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シャイロック 8
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「でねえや」
和也が携帯を下ろす。そのままシュウジの方へ歩いてくる。
シュウジはチラリと和也を見る。橋の下のコンクリートブロックの上に寝転がっていると、自然とまぶたが落ちてくる。目を瞑るとどこかに吸い込まれていくような感覚がやってくる。
「シュウジ。全員殺したんじゃねえだろうな?」
目を開けると、またろくでもない世界だった。思わずため息が出る。
「一人だけだ」
再び目を瞑っても、誘いは無かった。それでも目を閉じ続ける。
「山本が出ないんだよ。あいつ、報酬を払うのが嫌になって逃げたんだぜ」
「それならそれでいいだろ。みんなは我慢できるさ」
「はぁ? よくねえよ。金が無けりゃ、マン喫にも飯にも行けねえじゃんか」
「我慢しろよ。くだらねぇ」
「ふざけんな」
ふざけてんのはこの世の中だ。
「じゃあ、普通に仕事でもしろよ」
「冗談じゃねぇ。忘れたわけじゃねえだろ? あいつら、俺たちが安く使えると思ってこき使いやがって、文句を言ったヤスがボコボコにされたじゃんかよ」
「殺すことも無かったよな」
「あんなクズ、死んで当然だぜ。なぁ、もっとでかい仕事しようぜ。暴力団に売り込んでよ。敵を殺しまくろうぜ、そうしたら、俺たち超金持ちになれるぜ」
目を開けると、和也は熱のある目でシュウジを見ていた。左手を顔の前で鳴らす。
ぱちん。
和也は引きつった笑いをする。
「よせよ。気分悪いぜ」
「金なんて、何の意味があんだよ」
「金があれば、仲間を守れるじゃねえか。施設のガキには金が必要なんだぜ」
「そうだな」
和也は不満そうだった。
「変だぜ。どうしたんだよ? クズから金を奪って俺たちが使えば、世の中のためになるって言ってたじゃねえか」
「殺しても何も変わらねえよ。別のクズがそこに座るだけだろ。俺のやってることなんて意味がねえよ」
シュウジは再び目を瞑る。目を閉じると見えるものがある。穴が開いている。胸に大きな穴が。その穴の奥から、冷たく乾いた風が吹いて身体の熱を奪っていく。
「シュウジ。俺、いい話持ってるんだけど」
「しない」
和也に背中を向ける。
「まぁ、聞けよ。三人殺すだけで五百万になるんだけどよ。やらねえ?」
「しない」
「そう言うなよ。そいつら、相当のクズだから死んで当然なんだよ。中国人と組んで人から金を巻き上げてんだよ。ええと、ぽっくりババアとか言うやつさ」
「なんだよそれ、医者か警察に頼めよ」
シュウジは立ち上げる。ズボンのほこりを払うと、河川敷を歩き始める。
「待てよ」
和也が追ってくる。
「まずいぜ。断ったら、俺たちがヤバイ」
シュウジは振り向いて和也を殴る。地面に倒れる和也をシュウジが見下ろす。
「ふざけんな」
この先は聞かなくてもわかる。こいつは暴力団の手先になった。暴力団はテロリストだ。俺はテロリストが大嫌いだ。何でかわかるか? テロリストは自分のことしか考えてないからだ。自分のことしか愛してないからだ。
「わりい。でもよ、どうしてもまとまった金が要るんだよ。俺よぉ、彼女が出来てよ。そいつ妊娠してよぉ。俺、まだ普通に働けねえだろ? だからよぉ、そしたら、そいつが知り合いがいるって言うんで……」
「俺たちのことを話したのか? みんなのことも?」
「施設のことは話してねえけど、あ、女には言ったかも知れねぇ」
シュウジは、左手を和也に向ける。
「お前はもう仲間じゃない。消えろ」
「助けてくれよ! 友達だろ」
シュウジはすがりつく和也を蹴り飛ばす。ボールのように河川敷を転がり落ちる和也を見てシュウジの脳裏に言葉がよぎる。マン喫で見た少年漫画に描いてあった。ボールは友達だ。だが、友達はボールにはならない。
……。……セ。
声が聞こえた。シュウジは振り返る。誰もいない。
もう一度、和也を見る。和也は頭を地面に押し付けて叫んでいた。
「今度だけでいいんだ。そうしたら俺、もう消えるからよ! 今回だけ助けてくれよ!」
コロセ……。
今度はさっきよりもはっきり聞こえる。シュウジはゆっくりと視線を落とす。全身に寒気が走る。シャツの下を覗くと、胸に小さな穴が開いている。亀裂と言った方が正しいかもしれない。福島に蹴られた辺りだ。服の下から染み出るように奥の無い真っ黒な穴が、ひゅーひゅーと風を吸い込み、その風に逆らうように軋んだ声のような音がもれ聞こえてくる。
コロシテシマエ……。
「頼むよぉ……」
シュウジの左手が伸びる。親指と中指がくっつき、視線の先に和也を捕らえる。
「お前なんか友達じゃねえよ」
シュウジの右手が胸の穴をふさぐ。和也の叫びが嗚咽に変わる。
「すまねえ、すまねえ……」
うずくまる和也の姿を見てると、シュウジの胸の穴からの声が手との隙間から染み出てくる。シュウジは右手に力を込めて穴を握りつぶす。
「最低でも、三人は殺すんだな」
「え?」
和也の顔が上がる。鼻水と涙で濡れた顔は赤くなっていた。汚い顔だ。
「お前とはそれでお別れだ。金を持って消えろ」
和也が勢いよくシュウジに駆け寄ってくる。シュウジは左手を出して和也を止める。
「いいか、お前が殺すんだ」
和也の表情が凍る。
「俺に、できるわけねえよ」
「お前が触れた奴を殺す。俺は姿を見せない」
「なんで?」
「仲間を危険にさらさせたくないからな」
「触った奴が死ぬのか? じゃあ、みんな死ぬんじゃ」
「だったら合図を決めろよ。お前が触って、そいつが少ししたら死ぬ。場合によっては時間をおいて」
「すぐじゃダメなのか?」
「そいつが死んだらお前、逃げられんのか?」
「そ、そうか」
和也はシュウジを何度もチラ見する。
「でもよぉ、触れなきゃダメなんだろ? 難しいぜ」
「じゃあ、あきらめろ」
和也が、あっと声を上げる。
「携帯で写真撮ったらどうだ?」
「それでもいい」
和也はほっとため息をつく。
「じゃあ、撮ってくる。撮ってくるよ」
和也は河川敷を駆けて行く。
右手を緩めて穴を見る。穴はふさがっていた。声ももう聞こえない。
小さくなっていく和也が、なんだか別世界の人間に見えた。
和也とは、それっきり話をすることは無かった。
「でねえや」
和也が携帯を下ろす。そのままシュウジの方へ歩いてくる。
シュウジはチラリと和也を見る。橋の下のコンクリートブロックの上に寝転がっていると、自然とまぶたが落ちてくる。目を瞑るとどこかに吸い込まれていくような感覚がやってくる。
「シュウジ。全員殺したんじゃねえだろうな?」
目を開けると、またろくでもない世界だった。思わずため息が出る。
「一人だけだ」
再び目を瞑っても、誘いは無かった。それでも目を閉じ続ける。
「山本が出ないんだよ。あいつ、報酬を払うのが嫌になって逃げたんだぜ」
「それならそれでいいだろ。みんなは我慢できるさ」
「はぁ? よくねえよ。金が無けりゃ、マン喫にも飯にも行けねえじゃんか」
「我慢しろよ。くだらねぇ」
「ふざけんな」
ふざけてんのはこの世の中だ。
「じゃあ、普通に仕事でもしろよ」
「冗談じゃねぇ。忘れたわけじゃねえだろ? あいつら、俺たちが安く使えると思ってこき使いやがって、文句を言ったヤスがボコボコにされたじゃんかよ」
「殺すことも無かったよな」
「あんなクズ、死んで当然だぜ。なぁ、もっとでかい仕事しようぜ。暴力団に売り込んでよ。敵を殺しまくろうぜ、そうしたら、俺たち超金持ちになれるぜ」
目を開けると、和也は熱のある目でシュウジを見ていた。左手を顔の前で鳴らす。
ぱちん。
和也は引きつった笑いをする。
「よせよ。気分悪いぜ」
「金なんて、何の意味があんだよ」
「金があれば、仲間を守れるじゃねえか。施設のガキには金が必要なんだぜ」
「そうだな」
和也は不満そうだった。
「変だぜ。どうしたんだよ? クズから金を奪って俺たちが使えば、世の中のためになるって言ってたじゃねえか」
「殺しても何も変わらねえよ。別のクズがそこに座るだけだろ。俺のやってることなんて意味がねえよ」
シュウジは再び目を瞑る。目を閉じると見えるものがある。穴が開いている。胸に大きな穴が。その穴の奥から、冷たく乾いた風が吹いて身体の熱を奪っていく。
「シュウジ。俺、いい話持ってるんだけど」
「しない」
和也に背中を向ける。
「まぁ、聞けよ。三人殺すだけで五百万になるんだけどよ。やらねえ?」
「しない」
「そう言うなよ。そいつら、相当のクズだから死んで当然なんだよ。中国人と組んで人から金を巻き上げてんだよ。ええと、ぽっくりババアとか言うやつさ」
「なんだよそれ、医者か警察に頼めよ」
シュウジは立ち上げる。ズボンのほこりを払うと、河川敷を歩き始める。
「待てよ」
和也が追ってくる。
「まずいぜ。断ったら、俺たちがヤバイ」
シュウジは振り向いて和也を殴る。地面に倒れる和也をシュウジが見下ろす。
「ふざけんな」
この先は聞かなくてもわかる。こいつは暴力団の手先になった。暴力団はテロリストだ。俺はテロリストが大嫌いだ。何でかわかるか? テロリストは自分のことしか考えてないからだ。自分のことしか愛してないからだ。
「わりい。でもよ、どうしてもまとまった金が要るんだよ。俺よぉ、彼女が出来てよ。そいつ妊娠してよぉ。俺、まだ普通に働けねえだろ? だからよぉ、そしたら、そいつが知り合いがいるって言うんで……」
「俺たちのことを話したのか? みんなのことも?」
「施設のことは話してねえけど、あ、女には言ったかも知れねぇ」
シュウジは、左手を和也に向ける。
「お前はもう仲間じゃない。消えろ」
「助けてくれよ! 友達だろ」
シュウジはすがりつく和也を蹴り飛ばす。ボールのように河川敷を転がり落ちる和也を見てシュウジの脳裏に言葉がよぎる。マン喫で見た少年漫画に描いてあった。ボールは友達だ。だが、友達はボールにはならない。
……。……セ。
声が聞こえた。シュウジは振り返る。誰もいない。
もう一度、和也を見る。和也は頭を地面に押し付けて叫んでいた。
「今度だけでいいんだ。そうしたら俺、もう消えるからよ! 今回だけ助けてくれよ!」
コロセ……。
今度はさっきよりもはっきり聞こえる。シュウジはゆっくりと視線を落とす。全身に寒気が走る。シャツの下を覗くと、胸に小さな穴が開いている。亀裂と言った方が正しいかもしれない。福島に蹴られた辺りだ。服の下から染み出るように奥の無い真っ黒な穴が、ひゅーひゅーと風を吸い込み、その風に逆らうように軋んだ声のような音がもれ聞こえてくる。
コロシテシマエ……。
「頼むよぉ……」
シュウジの左手が伸びる。親指と中指がくっつき、視線の先に和也を捕らえる。
「お前なんか友達じゃねえよ」
シュウジの右手が胸の穴をふさぐ。和也の叫びが嗚咽に変わる。
「すまねえ、すまねえ……」
うずくまる和也の姿を見てると、シュウジの胸の穴からの声が手との隙間から染み出てくる。シュウジは右手に力を込めて穴を握りつぶす。
「最低でも、三人は殺すんだな」
「え?」
和也の顔が上がる。鼻水と涙で濡れた顔は赤くなっていた。汚い顔だ。
「お前とはそれでお別れだ。金を持って消えろ」
和也が勢いよくシュウジに駆け寄ってくる。シュウジは左手を出して和也を止める。
「いいか、お前が殺すんだ」
和也の表情が凍る。
「俺に、できるわけねえよ」
「お前が触れた奴を殺す。俺は姿を見せない」
「なんで?」
「仲間を危険にさらさせたくないからな」
「触った奴が死ぬのか? じゃあ、みんな死ぬんじゃ」
「だったら合図を決めろよ。お前が触って、そいつが少ししたら死ぬ。場合によっては時間をおいて」
「すぐじゃダメなのか?」
「そいつが死んだらお前、逃げられんのか?」
「そ、そうか」
和也はシュウジを何度もチラ見する。
「でもよぉ、触れなきゃダメなんだろ? 難しいぜ」
「じゃあ、あきらめろ」
和也が、あっと声を上げる。
「携帯で写真撮ったらどうだ?」
「それでもいい」
和也はほっとため息をつく。
「じゃあ、撮ってくる。撮ってくるよ」
和也は河川敷を駆けて行く。
右手を緩めて穴を見る。穴はふさがっていた。声ももう聞こえない。
小さくなっていく和也が、なんだか別世界の人間に見えた。
和也とは、それっきり話をすることは無かった。
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