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第二十五話 お披露目の日

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 オリンドお披露目前夜祭という名の乱痴気飲み会は明け方まで続いた。
 一人きりでの事務処理だけでも手に余っていたところへ投獄手続きも重なって、空が白み出す頃にようやく仕事を終えたキアーラがカウンターに戻ると、そこには地獄のような光景が広がっていた。
まさに死屍累々。ギルドの体を成さない有様の広間から飲み潰れた人々を外に放り出すため扉を開けると、街ではまだ飲めや歌えと騒ぐ者が大層な人数あって目を剥く。
「あ、お、おは、おはようござ、います…」
 愕然として立ち尽くしていると背後から控えめな声が掛かった。この時間までこの修羅場に留まっていてまともに朝の挨拶ができる人間が居たのか。大宴会そっちのけで奥の部屋に篭り仕事をしていた自分を棚に上げ、稀有な存在も居たものだと振り向くと件のオリンドが立っていた。久しぶりに見る彼は随分と健康そうになって、髪も髭も見違えるほどさっぱりとしていて驚いた。だがそれよりも驚くことに、厚手の作業用革手袋を付けてバケツとモップと雑巾とを持っている。
「おはようございます、オリンドさん。…ええと?」
 その掃除に適した格好は何だろうか。首を傾げると首を傾げ返されたが、ややあって自分が何をしているのか問われているのだと気付いたオリンドがバケツに視線を落とす。
「や、あっちこっち、たくさん、そそ、そそう、粗相があったから…そ、掃除しとこうかな、って」
「っえぇえ!?…っそんな、ギルド員でも無いのに手伝ってくださったんですか!?というか、あなた今夜の主役じゃないですか!…なのにこんな、あ、ありがとうございます!……あら?待って?」
 言葉を区切ったキアーラは、改めてギルドの広間を見渡した。そして眉間に硬貨が数枚挟まりそうな皺を寄せる。
「まさか…、もしや、よもやとは思いますが、…お一人で?」
「え?うん。あ、ううん。エウフェリオと…あっ、えっと、今はゴミ捨てに行ってる、けど、ふた、二人で…」
「ど畜生どもめ。組員の自覚は無ぇのか、ギルドに恥ぃかかせやがって」
「えっ?」
 ぼそりと呟かれたキアーラの言葉がよく聞き取れず、オリンドは聞き返したが、彼女は眉間を揉みほぐしながら即座に別の話題に切り替えた。
「ギルドマスターは?カロンはどちらに居ま…倒れてます?」
「えっ、あ、えっと、戻ってきてからもアレグさんと飲んで…、あ、居た」
 あそこだ。とオリンドが指し示すとキアーラは靴の踵を高らかに鳴らし超速でカロジェロの元へ向かった。そのまま胸ぐら辺りの服を鷲掴みカウンターの奥へなんと片手で引き摺っていく。大層な膂力だ。呆気に取られて眺めていたオリンドの耳に火魔法と風魔法の混合による爆発音が届いた。
「ひゃあ…。すごい威力…」
 掲示板や壁掛けランプの揺れる中、オリンドはさすがギルド員ともなると事務方の人も強いんだなあ。と、大抵のギルド事務職員が全力で否定することを漠然と思った。
「なんの音です!?大丈夫ですかオリンド!」
 折よく戻ってきたエウフェリオが肝を冷やして駆け付けてくる。掃除のために袖も裾も捲って頭には布を巻いてあちこち汚れが付いてしまっていても、麗しい人だなあと思ってからオリンドは照れてはにかんだ。
「うん。大丈夫。…ええと、キアーラさんが、俺とエウフェリオで掃除してるって聞いたら一瞬すごく怖い顔になって、ギルドマスターをあっちに連れてって、たぶん魔法で爆破した…のかな…。えぇえ!?それ大丈夫なの!?」
 言っている間にカロジェロの身が案じられてちょっと青ざめる。
「ああ、なるほど。ならば大丈夫ですね。ここなら蘇生の魔石も在庫があるでしょうし」
「そっか。そせ、…うん?」
 あれ、大丈夫くなくない?
「さて、床もだいぶ綺麗になりましたし、これなら引き摺ってもいいでしょう」
 掃除に切りがついたと軽やかに鳴らされた手の平の音に思考を切り替えられたオリンドは、カロジェロの身に起きたであろうことをすっかり忘れて、床に転がる人々を外へ放り出す作業に取り掛かったのだった。
「…なぁんてことが今朝あったみたいでぇ」
 ギルドの御用達酒場で女将と店員、それからギルドマスターの補佐ティツィアーナと共にオリンドお披露目会の準備をしていたウェンシェスランの元へ、昼過ぎにカロジェロからの差し入れだと上等の酒を持ってきた新人職員クレリエは、小鳥に似た声でころころと笑った。
「それでリンちゃんとフェリちゃんはギルドに寝かせてもらってんのね。んもう、二人とも真面目なんだから」
 報告を受け溜め息を吐くとクレリエは更にころころと笑声を上げた。
「本当ですよねぇ。酔い潰れどもなんてゲロの上を引き摺れば良かったのにぃ」
「やーん、あたしフィロちゃんと街に出てて良かったわあ」
「留まってたらぁ、回復と浄化魔法の乱舞だったでしょうしねぇ。でもほんとありがたかったですよぅ。わたし昨日お休みだったんで丸一日寝ちゃってて。なぁんにも知らずに出勤したらぁ、なんかぁ、ギルド周りがすっごい有様だったんですけど。なんで超感動ですよぉ!聞きましたよぅ、なんかぁ、オリンドさんってクラッスラ全階層見通せるくらい探査スキルを極めた神だって!なんかぁ、魔力量もぉめっちゃエグいらしいじゃないですかぁ!そんな人がゲロ掃除とかしてくれるなんて!…わたしウェンシェスラン様ひとすじだったんですけど、ちょっとオリンドさんに浮気してもいいですかぁ?」
「おお…クレリーちゃんあんた、あたしに口を挟ませないとは大した矢継ぎ早ね。ううん、浮気かあ。いいわよ、リンちゃん相手なら許す!」
「やった!さっすがウェンシェスラン様、懐が広ぉいぃ!」
 勢い飛び跳ねたクレリエは、そのままウェンシェスランの手を取って上下に振った。怖いもの知らずの年頃である。実際ギルドでもカロジェロに服がマスターらしくないだの事務仕事が下手だの面と向かって進言しているらしく、彼女に仕事を教えているキアーラに頭を抱えさせているらしい。
「うっふふ、褒めすぎよお!照れちゃうわ」
「ぜぇんぜん!そんことないですよぅ!…あー、ずっとこうしてたいですけど、そろそろ戻らなくちゃですねぇ。…デティ先輩たらこんな日に休むなんてもうぅ」
「あら、デティちゃんが?珍しいじゃない。風邪でも引いたのかしらね?」
 ケネデッタはキアーラと並び、あのカロジェロの一喝にも臆さない豪胆の持ち主だ。仕事に誇りを持っているようで、いつ対応してもらっても気持ちの良い働きぶりを見せてくれる。荒くれ者を相手に割と疲労困憊する冒険者ギルドにあって予定外の休みなど滅多に取らない数少ない内の一人だ。
「急に寒くなりましたもんねぇ。おかげで忙しいったらないですよぅ」
 心配半分、恨めし半分といった様子で眉を寄せたクレリエは、最後に許可を得てウェンシェスランに抱き付くとギルドの仕事をするべく戻って行った。
「……あの。すみません、うちのクレリエが」
 口を挟まなかったというより挟めなかったティツィアーナが気持ち恐縮めの面持ちで謝罪してくる。表情の少ない彼女にしてみればかなり沈痛の部類に入る顔だ。
「あらん、いいのよお。クレリーちゃんがんばってるじゃない。たまのご褒美も必要でしょうよ」
「ありがとうございます。寛大な心持ちに感謝を」
 小柄で細身の彼女は撫で付けた髪といい服の襟袖裾といい、どこもかしこも一糸乱れぬ姿で姿勢を正し抑揚の少ない声で礼を言った。
「ティナちゃん…。もうちょっと柔らかく生きてもいいと思うのね、あたし…」
「は。善処いたします」
 ダメだこりゃ。ウェンシェスランはにっこり笑うだけに留めて、早々に準備の続きに取り掛かった。
 夕方の開店時には予想通り想定を上回って人々が押しかけた。おかしい人数制限はしているはずなのに。などと口にする者は誰もいない。グラプトベリアでお祭り騒ぎに駆け付けるなと言う方が無理なのだから。
「つったって昨日も祭り騒ぎだったのになあ。ようやる」
 調理場の端っこで、まだ会も始まっていないのに皿を肉で満たして自らの頬もリスのように膨らませたアレグが咀嚼しながら言うのを、ウェンシェスランは後ろから思い切り引っ叩いた。
「ちょっとアルちゃん!何もう摘み食いしてんのよ!ていうかあんた反省したの!?リンちゃんのお披露目こんな急遽にさせる羽目にしちゃって…!」
「そっ、そこはごめんって、反省したって、いっぱい謝ったよ!お詫びに落ち着いたらオリンドのやりたい冒険やろうって約束したし!」
「あたし聞いてないわ」
「シェスカ居なかったろ!?フィロと街飲みしに行ってたじゃん!俺フェリに殴り起こされて朝日んなかでオリンドに土下座したって!」
「あらそうなの?」
 ウェンシェスランは食器出しの手伝いをするエウフェリオを振り返る。
「そうですよ。ついでにクラッスラの七十七階層でのアル抜き感動話をじっくりと聞かせた上で、涙目オリンドに頭を二、三ぺちぺち叩かせて罪悪感も倍増させておきました」
「あれほんとにキツかったんだからな!?」
「自業自得よ。…ご褒美じゃないの!」
「なっ!なんでご褒美になるの!?」
 調理場に立ってフライパンを火にかけていたオリンドが木べら片手に勢いよく振り返った。
「ご褒美じゃないのよ!そんな可愛いリンちゃんあたしが見たいわ!…っじゃなくて今日の主役が何でここを手伝ってんの!?主役の席で座ってなさいな!」
「ううっ、い、いやだ。あんな目立つとこあんまり座りたくない…」
 もごもごと口ごもりながら再び調理に逃げていく。普段は何事もおっとりゆっくりとした動作だが、フライパンと木べらを繰る手付きは中々どうして堂に入っていた。
「んーもう、時間までにはちゃんと座んなさいよ?…にしても、慣れてるのねえ、料理」
「あっ、それ俺も思った。やっぱ不器用じゃねえよオリンド」
「えっ、え、…や、そ、そんな…、あの、長いこと一人だったから、自炊してきたし…。うん、慣れかな。わりと好き、だし」
 しきりに照れながら木べらから皿に持ち替えたオリンドは、炒め上がった食材をそれはもう軽々とフライパンから移してみせた。
「おお。いいですね、お店で通用しそうな手際じゃないですか」
 エウフェリオが微笑むと、ふぇあ、とかいう声を上げて皿を落としかけ真っ赤になっている。
 これで付き合っているというのだからコイツらまだキスさえしてやがらねえな?と勘付いたウェンシェスランは笑顔を凝り固めた。
 帰ったらお説教だわ。
「う、あ、あの、ほ、ほんとにあそこ、座らなきゃだめ…?」
「ダメよ。これを乗り切ったら晴れて勇者パーティの一員なんだってみんなが認めてくれるから、それにフェリちゃんリッちゃんと約束したんでしょう?少しはやってみるって。だから、ね。頑張って」
 お説教の前に説得が待っていたが。
 天井に設けられた灯り魔法付きのカンテラに照らされ暗い店内に一際明るく浮かび上がる椅子、飾り気は無いが一目で高級だとわかる、しかも隣にギルドマスター付きのそれを、厨房から店内に続く戸口に立って眺めただけで生まれたての子鹿のようになっているオリンドの肩をウェンシェスランは揉み上げた。
「っ…、う、うん…。が、頑張る…けど…」
「大丈夫だって。オリンドは名前だけ言ってさ、あとは俺でもカロンでも交代すりゃいいんだから」
「…わ、わかった…やってみる…」
「おっ。覚悟できたか。朝まで来ないかと思ったぞ」
 裏手で見ないと思っていたら主役の席の周辺に人が入らないよう番を張っていたイドリックに軽口をかけられたけれど、今のオリンドに余裕のあるはずも無かった。
 スケルトンでももっと滑らかに歩くぞ。などという朗らかな掛け声が聞こえてくるほど前衛的な動きで椅子に座り、所在無げに手足をもごもご動かせば初々しいだの好感が持てるだの囃し立てる声が上がる。その隙間に、リンちゃん可愛い。などという歓声が起こった。すでにファンが付いたらしい。
「おっ、おっ、誰だごるぁ。あたしのリンちゃんに気安くリンちゃん呼びかけてんのぁ。やんのか」
「誰のオリンドですか」
 言外に私のぞと込めながら羽交締めにしたエウフェリオによってウェンシェスランは厨房の戸口から調理場の奥に引き摺り戻された。
「おぅし、みんなよく集まってくれた!…集まりすぎだがな!座るスペースも無えじゃねえか、もうちょっと遠慮ってもんを覚えねえかテメェらは!…ああ!?無理!?しゃあねえな。なら突っ立ったまま聞きやがれ!こいつが!クラッスラ百八階層ぶち抜きやがった稀代の探査スキル使い、オリンドだ!」
 カロジェロから紹介されて立ち上がった拍子に足をもつれさせる姿に酒場が沸く。板戸も壁も天井までもが音に揺れた。
「うぇっ、…ぁっ、あのっ、…お、おり、おりん、オリンドっ、ですっ」
 両手の指をぎゅうと絡めて忙しなく動かしながら名を告げればそれだけで乾杯の音頭となった。
 どういうことなの。
 及び腰になって逃げ出しそうになったオリンドだったが、涙目で助けを求めたカロジェロからは、もう一言くらい欲しいと片目を瞑って返された。
「えぅっ…ぅ、ぁ、あの、…えっと、…あっ、と、得意なことっ、は、ま、まりょ、魔力体内じゅ、じゅん循環法ですっ…」
 踏ん張って何とか絞り出せば店のあちこちで魔法を生業とする者たちがどよめいた。
「なん…だと!?…あの循環法を!?得意だというのか!?」
「本当なのか!?…いや、しかしクラッスラで見せたあの発光、確かに相当の魔力量のはず…!」
 それは是非ともコツの一欠片なりご教授願いたい。誰かが一歩前に出たのを皮切りに、オリンド目掛けて魔法使い職が大挙して押し寄せた。
「ふびゃあ!」
 慌てて身を反転させようとしたオリンドは案の定足を絡めて倒れ込む。しかしすかさずタワーシールドを構えたイドリックが客との間に滑り込み、応、とひと声、まとめて受け止めた。
 盾の向こうで潰れた声がいくつも上がる。頭の痛いことにエウフェリオとも交流のある高名な術師が何人か混ざっていた。まさか彼らまでもがタガを外そうとは。
「おうおう、おまえら!この俺を差し置いてひと暴れしようってかあ!?」
 そこへカロジェロが嬉々として飛び込んだものだからもう収拾は付かなくなった。これはマズイと判断して身を翻したイドリックだったが時すでに遅し。椅子の後ろから回り込まれたオリンドを厨房から飛び出してきて庇ったアレグの顔面に、誰かの腕が当たるところだった。
 そこから先はほとんど覚えていない。カロジェロとアレグが酒場の中を所狭しと飛び回り、それでも乾杯をやめない人々の手からあちこちで酒が飛沫となって飛び、しまいには多数の冒険者たちを引き連れて外に飛び出して行った気がする。
「ぐぁああ…きっつぅ…」
 さしものイドリックも玄関に辿り着くなり座り込んで音を上げた。アレグはどこに行ったかを考える余裕も無い。共に帰宅したウェンシェスランもエウフェリオもオリンドもみんな声も出せずに廊下に上がる途中で伏している。
「ベル。すまん、運んでくれ…」
 ふらふらと手を振ってアルベロスパツィアレを呼んだイドリックはそのまま壁に背を預けた。
 翌々日。
「ううっ…。あ、あんな恥ずかしい思い初めてした…。しばらく外に出たくない…」
 ベッドまで運んでもらって回路調整は休止しエウフェリオに添い寝してもらい丸一日惰眠を貪ってから昼少し前にようやく起き出してこれたオリンドは、酷い誹謗中傷でも浴びたような顔付きで言った。
 そっかー。逆にそっちで外に出られなくなっちゃうのかー。
 一様に目を細めた勇者一行は、かわるがわるオリンドの頭を撫でて慰めてから、彼の人見知りをちょっと舐めてしまったことを反省し初心に立ち返り、今後も目立たせることの無いよう気を付けようと誓い合った。
 あわあわオリンドが可愛くても、ダメ、絶対。
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