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シャイロック 5
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「お前、年は?」
変なスーツを着た福島と名乗った男は、視線を外さない。シュウジもその目を背けない。チェーンの二十四時間営業のファミリーレストランに朝早くから呼び出された。
「たぶん十五」
ふうん。福島はうなったが、大して興味があるようには思えなかった。
「金が欲しい理由は?」
「家賃が払えないから」
福島は眉間にシワを作る。普通こういった場合、欲しい物があるからとか答えるのが、一般的な回答だったのだろう。
「俺もオジサンになったんだな」
「十分若いよ」
シュウジをにらみつける目は、少しの濁りもなかった。純粋で力強い怒り。
「俺の下で働こうと思ったら、俺にそんな口を利くな」
「わかった」
ぱちん。
「何の音だ?」
シュウジは左手を福島の目の前に出して、親指と薬指をはじいてみせる。
ぱちん。
「癖なんだ。記憶するときは、これを使うんだよ。スイッチみたいだろ?」
ぱちん。
「スイッチ……」
福島も右手を出して真似をしてみる。ぺちん。あまりいい音は鳴らない。
「やらないと覚えられないのか?」
「そうでもないけど忘れるのも早いからね」
「ふうん。スイッチか」
ぱちん。
福島の左手が思わぬ快音を響かせる。
「おぉ。こっちの方がいい音が鳴るな。お前は?」
「俺も左がよく鳴るよ」
「いい音の方が覚えてられるのか? スイッチとして優秀なのか?」
「スイッチは何でもいいんだ。でもいい音の方が気持ちがいい」
福島は笑った。
「気に入った。合格だ。携帯からの応募は、大抵断るんだけどな。お前は面白い」
シュウジはファミリーレストランで野生のような食欲を満たした。苦笑いをしている福島は若干後悔したかもしれなかったが、シュウジにはそんなことはどうでもよかった。
食事を終えると、福島はタクシーを捕まえてシュウジを事務所へと案内した。シュウジはその間も何度か指を鳴らした。福島も同じように指を鳴らした。
エレベーターを降りると薄いブルーの金属扉が二人を迎えた。
「俺はこの扉が大っ嫌いなんだよ。小さい頃によ。海を赤く塗ったら、それは海の色じゃないってほざいた奴がいたんだ。俺は言ってやったんだ。血の海だよってな。そうしたらその教師、俺の絵に向かってこの色の絵の具をぶちまけやがった。わかるか? そのときの俺の気持ちが」
「俺は空だった。黒い空が描きたかったんだ」
福島はシュウジを見つめた。急に物凄い幸せな笑顔を見せてシュウジの肩を何度も叩いた。
「お前は最高だ」
事務所の扉が開くと、見知らぬ顔が三つあった。
山本がいない。奥にいるのか?
「新入りだ」
そう言って福島はシュウジを紹介した。
若林は、ネズミのような男だ。色の派手なシャツに白いチノパン。
平松はメガネをかけて話が上手そうな男だ。サラリーマンのような格好だった。
小橋は半袖のTシャツにジーンズ。何時でも笑い顔に見える目の細い男だ。
その中の一人、平松が教えてくれることになった。
事務所の中を案内され、周辺の店を回る。平松は終始しゃべり続けた。きっと初対面の人間が苦手なのだろう。しゃべることで不安を消そうとしているのだ。
「コンビニはここともう一軒あるけど、そっちはやる気がないからダメなんだ。わかるか? やる気のあるコンビニとやる気の無いコンビニの違いが? やる気の無いコンビには品物がただ置いてあってしかも選ぶ余地が少ないところだ。やる気のあるコンビには常に選択できる。この選択が重要なんだ。何でもあるコンビニに欲しい物が無かったら、お前はまた来ようと思うか? 俺は思わない。似ているものが置いてあれば、次の可能性にも賭けられるが、やる気の無いコンビニは売れてるものしか置かないんだ。開拓者魂が死んでるんだ。死んでるコンビニに客が来ると思うか? そこに来るのは何も考えないロボットだけだ。知ってるか? ロボットがもう普通に生活してるんだぜ。すごい時代だよな」
事務所に戻るとチンピラ風の若林が悪態をついた。
「なんだコンビニ行ったんなら昼飯買って来いよバカ」
ソファーの上でマンガを読んでいるなら、自分で行けばいいのに。
「当番は鈴木ですよ」
「鈴木はもう来ないって。死んでるからな」
気持ちの悪い笑い方だった。この笑い方をシュウジは知っている。笑いにもいくつか種類がある。平松風に言うならば、やる気のある笑いとやる気の無い笑いだ。やる気のある笑いは、人を楽しませてくれる。やる気のない笑いは自分だけのもので、人を不快にさせる。若林の笑い方は、自分だけの楽しみだった。聞いているものを不快にさせる。こいつならきっと穴が開く。穴が開いても笑っていられるだろうか。
シュウジは左手を胸の前まで上げた。
電話が鳴った。シュウジの手が止まる。数回のコール後平松が出る。
「大変お待たせいたしました。はい。本日お話を承ります田中でございます。はぁ。最近そう言ったお話が多いですからねぇ。まぁ、お疑いのようでしたら特にお手続きしていただかなくてもこちらは構いませんので。ですから、お手続きしていただかなくても結構ですよ。手続きの方法でしたらいくつかございますけど? そうですね。郵送でしたら比較的簡単ですね。あ、ですが郵送ですと、手数料で20%ほど減額になってしまうんですよ。振込みの場合ですと即日で減額もないのですが、最近は携帯電話を使ってのご案内が難しくなってしまいまして。ほら、銀行ですと振り込め詐欺じゃないかって。本当ですね。あ、そうだ。コンビニエンスストアでしたらATMもございますし、ご案内できるかと思いますが? では、コンビニに着いたらまたご連絡ください。わたくし、田中と申します」
田中になっていた平松が電話を切るとまた平松に戻る。その顔は自身と幸せに満ちていた。
「うれしそうだな」
ぱちん。
指を鳴らした。平松が振り返る。児童院にも同じ顔をする奴がいた。ガラスを割ったり、仲間を傷つけた奴でそれを咎められると今みたいな顔を大人にするのだ。ボクハナニモヤッテイマセン。ボクハワルクアリマセン。そいつは平気で嘘をついた。嘘は自分を守るためにつく。さらに状況が悪化するとしても、つかずにはいられないのだ。そうしてまた次の嘘が生まれて、嘘の無限増殖になる。
「それやめろ」
平松は不機嫌だった。どうやらシュウジが考え込むことが気に入らないようだった。
「癖なんだ」
考え込むと何度もスイッチを切り替える必要があるからだ。考えは常に流れている。流れを留めるには、向きを変える必要がある。向きを変えるにはスイッチが必要になる。
「こんち……」
事務所に山本が入ってきた。そこにシュウジの姿を見つけて凍り付いていた。電池が切れた人形のように。人形はあの子が持っていたな。名前の思い出せないキレイな子。スイッチを入れると、手を叩き続ける薄汚れた人形。元々は何かの動物だったのだろうが、耳もなければ目もこすれて消えかけていた。色も薄くなって、最後には真っ黒に燃えてゴミとして捨てられた。
「新入りだ」
「シュウジです。はじめまして」
山本の凍りついた口元が少しだけ緩んだ。心待ちにしていたようだ。
「山本だ。よろしくな」
山本が目で奥に来いと合図をする。シュウジはそれを無視する。ソファーの若林がその動きに気がつく。
「なんだ? 痙攣か?」
山本はばつが悪そうに「なんでもない」と奥に消えた。
「ビビリが」
若林はまた笑いで周囲に不快感を振りまいた。
「鈴木は何で死んだんだ?」
シュウジの唐突な言葉に、事務所の中が凍りついた。電話が鳴る。誰も取らないまま電話の音が事務所に鳴り響く。
シュウジが無造作に電話を取る。平松があわてて声をかける。
「電話はまだ早い。お前が出るのは来週くらいだ」
ぱちん。
緊張感の無い乾いた音に誰もが吸いつけられる。その一瞬の間にシュウジは受話器に向かって言った。
「これは詐欺だ。わかったな。これは詐欺なんだ。二度とかけてくるな」
そして、通話を終わらせた。
唖然とする一同とは別のところで、悲鳴が上がった。山本の声だ。
「鈴木のバッグが!」
走りこんできた山本は鈴木のリュックを持って戻ってきた。大きく開かれたリュックの中はべっとりとした黒ずみがあった。
「忘れ物を届けた」
シュウジの声に若林が怒鳴り始める。
「てめえええええ! 自分が何してるかわかってるんだろうなぁぁぁぁ?」
若林は側にあったボールペンで武装する。右手を振り上げてシュウジに飛び掛る構えを見せていた。
パチン。
若林の右腕がだらりと下がった。ボールペンが零れ落ちる。
「何?」
若林は落ちたボールペンと下がったままの右腕を見比べる。バイクのウインカーのようにチカチカチカチカチカチカチカチカ。
身動きが出来なかった。その場にいる誰もが、何か異様な事態が起こっているのはわかっていた。それを起こしているのがシュウジであることもなんとなく気がついていた。
「お前か?」
若林がシュウジをにらむ。充血したその瞳の半分以上は恐怖で濁っていた。
「鈴木を殺したのはそいつだ!」
山本が悲鳴に似た叫び声を上げた。若林を指差している。
「てめえ!」
事務所のドアが開く。福島が顔を出す。福島は一瞬で異様な空気を察知する。
「なにやってんだ!」
怒号を上げる福島の脇を若林が脱兎のごとくすり抜ける。事務所のドアを開いて外に消える。
「逃がすな! 早くやれよ!」
山本がわめく。シュウジが唇を噛む。小者は、どんなときでも邪魔になる。
「何してるんだ! 説明しろ!」
「なんでもない。ただの喧嘩だ」
「そいつだ! そいつが命令したんだ」
福島を指差す山本はすでに恐慌状態だった。福島が落ちているボールペンを拾う。怯えてる山本の元まで歩いてくると、ボールペンを山本の右太ももに突き刺した。
粘質の涎と共に山本の叫び声が事務所に響く。
「やめろ」
シュウジは福島の後ろに立つ。
「俺に命令すんな」
「あんたを殺すのが何か嫌なんだ。だから、もうやめろ」
「俺はお前を殺せるけどな」
福島は山本を蹴り転がすと、シュウジに向き直る。ポケットからつやつや光るハンカチを取り出すと右の拳と手首にぐるりと巻いた。
「俺は真っ黒だからな」
電話が鳴った。その一瞬、シュウジの気がそれた。そのシュウジの腹部に福島の右拳がめり込む。シュウジの低いうめき声を福島の膝蹴りがかき消す。ソファーを飛び越えてシュウジは事務所の床に落された。
「てめえは何だ?」
転がったシュウジが左手を伸ばす。その左手を福島のピカピカの靴が踏みつける。
「ガキが、俺に逆らうんじゃねえ」
踏んでいた足は大きく振り上げられ、靴のとがったつま先がシュウジの胸に刺さる。事務所の床を転がる。シュウジの口から咳と共に赤い涎が床に垂れる。
「誰が俺を殺すだって?」
シュウジは左手を前に差し出す。
「仲直りでもしようってか?」
「詐欺なんかやめて、自首しろよ」
ゆっくりと福島が歩いてくる。
「何のために? 自首して何か変わるのか? しばらくすればまた出てこれる。そうしたらまた同じことをする。繰り返しだ。人生は退屈な繰り返しなんだよ。生まれてきた瞬間にみんな死んでるんだよ。生きてる奴なんか一人もいない。これは夢なんだ。人生は夢だ。だからこそ、人から指図される生き方なんか耐えられないんだよ。俺はこの国を選んで生まれたわけじゃない。俺はこの国のルールに従うなんてバカみたいなことはしない。誰が決めたかわからないルールなんて無効だ。国民の義務だから、そうやって言うが、本当は誰もわかってないんだ。キチガイの沙汰だ。誰もわかってないんだよ。生まれたときから俺たちは何もかも決められて、海の色は青だとか、空の色は青だとか、地球が青いとかそんなことは他人に決められることじゃないんだよ。この世界は何も決まってない。嘘だと思うなら目を瞑ってみるがいい。何か見えるか? 何も見えないだろう? それが真実なんだよ。それが本当のことなんだよ。俺たちは、嘘やごまかしの中で生かされてるんだ。その嘘やごまかしに守られて生きているんだ。そんなくそったれなことに俺は耐えられないんだよ」
福島は、シュウジの前に座り込んだ。
「小橋。ナイフを持って来い」
小橋が給湯室に走り果物ナイフを持ってきて福島の振り上げられた手の上に乗せる。
「なんでだろう。こんなに気分の悪い人殺しは初めてだ」
シュウジの左手が床を指差す。
「俺は、そうでもない。じゃあな」
福島は果物ナイフをシュウジの首に当てる。
パチン。
電話が鳴った。
誰も動かなかった。
十数回鳴り続けて電話が切れた。静けさが事務所の中を包んでいた。
再び電話が鳴った。
「鳴ってるぞ。出ないのか?」
誰の声かわからなかった。
福島の体が動いた。ナイフを握ったまま背中から床に崩れ落ちた。それを見ながらシュウジが起き上がった。首筋にうっすらと切り傷があった。手の甲でそれを拭う。ゆっくりと立ち上がり、鳴り続ける電話を取る。
「詐欺だって言ってるだろ」
そして、力いっぱい受話器を机に投げつけた。プラスチックの受話器が弾けた。
「くそ……」
シュウジはそのまま事務所を出て行った。
「お前、年は?」
変なスーツを着た福島と名乗った男は、視線を外さない。シュウジもその目を背けない。チェーンの二十四時間営業のファミリーレストランに朝早くから呼び出された。
「たぶん十五」
ふうん。福島はうなったが、大して興味があるようには思えなかった。
「金が欲しい理由は?」
「家賃が払えないから」
福島は眉間にシワを作る。普通こういった場合、欲しい物があるからとか答えるのが、一般的な回答だったのだろう。
「俺もオジサンになったんだな」
「十分若いよ」
シュウジをにらみつける目は、少しの濁りもなかった。純粋で力強い怒り。
「俺の下で働こうと思ったら、俺にそんな口を利くな」
「わかった」
ぱちん。
「何の音だ?」
シュウジは左手を福島の目の前に出して、親指と薬指をはじいてみせる。
ぱちん。
「癖なんだ。記憶するときは、これを使うんだよ。スイッチみたいだろ?」
ぱちん。
「スイッチ……」
福島も右手を出して真似をしてみる。ぺちん。あまりいい音は鳴らない。
「やらないと覚えられないのか?」
「そうでもないけど忘れるのも早いからね」
「ふうん。スイッチか」
ぱちん。
福島の左手が思わぬ快音を響かせる。
「おぉ。こっちの方がいい音が鳴るな。お前は?」
「俺も左がよく鳴るよ」
「いい音の方が覚えてられるのか? スイッチとして優秀なのか?」
「スイッチは何でもいいんだ。でもいい音の方が気持ちがいい」
福島は笑った。
「気に入った。合格だ。携帯からの応募は、大抵断るんだけどな。お前は面白い」
シュウジはファミリーレストランで野生のような食欲を満たした。苦笑いをしている福島は若干後悔したかもしれなかったが、シュウジにはそんなことはどうでもよかった。
食事を終えると、福島はタクシーを捕まえてシュウジを事務所へと案内した。シュウジはその間も何度か指を鳴らした。福島も同じように指を鳴らした。
エレベーターを降りると薄いブルーの金属扉が二人を迎えた。
「俺はこの扉が大っ嫌いなんだよ。小さい頃によ。海を赤く塗ったら、それは海の色じゃないってほざいた奴がいたんだ。俺は言ってやったんだ。血の海だよってな。そうしたらその教師、俺の絵に向かってこの色の絵の具をぶちまけやがった。わかるか? そのときの俺の気持ちが」
「俺は空だった。黒い空が描きたかったんだ」
福島はシュウジを見つめた。急に物凄い幸せな笑顔を見せてシュウジの肩を何度も叩いた。
「お前は最高だ」
事務所の扉が開くと、見知らぬ顔が三つあった。
山本がいない。奥にいるのか?
「新入りだ」
そう言って福島はシュウジを紹介した。
若林は、ネズミのような男だ。色の派手なシャツに白いチノパン。
平松はメガネをかけて話が上手そうな男だ。サラリーマンのような格好だった。
小橋は半袖のTシャツにジーンズ。何時でも笑い顔に見える目の細い男だ。
その中の一人、平松が教えてくれることになった。
事務所の中を案内され、周辺の店を回る。平松は終始しゃべり続けた。きっと初対面の人間が苦手なのだろう。しゃべることで不安を消そうとしているのだ。
「コンビニはここともう一軒あるけど、そっちはやる気がないからダメなんだ。わかるか? やる気のあるコンビニとやる気の無いコンビニの違いが? やる気の無いコンビには品物がただ置いてあってしかも選ぶ余地が少ないところだ。やる気のあるコンビには常に選択できる。この選択が重要なんだ。何でもあるコンビニに欲しい物が無かったら、お前はまた来ようと思うか? 俺は思わない。似ているものが置いてあれば、次の可能性にも賭けられるが、やる気の無いコンビニは売れてるものしか置かないんだ。開拓者魂が死んでるんだ。死んでるコンビニに客が来ると思うか? そこに来るのは何も考えないロボットだけだ。知ってるか? ロボットがもう普通に生活してるんだぜ。すごい時代だよな」
事務所に戻るとチンピラ風の若林が悪態をついた。
「なんだコンビニ行ったんなら昼飯買って来いよバカ」
ソファーの上でマンガを読んでいるなら、自分で行けばいいのに。
「当番は鈴木ですよ」
「鈴木はもう来ないって。死んでるからな」
気持ちの悪い笑い方だった。この笑い方をシュウジは知っている。笑いにもいくつか種類がある。平松風に言うならば、やる気のある笑いとやる気の無い笑いだ。やる気のある笑いは、人を楽しませてくれる。やる気のない笑いは自分だけのもので、人を不快にさせる。若林の笑い方は、自分だけの楽しみだった。聞いているものを不快にさせる。こいつならきっと穴が開く。穴が開いても笑っていられるだろうか。
シュウジは左手を胸の前まで上げた。
電話が鳴った。シュウジの手が止まる。数回のコール後平松が出る。
「大変お待たせいたしました。はい。本日お話を承ります田中でございます。はぁ。最近そう言ったお話が多いですからねぇ。まぁ、お疑いのようでしたら特にお手続きしていただかなくてもこちらは構いませんので。ですから、お手続きしていただかなくても結構ですよ。手続きの方法でしたらいくつかございますけど? そうですね。郵送でしたら比較的簡単ですね。あ、ですが郵送ですと、手数料で20%ほど減額になってしまうんですよ。振込みの場合ですと即日で減額もないのですが、最近は携帯電話を使ってのご案内が難しくなってしまいまして。ほら、銀行ですと振り込め詐欺じゃないかって。本当ですね。あ、そうだ。コンビニエンスストアでしたらATMもございますし、ご案内できるかと思いますが? では、コンビニに着いたらまたご連絡ください。わたくし、田中と申します」
田中になっていた平松が電話を切るとまた平松に戻る。その顔は自身と幸せに満ちていた。
「うれしそうだな」
ぱちん。
指を鳴らした。平松が振り返る。児童院にも同じ顔をする奴がいた。ガラスを割ったり、仲間を傷つけた奴でそれを咎められると今みたいな顔を大人にするのだ。ボクハナニモヤッテイマセン。ボクハワルクアリマセン。そいつは平気で嘘をついた。嘘は自分を守るためにつく。さらに状況が悪化するとしても、つかずにはいられないのだ。そうしてまた次の嘘が生まれて、嘘の無限増殖になる。
「それやめろ」
平松は不機嫌だった。どうやらシュウジが考え込むことが気に入らないようだった。
「癖なんだ」
考え込むと何度もスイッチを切り替える必要があるからだ。考えは常に流れている。流れを留めるには、向きを変える必要がある。向きを変えるにはスイッチが必要になる。
「こんち……」
事務所に山本が入ってきた。そこにシュウジの姿を見つけて凍り付いていた。電池が切れた人形のように。人形はあの子が持っていたな。名前の思い出せないキレイな子。スイッチを入れると、手を叩き続ける薄汚れた人形。元々は何かの動物だったのだろうが、耳もなければ目もこすれて消えかけていた。色も薄くなって、最後には真っ黒に燃えてゴミとして捨てられた。
「新入りだ」
「シュウジです。はじめまして」
山本の凍りついた口元が少しだけ緩んだ。心待ちにしていたようだ。
「山本だ。よろしくな」
山本が目で奥に来いと合図をする。シュウジはそれを無視する。ソファーの若林がその動きに気がつく。
「なんだ? 痙攣か?」
山本はばつが悪そうに「なんでもない」と奥に消えた。
「ビビリが」
若林はまた笑いで周囲に不快感を振りまいた。
「鈴木は何で死んだんだ?」
シュウジの唐突な言葉に、事務所の中が凍りついた。電話が鳴る。誰も取らないまま電話の音が事務所に鳴り響く。
シュウジが無造作に電話を取る。平松があわてて声をかける。
「電話はまだ早い。お前が出るのは来週くらいだ」
ぱちん。
緊張感の無い乾いた音に誰もが吸いつけられる。その一瞬の間にシュウジは受話器に向かって言った。
「これは詐欺だ。わかったな。これは詐欺なんだ。二度とかけてくるな」
そして、通話を終わらせた。
唖然とする一同とは別のところで、悲鳴が上がった。山本の声だ。
「鈴木のバッグが!」
走りこんできた山本は鈴木のリュックを持って戻ってきた。大きく開かれたリュックの中はべっとりとした黒ずみがあった。
「忘れ物を届けた」
シュウジの声に若林が怒鳴り始める。
「てめえええええ! 自分が何してるかわかってるんだろうなぁぁぁぁ?」
若林は側にあったボールペンで武装する。右手を振り上げてシュウジに飛び掛る構えを見せていた。
パチン。
若林の右腕がだらりと下がった。ボールペンが零れ落ちる。
「何?」
若林は落ちたボールペンと下がったままの右腕を見比べる。バイクのウインカーのようにチカチカチカチカチカチカチカチカ。
身動きが出来なかった。その場にいる誰もが、何か異様な事態が起こっているのはわかっていた。それを起こしているのがシュウジであることもなんとなく気がついていた。
「お前か?」
若林がシュウジをにらむ。充血したその瞳の半分以上は恐怖で濁っていた。
「鈴木を殺したのはそいつだ!」
山本が悲鳴に似た叫び声を上げた。若林を指差している。
「てめえ!」
事務所のドアが開く。福島が顔を出す。福島は一瞬で異様な空気を察知する。
「なにやってんだ!」
怒号を上げる福島の脇を若林が脱兎のごとくすり抜ける。事務所のドアを開いて外に消える。
「逃がすな! 早くやれよ!」
山本がわめく。シュウジが唇を噛む。小者は、どんなときでも邪魔になる。
「何してるんだ! 説明しろ!」
「なんでもない。ただの喧嘩だ」
「そいつだ! そいつが命令したんだ」
福島を指差す山本はすでに恐慌状態だった。福島が落ちているボールペンを拾う。怯えてる山本の元まで歩いてくると、ボールペンを山本の右太ももに突き刺した。
粘質の涎と共に山本の叫び声が事務所に響く。
「やめろ」
シュウジは福島の後ろに立つ。
「俺に命令すんな」
「あんたを殺すのが何か嫌なんだ。だから、もうやめろ」
「俺はお前を殺せるけどな」
福島は山本を蹴り転がすと、シュウジに向き直る。ポケットからつやつや光るハンカチを取り出すと右の拳と手首にぐるりと巻いた。
「俺は真っ黒だからな」
電話が鳴った。その一瞬、シュウジの気がそれた。そのシュウジの腹部に福島の右拳がめり込む。シュウジの低いうめき声を福島の膝蹴りがかき消す。ソファーを飛び越えてシュウジは事務所の床に落された。
「てめえは何だ?」
転がったシュウジが左手を伸ばす。その左手を福島のピカピカの靴が踏みつける。
「ガキが、俺に逆らうんじゃねえ」
踏んでいた足は大きく振り上げられ、靴のとがったつま先がシュウジの胸に刺さる。事務所の床を転がる。シュウジの口から咳と共に赤い涎が床に垂れる。
「誰が俺を殺すだって?」
シュウジは左手を前に差し出す。
「仲直りでもしようってか?」
「詐欺なんかやめて、自首しろよ」
ゆっくりと福島が歩いてくる。
「何のために? 自首して何か変わるのか? しばらくすればまた出てこれる。そうしたらまた同じことをする。繰り返しだ。人生は退屈な繰り返しなんだよ。生まれてきた瞬間にみんな死んでるんだよ。生きてる奴なんか一人もいない。これは夢なんだ。人生は夢だ。だからこそ、人から指図される生き方なんか耐えられないんだよ。俺はこの国を選んで生まれたわけじゃない。俺はこの国のルールに従うなんてバカみたいなことはしない。誰が決めたかわからないルールなんて無効だ。国民の義務だから、そうやって言うが、本当は誰もわかってないんだ。キチガイの沙汰だ。誰もわかってないんだよ。生まれたときから俺たちは何もかも決められて、海の色は青だとか、空の色は青だとか、地球が青いとかそんなことは他人に決められることじゃないんだよ。この世界は何も決まってない。嘘だと思うなら目を瞑ってみるがいい。何か見えるか? 何も見えないだろう? それが真実なんだよ。それが本当のことなんだよ。俺たちは、嘘やごまかしの中で生かされてるんだ。その嘘やごまかしに守られて生きているんだ。そんなくそったれなことに俺は耐えられないんだよ」
福島は、シュウジの前に座り込んだ。
「小橋。ナイフを持って来い」
小橋が給湯室に走り果物ナイフを持ってきて福島の振り上げられた手の上に乗せる。
「なんでだろう。こんなに気分の悪い人殺しは初めてだ」
シュウジの左手が床を指差す。
「俺は、そうでもない。じゃあな」
福島は果物ナイフをシュウジの首に当てる。
パチン。
電話が鳴った。
誰も動かなかった。
十数回鳴り続けて電話が切れた。静けさが事務所の中を包んでいた。
再び電話が鳴った。
「鳴ってるぞ。出ないのか?」
誰の声かわからなかった。
福島の体が動いた。ナイフを握ったまま背中から床に崩れ落ちた。それを見ながらシュウジが起き上がった。首筋にうっすらと切り傷があった。手の甲でそれを拭う。ゆっくりと立ち上がり、鳴り続ける電話を取る。
「詐欺だって言ってるだろ」
そして、力いっぱい受話器を机に投げつけた。プラスチックの受話器が弾けた。
「くそ……」
シュウジはそのまま事務所を出て行った。
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