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シャイロック 24
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「私の充電器が使えてよかったね。ここをこうすればいいのよ」
わかった。どうもな。
シュウジはマサコと別れ部屋に戻ると、携帯電話の操作を始める。
発信履歴を見る。いくつか違う番号の中に「加川秋穂」という名前がいくつもあった。
おそらくこれが和也の彼女なのだろう。シュウジは、ゆっくりと発信を押してみた。
長いコールの後、女の声が受話器から聞こえてきた。それはひどくこちら側を怪しんでいるような雰囲気だった。
「もしもし? 誰? なんだ、和也の友達か。びっくりした。和也死んだんでしょ? 何か用? 困るわよねー。いきなり死んだりして。私のせいにされたらどうしようかと思ったわ。別に彼女じゃないわよ。子供? あぁ、まぁ、妊娠したかもって話はしたけど、別に和也だけじゃないし、正直面倒くさかったんだよね。ほら、男ってさ、子供が出来たって言うとドン引きするじゃん? そうしたら、和也も離れるかなって。話をしてみたら、正直こっちがドン引きしちゃったわよ。俺が金は何とかする。だから結婚しよう。だってさ! ありえなくない? 私、あんたと別れたいんですけどって、よっぽど言ってやろうかと思ったんだど、まぁ、それは流石に可哀想かなって思ってさ、言わなかったのよ。超偉くない? えらいっしょ? まぁ、どうせお葬式のお誘いだと思うけど、何かそういうの行く気にならないのよね。気分が滅入るでしょ? 縁起も悪そうだし、友達と遊んでるほうが、ずっと面白いしね。あ、友達来たから切るね。今度、遊ぼうね。また電話して」
通話が切れてもシュウジは携帯電話を耳に当てたままだった。
……。
右手が再び発信しようとボタンに向かう。その手がすぐに止まる。
居場所を聞いてどうする。殺すのか? それで和也が喜ぶとでも?
携帯電話を閉じて、ベッドの上に投げ捨てる。
ベッドの淵に寄りかかり床板の染みを見つめる。結局、カーペットの血は落とせなかった。カーペットは捨てることになった。
「やっちまえよ」
胸の痣が拍動する。シュウジはシャツを脱ぐ。痣の中から胸を切り裂いて、黒い指先がもっと外へ出てこようと蠢いていた。傷口から流れ落ちる血はすぐ黒くなって黒い指先に吸い込まれていく。
「簡単だろう? ライターをつけるくらい簡単なことさ。親指を動かすだけでいいんだ。それだけで簡単に終わるんだぜ。あっけないもんさ。なんなら、俺がやってやろうか? お前は何も知らなかったと言えばいい。指が勝手に動いたんだってな。どうせお前を捕まえることなんかできやしない。お前がやったなんて思いもしない。見ているようで見ていない奴ばかりだからな、ひょっとしたら、お前は神になれるかもしれないぞ? そうさ、なれるさ。神には生贄が必要だろう?」
痣が小さな裂け目を生む。細く深い闇の渓谷だ。その奥底から一本の糸のような左手が風に舞い上がるように現れる。
「今すぐにも鳴らせるぜ」
イマスグニモナラセルゼ。
小さな左手が、古い木造家屋が風に押されるようなギイギイという音を出しながら、シュウジの視線の中を行ったりきたりする。
ダメだ。
「いいじゃねえか。どうせ毎日くだらない理由で、誰かが死んでるんだ。お金が欲しいから人を刺しました。余所見をしていてトラックで突っ込みました。むしゃくしゃしてるから人を殺しました。そんな連中が五万といるんだ。指先一つで人を殺すことが何故悪い? まさか、今さら人を殺すことが恐ろしくなってるんじゃないだろうな? 冗談はやめてくれよ。一体、何人のクズどもを切り取ってきたと思ってるんだ? わからないか? 俺もわからないさ。それほど沢山のクズを殺しても、クズは一向にいなくならない。何故だかわかるか? 俺が特別に教えてやるよ。俺はお前の唯一の味方だからな。クズがなくならないのは、この世の中のほとんどがクズだからさ」
違う。
「違わないさ。まったく違わないね。おいおい、本当にどうしちまったんだ? クズをなくすんだろう? 蟻を踏み潰すように。おたまじゃくしをコンクリートの地面に激突させるように。お前にはその力がある。それとも何か? 怖くなったのか?」
ほんの少しの沈黙だったが、その次の言葉はシュウジの心が凍りつくには十分だった。
「楽しかったんだろ?」
パチン。
シュウジの左手が音を鳴らす。糸のような左手が雲散する。
「ひどいことするなぁ」
闇の渓谷から、再び左手が上ってくる。
「お前は楽しんでいたんだろ? だから、いい気になっていた。神様気取りで人を殺してきた。お前も変わらないさ」
パチン。
「無駄さ」
パチン。
何度消しても糸の左手はそのたびに闇の渓谷から現れる。
「お前も、お前に殺された連中も何も変わらないさ。クズがクズを殺して、正義の味方を気取っているなんて、こっけいだぜ」
パチン。
シュウジの胸がフラッシュのような閃光を生む。
胸の痣が消え、代わりにえぐられたような痕が残った。
声は、聞こえなくなった。
ベッドの上で携帯電話が突然震えだす。着信音は和也が好きだった女性アーティストの曲だった。何度聞いても覚えなかったが、その悲しげな声は今のシュウジの心をどんよりとさせた。
もしもし。
聞こえてくる自分の声が嫌だった。だから、テルハの声に救われた気がした。
「使えるようになったんだね。今夜、お願いしてもいいかな? 一応、ディナーの予約したんだ。まぁ、君は一人だけどね。僕が大きなため息をついたら何か注文するフリをして、指を鳴らしてくれればいいよ。そうしたら、全部終わり。めでたしめでたしだ。ね、全部終わったらさ、海外に旅行でもしようか? あぁ、君と僕は何の関係も無いんだっけ。まぁ、でもいいじゃん。どっかさ、誰もいないようなところに行って、一日中空を眺めてみようよ。嫌なこともよかったことも全部忘れてさ、地球に溶けちゃおう。あぁ、お店はね。ミ・ラ・ポルセって言うお店。なんだかお空の上にあるような高いビルの上なんだぜ。あー、あとね、ネクタイしてないとダメだけど、君にできるかな? Tシャツにネクタイしてきたらぶっ飛ばすよ。一応、郵便受けにお金突っ込んでおいたぞ。持ち逃げするなよ? 成功したら、僕の全財産を君に上げるんだからさ。旅行の時はおごってもらうからね」
通話が切れると同時に、マサコが部屋に入ってくる。上半身裸のシュウジを見て、耳を赤くする。
「着てないなら、着てないって言ってよ。これ、お兄ちゃんに。変なもんじゃないでしょうね? ここで見ないでよ。子どもがいるんだからね」
押し付けるように紙の包みをシュウジに渡すと、足早にかけていった。
シュウジは、胸の傷跡に触れる。
あと一人、あと一人殺したら、もうやめよう。それで二度と力は使わない。
「私の充電器が使えてよかったね。ここをこうすればいいのよ」
わかった。どうもな。
シュウジはマサコと別れ部屋に戻ると、携帯電話の操作を始める。
発信履歴を見る。いくつか違う番号の中に「加川秋穂」という名前がいくつもあった。
おそらくこれが和也の彼女なのだろう。シュウジは、ゆっくりと発信を押してみた。
長いコールの後、女の声が受話器から聞こえてきた。それはひどくこちら側を怪しんでいるような雰囲気だった。
「もしもし? 誰? なんだ、和也の友達か。びっくりした。和也死んだんでしょ? 何か用? 困るわよねー。いきなり死んだりして。私のせいにされたらどうしようかと思ったわ。別に彼女じゃないわよ。子供? あぁ、まぁ、妊娠したかもって話はしたけど、別に和也だけじゃないし、正直面倒くさかったんだよね。ほら、男ってさ、子供が出来たって言うとドン引きするじゃん? そうしたら、和也も離れるかなって。話をしてみたら、正直こっちがドン引きしちゃったわよ。俺が金は何とかする。だから結婚しよう。だってさ! ありえなくない? 私、あんたと別れたいんですけどって、よっぽど言ってやろうかと思ったんだど、まぁ、それは流石に可哀想かなって思ってさ、言わなかったのよ。超偉くない? えらいっしょ? まぁ、どうせお葬式のお誘いだと思うけど、何かそういうの行く気にならないのよね。気分が滅入るでしょ? 縁起も悪そうだし、友達と遊んでるほうが、ずっと面白いしね。あ、友達来たから切るね。今度、遊ぼうね。また電話して」
通話が切れてもシュウジは携帯電話を耳に当てたままだった。
……。
右手が再び発信しようとボタンに向かう。その手がすぐに止まる。
居場所を聞いてどうする。殺すのか? それで和也が喜ぶとでも?
携帯電話を閉じて、ベッドの上に投げ捨てる。
ベッドの淵に寄りかかり床板の染みを見つめる。結局、カーペットの血は落とせなかった。カーペットは捨てることになった。
「やっちまえよ」
胸の痣が拍動する。シュウジはシャツを脱ぐ。痣の中から胸を切り裂いて、黒い指先がもっと外へ出てこようと蠢いていた。傷口から流れ落ちる血はすぐ黒くなって黒い指先に吸い込まれていく。
「簡単だろう? ライターをつけるくらい簡単なことさ。親指を動かすだけでいいんだ。それだけで簡単に終わるんだぜ。あっけないもんさ。なんなら、俺がやってやろうか? お前は何も知らなかったと言えばいい。指が勝手に動いたんだってな。どうせお前を捕まえることなんかできやしない。お前がやったなんて思いもしない。見ているようで見ていない奴ばかりだからな、ひょっとしたら、お前は神になれるかもしれないぞ? そうさ、なれるさ。神には生贄が必要だろう?」
痣が小さな裂け目を生む。細く深い闇の渓谷だ。その奥底から一本の糸のような左手が風に舞い上がるように現れる。
「今すぐにも鳴らせるぜ」
イマスグニモナラセルゼ。
小さな左手が、古い木造家屋が風に押されるようなギイギイという音を出しながら、シュウジの視線の中を行ったりきたりする。
ダメだ。
「いいじゃねえか。どうせ毎日くだらない理由で、誰かが死んでるんだ。お金が欲しいから人を刺しました。余所見をしていてトラックで突っ込みました。むしゃくしゃしてるから人を殺しました。そんな連中が五万といるんだ。指先一つで人を殺すことが何故悪い? まさか、今さら人を殺すことが恐ろしくなってるんじゃないだろうな? 冗談はやめてくれよ。一体、何人のクズどもを切り取ってきたと思ってるんだ? わからないか? 俺もわからないさ。それほど沢山のクズを殺しても、クズは一向にいなくならない。何故だかわかるか? 俺が特別に教えてやるよ。俺はお前の唯一の味方だからな。クズがなくならないのは、この世の中のほとんどがクズだからさ」
違う。
「違わないさ。まったく違わないね。おいおい、本当にどうしちまったんだ? クズをなくすんだろう? 蟻を踏み潰すように。おたまじゃくしをコンクリートの地面に激突させるように。お前にはその力がある。それとも何か? 怖くなったのか?」
ほんの少しの沈黙だったが、その次の言葉はシュウジの心が凍りつくには十分だった。
「楽しかったんだろ?」
パチン。
シュウジの左手が音を鳴らす。糸のような左手が雲散する。
「ひどいことするなぁ」
闇の渓谷から、再び左手が上ってくる。
「お前は楽しんでいたんだろ? だから、いい気になっていた。神様気取りで人を殺してきた。お前も変わらないさ」
パチン。
「無駄さ」
パチン。
何度消しても糸の左手はそのたびに闇の渓谷から現れる。
「お前も、お前に殺された連中も何も変わらないさ。クズがクズを殺して、正義の味方を気取っているなんて、こっけいだぜ」
パチン。
シュウジの胸がフラッシュのような閃光を生む。
胸の痣が消え、代わりにえぐられたような痕が残った。
声は、聞こえなくなった。
ベッドの上で携帯電話が突然震えだす。着信音は和也が好きだった女性アーティストの曲だった。何度聞いても覚えなかったが、その悲しげな声は今のシュウジの心をどんよりとさせた。
もしもし。
聞こえてくる自分の声が嫌だった。だから、テルハの声に救われた気がした。
「使えるようになったんだね。今夜、お願いしてもいいかな? 一応、ディナーの予約したんだ。まぁ、君は一人だけどね。僕が大きなため息をついたら何か注文するフリをして、指を鳴らしてくれればいいよ。そうしたら、全部終わり。めでたしめでたしだ。ね、全部終わったらさ、海外に旅行でもしようか? あぁ、君と僕は何の関係も無いんだっけ。まぁ、でもいいじゃん。どっかさ、誰もいないようなところに行って、一日中空を眺めてみようよ。嫌なこともよかったことも全部忘れてさ、地球に溶けちゃおう。あぁ、お店はね。ミ・ラ・ポルセって言うお店。なんだかお空の上にあるような高いビルの上なんだぜ。あー、あとね、ネクタイしてないとダメだけど、君にできるかな? Tシャツにネクタイしてきたらぶっ飛ばすよ。一応、郵便受けにお金突っ込んでおいたぞ。持ち逃げするなよ? 成功したら、僕の全財産を君に上げるんだからさ。旅行の時はおごってもらうからね」
通話が切れると同時に、マサコが部屋に入ってくる。上半身裸のシュウジを見て、耳を赤くする。
「着てないなら、着てないって言ってよ。これ、お兄ちゃんに。変なもんじゃないでしょうね? ここで見ないでよ。子どもがいるんだからね」
押し付けるように紙の包みをシュウジに渡すと、足早にかけていった。
シュウジは、胸の傷跡に触れる。
あと一人、あと一人殺したら、もうやめよう。それで二度と力は使わない。
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