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第三十九話 偽計

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 エケベリアの廃教会は町を囲む防壁の入り口から反対側の奥に位置する区画にあった。
 辺りを見渡せば、元より生活に困窮していたであろうと窺われる造りの家々が朽ちて瓦礫になりかけている。
 到着してすぐ急行した正門の門番がこちらを認識するや勇者と叫びそうになったところを隠遁魔法で覆ったエウフェリオが、カロジェロに持たされた秘蔵の酒を土産に色々と聞き出したところによると、この廃教会のある地区に住んでいた者たちは統廃合により隣の地区で増築中の教会に保護収容されたらしい。なるほど確かに人っこひとり居ない。隠れ潜むにはうってつけというわけだ。
 念の為に全員がエウフェリオに隠遁魔法をかけてもらってから廃墟と化した貧民街を検めて回った。
「いやしかし、渡りに船だな。今夜はこの辺りの巡回が無いんだって?」
 邪魔が入らないということは、それだけで落ち着いて事を運べるというものだ。神妙な顔付きでイドリックは何度か頷いた。
「なんでも、上等の酒で酒宴を開くから衛兵さんは来られないんですってよ」
 羨ましいわね、そんな良い酒を手に入れただなんて。顎先に指の脇を当てたウェンシェスランは門の方角を眺める。
「酒の力は偉大といったところですか。そういうわけですから黒金のみなさん。安心して思う存分彼女を欺いてきてください。下手を打っても我々が後詰めを務めていますのでご心配なく」
 妖艶さを秘めた涼やかな、およそこの世のものとは思えないエウフェリオの笑みに絡め取られたネレオたちは、生唾を飲み込んでお互いを見た。
「…酒の力…?」
 な訳無ぇよな。いや、わかってる。渡りに船とか何だとか言ってるが、全ては勇者の称号があってこその結果だ。寒さを凌ぐためにも拘留者用の首輪を隠すためにも着けた襟巻きを口元まで引き上げ直しつつ、ネレオは門前での出来事を思い返す。今夜の立ち回りの相談に入った折に差し入れだと称して渡した酒は、確かに衛兵たちの目の色を変えてはいたが、会話の潤滑剤以上でも以下でも無かった。
 改めて自分たちがどれほど相手を見誤って喧嘩を吹っかけたかを思い知る。
「…てか、それより、どっちなんだ?ちゃんと騙した方がいいのか、この人らに手柄譲った方がいいのか…」
 なんだか暴れたそうな印象も受ける。とパオロが小声で持ちかけると、テクラは呆れたような顔をした。
「馬鹿。完全に騙くらかすの。あの女が、してやった。って一角獣の角みたいに高くした鼻、ちょん切ってやんのが目的だわ」
「…そうか。…つまりあいつ、竜の子だったんだな」
 はるか昔、とある都の領主が竜の子を攫ったがために都市ごと親竜に滅ぼされたという古事を持ち出したパオロは、ほんのりと脂汗の滲む顔を片手で額から顎先まで拭い、エウフェリオと何事か話しているオリンドを盗み見た。グラプトベリア冒険者ギルドの執務室で自分達が受けた仕置きも相当のものだったが、これからケネデッタに施される仕打ちも相当のもので、それもこれもあの探査スキル持ちが引き金なのだ。
「なにを今更言ってんの。ほんと随分と可愛がられてるみたいね。有能だし、だいぶ素直みたいだし…ま、ちょっとオドオドしすぎて、わたしなんかじゃ苛っとしちゃうけど」
「まあなあ。ありゃ、相当おっとりしたやつか余裕のある人間でなきゃ受け止めきれんかもな」
 故郷の気質を思えば随分と生きにくかったことだろう。謂れのない嫌がらせなんぞも受けたかも…と、考えたネレオは漠然と気付いた。それでグラプトベリアに流れ付き、彼らに拾われたのかもしれない。
 そういえば勇者たちと話すオリンドは視線を合わせることこそ少ないが、吃ることも少なくしゃんと背を伸ばし、身振り手振りもしっかりしている。
 そしてそうと気付けばオリンドを相手に話す勇者たちも、時折り得も言われぬ微笑みを溢すことがある。あれは慈愛の表情だ。
「…ああ。竜の子、ってより…」
 自分の…、いやいやいや、待て待て待て。子じゃねえ。おっさんだぞ。…家族か。家族みたいに思って接してんだな、そういうことだ。
 頭の端に湧き上がりかけた「可愛い子」と言う単語を努めて無視したネレオは、思考を切り替えるべく与えられたコカトリスの毒針に意識を向けた。両手にはめられた革手袋の、右手に装備したそれは中指の腹を押し付けると中に仕込まれた針が相手に刺さる単純な仕掛けが施されている。それだけに接触は不可避だが、ほんの少しでも刺さればいい。なにしろうっかりと肌に触れるだけでも石化の始まってしまう猛毒だ。以前に一度だけ石化したことがあるという冒険者パーティから聞いた話によれば、まず毒に中てられた肌が引きつれて痛み、次いで周辺の筋肉が引き絞られるような強烈な痛みの走った後に、全身を針で刺し貫かれたかの鋭利な痛みが襲う。そこからが地獄だとそのパーティの一人は言った。患部から焼けるとも凍るともつかない、いっそ切り落としたくなる激痛がじわじわと広がり、見る間に石化していくのだそうだ。だが、痛みは止まない。そのうち脳や関節や内臓が全て心の臓になったと錯覚する鈍痛が早鐘を打つ脈拍に合わせ刻々と増して、砲音まがいの鼓動じみた頭痛に引き摺り出された吐き気に呼吸もままならないほど吐いて吐いて、それでも治らない苦悶に耐えかね視界が真っ黒になり、そうして白目を剥き泡を吹いて気を失った後にようやく足や手の指先まで石化し終わるのだという。
 …なんだって?一角獣の角みたいに?高くした鼻を?ちょん切る?そんなもんじゃ無えだろ、冒険者でも無い事務職員にこの仕打ち。
「…やっぱ我が子くらいか」
 いや、自分で言っててなんだそりゃ。って思うが。思いはするが。なんなんだ、あのおっさん。勇者一行にこれだけ猫可愛がりされるなんざ、どういう立ち位置なんだ。
 ひとり呟いた言葉はテクラにもパオロにも聞き取られず、ひっそりと廃墟の隙間に消えた。
 その後、ケネデッタを丸め込めなかった場合の立ち回りを実際の地理を前に確認し合ったアレグたちと黒金の遊撃隊は、教会が日課の終わりを告げる二十一時の鐘を待った。初冬とはいえ夜ともなれば凍てつく寒さだ。懐温具の魔石を入れ替えて温め直し全員で寄り添い寒風を凌ぐうち、何となくの雑談にも花が咲く。
「…確かに戦闘力至上主義だったよな。テクラも苦労したクチだ」
「あの扱いでしょ?わたしはもう登録する前にブチ切れて、別のギルドに駆け込んだの。結局似たり寄ったりだったけど随分マシだった。…あー、でも治癒が使えるってんで手の平返された時は、机の上の書類全部ぶち撒けてやったわ」
「へぅあ。か、苛烈…」
 懐かしい故郷の話を少しだけしていると、必然的に及んだ軽い身の上話にネレオもテクラもあのギルドはなあ、と、渋い顔をした。
「昔はそこまでじゃ無かったらしいんだけどよ、今の代…あんたが登録する五、六年くらい前か、その頃から酷くなったんだと」
 まあ、災難だったよな。と、パオロも眉を寄せ肩をすくめた。
「そ、そう、だったんだ。…俺、なんにも知ら、知らなかった…」
 知っていてもバティスタたちとパーティを組むならば、カランコエで登録せざるを得なかったが。
 それでも何かが少しは変わったのかなと考えて、でもやはり今があるのは過去のおかげなのだからエウフェリオに出会えたのはカランコエ冒険者ギルドのおかげだとオリンドは結論付けた。
「けど、そうか…。あそこが生まれ変わるかも知れねえのか。そりゃ、あんたには酷え災難だったが、あんたのおかげで後続は救われるってもんだ」
 しみじみとパオロは鼻を撫で呟く。生まれ育った領土の冒険者ギルドが解体されるかも知れないという事実は物悲しいが、未来ある若者の芽があたら摘まれなくて済むようになることは喜ばしい。
 折よく祝福するように教会の鐘が鳴り響いた。
 月の照らす青い夜に厳かな音色が溶けていくのをしばし聞き入った面々は、それから十数分ほどをほとんど無言で過ごした。
「…っし、そろそろ行くか」
 手回り品やオリンドの偽のタグを再度確認したネレオは軽く全身の関節を屈伸させる。
「うまいこと騙せると良いけどな」
 顔を揉みほぐし表情を作りながらパオロは懸念を口にした。
「何言ってんの。冒険は『何とかなる』の精神よ」
 一等下卑た顔を作ってテクラが首の関節を折れるかと思うほど鳴らし、廃墟を見据える。
 こんな出会いでなければ友達になれたのかなと、後ろ髪を引かれる思いのオリンドと、そしてアレグたちの見守る中、三人は廃教会へ向かっていった。
 辺りを伺うようにしながら、多少無造作に正面玄関の扉をネレオは開いた。開閉されなくなって久しい扉の蝶番が悲鳴のように軋んだ音を立てる。
 廃れた教会とはいえ元は地区の中心だったのだろう、周囲の民家よりは立派な構えの屋根や壁は崩れも穴も無く、窓から差し込む月の光の他に灯りは無い。見渡す限り暗闇が広がるばかりの室内へ、ネレオは誰何の声をかけた。
「来たぞ。…おい。…居ねえのか?」
 ほんの少しの間を置いて声をかけてみたところ、僅かに暗闇の奥で気配がしたような気がした。
「マジかよ。二十一時過ぎって話、してたよな?まさかあの女、二、三秒のことを言ってたんじゃあるめえな」
 相手の警戒を解くべくパオロがせっかちめいた軽口で機嫌の良さも演出する。
「馬鹿言ってんじゃないよ。あんたじゃあるまいし、そんな早漏野郎が他に居るもんかい」
 更に油断を誘おうと下品な言葉をテクラが放ったところで祭壇の右奥から大きな物音が起こった。裏手に続く出入り口の戸枠から外れ床に転がる扉を強く踏み付けたようだ。そのまま苛立ちの具合を表した乱暴な足音が近付いてくる。
「品の無い冗談はやめてって言ってるでしょ!?」
 窓から差し込む月明かりの届く位置まで来た人物は開口一番に金切り声を上げた。廃墟に十日も潜伏しているとは思えないほど身綺麗な姿でケネデッタはきつく眉を顰める。
「はん。お下品にも程がある汚れ仕事回しといて、何言ってんの」
「ああ、そうだった。いかにもでお似合いだから回したんだったわ」
「なんだって!?もっぺん言ってみな!」
「おい、よさないか。喧嘩しに来たんじゃ無いだろ。あんたも煽らないでくれないか?」
 仲裁に入ったネレオは、この女これでよくも冒険者ギルドの職員になんざ就いてるなと呆れつつ、腰の革巾着の口を開けた。途端にほんのりと鉄の臭いが広がる。取り出されたのは月の明かりでも血とわかる染みがいくつも付いた衣服の切れ端で、広げれば例の血だらけのタグが顔を出した。それを取り上げ、ケネデッタに投げ寄越そうとして思い止まる。
「…あー、証拠のタグなんだが。なんか別の物に包み直したほうがいいか?」
「っ、そ、そうね。…いいわ。ここに乗せてちょうだい」
 オリンドの偽タグを見た瞬間に鼠の死骸でも見るような顔付きになったケネデッタは、腰のポーチからハンカチを取り出して広げた。その上にネレオがタグを乗せると、決して直には触れないように気を付けながら刻まれた名前やランクを潰すギルド刻印をつぶさに検分する。
 じっくりが過ぎるほどタグを検めたケネデッタは、やがてひとつ瞬きをすると満足そうに鼻から短く息を吐き口角を上げた。
 つい先ほど、黒金の遊撃隊が訪ねてくるまで見詰めていた照会帳簿のオリンドの欄にはついぞ帰還時間が記入されなかった。タグに刻まれた名前には専用の彫金具でなければ彫り出せない意匠が施されており、ランクの文字を潰す刻印も冒険者ギルド共通のものだ。
 帳簿とタグ、二つの証拠が揃ったことでケネデッタはまんまと信じ込まされた。
「間違いなく本物のようね」
「あったり前でしょ。どんだけ苦労したと思ってんのよ」
 すかさずテクラは勝ち誇ったように胸を張ってみせる。
「そんなの知ったことじゃないわ」
 すると予想通り上から見下ろす物言いが返ってきた。どうにも最初からその嫌いはあったが、ここにきていよいよこちらを馬鹿にし始めているらしい。
「ちょっ…、あんたねえ!?こちとら命懸けでそいつをオーガキングの縄張りに追い込んだの!いつ勇者らにバレるか知れない状態でよ!?しかもタグは回収しなきゃなんないし、それがどういうことだか、わかんないっての!?」
 こういう手合いは相手を見下すほど思考が硬直するはず。癇癪を起こしたふりでテクラは口角泡を飛ばした。
「聞こえなかった?理解できない、じゃないの。知ったことじゃない。って言ったの」
「このっ…!」
「そこまでだ、テクラ。気持ちはわかるが、こいつは取引相手なんだ。弁えろ」
 噛みつきそうに歯を剥き出し掴み掛かろうとまでしたテクラを押し留め、ネレオはゆるく首を振る。
「っぁあ~。けど実際、もうちょいで死ぬとこだったじゃねえかよ。報酬上乗せしてもらいてえくらいだ」
 盛大に溜め息を吐き出して文句を垂れたパオロに、ケネデッタはきつい眼差しを向けた。
「いい加減にしなさいよ!?依頼の遂行にどんな苦労したってそっちの勝手じゃないの!提示した金額で受けたんでしょ!?決め事は決め事よ!小銅貨一枚だって追加しないから!」
「…ちっ。へいへい。ごもっともごもっとも」
 クソッタレが。とでも言いたそうに引いたパオロを見て取って、ネレオはケネデッタに一歩踏み出す。
「悪いな。ちょいと予想以上に手こずったもんで、こいつらヘソを曲げてんだよ。美味い酒でも飲みゃ忘れるさ。勘弁してやってくれ」
「…ふん。まず飲みに行こうってわけ?つくづく野蛮よね。好きにすればいいけどさ」
 肩を竦めたケネデッタは腰のポーチを漁り、奥から油紙の筒を三本取り出した。オリンドが探査で暴き出した大金貨の包みだ。
「報酬よ」
「…は?…なんだその筒。おい、現物なんざ聞いてねえぞ。金を出せよ」
 しかしそれをネレオはあえて一旦拒否した。硬貨を五十枚一括りにして紙で包んだ棒金などという物は、よほどの金額を取引する者でもなければ存在すら知らない。黒金の遊撃隊も漏れなくそちら側だった。抜かりなく威嚇して見せたこれが効果覿面で、途端にケネデッタはこれ以上なく馬鹿にした顔で笑い出す。
「ふはっ、ぁはーっはっは!…ぁあ、知らない?知らないわよねぇ。これは棒金て言うの。見なさいよ、ちゃあんと中身は大金貨だから」
 ほぉら。
 今が取引の最中でもなければ、いや、背後に勇者一行が控えているのでもなければ、今すぐにでもくびり殺してやりたい笑顔だった。これが自分たちだけに関わる事柄であれば手首ごともぎ取る勢いで棒金を叩き落としてくれるものを。
 油紙の端を少し破り捲って中身を見せたケネデッタの高慢ぶりに剥き出しの敵意を見せ、それを金のためと飲み込む表情をしてみせたのは演技半分本気半分だった。
「ちっ。馬鹿にしやがって。まあいい。もらえるもんさえもらえりゃ」
 左手で乱暴に髪を掻き毟り吐き捨てる。それに鼻白んだケネデッタは大金貨を握る手を無造作に突き出してきた。その手のやや下にネレオは右手の平を広げて差し出す。
「わかってるでしょうけど、しばらくはグラプトベリアから消えてちょうだい」
 差し出された手に少しばかり強めに棒金を叩き付けつつ、ケネデッタは念を押した。
「ああ。わかってる。死体は出ねえだろうが、騒ぎにゃなるだろうからな。ほとぼりが冷めるまでプレイオスピロスにでも身を…」
 ごとり。言い終わる前に大金貨の包みが床に転がり、弾みで破れた油紙の裂け目からいくつか硬貨が溢れ出た。
「~っっ!?…っぐぅぅ…!!…っ!?っっ!?」
 唐突に手先から迸った身を焼く激痛に全ての意識を無理矢理引きつけられ、ただ驚愕することしかできず苦しみ出したケネデッタに、ネレオの、そしてテクラとパオロの冷たい視線が降り注ぐ。
「どうだ。満足に声も出せない痛みだろう?」
 右手の手袋を慎重に外して毒針に触れないようそっと畳み、革巾着にしまいながら続けて声をかけたが、床に蹲り身を強張らせるばかりの彼女にはどうやら届いていないようだ。
 それでも言わずにはおれず、ネレオはひとりごちた。
「…あいつらの怒りは、それよりお熱いんだってよ」
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