の中のオリンドに癒しを求めて目を落とした。と、そういえば先ほど拾い上げた一冊の魔導書を彼がずっと抱えていたことに気付く。
「すみませんリンド。ずっと抱えさせてしまって。重いでしょう?」
「ううん。大丈夫。…これ、なんの本?」
そんなことよりあの人骨が身を挺してまで庇っただろう本の内容が気になると、オリンドはエウフェリオに表紙を向けた。
「ああ、そうですね。…ふむ…。…む?…記録…、いえ、…記憶の書?」
「へえ?なあにそれ、気になる名前じゃないの」
「どんな魔法ぽいんだ?記憶ってえと、忘れてるもんを思い出したりなんかか?」
俄然興味が湧いたと、価値や今後の扱いのことは一旦棚上げしたウェンシェスランとイドリックは、そそと魔導書を囲むように集まった。遅れてアレグも一応近くに歩み寄る。
「さて、題名だけではいかんとも…。どれどれ」
大概の魔導書は巻頭か巻末の数頁ほどに簡易説明が記されている。これまで発見された数少ない古代の魔導書も例外ではなく、オリンドの膝を借りて表紙を開いたエウフェリオは何頁か捲って読める部分を探した。
「おや、珍しい。内容についての箇条書きがありませんね…。使用魔力は然程でも無いようですが」
「ええ?なにそれ、魔力量だけ書いてあるの?あんまり見たこと無いわね」
「そんなに魔力使わないってんならさ、魔石もたっぷり手に入れたことだし、記憶うんぬんならそんなに危険も無えだろうし、いっぺん発動させてみりゃいいんじゃねーの?」
「ふむ…。それもひとつの手ですか。幸いシェスカも何度か蘇生できるほどの魔石を持ったことですし」
「へっ?」
今すごく怖いこと言わなかったか?
ぎょっとして顔を上げかけたオリンドは危険回避のためあっという間にイドリックに抱え上げられ、次の瞬間にはエウフェリオが魔導書を発動させていた。
「ふぇ、フェリ…っ!」
「…ん。大丈夫そうですよ。特に違和感は…」
無い、と、エウフェリオが言いさした時だった。
『はあい!お待たせ、みんなのサヂェットちゃんだよお!』
どこからかものすごく軽快な声が全員の頭の中に木霊した。
「…ふへっ!?」
「えっ!?なによ、誰!?」
「ってーか、どこから!?」
「おいおい、なんだそりゃあ?」
オリンドを床へ降ろしたイドリックが指差したのは唖然としたエウフェリオ、ではなく、ウェンシェスランの頭上だった。
「ええっ!?…あたし!?」
「あっ!うわあ、…精霊?みたいなのが乗ってる」
見上げたオリンドが目を輝かせる。
彼の言う通り、見目愛らしいストロベリーブロンドの頭頂部には、負けず劣らず愛らしい姿をした手のひらサイズの少年がちょこんと座っていた。
「精霊!?…えっ、あたし、今は呼んで無いわよ?」
『そりゃあ呼んだのはそこの銀髪くんだもの。っていうか他人行儀はヤだな!サっちゃんって呼んでよ!…あー!きみ!苺髪くん!落ち着く!いいねいいね!…にしてもなんなの、そこの僕を呼び出したくんの顔面蒸し風呂直後っぷりは』
「…蒸し風呂直後…とは…?」
放心から立ち直ったエウフェリオは、はて、と自分の顔を撫でて首を傾げ、直後にイドリックが手を打った。
「ああ。整ってる、ってか」
「ぶっは!」
くだらねー。
笑ったアレグの頭にはいつの間にエウフェリオの手元から消えていたのか、記憶の書が減り込んだ。
「いっ…てぇええな!…なんなんだよおまえー!?」
『サっちゃんはサっちゃんさ!記憶の書だよ!』
「…その、貴方はどのような魔導書なのでしょう?」
このままでは埒が開かない。片腕を伸ばしてアレグたちに会話を任せるよう合図を送ったエウフェリオはサヂェットに向き直った。
『あれえ?…知らずに呼んだって?』
「ええ。すみません。先日までこの城の存在も知られておらず、これほどの数の書物が発見されたのもつい今日のことです。研究も進んでいないことから、あやふやではあるのですが、貴方の組まれた時代から、おそらく数百年…あるいは数千年が経過していると思われます。我々には貴方がたの使っていた言語の、簡易的な文面をようやく読めるかどうかという有様でして」
『数百から数千…すっごい大雑把だね!?…ははあ、なるほど、あの文明が滅んじゃうとは驚きだあ。しかも、ほとんどなんにも伝わってないってことか!なるほどなるほど!その上、聞くに僕を呼んだのも偶然ってこと!?すごいね!…なら、僕を呼び出せたのは幸運だったね!』
「…と、言いますと?」
『僕がちょちょいと力を使えば、どんな言語のどんな内容の本でも、誰にもわかるように、なんと言語を持たない生物にもわかるように、記憶させることができるからさ!どうだい、すごいだろう!?』
踏ん反り返るサヂェットに、エウフェリオとウェンシェスランとイドリックとオリンドは揃ってその場に平伏した。
ただ一人、きょとんと立ち尽くすアレグの後頭部に記憶の書がもうひとつたんこぶを作った。
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