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第四十九話 新しい思い出

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 白の巨星と甲冑師の訪問から一日を置いた日の昼下がり、防御職なのだから最上の防具を使うべしとケスネ本人から強く推奨され、盾も鎧も新調することにしたイドリックはかなり浮いた気分で加工注文をした強化魔石を受け取ってきた。
 結界の前に辿り着くと鼻歌も軽快に懐から冒険者タグを取り出す。エウフェリオが側に居ない時の開閉方だ。翳された冒険者タグを感知魔法の陣が読み取り結界に人一人ほど通れる穴を開ける。
 その穴が閉じ始める前に軽い調子のステップで潜り抜け、同じく鎧を新調するアレグと買ったばかりで勿体無いから強化したいというオリンド、それに防具は初めてだからと軽い装備を希望したエウフェリオやウェンシェスランを交えて話に花を咲かせたいと歩調を早めていた。
 が、しかしふと背後から聞こえてきた慌ただしい蹄と車輪の音に立ち止まる。
 この走りようは迅速馬車か。それにしたって随分と急がせたもんだ。
 今の所そんなに焦って訪問してくる者と言えば心当たりはひとつしか無い。
 おそらく例のブルローネとかいう者が駆けつけたのだろう。気分を急速に下降させたイドリックは顔を見るなりどやしつけてやるつもりで振り返った。
 その視線の先で結界から少し離れたところに馬車を止めた客人は、もんどり打って飛び出すと階段を踏み外して顔から地面に突っ込んだ。拍子に背に担いだ荷物も吹き飛んでいる。
「…おっ…」
 そこですでにいくらか毒気を抜かれたイドリックは無自覚に観察の構えに入った。男は鼻の頭を押さえてベソをかきつつ慌てて荷物を回収し担ぎ直してから御者に運賃を渡すと、急ぎ拠点の家屋に向かって走り出しかけた。が、くすねるには多過ぎる間違い方をしたのか首根っこを掴んで引き戻された弾みで背中から地面に倒れ込んだ。担いだ皮袋の中身はおそらく鶴嘴だろう、その上に落ちたことで声も無く背に手を回して悶え転がる。
「…おいおい」
 あれは相当に背骨が痛いやつだ。
 腹にむず痒いものを感じながらなおも見ていると、悪いと謝る御者から釣りを渡された男は何度も謝り返す。そうして事が済み馬車が戻っていくのを見届けた後に何事か決意した様子で急激に踵を返し、あまりにも急ぎすぎて自らの足を絡めて空を舞った。
 見事に腹から地に落ちる。
「…っふっ…!」
 笑っちゃいけない。こちとら開口一発怒鳴ってやるつもりで、ああ、いやもう、そんな気は失せているが。奴はオーリンを騙したクソ野郎だぞ。
 奥歯を噛んで堪えるイドリックだったが、しかしこちらに気付いたらしく鬼気迫る顔でがばと起き上がり、突き抜ける勢いで駆けてきて結界に阻まれひしゃげた蛙じみた姿で「ぐぇっ!」と声を上げるに至って吹き出した。
「ふぶーっ!っはっはっはっは!…待て待て、俺らが開けねえと入れねえよ」
 見えない結界をあわあわと探る彼に、とうとう牙も抜かれたイドリックはタグを翳して開けてやると、付いてこいと一声掛けて居間へ案内した。
「っ、す、すみませんでしたぁあ!…っ俺が!俺が強欲で怠惰で考え無しで浅はかなばかりにオリンドさんには多大なる心労をおかけしてこの度は…!いえ、ディオスコレアでは誠に申し訳ありませんでした!申し開きのしようも無く…!」
 ブルローネという男は想像していたより随分と憎めない人物だった。
 ケスネの飛ばした伝書鳥で一昨日の夕刻には知らせを受け取り、迅速馬車を何台も頼んで乗り継ぎ夜を徹して駆け付けたという彼は、イドリックの召集で集まってきた面々の中にオリンドの姿を見付けた瞬間、床板に跪き懺悔のような姿勢で大音量かつ口早に謝罪した。
 丸めたとは聞いていたが本当に産毛の一本すら見当たらず、ところどころ剃刀負けした痛ましい頭に向けて伸ばした手でおろおろと空を掻き、オリンドはなんとか叱る言葉を探した。
「いやっ!えっと!…その!…うっ、あの、…も、もう悪いことしちゃダメ!だよっ!」
「…子供かよ」
 もうちょっと何かこう、他に無いのか。大いに苦笑しつつアレグがオリンドの背を軽く叩く。
「だっ、…だって。地図、褒めてもらったし、買ってもらえた、から」
 自分にとっては嬉しい記憶なのだと返せば、聞き付けたブルローネは大粒の涙を零してその場にくずおれた。
「っ、俺は!…俺はっ!…こんな気の優しい人に、なんてことを…!」
「おおぉ俺、俺こそ!最後、うまく笑えてなかっ、なかったみたいで!ごめんなさい!あれ、き、気にしないで!って!いうつもり、だったのにっ!」
「おいおい、おまえさんの方が謝ってどうする」
 転売なんざ冒険者の風上にも置けないことをした相手だぞ。と、しかしブルローネのあまりの嘆きように気持ちも多少わからんではなくイドリックも苦笑しつつオリンドの肩を叩いた。
「…だって…」
 そんなことを言われても気にして無いものに叱る言葉を探すのは難しい。口篭ったオリンドはそそとエウフェリオの側に寄る。
「っふふふ。リンちゃんに叱れっていうほうが無理よねえ」
 エウフェリオの背に半ば隠れ掛けたオリンドの背をウェンシェスランは困ったように笑って撫でた。短い間に手に取るようにブルローネの人の良さが伝わってきて、なるほど地図を見せるに至るわけだと頷く。きっと二人は馬が合ったに違いなかった。しかしながらケスネの言の通り、この性格では魔が差したことを咎められないほうが堪えよう。それも良い薬だ。と、あえて口添えせずにおく。
「ううっ…!す、すみません。…すみませんでした…!」
 果たしてブルローネは益々縮こまって祈るようにオリンドに謝罪を繰り返した。
「…っ、う、…ぅうう…」
 もうどうしていいかわからず、オリンドも泣きそうになりながらエウフェリオを見上げて助けを求める。
「んん…。仕方ないですね。…貴方、ブルローネと仰いましたか。許すも何もリンドには被害を被った気が無いのですから、これ以上追い詰めないでやってください。…それよりもその荷物、リンドに持って来られたのでは?」
 オリンドの頭を撫でながら嘆息したエウフェリオは、話を切り替えるべく皮袋を指差した。
「…あっ!そ、そう。そうです。こちら、師匠からオリンドさんへと言付かった鶴嘴です」
 思い出したとばかり皮袋の紐を解いたブルローネは、巻き付けた油紙を丁寧に取り払う。
 現れた見事な意匠の鶴嘴に誰もが感嘆のため息を溢した。
 スフマカンの落ち着いた銀の肌に光の加減で浮かび上がる淡い玉虫色がなんとも美しい、柄と頭部が一体型のバチ鶴嘴だ。持ち手部分こそ握りの邪魔にならないよう簡素な作りになっているが、そこから先の柄にも嘴の上にも鍬の腹にも緩やかに施された蔦模様がドリアド石特有の緑色に染められ目に爽やかだ。
「本当に、申し訳ありませんでした。多大なる温情に感謝します」
 重ねて謝罪し礼の言葉と共に恭しく差し出された芸術品と言って差し支えない鶴嘴を、オリンドはおろおろと受け取った。
「…うわわ!?持ちやすい!」
 柄を握り込んだ瞬間、手の平に吸い付くような感触に目を丸める。ジョーゴ・ガナニックの剣に通ずる心地だ。
 次いで程よい重量と正確な重心に感動する。
 これは確実に振り上げ振り下ろしがしやすく、思う通りに真芯で岩を捉えてくれることだろう。それに片側が鍬状なのもありがたい。今使っている両鶴では少々困っていた薬草の根茎採取に重宝しそうだ。
「うわ。すご…すごい。なんていうか、全部ちょうどいい」
 高揚に頬を染めて窓の外を見やりそわそわとし始めるオリンドに、自分こそ心躍らせて見ていたアレグが楽しそうに笑う。
「あっはっは!すぐ試してみたいんだろ?…裏庭なら良いんじゃないかな」
 どうだろう、と見渡すとエウフェリオたちからもやはり楽しそうな頷きが返ってきて、アレグはさっそくオリンドの腕を引き廊下へ飛び出した。
「よっし、行くぞオーリン!井戸のそばに小さい岩があったろ!あれ叩いてみよう!」
「い、いいの?」
「おう!いいぞ!」
 片腕を突き上げて請け合うアレグに、オリンドも破顔して足を早めた。裏庭へ続くドアを開け放ち、一目散に井戸へ向かうと目的の岩の前に仁王立ちする。
 小さいとはいえ、ひと抱えはある岩だ。そこらの鶴嘴なら十発二十発打って割れるかどうかというところか。
「どう?手頃じゃねえ?」
「うんっ、ちょうどいいと思う!」
 わらわらと全員が見物に集まる中、オリンドは鶴嘴を構えて一度深呼吸をすると、狙いが定まったと同時に短く息を吐いてひと息に振り下ろした。
 たすんっ!
 およそ岩の立てたとは思えない音が上がる。
「…っわ、うわぁあ!?なにこれ!?なにこれすご…!」
 岩に埋まった先端を軽々と抜き上げたオリンドが首を振り振り叫んだ。
 見れば岩には穴が開き、さらによくよく見詰めればそこを中心にして薄く罅が入っていた。
「…えっ…、うそ?…割れた?もしかして、割れたの?」
 あまりにも呆気ない光景に頭がついて来ず、ウェンシェスランは近寄ってしげしげと罅を眺める。
「うん。割れた。…ほら」
 くっついたままでは見た目でわからないと気付いたオリンドは、鶴嘴の刃先を穴に差し込み直して軽くこじった。すると岩は罅を境にして指の長さほど地中に埋まっていた部分も露わに転がり綺麗な断面を見せた。
「っえぇええ!?割れてる!ほんとに割れてるわ!?なにこれすっごい!スフマカンで鶴嘴とか贅沢ぅ!って、ちょっと思っちゃってたけど、これは!素敵ね!」
「いやはや…お見事です。ここまで仕上がっていると強化魔法要らずですね。いかようにして作り上げたものか…。見たところ継ぎ目は無いようですが、全てスフマカンというわけでは無いでしょうし」
「えっ。全部スフマカンじゃ無いの?」
 てっきり丸ごとスフマカンだと思っていた。と、オリンドは手の中の鶴嘴をしげしげと眺める。
「ええ、スフマカンだけでは打撃に必要な重さが俄然不足するはず…、と。…ふふ、すでに見てますね」
 説明し掛けたエウフェリオだったが、好奇心に駆られすでに探査スキルを発動していることは一目瞭然で、邪魔にならないよう切り上げた。
「んんと…、柄の部分はスフマカンで…、頭は中の方が合金…うわっ!?合金を包んでるんじゃなくて外側に行くにつれてスフマカンが多くなる作りだ…!」
 一方、周囲が静かにならずとも最早ほとんど耳に入らないほど見入ったオリンドは、探査を深めるにつれ目を丸くしていく。強度や硬度などを部分的に変えるために別の金属を包む方法なら聞いたことがあるが、手の中の芸術品はどのような技を使ったものか、中心から外に向けて合金の比率がスフマカンに傾いていき、外側は完全にスフマカンのみになるという意味が不明も不明の作りをしていた。
「っえええ!?しかも錫喰狼しゃくろう鋼との合金!?ぅえっ!?スフマカンと喧嘩するんじゃなかったっけ?…ぁっ?え、ぅうわぁあ!?竜骨砂!?竜骨砂をつなぎにしてる…!な、なにそれ、…なにそれ!?」
「なにそれ俺がわかんない!!」
 見れば見るほど慌てふためくオリンドと傍で聞いていて泡を吹きそうな顔色になっていくブルローネに、何も理解できないと痺れを切らしたアレグが口を出した。
「錫喰狼というと白金より重く鋼より硬い金属でしたか。結構な希少金属だったはず。竜骨砂はその名の通り竜の化石から採れる砂です。安定した魔素が様々な物質を強固に包んで定着させるので、例えば木屑と砂でも融合させ固定することができるとか…。しかし、なんと豪気な」
 少々青ざめて言うエウフェリオにイドリックは片手で口元を覆い、喉を鳴らした。
「…おまえがそんな顔するってこたあ、豪気も豪気なんだろうな?」
 して、いかほどか。言外に込めて聞くと額に手を当てた彼は緩く首を振った。
「技術も含めれば見当も付きません。材料だけで大金貨五十枚程度になるのでは…」
「五十っ…馬鹿じゃないの!?そこらの道具でも売値は材料費の五倍十倍行くでしょうが、ケスネ作なんてったらそんなもんじゃ済まないでしょ!?豪邸が建っちゃうじゃないの…!」
「マジか…。あの爺さん何考えてそんなもん作ったんだ」
「逃避です」
 とうとう爺さん呼びを始めたイドリックに理解しかないと頷きブルローネは遠くを見る目でぽつりと溢した。
「…は?」
「現実逃避の手慰みです。…あんまり嫌な仕事が続いたもんで、抱えの採掘師に贈るとかなんとか…。…しかし…、うぁあ…錫喰狼との合金なんざ、神技もいいとこっすわ…」
 たかだか数ヶ月の駆け出し採掘人でも聞き齧った知識でそれとわかる至高の技だ。気分転換に粋を極めるとは何事。ブルローネは頭を抱えた。
「…ジジィ…。えっ?そんじゃ行き先決まってたんじゃねえの?なんでオーリンに?」
 ジジィ呼びはさておきアレグの疑問も尤もだ。隣でオリンドが真っ青になって鶴嘴を返却しそうな素振りを見せるものだから、ブルローネは慌てて両手を振る。
「いやそれが!引退が決まったもんで!だいぶ前にスフマカンゴーレムを採掘したんですが、そん時に骨折しちまって、治り次第復帰する予定が予後が悪かったからと…」
「ええっ!?あの採掘師さん!?…辞めちゃうの!?」
「知ってましたか!」
「あ。ううん。話に聞いた、だけ。ディオスコレアの鉱山じゃ、英雄みたいな、扱いだった、から」
「ああー。そういや、あそこで短期労働してるって言ってましたか。…旅費の工面…、するって…。なのに、オリンドさんが厳しい生活、だってこと、知ってたのに、俺は…っ」
「そ、そこはいいからっ!もういいからっ!おかげでなんか、すごく、すごい縁に恵まれたし…!て、いうか、理由はわかった、けど、…こ、これ、本当に、も、もら、もらっ…、畏れ多いぃい…!」
 屈指の甲冑師と呼ばれる人が技術の粋を集めて作った家一軒分を超えるかもしれない価格の、いや、一振り試した上に構造まで見た今、そんな値段では済まないことが十二分に理解できたオリンドは、多方面から恐ろしい価値を持つこの鶴嘴を受け取ることに言いしれぬ不安を感じて背筋を震わせた。
「いえ!これは!もらってください!ジジ…っ、師匠の遊びの産物と言っては何ですが、防具でも無い余興の品じゃ売るに売れず、持ち腐れてたんですよ!使ってもらえると道具も冥利に尽きるかと!それに、お礼なんです!あの地図には俺も師匠も本当に助けてもらったんで!オリンドさんのおかげであの閉鎖しかかってたダンジョンも今や師匠の採掘場…ゲッフゴフン!」
 最後の言葉はあまり漏らしてはならない事だったらしい。というかブルローネまでもジジィと言いかけたか。と、オリンドを除く誰もが心中で大いに修正していたケスネの人となりに傍若無人の札を重ねて貼り付けた。
「う、あ、…ぅう…。わ、わかっ、た…。あ、ありがとう!」
 ともあれ、押し切られる形でオリンドは頷き、大事そうに鶴嘴を抱え直す。
「こちらこそ、ありがとうございます!…っ、また、何かあったら遠慮なく言ってください。できるかぎり力になりますんで!」
「う、うん。…うん。ありがとう…」
 なにか一区切りついたような顔で言うブルローネに、思ってもみない再会だったけれど何だか嬉しく感じたし、地図のことで随分と悩ませたようだけれど互いに息災で良かったともオリンドは感じた。
 そうだ、こんな風に良かったと思えるのも、生きていてこそだし、もしも自分が死んでいたなら、彼はこうして区切りを付けることなくずるずると後悔し続けたかもしれなかった。そんなことにならずに済んで良かった。
「…ありがとう…!」
 晴れやかな気分になったオリンドがもう一度礼を口にすると、ブルローネも照れたような顔で憑き物の落ちたように笑った。
 こうして二人の苦味を含んだ思い出は、新たに清々しさへと塗り替えられ生まれ変わった。
 そのすぐ後に開かれたささやかな茶会で、何事かエウフェリオと耳打ちしあってしばし席を外したオリンドが土産だと丸めた紙を手に戻ってきた。なんぞ書いてあるのかとその場で広げたブルローネが、件のダンジョンのどこに何が埋まっているのか網羅された地図であったことと、ここから見て描いたという事実に許容範囲を超える衝撃を受けてひっくり返ったのもまた良い思い出である。
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