シャイロック

大秦頼太

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シャイロック 26

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 シュウジは携帯電話で救急車を呼ぶ。
「友達がおかしいんです。酔っ払ってるのかもしれない」
 呼びかけとは別のことに反応する。おかしなことをしゃべりだす。俺が、俺が彼女の脳を削ってしまったのかもしれない。
 電話の向こうの男は、ひどくのんびりした感じでそれが腹立たしかった。
「テルハが壊れてしまったのは、俺がやったからなのかもしれないんだよ! 何でもいいから救急車をこっちによこせ!」
 住所はどこですか?
「何とかってビルだよ!」
 何とかじゃわかりませんねぇ。
「ミ・ラ・ポルセって店があるビルだ。早くしろ」
 いたずらか何かですか?
「誰がいたずらなんかするか。早く救急車を呼んでくれ」
 こっちも忙しいんだから、いい加減にしてくれよな。
 ツー、ツー、ツー。
 ふざけんなよ。
「ふざけんな!」
 もう一度、救急に電話をする。
 この電話をお繋ぎすることは出来ません。近くの公衆電話などから、再度おかけ直しください。この電話をお繋ぎすることは出来ません。近くの公衆電話などから、再度おかけ直しください。
 シュウジはテルハを探す。テルハは耳を引っ張ったり、頭を叩いたりしている。
「病院に行こう」
 シュウジの言葉にテルハは反応しなかった。そのことを考えても無駄だった。
 鼓動がどんどん早くなり息苦しくなってきた。テルハの前に行き、話しかける。肩をつかまれたテルハはひどく驚いたが、まったく関係のないことを言った。
「ボールペンのインクにはシロアリを誘引するんだよ。フェロモンと同じ物質なんだ」
「病院に行こう」
 シュウジの呼びかけにテルハは困ったような顔をする。
「カルビとバラ肉は同じだってさ」
「何言ってんだよ!」
「寒い日には足をつまむといいんだってさ」
「わからないのか?」
「サイの角が食べたい」
 携帯電話が鳴った。マサコからだ。
 大変なの! お母さんが、知らない人たちに連れて行かれちゃって……。
「落ち着けよ。今どこだ?」
 園よ。でも、急がないとお母さんが殺されちゃう。
「どんな奴らだった?」
 わからないわ。なんだか黒い服を着てた。
「キャベツは何で重いのかしら?」
 テルハがシュウジを見て疑いのまなざしを向けている。
 シュウジは目を背ける。
 君をこんな風にしてしまったのは、この俺なんだ。
 テルハは部屋の中を歩き回る。
「とにかくそっちに行く」
 待ってる。早く来て。
 通話が切れるとテルハが一枚の紙を見せる。そこには走り書きされた文字があった。
「(耳がおかしいの)」
「俺のせいだ」
 テルハが再び紙に文字を書く。
「(何?)」
「それは俺のせいなんだ」
 下唇を噛みながら、テルハが文字を書く。
「(変なこと言わないでよ)」
「何?」
 テルハの視線が揺れる。そして、再び字を書く。
「(書いて)」
 押し付けられるペンと紙を受け取って、当惑するシュウジ。
「何を書けって? (何を?)」
 テルハがペンを奪い取る。そして、シュウジの手の中の紙に書く。
「(今、言ったこと。さっき言ったことでもいい)」
 ペンはシュウジの手に渡る。ゆっくりと震えながら文字を書く。事実なら恐ろしいことだ。
「(俺のせい?)」
 文字を見てテルハはすぐに首を横に振った。ペンをもぎ取ると、
「(何も聞こえないけど、聞こえるの)」
「え?」
「(変な風に聞こえるの)」
「(なんて?)」
「(ピンク色の子豚が踊ってる。そう言った? 聞こえないのに、無理やり聞こうとしているせいで、おかしくなってるんだ)」
「(おばさんがさらわれたんだ)」
 テルハがシュウジの腕をつかむ。
「(誰に?)」
「(わからない。帰らないと)」
「(行っていいよ)」
「(一緒に)」
 テルハは笑った。シュウジもつられて笑った。長い廊下を歩き、エレベーターのスイッチを押す。エレベーターはすぐに来る。二人は中に乗り込む。
 下がっていく間に、テルハが紙を見せる。
「(僕のところに来た時、なんて言ったの?)」
「(大丈夫か? って。なんて聞こえた?)」
 テルハは笑顔でこう書いた。
「(教えない)」
 テルハはそのまま顔を背けた。その顔は少し悲しそうだった。

 エレベーターを降りると下はひどい騒ぎだった。シュウジの体に隠れるようにテルハは進む。表の玄関に救急車両が見える。人々の注目はそちらに注がれている。人だかりが出来ていてとてもすんなりと突破できそうに無い。
 二人はフロントに行く。
「すみません。アレ? なんですか?」
 シュウジの問いに電話応対をしていたフロント係が受話器をふさぐ。
「食中毒みたいで、ちょっと待ってもらえますか?」
 フロント係は電話の応対を再開する。
「急ぎの用事があるんだけど、どこか他に出口は無いの?」
 フロント係は困った顔をしたが、すぐにボールペンで奥を指差した。
「従業員用の出口があります。あとはそっちで交渉してください」
「ありがとう」
 二人は足早にフロントの奥へと向かった。
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