シャイロック

大秦頼太

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シャイロック 31

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31

 シュウジが駅に降りると潮風が香る。その風に逆らうように山の方を見上げた。改札を出てコンビニを探し、そこで少し時間を潰す。コンビニの店員からファミリーレストランの場所を聞くと、歩いてそこを目指す。
 夜まではそこで時間を潰せばいい。

 赤い光は消えていた。テルハは、ぐったりと力なくうつむいている。
 離れた所から男たちの声が聞こえてくる。
「どうする?」
「上の指示はなんだって?」
「後藤田の金を回収しろって」
「本当に二十億なんて金持ってたのか?」
「そういう話だぜ」
「あの女すぐに言うと思うか?」
「言わないだろうな」
「歯を全部叩き折ってやるか?」
「バカ、そんなことしたら話が出来なくなるだろうが」
「坂下さんが生きてればな」
「なぁ、坂下さんを殺したのって、あの女なのか?」
「わかんねえから一人ずつ試したんだろうが」
「結論は出ただろ? あの女じゃない」
「じゃあ、やるか」
 テルハは薄闇の中で瞳を開く。そんなくだらない理由で僕はこんなところに連れて来られたのか。誰も後藤田に対する忠誠心は無かった。つくづく可哀相な男だ。でも、それは当然だろう。人を物として扱う奴は、自身も物として扱われるのだ。
 部屋の中が明るくなり男たちが入ってきた。部屋にはドアなど無く、分厚いカーテンがドア代わりになっていた。毛布かもしれない。埃にまみれたコンクリートの床にむき出しになった錆び付いたベッド。その淵に僕の両手は縛り付けられている。
「聞きたいことがある」
 男の一人が言った。進めなくなるまで進むアホだ。
「後藤田の金はどこにある」
 金。八人の関心事は金だった。なんてつまらない連中だろう。
「後藤田の金?」
 聞き返す僕の頬を、つまらない男がひっぱたいた。
「聞かれたことに答えろ!」
 落ち着いて会話が出来無い奴と取引をするときは、慎重になることだ。こいつらは出来損ないの質問に対して、完璧な答えを要求している。致命的欠陥だ。あると言ってもダメ。銀行にあると言ってもダメ。新都市銀行に預けてあります。とでも言えば、少しは落ち着くだろうか。
「新都市銀行にある」
「本当だろうな?」
 知るか。僕はそこに預けたことなんて無いからね。
「新都市銀行か、ここからだと遠いな」
「誰だよ、ここでやろうって言い出した奴」
 疑問を持つものは、時としてただのクレーマーになる。
「嘘じゃない証拠を言え」
 これまたひどい質問だった。道端でサラリーマン風の男がこう尋ねてきたらどうする? 俺はあなたが人間じゃないと思っていますが、あなたはそうじゃないと証明できますか? 狂ってる。正気の人間がする質問ではない。
「僕にはいつもそこから振り込まれていた」
 半分がそれで納得した。
「早く始末しようぜ」
 視野の狭い男が言った。誰よりも先に、こいつを始末してもらいたい。
「ダメだ。嘘を言ってるかも知れないからな」
 打算的な男が視野の狭い男を止める。
「嘘をついてるなら、これでわかるさ」
 つまらない男が床に落ちていた角材を拾い上げて、僕のスネに向かって振り下ろした。強烈な衝撃だった。今、世界に隕石が落ちた。
「嘘じゃない!」
 叫びに似た声が僕の喉から飛び出していく。
 視野の狭い男が角材を要求する。つまらない男はそれをあっさりと引き渡す。視野の狭い男がつまらない男のマネをして、僕の膝に角材を振り下ろす。
 僕はもう二度と走ることは無いだろう。走りたいとも思わないけど。
「まいったな」
 打算的な男が言った。男たちが彼を見る。
「銀行だと、引き出せなくなるんじゃないのか?」
「それじゃ、取りに行ったら捕まるかもしれないの?」
 不安な男が悲鳴を上げた。その声が視野の狭い男を刺激する。視野の狭い男はうれしそうに角材を振り上げる。
「僕なら、五億円は持ってるよ」
 男たちの動きが止まる。
「マンションに行けば、あいつの貸金庫の鍵もある」
 そう、そしてマンションに逃げ込めれば僕の勝ちだ。亡者には、この手の幻想がよく効く。幻想は見る見るうちに猿どもの心の中に浸透していく。
「死にたくないからって、嘘をついてるんじゃないだろうな?」
 不安な男は、何に対しても心配しないといられないのだ。
「五億も持ってるわけが無い」
「そう思うなら、もう話さない」
「死にてえのか!」
 怒鳴り声を上げながら視野の狭い男角材を振り上げる。
「僕を殺したら、一円も手に出来無いと思えよ!」
 猿の群れを掌握するのは簡単だ。えさをやらないよ! と言ってやればいい。
「大金を引き落とすには手続きがいるって言うことを忘れるなよ」
 オスどもはこっちを凝視していた。もはや僕の優位は揺るがない。
「あんたらはお金を手にして、僕は助けてもらう。それでいいだろ?」
 マンションか銀行に逃げ込めれば、後はどうにかなる。
「すぐ行こうぜ」
「こんな足で行ったら、まず間違いなく警察を呼ばれるだろうね」
 強がる男の出鼻をくじくことに成功。誰も僕を超えることは出来無い。
「車を用意するんだ」
 猿のオスどもが顔を見合わせる。
「それから服も用意して。スカートだと傷が見えるから、ズボンにして」
 そうさ、逃げるならズボンの方が都合がいい。

 シュウジは薄暗くなった道を歩いていく。時折通り過ぎる車のヘッドランプが道路を照らす。もう少し行けば曲がり道になる。そこを行けばたどり着く。
 左右に緑を抱えた砂利の長い上り坂。先は曲がりくねり夜の暗がりに包まれていた。車ならたいしたこと無いのだろうが、歩きではまだ時間がかかるだろう。
 シュウジは苦労して何とか両手にボールペンを握る。カチカチと音を鳴らす。いい音だ。
 ここから先は、敵の陣地だ。
 しばらく進むと、後ろからヘッドランプで照らされる。
「おい」
 灰色のハイエースワゴンの運転席から男が声をかけてくる。ボールペンを握った手で光を遮る。
「この先は何もねえぞ。戻れ」
 この先には何も無い。お前は車でどこに行くつもりだ?
「なんだって?」
 シュウジは聞こえないフリをした。
 運転席から男が降りてくる。男はシュウジの肩をつかんで怒鳴った。
「ここから出て行けって行ってんだよ」
「俺は、歩いてるだけだ」
 男はシュウジの肩を突き飛ばす。車の明かりの中から夜の中に消えていくシュウジ。
 カチ。
 男は頬を押さえた。空を見上げる。
「雨じゃないよ」
 シュウジの声が暗がりから男を捕らえる。

 カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ。

 ヘッドライトの光の中で、男の顔が白骨化していく。骸骨になった顔を押さえる男の手が見る見るうちに骨だけになっていく。音は鳴り止まない雨のように男を打ち続ける。
やがて男の膝が落ち、地面に転がる。

 シュウジはハイエースの中を覗き見る。誰もいない。紙袋が助手席においてあった。開けてみると中には女性物のパンツと下着が入っている。ハイエースのエンジンを切る。そのままキーを引き抜くと、目の前に広がる茂みの中に投げ捨てる。
 ひどいことをするんだな。
 胸の渓谷から声がしてくる。
「そうでもないさ」
 砂利の道をさらに登り続ける。
「あと七人」
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