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シャイロック 18
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前を歩く男は後ろからついてくるテルハとシュウジのことには気がついていないようだった。黒いスーツで身を包むその姿が、お葬式帰りのような印象を与える。時々、辺りを見上げるその顔にサングラスと言うアイテムが見える。
テルハはシュウジを見る。心の中は単純だ。憎しみが渦巻いている。文字通り、心を黒く塗りつぶそうとしている。それは、幸せな結果を生むことが無いマイナスの力だ。
僕にも経験がある。友達とケンカして、友達の思っていることを全部ぶちまけたことがあった。それ以来、僕は一人になった。親すらも僕を気持ち悪がり、押入れに閉じ込めた。定期的に訪れてくる子供を守ると自称する連中の中には、面倒くさいとかお金のためと言う言葉が必ずあった。
どうしてあんな子が生まれてきたんだろうか。私は悪いことなんか一つもしたことがないのに。
母親の心には常にそんな疑問が渦巻いていた。
生まれて来なかったらよかったのに。
他愛の無い言葉でも、人は深く傷つくことがある。
あの頃は覗くつもりは無くても、僕は何でも拾い上げて口に入れる赤ちゃんのように、誰の区別も無く心を見て回った。
人間の中には深い闇が詰まっている。それを堆積した優しさや愛情がカバーしているのだ。闇が一瞬でも表に出ようものなら、そこには不幸が訪れる。でも、僕に見える世界は、闇の部分がほとんどだった。
あの子さえいなければ、私は捨てられずに済んだのだ。
父親は、幼い日に僕たちに別れを告げた。母親は僕のせいだといつも思っていた。でも、本当は心の奥底で自分が一番の原因だと知っていた。それを僕に見透かされているのが屈辱であり、羞恥であったに違いない。父親は女と逃げた。心休まらない母親といるよりも、仕事場で出来た新しい女と暮らすことを選んだのだ。単純だ。世界は実にシンプルだ。僕たちが複雑に考えてしまうから、この世の何もかもが難しく見えてしまうのだ。
価値観が合わなくなった。それを認めて別れてしまえばよかったのだ。いつまでも父親を信じて帰ってくるという妄想に捕らわれなければよかったんだ。人は、自分が愛するようには愛されないことを理解しておくべきだったのだ。
母親は、僕に対する憎しみで頭がおかしくなった。僕も母親が疎ましかった。
あの女と逃げたんだよ。あの女と逃げた。あの女は逃げた。あの女。あの女が何もかも悪いんだ。
母親は僕を何度も殺そうとしたけれど、僕はそれを知っていたので、母親の計画はただの一度も成功することが無かった。
どうして僕を生んだの? なんで僕を普通に生んでくれなかったの?
責めてやりたいのは僕の方だった。誰の心も感じないように生んでくれれば、僕は幸せに生きることが出来たのに、こんな出来損ないの掃除機のように必要なものもそうじゃないものも一緒に吸い込んでしまって自分の心さえもグチャグチャに壊してしまう。僕を返して!
心中を計画する母親は、二十数回の計画の後、一度の成功も見ないまま一人で逝ってしまった。
母親が死んで近づいてきたのが後藤田だった。あんな母親でも、僕の事を守っていたのだ。僕は、最後の愛を失った。
「君、少し落ち着きなよ」
わかってる。
「わかってる」
シュウジは、そうやって念じるように心を落ち着けている。
黒スーツの男が路地を曲がった。
「気付かれた」
「何?」
「このまま通り過ぎるよ」
「ダメだ」
「ダメだって、君はアホか?」
「和也を殺した奴に繋がっている」
「でも」
「飛び込むしかない」
シュウジはテルハが止めるまもなく路地に向かって走っていく。テルハも仕方がなくそれに続いた。
二人の目の前に黒スーツの男が立っている。黒スーツの男は親しげに片手を挙げて見せた。
「よう」
友達に話しかけるかのように男は口を優しく微笑ませる。
「どっかで会ったかな? 君たちにつけられる覚えが無いんだけど、それともこっちの道にただ単に用事があっただけかな? それだったら申し訳ないな。偶然と言うやつはバカに出来無いからね。偶然を笑う奴は、生きてる価値がないと思うよ。本当に。この宇宙があるのだってただの偶然なんだからね。俺がここに立っていることだって、まったくの偶然なんだ」
テルハは動けなかった。この男は真っ黒だ。黒いスーツを着ていたのではない。スーツは白かった。黒い心をまとっているのだ。危険だ。ここから離れた方がいい。絶対にいい。こいつに関わってしまったら、全てが終わる。
「和也のことで話がある」
男は表情一つ変えなかった。心にも揺らぎが無い。男はシュウジを上から下までゆっくりと舐めるように見る。
和也? 誰だ?
「何? 友達?」
「そうだ」
あぁ、和也か。秋穂に貢いでるあの和也か。
「なら、あいつに金を返すように言ってくれるかな?」
「いくら?」
男はフレンドリーな態度を崩さない。
「三百万。君が返してくれてもいいよ」
「三人殺せば五百万だろ?」
やめるんだ。テルハはシュウジの腕をつかむが、シュウジはその手を振りほどく。
こいつから犯人を突き止める。
「違うのか?」
「正解」
こいつ、目がめんどくせえな。まったく俺の周りには正気の奴はいないのか? 人を殺して金がもらえると思ってるなんて、正気じゃねえ。まぁ、払う方も払う方だけどな。
「和也は殺されたんだよ」
テルハがシュウジの足を踏む。この交渉ベタが! シュウジは下唇を噛んでテルハを一度睨んだ。邪魔をするな。
へぇ。
男の顔から笑みが消えた。男はゆっくりとサングラスを取ると、虚空に問いかける。
「誰に?」
「あんたが殺そうとした三人にだよ」
男は大声で笑った。
「俺は誰にも、死んで欲しいなんて思ってないぜ。邪魔な奴が勝手に消えるのさ」
次にこいつが何か言ったら、腹に蹴りを入れて行くかな。面倒くせえ。
「あなたには興味は無いの」
「何?」
「和也の仇を討ちたいのよ」
何だこのチビ。
「チ、……中国人のボッタクリバーを教えてくれればそれでいいわ」
「つまり」
「お金はいらない」
男はサングラスをかけた。
こっちのチビの方が、話がわかるな。
「おい。勝手に……」
シュウジの視線がテルハに移った一瞬の間に、男の膝がシュウジの腹部にめり込んだ。うめき声を上げてシュウジが地面に転がる。シュウジの左手が、男に向かって伸びる。
「ダメ!」
シュウジと男が止まる。
「まぁ、いいや」
男がシュウジを見下ろす。
「池袋のエイジス。そこの連中さ」
男はシュウジたちに背を向けて路地を奥へと歩き出す。テルハは、シュウジの左手を両手で握り締める。
不意に男が振り返る。真っ黒な人影がそこにある。
「俺は、白石都。仕事が欲しくなったら、『大都会』に来るといい」
白石の姿が見えなくなるまで、二人は地面にしっかりと縫い付けられたまま動けないでいた。
前を歩く男は後ろからついてくるテルハとシュウジのことには気がついていないようだった。黒いスーツで身を包むその姿が、お葬式帰りのような印象を与える。時々、辺りを見上げるその顔にサングラスと言うアイテムが見える。
テルハはシュウジを見る。心の中は単純だ。憎しみが渦巻いている。文字通り、心を黒く塗りつぶそうとしている。それは、幸せな結果を生むことが無いマイナスの力だ。
僕にも経験がある。友達とケンカして、友達の思っていることを全部ぶちまけたことがあった。それ以来、僕は一人になった。親すらも僕を気持ち悪がり、押入れに閉じ込めた。定期的に訪れてくる子供を守ると自称する連中の中には、面倒くさいとかお金のためと言う言葉が必ずあった。
どうしてあんな子が生まれてきたんだろうか。私は悪いことなんか一つもしたことがないのに。
母親の心には常にそんな疑問が渦巻いていた。
生まれて来なかったらよかったのに。
他愛の無い言葉でも、人は深く傷つくことがある。
あの頃は覗くつもりは無くても、僕は何でも拾い上げて口に入れる赤ちゃんのように、誰の区別も無く心を見て回った。
人間の中には深い闇が詰まっている。それを堆積した優しさや愛情がカバーしているのだ。闇が一瞬でも表に出ようものなら、そこには不幸が訪れる。でも、僕に見える世界は、闇の部分がほとんどだった。
あの子さえいなければ、私は捨てられずに済んだのだ。
父親は、幼い日に僕たちに別れを告げた。母親は僕のせいだといつも思っていた。でも、本当は心の奥底で自分が一番の原因だと知っていた。それを僕に見透かされているのが屈辱であり、羞恥であったに違いない。父親は女と逃げた。心休まらない母親といるよりも、仕事場で出来た新しい女と暮らすことを選んだのだ。単純だ。世界は実にシンプルだ。僕たちが複雑に考えてしまうから、この世の何もかもが難しく見えてしまうのだ。
価値観が合わなくなった。それを認めて別れてしまえばよかったのだ。いつまでも父親を信じて帰ってくるという妄想に捕らわれなければよかったんだ。人は、自分が愛するようには愛されないことを理解しておくべきだったのだ。
母親は、僕に対する憎しみで頭がおかしくなった。僕も母親が疎ましかった。
あの女と逃げたんだよ。あの女と逃げた。あの女は逃げた。あの女。あの女が何もかも悪いんだ。
母親は僕を何度も殺そうとしたけれど、僕はそれを知っていたので、母親の計画はただの一度も成功することが無かった。
どうして僕を生んだの? なんで僕を普通に生んでくれなかったの?
責めてやりたいのは僕の方だった。誰の心も感じないように生んでくれれば、僕は幸せに生きることが出来たのに、こんな出来損ないの掃除機のように必要なものもそうじゃないものも一緒に吸い込んでしまって自分の心さえもグチャグチャに壊してしまう。僕を返して!
心中を計画する母親は、二十数回の計画の後、一度の成功も見ないまま一人で逝ってしまった。
母親が死んで近づいてきたのが後藤田だった。あんな母親でも、僕の事を守っていたのだ。僕は、最後の愛を失った。
「君、少し落ち着きなよ」
わかってる。
「わかってる」
シュウジは、そうやって念じるように心を落ち着けている。
黒スーツの男が路地を曲がった。
「気付かれた」
「何?」
「このまま通り過ぎるよ」
「ダメだ」
「ダメだって、君はアホか?」
「和也を殺した奴に繋がっている」
「でも」
「飛び込むしかない」
シュウジはテルハが止めるまもなく路地に向かって走っていく。テルハも仕方がなくそれに続いた。
二人の目の前に黒スーツの男が立っている。黒スーツの男は親しげに片手を挙げて見せた。
「よう」
友達に話しかけるかのように男は口を優しく微笑ませる。
「どっかで会ったかな? 君たちにつけられる覚えが無いんだけど、それともこっちの道にただ単に用事があっただけかな? それだったら申し訳ないな。偶然と言うやつはバカに出来無いからね。偶然を笑う奴は、生きてる価値がないと思うよ。本当に。この宇宙があるのだってただの偶然なんだからね。俺がここに立っていることだって、まったくの偶然なんだ」
テルハは動けなかった。この男は真っ黒だ。黒いスーツを着ていたのではない。スーツは白かった。黒い心をまとっているのだ。危険だ。ここから離れた方がいい。絶対にいい。こいつに関わってしまったら、全てが終わる。
「和也のことで話がある」
男は表情一つ変えなかった。心にも揺らぎが無い。男はシュウジを上から下までゆっくりと舐めるように見る。
和也? 誰だ?
「何? 友達?」
「そうだ」
あぁ、和也か。秋穂に貢いでるあの和也か。
「なら、あいつに金を返すように言ってくれるかな?」
「いくら?」
男はフレンドリーな態度を崩さない。
「三百万。君が返してくれてもいいよ」
「三人殺せば五百万だろ?」
やめるんだ。テルハはシュウジの腕をつかむが、シュウジはその手を振りほどく。
こいつから犯人を突き止める。
「違うのか?」
「正解」
こいつ、目がめんどくせえな。まったく俺の周りには正気の奴はいないのか? 人を殺して金がもらえると思ってるなんて、正気じゃねえ。まぁ、払う方も払う方だけどな。
「和也は殺されたんだよ」
テルハがシュウジの足を踏む。この交渉ベタが! シュウジは下唇を噛んでテルハを一度睨んだ。邪魔をするな。
へぇ。
男の顔から笑みが消えた。男はゆっくりとサングラスを取ると、虚空に問いかける。
「誰に?」
「あんたが殺そうとした三人にだよ」
男は大声で笑った。
「俺は誰にも、死んで欲しいなんて思ってないぜ。邪魔な奴が勝手に消えるのさ」
次にこいつが何か言ったら、腹に蹴りを入れて行くかな。面倒くせえ。
「あなたには興味は無いの」
「何?」
「和也の仇を討ちたいのよ」
何だこのチビ。
「チ、……中国人のボッタクリバーを教えてくれればそれでいいわ」
「つまり」
「お金はいらない」
男はサングラスをかけた。
こっちのチビの方が、話がわかるな。
「おい。勝手に……」
シュウジの視線がテルハに移った一瞬の間に、男の膝がシュウジの腹部にめり込んだ。うめき声を上げてシュウジが地面に転がる。シュウジの左手が、男に向かって伸びる。
「ダメ!」
シュウジと男が止まる。
「まぁ、いいや」
男がシュウジを見下ろす。
「池袋のエイジス。そこの連中さ」
男はシュウジたちに背を向けて路地を奥へと歩き出す。テルハは、シュウジの左手を両手で握り締める。
不意に男が振り返る。真っ黒な人影がそこにある。
「俺は、白石都。仕事が欲しくなったら、『大都会』に来るといい」
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