シャイロック

大秦頼太

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シャイロック 4

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 イタリアンマニア野郎は、急にやってくる。訪問を告げることはしない。訪問を告げると組織の緊張感が緩む。時には緊張を全て失ってしまうこともあるだろう。緊張感を奪い取ると人も組織も堕落するものだ。福島はそれをよく知っている。ただ若林は終末的に頭が悪いから、いつでも緊張はしない。
 平松は誰よりも先に電話を取る。当然偽名で。
「もしもし。本日お話を承ります田中です。はい。ええ。今回お送りしました還付金請求のお話ですね?」
 平松は若林や山本、鈴木たちとは違うと思っている。名も知れぬ高校を出て、どこに存在するのかわからない大学に進み、なんだかわからない道のりを平凡に歩いてきた。そんな連中と同じにしてもらっては困るのだ。小中高と有名進学校に学び、高額な進学塾を掛け持ちし、家庭教師までつけ、ようやく上り詰めた六大学のひとつ名門東王大学経済学部を優秀な成績で卒業した平松にとって、若林や山本、鈴木や電話に出てしどろもどろに説明を繰り返すだけの小橋とは、正にレヴェルが違うのである。
 だからこそイタリアンマニア野郎の存在を一番恐れているのも平松であった。福島の心は氷で出来ていると思う。それもヴェネチアグラスのような美しさを持つ。美しいが冷たく、濁り無くけっして曇らない。決めたことは必ず行う。だから、福島に隙を見せてはならない。隙を見せてしまったら、永久的に弱者として扱われてしまう。
 イタリアンマニア野郎の存在を無視できるなら、俺はこんなカス共と同じ場所で空気を吸うことなどしない。
 就職が順調に決まっていたならば、俺はイタリアンマニア野郎と一生接することもなく人生を送れたに違いない。だが、馬鹿な大人たちのせいで経済は悪化の一途をたどり就職内定率は過去最低を毎年のように更新していた。一番危機感の無い連中は、官僚とか政治家とかそんな奴らなんだろう。そうさ、あいつらは訪問を告げる。これから行きますと食品偽装をしている会社に連絡をしてから調査を始める。国が借金まみれでも、今のうちならまだ搾り取れると自分たちの給与を減らそうなどとは微塵も思わない。国が無くなれば、あいつらはただの失業者になると言うのに。まるで滅び行く王朝をみているようだ。
 あいつらは法律を盾に搾取をする。俺たちは法律の外側で商売をする。大した違いは無い。弱者からお金を毟り取ると言うことに関しては。お金は湧いて出てくる。使わなければ腐ってしまうのだ。残せば家族を引き裂く争いの種になる。あの世には持っていけないものを俺たちは夢を売ってあいつらを幸せに導いてやってるんだ。文句を言われる筋合いなど無い。これが悪いことなものか。善行だ。正に神のなせる業なのだ。
「新入りだ」
 イタリアンマニア野郎は若い男を連れてきた。少年だ。年はまだ十五、六くらいだろう。痩せていてその割に筋肉がしっかりとついている。背はそれほど高くもないが同い年くらいなら平均よりは上だろう。比較的どこにでもいそうな少年だ。渋谷とかアキバに行けば、十五分に一度は出会えそうなくらいの平凡な外見だった。それなのになんだろう。少年の周りに漂う空気はとても奇妙だった。
 イタリアンマニア野郎は、若林と平松、そして小橋を少年に紹介する。そこには山本と鈴木の姿は無かった。
「シュウジです。よろしく」
 シュウジの声には緊張が無かった。こんな異質な空間を訪れる少年として、それはあまりにも異常だった。平松の本能が告げる。こいつは壊れている。時々こういう奴が身近に現れる。奇妙な感覚はそれなのだろうか。
「平松。お前が色々教えてやれ」
 突然意識を戻されて平松は戸惑った。だが、平松の脳をつなぐ神経回路は優秀だった。少しも遅れを感じさせることなく返事をさせた。
「わかりました」
 冷静だ。一分の隙も無い。
「何すればいい?」
 目上の人間になれなれしく接する奴が平松は大嫌いだった。もう一度小学校からやり直して来い。などとは言わない。少なくとも福島がここにいる間はそう言ったことは話さない。
「電話に出ればいいの?」
「とりあえず今日は電話はいいよ。荷物をそっちにおいて」
 奥の物置になっている部屋を指差し、続いてトイレの場所や給湯室。備品の場所を教える。一通り教えると、今度はエレベーターに乗り込み、近くのコンビニやATMを案内してやる。再び事務所に戻る頃にはイタリアンマニア野郎は帰っていた。我ながらすばらしい時間配分だったと思う。
「なんだコンビニ行ったんなら昼飯買って来いよバカ」
 若林が舌打ちをする。福島がいなくなると急に威張りだして仕事をサボる典型的な人間のクズだ。おまけに近くのコンビニで万引きをして、さらに見事に捕まって出入りが出来なくなった正真正銘のバカは若林と言う名前だった。バカ林。お前だよ。電話に出ても何をしゃべってるかわからないノルマをこなす能力も無いくせに「殺すぞ」と口癖のように言う。真の人殺しは、そんな宣言をするものか。だから、俺はいつも鼻で笑ってやる。余裕たっぷりに。
「当番は鈴木ですよ」
 バカ林がケタケタと笑い出した。頭が可笑しくなったのかと思うほどの爆笑っぷりだった。口の中でもう一度言ってみる。「当番は鈴木ですよ」聞き違いかもしれない。
「鈴木はもう来ないって」
 来ない?
「死んでるからな」
 ぬるり。と何かが背中を滑った。今度は自分が聞き間違いをしたのだ。いや、違う。昨日のやり取りだ。山本が鈴木を殺す。その手伝いをバカ林がする。本当にやったのか、このバカヤロウどもは。本当に救い様が無い。
「山本は?」
「後で来るだろうよ」
 バカ林は休憩用のソファーでマンガ雑誌を読んでいる。
「そうか」
 電話が鳴る。小橋が出られないと首を振る。四回線ある電話が全て鳴ることは珍しい。一日のうちに数度あるだけだ。昼を過ぎたあたりが混み出す時間帯だった。
「若林さん。出てくださいよ」
 バカ林はチラリと平松を見る。ソファーから起き上がる気はまったくないようだ。
「俺は、鈴木を鉄アレイで殴って筋肉痛なんだよ。受話器みたいな重いもんが持てるか」
 お前の持ってる雑誌の方が重いだろうよ。なに? 鈴木を鉄アレイで殴った?
「電話」
 小橋が受話器を手で押さえて鳴っている電話をあごで指す。平松は受話器を手に取る。
「大変お待たせいたしました」
 還付金があるって言うお手紙を頂いたんだけどねぇ。
「はい。本日お話を承ります田中でございます」
 これって、詐欺じゃないの?
「はぁ。最近そう言ったお話が多いですからねぇ。まぁ、お疑いのようでしたら特にお手続きしていただかなくてもこちらは構いませんので」
 いえね、そういうことじゃないのよ。詐欺が多いものだから。
「ですから、お手続きしていただかなくても結構ですよ」
 戻ってくるなら手続きしたいわ。でも、わかりづらいし。
「手続きの方法でしたらいくつかございますけど?」
 どれが一番簡単かしら?
「そうですね。郵送でしたら比較的簡単ですね。あ、ですが郵送ですと、手数料で20%ほど減額になってしまうんですよ」
 20%も減っちゃうの? それは嫌ねぇ。
「振込みの場合ですと即日で減額もないのですが、最近は携帯電話を使ってのご案内が難しくなってしまいまして。ほら、銀行ですと振り込め詐欺じゃないかって」
 困ったものよね。悪いことに使う人がいると。
「本当ですね。あ、そうだ。コンビニエンスストアでしたらATMもございますし、ご案内できるかと思いますが?」
 そう? 助かるわ。
「では、コンビニに着いたらまたご連絡ください。わたくし、田中と申します」
 ありがとう。ご親切にどうも。
 がちゃり。
 平松は、受話器を置いた。数分後、再び電話が鳴り出せば還付金が手に入るだろう。これは投資に似ている。投資会社というべきか。動かすのは自分のお金ではない。でも、動かせば組織が潤う。いや、二十一世紀の錬金術と言うべきか。現実にはありえないところからお金を生み出すのだ。
「うれしそうだな」
 背中の声に心臓が凍りつきそうになった。
 ぱちん。
 何の音だ? 振り返るとシュウジがこっちを見ている。その視線に耐えることが出来なくなって平松は目を背けた。
「普段から敬語の練習をしておけ」
 シュウジは答えなかった。気持ちが悪い奴だ。
 ぱちん。
 この音も神経に触る。何の音だ?
 ぱちん。
 視線がシュウジの左手を捕らえる。左手の親指と中指をこすり合わせて音を鳴らしてるのだ。
「それ、やめろ」
 イライラが強くなる。
「癖なんだ」
 敬語を使え。俺はお前の友達じゃない。ここは組織なんだ。組織で敬語を使えない奴は、組織の和を乱すんだ。わかるか? 敬語を使わない奴は、偉い奴だ。だが、敬語を使えない奴は、背中を指されることもあるんだ。
「こんち……」
 事務所の入り口に山本が立っていた。その山本がアホみたいに事務所の中を見て立ち止まっていた。まるで幼稚園でやった「だるまさんがころんだ」のように。
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