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第五十六話 百八階層までの怪
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「この地図を描いた時にはどこにも居なかったのに、どこから出てきたんだか…」
「はあ!?…居なかった!?居なかったって、つまり、飛竜は俺が見に行った時には居なかったってことか!?てか、居なかったんならいつから居たんだよ!?どっから出てきたんだ!?」
わけがわからん!とアレグはオリンドに詰め寄った。
「ええっ…、いつだろう?とりあえず、この地図を描いた時には、クラッスラのどの階層にも居なかった、よ。だから、亀裂の奥にある、どこに繋がってるかわからない陣から出てきたんじゃないかなあと思う。けど、魔物がどうやって転送陣を使うんだかもわからないし。他にも不思議な…」
「ま、待て待て待て!…ちょっと待ってくれ!」
魔物が転送陣を使うかもしれないとはどういうことだ。それが本当なら前代未聞にも程がある。頭の中を掻き回す言葉が飛び出してきたことでイドリックは思わず静止をかけた。
「これは、色々と整理を付けながら話し合う必要がありますね…」
思っていたより複雑なダンジョンのようだ。カロジェロからメモ用紙とペンを借りたエウフェリオは今し方聞いたことを箇条書きする。
「てえか、こりゃあ、そもそもおまえらに調査進めてもらっちまって良いものかどうか…」
百階層に飛竜の居ることが判明した今、調査団の面子では実力不足だ。それ以降に送り込むことは断念せざるを得まい。問題は勇者一行が残る階層を安全に進めるかどうかであるが、そもそも調査自体を続行させるべきかどうか、カロジェロは悩み唸った。
「ふむ…。この際ですから、リンドが地図に記した魔物の照合も兼ねて、以降どの階層に何が出るか調べませんか?…その、せっかく絵を描いてもらってはいるのですが…」
エウフェリオとしてはオリンドが地図に描き込んだ魔物の絵は可愛らしいと思っている。複製された地図もほとんど忠実に再現されているから見るたびにほのぼのとしてもいた。一生懸命に描かれた目に入れ続けていたい愛すべき絵だ。
が、しかし。だが、しかしだ。何とか特徴を記そうと苦心している様も伺える本当に抱きしめたくなる絵ではあるのだ。あるのだが。
いかんせん、どの魔物であるかの判断は付けられなかった。
これまで判明してきた魔物の数々も、コカトリスは鳥…?の、ようであったし、黒緋狼は犬…?の、ようであったし、白擢老狐も犬…?の、ようであったし、瘴霧蛇は蛇のようであった。八十九階層に描かれていた猪の頭らしき被り物をした人間のような絵など、何者だろうと考え続けていた脳が古代種オークを視界に捉えた瞬間に答えを得た快感で至極活性化し、清涼感を覚えたほどだ。
「あうっ…、やっぱり、俺の絵じゃわかんない?」
そりゃそうかあ。薄々わかってはいたけれど。照れ臭そうにオリンドは頭を掻いた。
「なんてこと言うのフェリちゃん!リンちゃんが一生懸命描いた絵なんでしょ!?かわいそうに…!」
明らかに面白がってウェンシェスランが茶々を入れてくる。
「黙らっしゃい。…すみませんリンド。私が至らないばかりに…」
などと言いつつ少々笑いそうになりながら抱き込でくるのだから、エウフェリオも状況を楽しんでいる。が、抱っこされるのは嬉しいとオリンドは大人しく腕に収まった。
「おいこら、混ぜっ返すなおまえら」
戯れはそこまでだ。というかここでいちゃつくなとばかりカロジェロは静止を入れ、次いでバツの悪そうにオリンドを見た。
「…いやしかし、俺も口にしちゃあいなかったが、調査の依頼ん中にゃ、まあその、魔物の把握も頼みてえってのも含まれてる。せっかくおまえが知らない魔物も報せようと描いてくれたのに悪いが、どれが何だかわからなくてな」
「そうかあ。…そうだよなあ。俺、もうちょっと、上手く描けるように練習する」
「先ほどの飛竜はとても上手に描けていましたよ」
「え、へへ。うん。ありがとう」
でもあれはなぞり描きみたいなものだからなあ。ほりほりと首の後ろを掻いたオリンドは、褒められて照れつつも密かに絵の練習を決意した。
「ふふ。…さて、ではクラッスラの話に戻るとして。百階層に飛竜となると、やはり九十九階層以前も照合するべきと考えるのですが。場合によっては明日からの調査団が危険です」
これまでの階層は調査団のほうもわりと楽に進んだと聞いている。休止明け初回からまさか油断もすまいが、しかし楽観視しているようなら足元をすくわれるやもしれない。伺うエウフェリオに、彼らの命には換えられないと一人残らず頷き賛同の意を示した。
「ありがとうございます。では、決まりですね」
方針が定まればあとは時間も惜しい。オリンドの魔力残量が残り二割を切っていることを踏まえ、エウフェリオは鞄から魔力回復の魔石を取り出す。
「そうしましたら、リンドはまず魔力を補填しましょう。魔力酔いするといけませんから、少しずつ吸収してくださいね」
ドルステニア森で魔力切れを起こした時には、意識を失った状態で魔素を吸収したがる本能を止めようも無かったが、本来は時間をかけて充填するのが望ましい。エウフェリオは説明を交えてオリンドの手に乗せた。
「わかった。少しずつ…」
でも、魔力酔いってどんな感じなんだろう?
二人との勉強会で濃い魔素に晒され続けると起こすことも、酷いと気絶に陥ることも知りはしたものの、実際のところオリンドはこれまで魔力酔いを味わったことが無かった。その状態に興味をそそられてもいる。が、今は試すときでは無いと、言われた通りゆっくり呼吸をするように吸い取った。手の中で氷がおっとりと溶けるようにして魔石は砂塵と化す。
「わわっ、…砂になった…」
「魔素を全て失うとこうして土に還るんですよ。…さて、四割ほどまで回復しましたか。体調はいかがですか?」
「んん…と。…特に変わり無し」
自然に差し出されたエウフェリオの鞄の口にそっと砂を入れつつオリンドは自分の腹の辺りを見た。視界の端っこでカロジェロが鞄を目にものすごい顔をしたような気がしたが、次の瞬間にはそれどころでは無いと思い出したように地図をテーブルに広げていた。
「…九十から百八階層までの分だ。取り急ぎ明日明後日の分を頼む」
「ええ。ですが、その前にカロン、魔物図鑑など所蔵されていませんか?」
飛竜は一体だけ調べるという前提であったからこそ描いてもらったが、何体も調べるのに全て描き出してもらうというのはそれこそ魔力と時間の無駄だ。
「おお!そりゃそうか、描き出してもらうより、見比べてもらえば早えな。…あー、いや、しかし図鑑…図鑑か…」
「図録ではいかがですかマスター」
す。と、影から現れたティツィアーナが、いつの間にどこから取り出してきていたのか分厚い綴本をカロジェロに差し出した。近頃かなり隠遁に磨きがかかってきている。
「うおう!?…っ、おお。…なんだっけか、こりゃ」
こいつそのうち暗殺業で食えるようになっちまうんじゃないだろうか。
彼女の性格を考えればあり得ない話だが技術からすればあり得る恐ろしい想像を身震いひとつ振り払い、カロジェロは渡された綴本に目を走らせた。どの頁にも魔物の詳細な図と説明書きが載っている。それもそのはずだ。これは冒険者ギルドに寄せられた目撃情報や退治捕獲情報を元に編集された、依頼書作成用の原本図録なのだから。
「…ああ!なるほど魔物図録か!さすがだなティーナ、助かるぜ!…暗いうちはもうちょい存在感を持ってもらえると心臓も助かるんだがな…」
「は。善処します」
言ってティツィアーナは再び闇に溶け込むように執務机の後ろで気配を消して控えた。
善処とは断りの文言だっただろうか。
カロジェロは苦笑するとソファに移動して図録の綴じ紐を解きオリンドの前に広げた。
「うっし、オリンド。全部に頁番号が振ってあるから構やしねえ、見覚えのあるやつはどんどん取り出してくれ。上位のやつらはこの辺りから載ってるはずだが…」
「ありがとう。ええと…」
両手の平を腹の布地に擦り付けたオリンドは、ウェンシェスランから対魔素防壁に魔素酔い防止に精神強化の補助を受け、夢中になりすぎないよう自分に言い聞かせてからクラッスラに魔力を飛ばした。そうして探すまでもなく向こうから掛かってくるほどの魔力を持った魔物の姿を図録と見比べ、地図の隣に該当する魔物の絵を次々と置いていく。
「んんっ、と。…九十と九十一階層、は、これで全部。見落としは無い、と、思うけど…っ」
幸いと言うべきか、相変わらず歯牙にもかけられなかったが、やはり強大な魔物を次々と舐めるように詳細に擦り抜ける感覚は、一体ずつ察知するより底冷えのする時間だった。気を抜くと歯の根が合わなくなりそうでぎゅっと両腕を抱きしめる。
「ありがとうなオーリン!はよフェリに癒してもらえ!」
「うんっ!…うん。…ふへぁ」
アレグに言われるままエウフェリオに抱き付くと、暖かな腕が迎え入れて抱きしめ返してくれる。心底から解れる心地にゆるゆると息を吐いた。
「お疲れ様です。あまり無理はしないでくださいね」
「うん、ありがとう。でも、最初の頃よりは怖くなくなってきた」
「おや。それは頼もしい」
腕の中で小さく身震いしながらも大丈夫と言うオリンドに胸打たれ、エウフェリオは抱き込み直すと頬を寄せかけた。が、図録に目を通していたアレグが唐突に大声を上げたことで断念を余儀なくされる。
「うおおっ!マジか、地荒竜出るんじゃん!」
「えええっ!?これ、竜なの!?」
並べ置いた図録には瘴霧蛇に負けず劣らず恐ろしげな蛇が描かれていた。特徴的な張りのある頭部をしているが、何より目を引くのは額の真ん中にある大きな第三の目だ。
「いやいや、竜じゃねーよ。単に名前に付いてるだけで、ちゃんと蛇」
竜と聞いて驚くオリンドにアレグは笑いかけ、大丈夫大丈夫と宥めた。
「へ…蛇は蛇なのか…」
竜じゃ無いのか良かった。
「おう。見ての通り三つ目の蛇。んで、その三個目の目がさ、コカトリスより厄介な石化をかけてくるんだこれが」
「ひゃぅあ!?」
良く無かった。
オリンドはぞっと背筋を震わせる。コカトリスの石化毒については見知ったばかりだ。使用されたケネデッタの悶絶は火に炙られたようだった。あれよりも厄介な石化とはいったいどのようなものなのか。
「っかあ、地荒竜か…。いや、あいつらなら大丈夫だろうが…。念のため対策取るように…や、しかしこの時間じゃもう繋がらねえか…くそ…」
どうにもかなり厄介だということはカロジェロの反応で知れた。口ぶりからすると調査団で対処できそうではあるが、下手を打てばどうなるかというところか。
俺が言いそびれたせいだ。もっと早く言わなけりゃいけなかった。オリンドの喉がきゅうと悲鳴を上げかける。
「やあだ、フィロちゃんたちもムズちゃんたちも居るんだもの!いけるでしょ!…でも、念の為の対策ってなら、あたしが同行してもいいわよ!」
泣かせてたまるものか。抱き込んでいてオリンドの表情が見えないエウフェリオに代わり、察したウェンシェスランは怒涛の挙手で提案した。
「はあ!?シェスカずりぃ!…ちが、俺も手伝う!」
なしなし。今の前半無し。
真面目な顔を作って失言を否定するため片手をぶんぶんと振るアレグに、場を苦笑と失笑が席巻する。思わずオリンドの緊張も緩む中、とりわけ呆れた苦笑いを溢したのはカロジェロだ。
「おまえ…思い切り本音叫んどいて、よくも取り繕おうとできるな。らしいっつうかなんつうか…。まあいい。そんなら悪いがおまえらには補助を頼む。手伝いの報酬は何か考えとく。が、アルてめえ、おまえの分は無しだぞ。同行許すのが駄賃と思っとけ」
とかなんとか言いながらきっちり何か用意してくるのが彼だとわかっているアレグは、楽しそうに、へーい、とだけ返した。
「じゃあ、決まりね。あたしとアルちゃんは先に帰らせてもらうけど、他は何が出るのかしら…。ええと…、あら、目玉は地荒竜だわねこれは」
ざっと並べられた魔物を頭に叩き込んだウェンシェスランは二度ほど頷くと手早く荷物をまとめて立ち上がる。
「なんだ。そんなら俺とシェスカで地荒竜やって、後はあいつらに任せる?」
「これこれアル。メインは彼らでしょうが。というか大物が居ないのなら貴方が行かない選択…」
「んーな選択肢は、今更無い!」
「…ええ。知ってましたけど。聞いた私が馬鹿でした。では、二人とも戻ったら明日に備えて早目に寝てくださいね。シェスカは忘れずにベルにキメラの核煮を出してもらってください」
「…!?…やーっ!そうだったわ!?昨日煮込み上がってるはずよね!?やだ、楽しみぃ!!」
「ふひゃあ!か、核の煮付け…!」
核煮と聞いたウェンシェスランとオリンドは即座にグリフォン核の味を思い出し、口中にどっと唾液を湧き上がらせた。帰ったらあれが、いや、あれとはまた別の類稀な美味が味わえるのだと恍惚の表情を浮かべる。
「ああん、遠慮なくお先に頂いちゃうわあ。…あ、と。明日はあんたたちが寝てる間に出るんだわね。じゃ、行ってくるわ!あとよろしくね!」
「ちぇーっ。俺もすげえ魔力量持ってたらよかったのに。そんじゃあ、また明後日な!」
心なしうきうきとした様子で執務室を出ていく二人を見送り、エウフェリオはオリンドを振り返った。
「…と、いうわけで、核煮が待つとはいえ補填したとはいえ、残りの照会はあまり無理の無いようにお願いしますね。それと恐怖を感じたらすぐに切り上げてください」
「うあ、うん、はやく食べた…ちがうちがう。もう、魔力飛ばしたら入れ食いみたいな感じで引っかかるくらい、向こうの魔力強いから消費は大丈夫。怖いのは、うん、すぐ逃げるようにする」
美食に思いを馳せる表情から一点、少々青ざめるオリンドに、代わってあげられるものならとエウフェリオはゆっくりとその背を撫でた。
さて、そうして出来上がったのが照合結果の図録を元にエウフェリオが新たに魔物を描き添えた九十から百八階層までの地図である。きちんとどの魔物か判別も付く可愛らしい絵に、腰も砕けんばかりにして見入るオリンドには後で別紙に描き出すことを約束して引いてもらったことはそれこそさておき、問題は巣食う魔物の凶悪さだ。
「…アルを先に戻らせたのは幸いでしたねこれは…」
「ああ。こんなもん見たら全部倒すまで戻らなくなっちまうぞ、あいつ」
じっとりと地図を眺めてエウフェリオとイドリックは強かな頭痛にこめかみを揉む。
この先、九十四階層までは確かに事前の準備を怠らなければAランクのパーティのみでも対処できそうだが、次の階層から九十九階層までが曲者だった。どの階もアレグをして少々梃摺りそうな魔物が闊歩している。現時点で明日明後日の調査を最後に調査団の解体は確定だ。
「そうなの?…わりと素直に帰還してる気がするけど…。聞かなくなるのか?」
これまでの調査ではここまでと言えば素直に戻っていたアレグだ。が、確かに何かの切っ掛けがあれば多少の暴走はしていたかとオリンドは思い返した。
「これまではなあ…。言っちゃなんだが魔物も大したこと無かったからな」
「たい…したこと、あった気がする、けど」
「ふふ。リックとアルには物足りないでしょうね。…しかし、足りるどころか手間取りそうな相手となればもう、アルはこれですよ、これ」
これ。と言いながらエウフェリオは顔の横に手の平を立てて何度か前後に動かした。視野の狭まる手振りだ。なるほど。やにわに竜退治の話を思い出したオリンドはしみじみ頷く。
「そうかあ。じゃあ、二日行って二日休みじゃなく、篭りっぱなしになることもある?」
「ははは。…やべえな、あるかもしれん…」
「いやいや、待て待ておまえら。頼むぞ、梃子でも動かなくともアルのやつ引き摺り倒して引き返してくれ。つうか、そもそも調査を進めるかどうかって話だっただろう。いいか?命に関わるぐれえなら調査は二の次にしろ。元より俺が頼んでるのは地図の裏付けだ。便宜上、百八階層まで調べてくれと言いはしたが、これだけオリンドの探査能力が証明されてんだ、未確認の魔物が居ようが未調査の階層があろうが、現時点で文句無く売り出せるんだからな?」
何を言っていやがると諫めるカロジェロに三人とも肩を竦めたものの、しかしイドリックが少々困り顔で頭を掻く。
「ああ。そりゃ、俺たちも命は惜しいし、マジでまずいなら引き返すさ。…が、カロンもわかってんだろ?今この段階で売り出しちまえば、この先の階層もAランクが徒党を組みゃ攻略できる、なんて認識が広まっちまう。百階層を抜けりゃ最深部まで行けるぞ、ってな。特に、グラプトベリアの流儀もオーリンの探査だ何だの事情も知らねえ、他所から流れてきた連中が、目も当てられねえ無茶するだろうよ」
言ってイドリックは地図を指し示した。
「…わかってらあ。言葉の綾だ」
彼の指摘した通りだ。カロジェロは額に拳を当て唸る。
何故なら、どういう訳だか飛竜を除けば百階層以降の魔物の脅威度が下がるからだ。
なにか環境に問題でもあるのか、単に魔物の好む魔素が薄いのか、はたまた油断を誘う仕掛けなのか。確かにこの謎を放置したまま世に地図を出したなら、攻略できるかもしれないと最深部を目指す者が後を絶たないだろう。
その上、だ。更にその最深の百八階層に至っては、あの日オリンドの神経という神経を凍り付かせた怪物が、ギルドの図録にも無かったその姿が、すっかり消えているという。これは何かあると考えざるを得なかった。
それに販売を委託する形を取る以上、もし地図に無い重大案件が発生した場合に槍玉に上げられるのは冒険者ギルドだけではない。皮肉なことに探査スキルが裏打ちされたことで批難の後押しもしてしまうことだろう。
当然のことながらギルドは命第一を掲げる一方で自己責任も自業自得も謳っているし、大多数の冒険者はこれを胸に刻んでいる。しかしながら聞かない者や理解しない者が確実に一定数存在する限り、性急な判断は憚られた。
「くそ。…なんなんだクラッスラってなあ。…飯の種にしといて、なんだもクソも無えけどな。…くああ、どのみちギリギリのところまで行ってもらわにゃならんのか…!」
「そう悲観したものでも無いと思いますよ。もしかするとその辺りも書庫で解決するかもしれませんし」
「…!おお!そうか、そこがあったな!」
光明を得たとばかり、がばと身を起こすカロジェロにエウフェリオは鞄を軽く叩いてみせた。
「なるべく関連のありそうな書籍は全て持ち帰るようにしますね」
「そうしてくれ!…おん?…なら、百から向こうは解読が終わるまで保留、ってことになんのか?」
解読されれば謎が解けるかもしれない。となれば、むざむざ待たずに潜るのは間が抜けているというものだろう。
「…ああ。…そう…ですね。有意義な資料があればの話ですが。…ふむ。場合によっては九十代の階層で保留にもなり得ますか。やれやれ、またアルの説得に骨が折れそうです…」
エウフェリオが額に手を当て困ったように笑うと、何やら悪戯っ子じみた雰囲気でイドリックが片手を振った。
「いや?ひょっとすると、案外素直に聞くかもしれんぞ。おまえとオーリンが今度こそ初デートする、って言えば、な」
「っびゃあああ!!」
いつの話を蒸し返してるんだ!
オリンドはローテーブルに身を乗り上げてまで、ソファに伏せったエウフェリオに代わりイドリックの太腿をべちべちと叩いた。
「はあ!?…居なかった!?居なかったって、つまり、飛竜は俺が見に行った時には居なかったってことか!?てか、居なかったんならいつから居たんだよ!?どっから出てきたんだ!?」
わけがわからん!とアレグはオリンドに詰め寄った。
「ええっ…、いつだろう?とりあえず、この地図を描いた時には、クラッスラのどの階層にも居なかった、よ。だから、亀裂の奥にある、どこに繋がってるかわからない陣から出てきたんじゃないかなあと思う。けど、魔物がどうやって転送陣を使うんだかもわからないし。他にも不思議な…」
「ま、待て待て待て!…ちょっと待ってくれ!」
魔物が転送陣を使うかもしれないとはどういうことだ。それが本当なら前代未聞にも程がある。頭の中を掻き回す言葉が飛び出してきたことでイドリックは思わず静止をかけた。
「これは、色々と整理を付けながら話し合う必要がありますね…」
思っていたより複雑なダンジョンのようだ。カロジェロからメモ用紙とペンを借りたエウフェリオは今し方聞いたことを箇条書きする。
「てえか、こりゃあ、そもそもおまえらに調査進めてもらっちまって良いものかどうか…」
百階層に飛竜の居ることが判明した今、調査団の面子では実力不足だ。それ以降に送り込むことは断念せざるを得まい。問題は勇者一行が残る階層を安全に進めるかどうかであるが、そもそも調査自体を続行させるべきかどうか、カロジェロは悩み唸った。
「ふむ…。この際ですから、リンドが地図に記した魔物の照合も兼ねて、以降どの階層に何が出るか調べませんか?…その、せっかく絵を描いてもらってはいるのですが…」
エウフェリオとしてはオリンドが地図に描き込んだ魔物の絵は可愛らしいと思っている。複製された地図もほとんど忠実に再現されているから見るたびにほのぼのとしてもいた。一生懸命に描かれた目に入れ続けていたい愛すべき絵だ。
が、しかし。だが、しかしだ。何とか特徴を記そうと苦心している様も伺える本当に抱きしめたくなる絵ではあるのだ。あるのだが。
いかんせん、どの魔物であるかの判断は付けられなかった。
これまで判明してきた魔物の数々も、コカトリスは鳥…?の、ようであったし、黒緋狼は犬…?の、ようであったし、白擢老狐も犬…?の、ようであったし、瘴霧蛇は蛇のようであった。八十九階層に描かれていた猪の頭らしき被り物をした人間のような絵など、何者だろうと考え続けていた脳が古代種オークを視界に捉えた瞬間に答えを得た快感で至極活性化し、清涼感を覚えたほどだ。
「あうっ…、やっぱり、俺の絵じゃわかんない?」
そりゃそうかあ。薄々わかってはいたけれど。照れ臭そうにオリンドは頭を掻いた。
「なんてこと言うのフェリちゃん!リンちゃんが一生懸命描いた絵なんでしょ!?かわいそうに…!」
明らかに面白がってウェンシェスランが茶々を入れてくる。
「黙らっしゃい。…すみませんリンド。私が至らないばかりに…」
などと言いつつ少々笑いそうになりながら抱き込でくるのだから、エウフェリオも状況を楽しんでいる。が、抱っこされるのは嬉しいとオリンドは大人しく腕に収まった。
「おいこら、混ぜっ返すなおまえら」
戯れはそこまでだ。というかここでいちゃつくなとばかりカロジェロは静止を入れ、次いでバツの悪そうにオリンドを見た。
「…いやしかし、俺も口にしちゃあいなかったが、調査の依頼ん中にゃ、まあその、魔物の把握も頼みてえってのも含まれてる。せっかくおまえが知らない魔物も報せようと描いてくれたのに悪いが、どれが何だかわからなくてな」
「そうかあ。…そうだよなあ。俺、もうちょっと、上手く描けるように練習する」
「先ほどの飛竜はとても上手に描けていましたよ」
「え、へへ。うん。ありがとう」
でもあれはなぞり描きみたいなものだからなあ。ほりほりと首の後ろを掻いたオリンドは、褒められて照れつつも密かに絵の練習を決意した。
「ふふ。…さて、ではクラッスラの話に戻るとして。百階層に飛竜となると、やはり九十九階層以前も照合するべきと考えるのですが。場合によっては明日からの調査団が危険です」
これまでの階層は調査団のほうもわりと楽に進んだと聞いている。休止明け初回からまさか油断もすまいが、しかし楽観視しているようなら足元をすくわれるやもしれない。伺うエウフェリオに、彼らの命には換えられないと一人残らず頷き賛同の意を示した。
「ありがとうございます。では、決まりですね」
方針が定まればあとは時間も惜しい。オリンドの魔力残量が残り二割を切っていることを踏まえ、エウフェリオは鞄から魔力回復の魔石を取り出す。
「そうしましたら、リンドはまず魔力を補填しましょう。魔力酔いするといけませんから、少しずつ吸収してくださいね」
ドルステニア森で魔力切れを起こした時には、意識を失った状態で魔素を吸収したがる本能を止めようも無かったが、本来は時間をかけて充填するのが望ましい。エウフェリオは説明を交えてオリンドの手に乗せた。
「わかった。少しずつ…」
でも、魔力酔いってどんな感じなんだろう?
二人との勉強会で濃い魔素に晒され続けると起こすことも、酷いと気絶に陥ることも知りはしたものの、実際のところオリンドはこれまで魔力酔いを味わったことが無かった。その状態に興味をそそられてもいる。が、今は試すときでは無いと、言われた通りゆっくり呼吸をするように吸い取った。手の中で氷がおっとりと溶けるようにして魔石は砂塵と化す。
「わわっ、…砂になった…」
「魔素を全て失うとこうして土に還るんですよ。…さて、四割ほどまで回復しましたか。体調はいかがですか?」
「んん…と。…特に変わり無し」
自然に差し出されたエウフェリオの鞄の口にそっと砂を入れつつオリンドは自分の腹の辺りを見た。視界の端っこでカロジェロが鞄を目にものすごい顔をしたような気がしたが、次の瞬間にはそれどころでは無いと思い出したように地図をテーブルに広げていた。
「…九十から百八階層までの分だ。取り急ぎ明日明後日の分を頼む」
「ええ。ですが、その前にカロン、魔物図鑑など所蔵されていませんか?」
飛竜は一体だけ調べるという前提であったからこそ描いてもらったが、何体も調べるのに全て描き出してもらうというのはそれこそ魔力と時間の無駄だ。
「おお!そりゃそうか、描き出してもらうより、見比べてもらえば早えな。…あー、いや、しかし図鑑…図鑑か…」
「図録ではいかがですかマスター」
す。と、影から現れたティツィアーナが、いつの間にどこから取り出してきていたのか分厚い綴本をカロジェロに差し出した。近頃かなり隠遁に磨きがかかってきている。
「うおう!?…っ、おお。…なんだっけか、こりゃ」
こいつそのうち暗殺業で食えるようになっちまうんじゃないだろうか。
彼女の性格を考えればあり得ない話だが技術からすればあり得る恐ろしい想像を身震いひとつ振り払い、カロジェロは渡された綴本に目を走らせた。どの頁にも魔物の詳細な図と説明書きが載っている。それもそのはずだ。これは冒険者ギルドに寄せられた目撃情報や退治捕獲情報を元に編集された、依頼書作成用の原本図録なのだから。
「…ああ!なるほど魔物図録か!さすがだなティーナ、助かるぜ!…暗いうちはもうちょい存在感を持ってもらえると心臓も助かるんだがな…」
「は。善処します」
言ってティツィアーナは再び闇に溶け込むように執務机の後ろで気配を消して控えた。
善処とは断りの文言だっただろうか。
カロジェロは苦笑するとソファに移動して図録の綴じ紐を解きオリンドの前に広げた。
「うっし、オリンド。全部に頁番号が振ってあるから構やしねえ、見覚えのあるやつはどんどん取り出してくれ。上位のやつらはこの辺りから載ってるはずだが…」
「ありがとう。ええと…」
両手の平を腹の布地に擦り付けたオリンドは、ウェンシェスランから対魔素防壁に魔素酔い防止に精神強化の補助を受け、夢中になりすぎないよう自分に言い聞かせてからクラッスラに魔力を飛ばした。そうして探すまでもなく向こうから掛かってくるほどの魔力を持った魔物の姿を図録と見比べ、地図の隣に該当する魔物の絵を次々と置いていく。
「んんっ、と。…九十と九十一階層、は、これで全部。見落としは無い、と、思うけど…っ」
幸いと言うべきか、相変わらず歯牙にもかけられなかったが、やはり強大な魔物を次々と舐めるように詳細に擦り抜ける感覚は、一体ずつ察知するより底冷えのする時間だった。気を抜くと歯の根が合わなくなりそうでぎゅっと両腕を抱きしめる。
「ありがとうなオーリン!はよフェリに癒してもらえ!」
「うんっ!…うん。…ふへぁ」
アレグに言われるままエウフェリオに抱き付くと、暖かな腕が迎え入れて抱きしめ返してくれる。心底から解れる心地にゆるゆると息を吐いた。
「お疲れ様です。あまり無理はしないでくださいね」
「うん、ありがとう。でも、最初の頃よりは怖くなくなってきた」
「おや。それは頼もしい」
腕の中で小さく身震いしながらも大丈夫と言うオリンドに胸打たれ、エウフェリオは抱き込み直すと頬を寄せかけた。が、図録に目を通していたアレグが唐突に大声を上げたことで断念を余儀なくされる。
「うおおっ!マジか、地荒竜出るんじゃん!」
「えええっ!?これ、竜なの!?」
並べ置いた図録には瘴霧蛇に負けず劣らず恐ろしげな蛇が描かれていた。特徴的な張りのある頭部をしているが、何より目を引くのは額の真ん中にある大きな第三の目だ。
「いやいや、竜じゃねーよ。単に名前に付いてるだけで、ちゃんと蛇」
竜と聞いて驚くオリンドにアレグは笑いかけ、大丈夫大丈夫と宥めた。
「へ…蛇は蛇なのか…」
竜じゃ無いのか良かった。
「おう。見ての通り三つ目の蛇。んで、その三個目の目がさ、コカトリスより厄介な石化をかけてくるんだこれが」
「ひゃぅあ!?」
良く無かった。
オリンドはぞっと背筋を震わせる。コカトリスの石化毒については見知ったばかりだ。使用されたケネデッタの悶絶は火に炙られたようだった。あれよりも厄介な石化とはいったいどのようなものなのか。
「っかあ、地荒竜か…。いや、あいつらなら大丈夫だろうが…。念のため対策取るように…や、しかしこの時間じゃもう繋がらねえか…くそ…」
どうにもかなり厄介だということはカロジェロの反応で知れた。口ぶりからすると調査団で対処できそうではあるが、下手を打てばどうなるかというところか。
俺が言いそびれたせいだ。もっと早く言わなけりゃいけなかった。オリンドの喉がきゅうと悲鳴を上げかける。
「やあだ、フィロちゃんたちもムズちゃんたちも居るんだもの!いけるでしょ!…でも、念の為の対策ってなら、あたしが同行してもいいわよ!」
泣かせてたまるものか。抱き込んでいてオリンドの表情が見えないエウフェリオに代わり、察したウェンシェスランは怒涛の挙手で提案した。
「はあ!?シェスカずりぃ!…ちが、俺も手伝う!」
なしなし。今の前半無し。
真面目な顔を作って失言を否定するため片手をぶんぶんと振るアレグに、場を苦笑と失笑が席巻する。思わずオリンドの緊張も緩む中、とりわけ呆れた苦笑いを溢したのはカロジェロだ。
「おまえ…思い切り本音叫んどいて、よくも取り繕おうとできるな。らしいっつうかなんつうか…。まあいい。そんなら悪いがおまえらには補助を頼む。手伝いの報酬は何か考えとく。が、アルてめえ、おまえの分は無しだぞ。同行許すのが駄賃と思っとけ」
とかなんとか言いながらきっちり何か用意してくるのが彼だとわかっているアレグは、楽しそうに、へーい、とだけ返した。
「じゃあ、決まりね。あたしとアルちゃんは先に帰らせてもらうけど、他は何が出るのかしら…。ええと…、あら、目玉は地荒竜だわねこれは」
ざっと並べられた魔物を頭に叩き込んだウェンシェスランは二度ほど頷くと手早く荷物をまとめて立ち上がる。
「なんだ。そんなら俺とシェスカで地荒竜やって、後はあいつらに任せる?」
「これこれアル。メインは彼らでしょうが。というか大物が居ないのなら貴方が行かない選択…」
「んーな選択肢は、今更無い!」
「…ええ。知ってましたけど。聞いた私が馬鹿でした。では、二人とも戻ったら明日に備えて早目に寝てくださいね。シェスカは忘れずにベルにキメラの核煮を出してもらってください」
「…!?…やーっ!そうだったわ!?昨日煮込み上がってるはずよね!?やだ、楽しみぃ!!」
「ふひゃあ!か、核の煮付け…!」
核煮と聞いたウェンシェスランとオリンドは即座にグリフォン核の味を思い出し、口中にどっと唾液を湧き上がらせた。帰ったらあれが、いや、あれとはまた別の類稀な美味が味わえるのだと恍惚の表情を浮かべる。
「ああん、遠慮なくお先に頂いちゃうわあ。…あ、と。明日はあんたたちが寝てる間に出るんだわね。じゃ、行ってくるわ!あとよろしくね!」
「ちぇーっ。俺もすげえ魔力量持ってたらよかったのに。そんじゃあ、また明後日な!」
心なしうきうきとした様子で執務室を出ていく二人を見送り、エウフェリオはオリンドを振り返った。
「…と、いうわけで、核煮が待つとはいえ補填したとはいえ、残りの照会はあまり無理の無いようにお願いしますね。それと恐怖を感じたらすぐに切り上げてください」
「うあ、うん、はやく食べた…ちがうちがう。もう、魔力飛ばしたら入れ食いみたいな感じで引っかかるくらい、向こうの魔力強いから消費は大丈夫。怖いのは、うん、すぐ逃げるようにする」
美食に思いを馳せる表情から一点、少々青ざめるオリンドに、代わってあげられるものならとエウフェリオはゆっくりとその背を撫でた。
さて、そうして出来上がったのが照合結果の図録を元にエウフェリオが新たに魔物を描き添えた九十から百八階層までの地図である。きちんとどの魔物か判別も付く可愛らしい絵に、腰も砕けんばかりにして見入るオリンドには後で別紙に描き出すことを約束して引いてもらったことはそれこそさておき、問題は巣食う魔物の凶悪さだ。
「…アルを先に戻らせたのは幸いでしたねこれは…」
「ああ。こんなもん見たら全部倒すまで戻らなくなっちまうぞ、あいつ」
じっとりと地図を眺めてエウフェリオとイドリックは強かな頭痛にこめかみを揉む。
この先、九十四階層までは確かに事前の準備を怠らなければAランクのパーティのみでも対処できそうだが、次の階層から九十九階層までが曲者だった。どの階もアレグをして少々梃摺りそうな魔物が闊歩している。現時点で明日明後日の調査を最後に調査団の解体は確定だ。
「そうなの?…わりと素直に帰還してる気がするけど…。聞かなくなるのか?」
これまでの調査ではここまでと言えば素直に戻っていたアレグだ。が、確かに何かの切っ掛けがあれば多少の暴走はしていたかとオリンドは思い返した。
「これまではなあ…。言っちゃなんだが魔物も大したこと無かったからな」
「たい…したこと、あった気がする、けど」
「ふふ。リックとアルには物足りないでしょうね。…しかし、足りるどころか手間取りそうな相手となればもう、アルはこれですよ、これ」
これ。と言いながらエウフェリオは顔の横に手の平を立てて何度か前後に動かした。視野の狭まる手振りだ。なるほど。やにわに竜退治の話を思い出したオリンドはしみじみ頷く。
「そうかあ。じゃあ、二日行って二日休みじゃなく、篭りっぱなしになることもある?」
「ははは。…やべえな、あるかもしれん…」
「いやいや、待て待ておまえら。頼むぞ、梃子でも動かなくともアルのやつ引き摺り倒して引き返してくれ。つうか、そもそも調査を進めるかどうかって話だっただろう。いいか?命に関わるぐれえなら調査は二の次にしろ。元より俺が頼んでるのは地図の裏付けだ。便宜上、百八階層まで調べてくれと言いはしたが、これだけオリンドの探査能力が証明されてんだ、未確認の魔物が居ようが未調査の階層があろうが、現時点で文句無く売り出せるんだからな?」
何を言っていやがると諫めるカロジェロに三人とも肩を竦めたものの、しかしイドリックが少々困り顔で頭を掻く。
「ああ。そりゃ、俺たちも命は惜しいし、マジでまずいなら引き返すさ。…が、カロンもわかってんだろ?今この段階で売り出しちまえば、この先の階層もAランクが徒党を組みゃ攻略できる、なんて認識が広まっちまう。百階層を抜けりゃ最深部まで行けるぞ、ってな。特に、グラプトベリアの流儀もオーリンの探査だ何だの事情も知らねえ、他所から流れてきた連中が、目も当てられねえ無茶するだろうよ」
言ってイドリックは地図を指し示した。
「…わかってらあ。言葉の綾だ」
彼の指摘した通りだ。カロジェロは額に拳を当て唸る。
何故なら、どういう訳だか飛竜を除けば百階層以降の魔物の脅威度が下がるからだ。
なにか環境に問題でもあるのか、単に魔物の好む魔素が薄いのか、はたまた油断を誘う仕掛けなのか。確かにこの謎を放置したまま世に地図を出したなら、攻略できるかもしれないと最深部を目指す者が後を絶たないだろう。
その上、だ。更にその最深の百八階層に至っては、あの日オリンドの神経という神経を凍り付かせた怪物が、ギルドの図録にも無かったその姿が、すっかり消えているという。これは何かあると考えざるを得なかった。
それに販売を委託する形を取る以上、もし地図に無い重大案件が発生した場合に槍玉に上げられるのは冒険者ギルドだけではない。皮肉なことに探査スキルが裏打ちされたことで批難の後押しもしてしまうことだろう。
当然のことながらギルドは命第一を掲げる一方で自己責任も自業自得も謳っているし、大多数の冒険者はこれを胸に刻んでいる。しかしながら聞かない者や理解しない者が確実に一定数存在する限り、性急な判断は憚られた。
「くそ。…なんなんだクラッスラってなあ。…飯の種にしといて、なんだもクソも無えけどな。…くああ、どのみちギリギリのところまで行ってもらわにゃならんのか…!」
「そう悲観したものでも無いと思いますよ。もしかするとその辺りも書庫で解決するかもしれませんし」
「…!おお!そうか、そこがあったな!」
光明を得たとばかり、がばと身を起こすカロジェロにエウフェリオは鞄を軽く叩いてみせた。
「なるべく関連のありそうな書籍は全て持ち帰るようにしますね」
「そうしてくれ!…おん?…なら、百から向こうは解読が終わるまで保留、ってことになんのか?」
解読されれば謎が解けるかもしれない。となれば、むざむざ待たずに潜るのは間が抜けているというものだろう。
「…ああ。…そう…ですね。有意義な資料があればの話ですが。…ふむ。場合によっては九十代の階層で保留にもなり得ますか。やれやれ、またアルの説得に骨が折れそうです…」
エウフェリオが額に手を当て困ったように笑うと、何やら悪戯っ子じみた雰囲気でイドリックが片手を振った。
「いや?ひょっとすると、案外素直に聞くかもしれんぞ。おまえとオーリンが今度こそ初デートする、って言えば、な」
「っびゃあああ!!」
いつの話を蒸し返してるんだ!
オリンドはローテーブルに身を乗り上げてまで、ソファに伏せったエウフェリオに代わりイドリックの太腿をべちべちと叩いた。
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