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第三十四話 勿怪の幸い
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八十一階層までの調査を終えた二日後、オリンドが三十階層の隠し通路で見付けた腕輪の鑑定がなされたという連絡を受けて、アレグたちは明日の調査に向けた準備の最終確認と遅めの昼食を済ませてからさっそくギルドへ向かった。
「カロンー!なんだった!?腕輪なんだった!?やっぱ魔道具!?どんな!?」
執務室へ入る前から目を輝かせていたアレグは捲し立てながら扉を開けて、すぐに目に入ったローテーブルの上の腕輪に瞠目する。
「うおお!誤発動防止の陣じゃん!そんじゃやっぱり魔道具か!」
腕輪はクッションの敷かれた真新しい木箱に収められていた。隣に置かれている蓋に刻まれた魔法陣を目敏く見付けたアレグはばたばたと走り込んで勢いよくソファに座った。
「いい加減落ち着きなさいよアルちゃん。ごめんなさいね騒がしくて」
「構わん。そいつがうるさいのは毎度のこったろ。賑やかでいいじゃねえか」
「さすがカロン!…なあなあ、そんで、どういう腕輪だったんだよ?」
腕輪に触らないよう覗き込み早く早くと急かす姿に苦笑してから、続いて入室した全員がソファに落ち着いたことを見計らったカロジェロは手元の鑑定書をオリンドに差し出した。
「…ん、え。俺?」
「そうだ。今の所こいつは見付けたおまえのモンだからな」
「あ、えっと、そうか。…ええと、これ、なんて書いてあるの?」
分厚い表紙に魔道具鑑定書とだけ記された二つ折りの冊子を受け取ったオリンドは、しかしまだ数字以外はあまり読めないと困った顔でカロジェロを見た。
「おお、鑑定の結果…てか、まあ簡単に言うと起動方法や効果だとか整備の仕方だな、そんなもんが書いてある。後でじっくり読んでもらうといい。くれぐれも読む前から発動させるだなんて馬鹿なことはするなよ?で、こいつの効果についてだが、おまえらが喉から手が出るほど欲しがること請け合いだ。少なくとも白擢老狐の分はこいつに消えるな」
「いや効果の説明しろって。…白擢老狐?四つで大金貨二十枚以上の値が付くってのか?というか俺らが喉から手が出るだと?なんだそれは」
勿体つけるな。とイドリックが視線を寄越すと、カロジェロはそれはそれは楽しげにニヤリと笑った。
「そいつはな、着けた者の姿も声も変えてくれるってえシロモノだ」
「買った!!買うわ!!言い値を付けてちょうだい!!白擢老狐!?冗談でしょ、一体で足りるわけないじゃない追加で狩ってくるわ!!」
「落ち着いてくださいシェスカ。それで、いかほどですかカロン。ひとつで大金貨百枚と言われても買います」
わあ。さっきから頭破裂しそうな額が飛び交ってる。鑑定書を左手でぎゅうと抱えたオリンドは右手を額に当ててぐらぐらと揺れる頭を支えた。
「いや、本当に落ち着けおまえら。だからその腕輪はそいつのもんだろう」
大丈夫か。苦笑を通り越して眉を寄せたカロジェロはオリンドを指差した。
「そうだ!オーリンのじゃん!…売ってくれオーリン!いくらでも払う!」
「頼むオーリン!俺たちを助けると思って!」
「不足があれば何を売り払ってでも買います、リンド!」
「お願いよリンちゃん!フェリちゃんに首輪着けて差し出すから!」
「あわわわわわー!」
右から左から唐突に詰め寄られて咄嗟にオリンドは真っ直ぐ下へずり落ちた。が、落ち切るより先に右をイドリックに、左をエウフェリオに支えられてあえなく座り直させられる。できることなら机の下に潜りたい。
「すみません、驚かせてしまいましたね…」
「あう、あ、…っ、大丈夫」
気を取りなおすまで一瞬かかったが何とか胸を落ち着けて、オリンドはテーブルの上の腕輪をしげしげと見詰める。
この腕輪がなんて?みんながこんなになっちゃうくらい大したもんなの?んんと、着けた者の姿も声も変える?…ええと、つまり、みんなの顔が変わるのか?…うん?それって、他の人がみんなのことわからなくなるの?…へああ!?!?
「みみっ、みんなが勇者一行ってバレずに動けるの!?クラッスラを!?街中も!?他の場所も!?自由に!?…か、買う!一生借金背負ってもいい、買います!!」
跳ねるように立ち上がったオリンドはカロジェロに齧り付くような勢いで叫んだ。しん、と執務室が静まり返る。
「…っふ!ふっはっはっは!そりゃこいつらもおまえに懐くってもんだ!ちぃとばかりお人好しが過ぎるが。…だから、こいつはおまえのモンだと言ってるだろうオリンド。いいから落ち着け」
「……あっ!!」
言われてしばらく考えたオリンドは気付いた瞬間に鑑定書で顔を隠して元の場所に座り込んだ。ぷるぷると震える手に握りしめられた冊子の向こうから湯気を吹き出しそうな赤い肌が見える。
「ふくーっ!っふっふっふ!リンちゃん!ありがとうねリンちゃん!…っ、やだ、泣いちゃいそう!あはっ、あっははは!もーっ!大好きよリンちゃん!」
目元を指先で拭いエウフェリオ越しにウェンシェスランはオリンドの肩を何度も叩いた。
「オーリン!おまえ…っ!っもう、もう、ああー!もう!!ぅはは!めっちゃ嬉しい!仲間んなってくれてありがとうな!俺もすっっげえ好き!」
居ても立っても居られずソファの後ろに回ったアレグはオリンドの首元に抱き付いて後頭部に頬を擦り付ける。
イドリックとエウフェリオといえば感動のあまり声も出せずに目頭を押さえて俯いていた。
「……ぁ、ぅう…。…う~っ。…ぅ、じゃあ、これ…、ふ、…普通に使って、くれ、る?」
色々と込み上げるもので血は登るし喉は締まるしで、ようやく出せた言葉には詰まって掠れた「もちろん!!」という返事が返ってきた。
「っし、それじゃあその腕輪はギルド買取無しってことで、こないだの他諸々の買取価格はこっちだ」
カロジェロが片手を挙げるとティツィアーナが音もなく歩み寄り、革の巾着をアレグの席の前に置いた。元の位置に戻ってその場で広げると中には大金貨が三十五枚入っている。
「おーっ。へえ、瘴霧蛇にも結構付いたんだな」
枚数を確認したアレグはエウフェリオを振り返り、頷くのを見て巾着の口を縛り直すとティツィアーナに預けた。一礼した彼女は勇者一行の口座へ入金するべく静かに歩き去っていった。
「ありゃあ厄介だからな。排除してもらってなけりゃ後続に犠牲が出たかもしれん。てなわけでちっと色付けといた。明日からの調査も頼むな…!」
「あらま。最後のが本音ね」
「当然だろう、こちとらAランクで調査隊を組むのがやっとなんだ。サイクロプスでも出りゃあSランクも動かせるんだが…」
「そりゃそうだろうけど、そんなデカブツなんざ地下ダンジョンにゃ出ないだろ」
クラッスラの存在がこの世に知られてから現在まで、ダンジョン内の魔物がどこから生じているかは解明されていない。先日見つけた拷問部屋から推測するに階層のどこかで魔物が飼育されていたとしてもおかしくは無いが、とはいえサイクロプスほどの大型の魔物を育成できるほどの広大な空間は無かったはずだ。
「まあなあ。だいたいそんなもんホイホイ狩られてきちまっちゃあギルドの懐がすっからかんになるしな」
「…いつぞやの竜はご迷惑をおかけしました」
「…おう。あんな思いはこりごりだ。いまだに買い取りの付かねえ部位が金庫に眠ってんだぞ。二度と確認なしに狩ってくんじゃねえ」
「だー、もう、悪かったって!あと何年ほじくり返されるんだよ、それぇ」
いつぞやの竜とはアレグが聖剣を手にしたもののまだ称号を得る前の、しかしながら勇者をひっ被される切っ掛けになった竜のことだ。詳細は省くが、とある古代神殿跡地で聖剣を手に入れた勢いのまま有頂天になって死の山と呼ばれる魔境へ狩りに行き、それはそれはもう運搬から解体から換金まで地元ならびにグラプトベリアの冒険者ギルドと商業ギルドに国と、それから道中の領主に多大な迷惑を掛け血反吐を吐かせた出来事である。
「あ…。竜て、あの話の…?」
「おっ。知ってんのオーリン?」
「し、知らないわけがないよ。どこ行っても吟遊詩人が勇者物語の取っ掛かりに歌う、一番有名な逸話だから」
「マジかよ。今の聞いてわかったと思うけど、すげえ怒られたんだぞ俺」
「う…ん。えっと、カランコエだと、それでアレグさんとカロジェロさんが、三日三晩殴り合って和解したって伝わってる。けど、ほんと?」
「どんな伝わり方してんだよ!?」
オリンドからの衝撃的な情報にアレグとカロジェロの驚愕の声が重なった。国を二つ跨ぐだけでそれほど過大に誇張されるだなどと全く人伝てとは恐ろしい。
「うっはっはっはっは!み、三日三晩!殴り合い!…飯も食わずに!?」
膝を叩いてイドリックは堪らんと腹を抱えた。
「うん。ずうーっと殴り合ってたって歌詞になってる。トイレどうしたのかなって思ってた」
「あはーっはっはっは!やめてリンちゃん!っでも、この二人なら確かに三日くらいはやっちゃいそう!」
同じく腹を抱えて両足で床を踏み鳴らしつつウェンシェスランはソファの背凭れを転がる。
「アルじゃあるめえし、やるか馬鹿たれ。あんときゃ昼の鐘から夕方の鐘くらいまでの説教で終わっただろ。ったく」
教会の鐘は昼夜を問わず三時間ごとに一度鳴る。それが昼の鐘から夕方の鐘となると六時間か。ぼんやり数えたオリンドは、待って三日には及ばないけど滅茶苦茶長い!と、思ったが口には出さずにおいた。賢明な判断だろう。
「くらいで終わった、じゃねえよ。そりゃ俺が悪かったけど、飯も食わしてくれねえでさあ。…あ」
飯という単語に触発されたのか盛大にアレグの腹が鳴り、一瞬遅れて街の教会が夕刻を告げる鐘を鳴らした。
「…相変わらず正確だなおまえの腹は」
「ふふふっ。それでは夕飯も食べねばですし、そろそろお暇しましょうか」
「おう!腹減った!肉食いたい肉!あと角んとこの黒パン!」
「ああいいわね。まだお店開いてるかしら…。開いてたら買って帰りましょっか」
「うっし、そうするか。橋前で火酒も買い足しておきたいな」
「では先に一階で懐温具の魔石を調達してから行きますか。…と、リンド、お手伝いしますよ」
「う、ん。お願い…」
他に忘れ物は無かったろうかと軽くソファ周りを見渡したエウフェリオは、腕輪の箱に蓋をしたはいいものの留める紐を上手く括れず四苦八苦しているオリンドに変わって手早く結び上げる。
「ふわ、ありがとう。…結び目すごい綺麗」
「どういたしまして。このまま鞄に入れましょうか。…はい、これで良し。ではカロン、失礼しますね」
「おう。気を付けて帰れよ」
箱を丁寧にオリンドの鞄へ入れたエウフェリオはカロジェロに軽く会釈をして、すでに先に退室したアレグたちの後を追った。
ギルドの一階へ向かうとさすがにこの時間に受付カウンターに並ぶ冒険者も居らず、懐温具用の下級魔石はすぐに買い求めることができた。鉄でできた箱に熱を発する魔法陣が刻まれていて、魔石を入れ蓋を閉じると、じきに温められた風が全身を包むという安価ながら冬に必需の魔道具だが、誰でも扱えるようにと下級の石を使用するため短時間で魔素を放出し切ってしまうというのが唯一の欠点だ。それでも初めて使うオリンドには随分と衝撃的な品のようで、エウフェリオから手渡された小さな箱の温度に目を輝かせて見入る姿が微笑ましい。
そうして物理的にも心理的にも懐が温まったところで、いざ帰るかと歩き出しかけると正面の扉が触れる前に外へ開かれた。
「…おっと。すまねえ、だいぶ勢いよく開けちまっ…と、こりゃ、勇者御一行様じゃねぇか!」
外から扉を開けたらしき人物が姿を認識すると同時に大声を張り上げた。
「いちいち御一行様とか言うなよデチモ。…うわ、めっちゃ大所帯じゃん。もしかして調査団に入ったのかよ?」
正面衝突をすんでのところで回避したアレグがギルドの外に居並ぶ冒険者たちを見て尋ねると、デチモと呼ばれた男は、まあな、と肯定しつつアレグの後ろに何かを探す視線を投げかける。
「…おっ!居た居た!あんただろオリンドってのは?」
「ふぇあ!?」
懐温具に括り付けられた革紐を首にかけて鉄箱を胸元に収め、じわりと全身に広がり始めた温かさを堪能していたオリンドはいきなり声をかけられて飛び上がった。
「やっぱあんたか!すげえなおい、あんたの探査スキル、いったいどうなってんだよ!?八十二階層も八十三階層もバッチリ地図の通りだったぜ!っかぁあ、手前の二階層もあんたの描いた地図を見たかったなあ…!いつか本物を見せてくれよ!てえか、カロンのやつ、調査層以外は最短ルートだけの地図を渡してきやがってあのしみったれ!」
「…っへ、へぅ、…あ、ぁうあ、ぁあ、あの、…あっ。こ、こっちだ。…え、…えっと…」
握手を求める素振りで捲し立てられ思わずエウフェリオの背に隠れてから、はたと気付いてイドリックの背に隠れる。
「いや、街中の『あかーん』はフェリの背中に隠れとけ。俺より対処上手いから」
が、あえなく引っ剥がされてエウフェリオに返却された。
「はい、おかえりなさい。…すみませんねデチモ。リンドは…」
「彼は人見知りだから距離を取りなさいとあれほど言ったでしょう!?何を聞いていたんだ貴方は!」
オリンドを背に庇ったエウフェリオが説明しかけたが、扉の影から現れた人物が怒声と共にきつい拳骨をデチモに食らわせる。
「ってぇなムゥズ!」
「自業自得です。…すみません、驚かれたでしょう?全く、躾のなっていない男で。大変失礼しました。私は彼と組んで冒険をしています『白の巨星』のムーツィオと申します」
「ぇあ、う、あ、あの、オリンド…です」
なんだか随分と丁寧な人だ。
冒険者らしからぬ柔らかな物腰に暖かく優しげな見た目ではあるが、しかし白の巨星といえば四翼竜に並ぶ新進気鋭、防御魔法全般を得意とする戦鎚使いの戦士と、両腕の盾に仕込んだ投げナイフでの暗殺術を得意とする戦闘系魔法使いのコンビで二人ともAランクのはずだ。さきほどデチモを沈めた拳も岩を砕くかと思わせる音が上がっていた。
「お騒がせしました。これから調査団長たちとカロンに報告しに行かねばなりませんから、我々はこれで。またいずれお会いすることもあるでしょう。是非その時にお話させてください」
人当たりの良さそうな雰囲気で軽く会釈をしたムーツィオはデチモの首根っこを掴んで受付カウンターの方へ引きずって行った。ようやく扉の前が空いたと後続がぞろぞろと雪崩れ込み、やり取りを見ていたからかオリンドの地図への称賛を述べるだけに留めた彼らも一様にカウンターへ向かう。
「うあ…、き、緊張した…」
ようやく調査に参加したらしき冒険者が全員通り過ぎ、落ち着いたところでオリンドは詰めていた息を吐き出した。
「お疲れ様です。帰ってゆっくり休みましょうね」
「うん。…あれ?ウェンシェスランさんは…、えっ!?」
やっとギルドから出られる。ほっとしてアレグたちを振り返ったオリンドは、ウェンシェスランの姿が見当たらず、そういえば少し前から見かけていなかったと気付いて視線を巡らせ、イドリックの斜め後ろ辺りで倒れ伏している姿を見付けて驚いた。
「ええっ、ど、どう、どうしたの…」
「あー。気にしなくていいぞ。さっきオーリンがフェリとイドの背中を渡り歩いたときから鼻血出して倒れたまんまだ」
「生理現象ってやつだな。そのうち復活するからほっとけばいい」
生理現象とは。と、思わないでも無かったがイドリックがやけに慣れた風でウェンシェスランを担ぐので、いつものことなのかなと思い直したオリンドはエウフェリオに促されてギルドを後にした。
依然として情報のひとつも入らないケネデッタのことで職員の誰もがほんのりと暗い雰囲気になっていた。もしも明日と明後日の階層調査を終えて戻っても見付かっていなかったなら、みんなに腕輪を使った調査を提案しようと考えながら。
「カロンー!なんだった!?腕輪なんだった!?やっぱ魔道具!?どんな!?」
執務室へ入る前から目を輝かせていたアレグは捲し立てながら扉を開けて、すぐに目に入ったローテーブルの上の腕輪に瞠目する。
「うおお!誤発動防止の陣じゃん!そんじゃやっぱり魔道具か!」
腕輪はクッションの敷かれた真新しい木箱に収められていた。隣に置かれている蓋に刻まれた魔法陣を目敏く見付けたアレグはばたばたと走り込んで勢いよくソファに座った。
「いい加減落ち着きなさいよアルちゃん。ごめんなさいね騒がしくて」
「構わん。そいつがうるさいのは毎度のこったろ。賑やかでいいじゃねえか」
「さすがカロン!…なあなあ、そんで、どういう腕輪だったんだよ?」
腕輪に触らないよう覗き込み早く早くと急かす姿に苦笑してから、続いて入室した全員がソファに落ち着いたことを見計らったカロジェロは手元の鑑定書をオリンドに差し出した。
「…ん、え。俺?」
「そうだ。今の所こいつは見付けたおまえのモンだからな」
「あ、えっと、そうか。…ええと、これ、なんて書いてあるの?」
分厚い表紙に魔道具鑑定書とだけ記された二つ折りの冊子を受け取ったオリンドは、しかしまだ数字以外はあまり読めないと困った顔でカロジェロを見た。
「おお、鑑定の結果…てか、まあ簡単に言うと起動方法や効果だとか整備の仕方だな、そんなもんが書いてある。後でじっくり読んでもらうといい。くれぐれも読む前から発動させるだなんて馬鹿なことはするなよ?で、こいつの効果についてだが、おまえらが喉から手が出るほど欲しがること請け合いだ。少なくとも白擢老狐の分はこいつに消えるな」
「いや効果の説明しろって。…白擢老狐?四つで大金貨二十枚以上の値が付くってのか?というか俺らが喉から手が出るだと?なんだそれは」
勿体つけるな。とイドリックが視線を寄越すと、カロジェロはそれはそれは楽しげにニヤリと笑った。
「そいつはな、着けた者の姿も声も変えてくれるってえシロモノだ」
「買った!!買うわ!!言い値を付けてちょうだい!!白擢老狐!?冗談でしょ、一体で足りるわけないじゃない追加で狩ってくるわ!!」
「落ち着いてくださいシェスカ。それで、いかほどですかカロン。ひとつで大金貨百枚と言われても買います」
わあ。さっきから頭破裂しそうな額が飛び交ってる。鑑定書を左手でぎゅうと抱えたオリンドは右手を額に当ててぐらぐらと揺れる頭を支えた。
「いや、本当に落ち着けおまえら。だからその腕輪はそいつのもんだろう」
大丈夫か。苦笑を通り越して眉を寄せたカロジェロはオリンドを指差した。
「そうだ!オーリンのじゃん!…売ってくれオーリン!いくらでも払う!」
「頼むオーリン!俺たちを助けると思って!」
「不足があれば何を売り払ってでも買います、リンド!」
「お願いよリンちゃん!フェリちゃんに首輪着けて差し出すから!」
「あわわわわわー!」
右から左から唐突に詰め寄られて咄嗟にオリンドは真っ直ぐ下へずり落ちた。が、落ち切るより先に右をイドリックに、左をエウフェリオに支えられてあえなく座り直させられる。できることなら机の下に潜りたい。
「すみません、驚かせてしまいましたね…」
「あう、あ、…っ、大丈夫」
気を取りなおすまで一瞬かかったが何とか胸を落ち着けて、オリンドはテーブルの上の腕輪をしげしげと見詰める。
この腕輪がなんて?みんながこんなになっちゃうくらい大したもんなの?んんと、着けた者の姿も声も変える?…ええと、つまり、みんなの顔が変わるのか?…うん?それって、他の人がみんなのことわからなくなるの?…へああ!?!?
「みみっ、みんなが勇者一行ってバレずに動けるの!?クラッスラを!?街中も!?他の場所も!?自由に!?…か、買う!一生借金背負ってもいい、買います!!」
跳ねるように立ち上がったオリンドはカロジェロに齧り付くような勢いで叫んだ。しん、と執務室が静まり返る。
「…っふ!ふっはっはっは!そりゃこいつらもおまえに懐くってもんだ!ちぃとばかりお人好しが過ぎるが。…だから、こいつはおまえのモンだと言ってるだろうオリンド。いいから落ち着け」
「……あっ!!」
言われてしばらく考えたオリンドは気付いた瞬間に鑑定書で顔を隠して元の場所に座り込んだ。ぷるぷると震える手に握りしめられた冊子の向こうから湯気を吹き出しそうな赤い肌が見える。
「ふくーっ!っふっふっふ!リンちゃん!ありがとうねリンちゃん!…っ、やだ、泣いちゃいそう!あはっ、あっははは!もーっ!大好きよリンちゃん!」
目元を指先で拭いエウフェリオ越しにウェンシェスランはオリンドの肩を何度も叩いた。
「オーリン!おまえ…っ!っもう、もう、ああー!もう!!ぅはは!めっちゃ嬉しい!仲間んなってくれてありがとうな!俺もすっっげえ好き!」
居ても立っても居られずソファの後ろに回ったアレグはオリンドの首元に抱き付いて後頭部に頬を擦り付ける。
イドリックとエウフェリオといえば感動のあまり声も出せずに目頭を押さえて俯いていた。
「……ぁ、ぅう…。…う~っ。…ぅ、じゃあ、これ…、ふ、…普通に使って、くれ、る?」
色々と込み上げるもので血は登るし喉は締まるしで、ようやく出せた言葉には詰まって掠れた「もちろん!!」という返事が返ってきた。
「っし、それじゃあその腕輪はギルド買取無しってことで、こないだの他諸々の買取価格はこっちだ」
カロジェロが片手を挙げるとティツィアーナが音もなく歩み寄り、革の巾着をアレグの席の前に置いた。元の位置に戻ってその場で広げると中には大金貨が三十五枚入っている。
「おーっ。へえ、瘴霧蛇にも結構付いたんだな」
枚数を確認したアレグはエウフェリオを振り返り、頷くのを見て巾着の口を縛り直すとティツィアーナに預けた。一礼した彼女は勇者一行の口座へ入金するべく静かに歩き去っていった。
「ありゃあ厄介だからな。排除してもらってなけりゃ後続に犠牲が出たかもしれん。てなわけでちっと色付けといた。明日からの調査も頼むな…!」
「あらま。最後のが本音ね」
「当然だろう、こちとらAランクで調査隊を組むのがやっとなんだ。サイクロプスでも出りゃあSランクも動かせるんだが…」
「そりゃそうだろうけど、そんなデカブツなんざ地下ダンジョンにゃ出ないだろ」
クラッスラの存在がこの世に知られてから現在まで、ダンジョン内の魔物がどこから生じているかは解明されていない。先日見つけた拷問部屋から推測するに階層のどこかで魔物が飼育されていたとしてもおかしくは無いが、とはいえサイクロプスほどの大型の魔物を育成できるほどの広大な空間は無かったはずだ。
「まあなあ。だいたいそんなもんホイホイ狩られてきちまっちゃあギルドの懐がすっからかんになるしな」
「…いつぞやの竜はご迷惑をおかけしました」
「…おう。あんな思いはこりごりだ。いまだに買い取りの付かねえ部位が金庫に眠ってんだぞ。二度と確認なしに狩ってくんじゃねえ」
「だー、もう、悪かったって!あと何年ほじくり返されるんだよ、それぇ」
いつぞやの竜とはアレグが聖剣を手にしたもののまだ称号を得る前の、しかしながら勇者をひっ被される切っ掛けになった竜のことだ。詳細は省くが、とある古代神殿跡地で聖剣を手に入れた勢いのまま有頂天になって死の山と呼ばれる魔境へ狩りに行き、それはそれはもう運搬から解体から換金まで地元ならびにグラプトベリアの冒険者ギルドと商業ギルドに国と、それから道中の領主に多大な迷惑を掛け血反吐を吐かせた出来事である。
「あ…。竜て、あの話の…?」
「おっ。知ってんのオーリン?」
「し、知らないわけがないよ。どこ行っても吟遊詩人が勇者物語の取っ掛かりに歌う、一番有名な逸話だから」
「マジかよ。今の聞いてわかったと思うけど、すげえ怒られたんだぞ俺」
「う…ん。えっと、カランコエだと、それでアレグさんとカロジェロさんが、三日三晩殴り合って和解したって伝わってる。けど、ほんと?」
「どんな伝わり方してんだよ!?」
オリンドからの衝撃的な情報にアレグとカロジェロの驚愕の声が重なった。国を二つ跨ぐだけでそれほど過大に誇張されるだなどと全く人伝てとは恐ろしい。
「うっはっはっはっは!み、三日三晩!殴り合い!…飯も食わずに!?」
膝を叩いてイドリックは堪らんと腹を抱えた。
「うん。ずうーっと殴り合ってたって歌詞になってる。トイレどうしたのかなって思ってた」
「あはーっはっはっは!やめてリンちゃん!っでも、この二人なら確かに三日くらいはやっちゃいそう!」
同じく腹を抱えて両足で床を踏み鳴らしつつウェンシェスランはソファの背凭れを転がる。
「アルじゃあるめえし、やるか馬鹿たれ。あんときゃ昼の鐘から夕方の鐘くらいまでの説教で終わっただろ。ったく」
教会の鐘は昼夜を問わず三時間ごとに一度鳴る。それが昼の鐘から夕方の鐘となると六時間か。ぼんやり数えたオリンドは、待って三日には及ばないけど滅茶苦茶長い!と、思ったが口には出さずにおいた。賢明な判断だろう。
「くらいで終わった、じゃねえよ。そりゃ俺が悪かったけど、飯も食わしてくれねえでさあ。…あ」
飯という単語に触発されたのか盛大にアレグの腹が鳴り、一瞬遅れて街の教会が夕刻を告げる鐘を鳴らした。
「…相変わらず正確だなおまえの腹は」
「ふふふっ。それでは夕飯も食べねばですし、そろそろお暇しましょうか」
「おう!腹減った!肉食いたい肉!あと角んとこの黒パン!」
「ああいいわね。まだお店開いてるかしら…。開いてたら買って帰りましょっか」
「うっし、そうするか。橋前で火酒も買い足しておきたいな」
「では先に一階で懐温具の魔石を調達してから行きますか。…と、リンド、お手伝いしますよ」
「う、ん。お願い…」
他に忘れ物は無かったろうかと軽くソファ周りを見渡したエウフェリオは、腕輪の箱に蓋をしたはいいものの留める紐を上手く括れず四苦八苦しているオリンドに変わって手早く結び上げる。
「ふわ、ありがとう。…結び目すごい綺麗」
「どういたしまして。このまま鞄に入れましょうか。…はい、これで良し。ではカロン、失礼しますね」
「おう。気を付けて帰れよ」
箱を丁寧にオリンドの鞄へ入れたエウフェリオはカロジェロに軽く会釈をして、すでに先に退室したアレグたちの後を追った。
ギルドの一階へ向かうとさすがにこの時間に受付カウンターに並ぶ冒険者も居らず、懐温具用の下級魔石はすぐに買い求めることができた。鉄でできた箱に熱を発する魔法陣が刻まれていて、魔石を入れ蓋を閉じると、じきに温められた風が全身を包むという安価ながら冬に必需の魔道具だが、誰でも扱えるようにと下級の石を使用するため短時間で魔素を放出し切ってしまうというのが唯一の欠点だ。それでも初めて使うオリンドには随分と衝撃的な品のようで、エウフェリオから手渡された小さな箱の温度に目を輝かせて見入る姿が微笑ましい。
そうして物理的にも心理的にも懐が温まったところで、いざ帰るかと歩き出しかけると正面の扉が触れる前に外へ開かれた。
「…おっと。すまねえ、だいぶ勢いよく開けちまっ…と、こりゃ、勇者御一行様じゃねぇか!」
外から扉を開けたらしき人物が姿を認識すると同時に大声を張り上げた。
「いちいち御一行様とか言うなよデチモ。…うわ、めっちゃ大所帯じゃん。もしかして調査団に入ったのかよ?」
正面衝突をすんでのところで回避したアレグがギルドの外に居並ぶ冒険者たちを見て尋ねると、デチモと呼ばれた男は、まあな、と肯定しつつアレグの後ろに何かを探す視線を投げかける。
「…おっ!居た居た!あんただろオリンドってのは?」
「ふぇあ!?」
懐温具に括り付けられた革紐を首にかけて鉄箱を胸元に収め、じわりと全身に広がり始めた温かさを堪能していたオリンドはいきなり声をかけられて飛び上がった。
「やっぱあんたか!すげえなおい、あんたの探査スキル、いったいどうなってんだよ!?八十二階層も八十三階層もバッチリ地図の通りだったぜ!っかぁあ、手前の二階層もあんたの描いた地図を見たかったなあ…!いつか本物を見せてくれよ!てえか、カロンのやつ、調査層以外は最短ルートだけの地図を渡してきやがってあのしみったれ!」
「…っへ、へぅ、…あ、ぁうあ、ぁあ、あの、…あっ。こ、こっちだ。…え、…えっと…」
握手を求める素振りで捲し立てられ思わずエウフェリオの背に隠れてから、はたと気付いてイドリックの背に隠れる。
「いや、街中の『あかーん』はフェリの背中に隠れとけ。俺より対処上手いから」
が、あえなく引っ剥がされてエウフェリオに返却された。
「はい、おかえりなさい。…すみませんねデチモ。リンドは…」
「彼は人見知りだから距離を取りなさいとあれほど言ったでしょう!?何を聞いていたんだ貴方は!」
オリンドを背に庇ったエウフェリオが説明しかけたが、扉の影から現れた人物が怒声と共にきつい拳骨をデチモに食らわせる。
「ってぇなムゥズ!」
「自業自得です。…すみません、驚かれたでしょう?全く、躾のなっていない男で。大変失礼しました。私は彼と組んで冒険をしています『白の巨星』のムーツィオと申します」
「ぇあ、う、あ、あの、オリンド…です」
なんだか随分と丁寧な人だ。
冒険者らしからぬ柔らかな物腰に暖かく優しげな見た目ではあるが、しかし白の巨星といえば四翼竜に並ぶ新進気鋭、防御魔法全般を得意とする戦鎚使いの戦士と、両腕の盾に仕込んだ投げナイフでの暗殺術を得意とする戦闘系魔法使いのコンビで二人ともAランクのはずだ。さきほどデチモを沈めた拳も岩を砕くかと思わせる音が上がっていた。
「お騒がせしました。これから調査団長たちとカロンに報告しに行かねばなりませんから、我々はこれで。またいずれお会いすることもあるでしょう。是非その時にお話させてください」
人当たりの良さそうな雰囲気で軽く会釈をしたムーツィオはデチモの首根っこを掴んで受付カウンターの方へ引きずって行った。ようやく扉の前が空いたと後続がぞろぞろと雪崩れ込み、やり取りを見ていたからかオリンドの地図への称賛を述べるだけに留めた彼らも一様にカウンターへ向かう。
「うあ…、き、緊張した…」
ようやく調査に参加したらしき冒険者が全員通り過ぎ、落ち着いたところでオリンドは詰めていた息を吐き出した。
「お疲れ様です。帰ってゆっくり休みましょうね」
「うん。…あれ?ウェンシェスランさんは…、えっ!?」
やっとギルドから出られる。ほっとしてアレグたちを振り返ったオリンドは、ウェンシェスランの姿が見当たらず、そういえば少し前から見かけていなかったと気付いて視線を巡らせ、イドリックの斜め後ろ辺りで倒れ伏している姿を見付けて驚いた。
「ええっ、ど、どう、どうしたの…」
「あー。気にしなくていいぞ。さっきオーリンがフェリとイドの背中を渡り歩いたときから鼻血出して倒れたまんまだ」
「生理現象ってやつだな。そのうち復活するからほっとけばいい」
生理現象とは。と、思わないでも無かったがイドリックがやけに慣れた風でウェンシェスランを担ぐので、いつものことなのかなと思い直したオリンドはエウフェリオに促されてギルドを後にした。
依然として情報のひとつも入らないケネデッタのことで職員の誰もがほんのりと暗い雰囲気になっていた。もしも明日と明後日の階層調査を終えて戻っても見付かっていなかったなら、みんなに腕輪を使った調査を提案しようと考えながら。
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