悪魔の印

大秦頼太

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悪魔の印

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 夕日に照らされるオレンジ色の外壁のマンション。いつもの色はベージュかそれに近い白色だが今日は、今日だけは燃え爛れる地獄のような色味を帯びていた。その足下を見ればこの異様さに気がつくこともなくマンションの中に駆け込んでいく子供や、笑い声を上げながら車に乗って出かける親子もいる。一杯になった買い物バックを持った主婦らしき人物が忙しそうに小走りにマンションの中へ入っていく。誰もこの変化に気がつく者はいなかった。
「神様なんていない」
 誰とも無く呟きが聞こえた。
「神様なんていない」
 マンションの七階、廊下の柵の縁の外側をつかんで立つ女子高生がいた。
「神様なんていない」
 女子高生は眼の前の誰にもいない空間にもう一度つぶやいて、外側に向かって飛び出した。
 黒い影が、人形のように地面に向かって小さくなっていく。

 ばん。

 大きく鈍い音がマンションの壁を反響した。その音がきっかけとなり日常は非日常へ移行するのだ。
 一拍置いて悲鳴が上がる。
 女子高生の割れた頭から流れ出た血が、マンションの影に吸い込まれるように流れて消えた。折れ曲がった体の下からかすかに覗き見える左腕に、外国の文字のような黒い印、いや動物の顔のようなシルエットのタトゥーか何かのようなものが刻まれていた。
 徐々にマンション中から野次馬たちが集まり、事故はあっという間に広まっていく。救急車がたどり着く頃には人が壁を作り上げていた。

 安藤美冬はその群衆の壁の中に立っていた。体を震わせながら左腕をきつく押さえ込んでいた。飛び降りた少女のことを知っていた。飛び降りた少女とは今も同級生で小学校時代はよく一緒に遊んだものだった。
 美冬は自分を見ている視線を感じて顔を上げた。
 人の壁の間に三角帽子をかぶった案山子がいた。おもちゃの国の畑の中から持ってきたような案山子はこの自殺の現場にはすごく不釣り合いな代物だった。ハロウィンまでにはまだ2ヶ月以上間がある。美冬の視線が案山子の足を追っていくと、背の低いボサボサツンツン頭の中学生くらいの女の子が美冬のことを見ていた。
 女の子の視線は鋭く、美冬の心に突き刺さるようだった。美冬は視線をそらし、逃げるようにその場を離れていった。



 私立夕霧学園。学校名の書かれたプレートは重厚で、それだけでも威圧感さえ感じられるが、小山の上にそびえ建つコンクリートの建物はまるで要塞であり、この都市の中に生まれた巨大な迷宮のような存在だった。
 学園長の大森作太郎は今年齢八十を数える。しかしながら、その熱意は衰えることなく校舎を常に増築し、この国の定まらない教育に対し防衛力を振るっているようだった。
 やや古めかしいこの学園の校風は新規の中流、上流を目指す親たちにとってとても魅力的に映るようで、その高い授業料とは裏腹に娘を預けようとする親たちが絶えることは無かった。
 制服は黒が基調でスカートもYシャツもボウタイも靴も靴下も黒だった。そんな喪服のような制服に包まれた女子高生たちが続々と学園の門をくぐっていく。時間と共にそれがまばらになり、ついには誰もいなくなった。
 ボサボサツンツン頭の女の子が学園の門の前に立つ。その姿はどこか他の生徒とは異なる。夕霧学園の制服が大きめなのはまだ普通だが、パンパンに膨れた古臭い革のバッグを持っているのもまだ有り得そうだったが、案山子を担いでいることは誰にも理解できないことだろう。その女の子の瞳は校舎を隅から隅まで見つめている。
 四階建ての校舎の屋上には背の高いフェンスが張り巡らされている。
 その一角で、黒い靄のようなものが案山子を見下ろしているように見えた。
 案山子を持った女の子が視線をそちらに向けると、黒い靄は空気の中に溶けて消えた。



 一年B組と書かれた教室の中では、生徒たちが机の上に座ったり、ファッション雑誌に群がったり大きな声で笑いあったりしていた。
安藤美冬が教室の中に入ってくると、三、四人の生徒が彼女の周りに集まってくる。髪の短いそばかす顔の女子が口を開く。
「美冬、聞いた?」
 美冬は女子の視線から逃れるように自席に向かう。机の上にスクールバッグを置くと、彼女たちに向き直った。
「なあに?」
「なあにじゃないわよ」
 そばかすの女子はすぐに美冬に詰め寄った。美冬は無意識のうちに左腕を押さえていた。お団子頭の女子が美冬の右側に回りこんできた。
「聞いた? C組の長谷川さんが飛び降りだってさ」
 美冬は心配そうに見つめるお団子頭の女子に美冬は笑ってみせる。
「自殺なんて、別に珍しくも無いでしょ。たまたま近くで起こっただけよ」
「遺書、無かったんだって」
 長い黒髪の女子がそばかすの女子の脇から現れる。美冬は無表情でそれに答える。
「そうなんだ」
「死ねばいいやつってなかなか死なないのにね」
 長い黒髪の女子が意味ありげに離れた席にいるメガネの女子を見る。メガネの女子はすぐに視線をそらす。
 お団子頭の女子がおさげの女子の腕を掴み振り回しながら言った。
「真嶋が犯人じゃない?」
 長い黒髪女子もおさげ女子もそばかす女子もうっと言葉に詰まったように美冬を見る。美冬は軽く笑いながら答える。
「ありえないわ。失踪してもう何ヶ月よ?」
 美冬は席に座る。そばかすの女子が笑う。
「そうだよ。あいつもう生きてないよ。生きてたってこの街にはいないね。いられるわけないよ」
 チャイムが鳴ると、生徒たちは自席についてからまた話を続ける。そこへ、男性担任教師が入ってくる。まだ立っている生徒を見つけて両手を叩いて着席を促す。
「ほら、席について」
 席についた生徒たちを眺めて担任は話し始める。
「夏休み前なんですが、転入生です」
 ざわめく生徒たち。
「じゃあ、仲村さん。はいって」
 ボサボサツンツン頭の女の子が案山子とパンパンに膨らんだ古臭い革のバッグを持ったまま入って来たので教室内が騒然となる。
「小学生が来たよ」
「それは言い過ぎ。中学生でしょ?」
「なんで人形なんて持ってきてるの?」
「やっぱり小学生なんじゃない?」
 担任が注意をして静かにさせる。
「はい、黙って。仲村海美さんです」
「仲村海美です。よろしくお願いします」
「ウミだって、ウニみたいな頭じゃね?」
 そばかす顔の女子が海美を指差して大声を出すと教室内で爆笑が起こる。お団子頭の女子が海美に向かって手を振る。
「ウニちゃんよろしくー」
 教室内再び巻き起こる大爆笑。担任が両手を上げてそれを制止する。
「お父さんはエコノミストで、普段は海外で仕事をされていて、こっちにはお仕事でこられているんだよね?」
「エコノミスト? そうだっけ?」
 海美は案山子を見上げるが、担任は海美には構わず話を続ける。
「今日から二学期の間、この学園で一緒に学ぶことになるのでみんな……」
 生徒の誰かが声を出し邪魔をした。
「この学校でそんな我儘言えるとか、すげえお嬢様じゃね?」
 担任が立ち上がりかける生徒たちを座らせる。
「静かに。席は、そうだな……」
「先生~」
 そばかす顔の女子が手を上げる。担任が彼女を見る。
「なんだ?」
「佐々木さんが、ウニちゃんの机を取りに準備室に行ってくれるそうで~す」
 そばかす顔の女子は担任に挑戦的に笑いかける。それを長い髪の女子が援護した。
「やっさしい!」
 思わぬ声にメガネの女子、佐々木有紀が驚いた顔をする。
「え?」
「ほら、早く机と椅子取りにいきなよ。ウニちゃん困ってるよ」
 そばかす顔の女子の声を合図に有紀の後ろに座っているおさげの女子が有紀の椅子を後ろから蹴った。
「転校生がかわいそうでしょ」
「そうか。じゃあ、佐々木、あとはよろしくな」
 担任は、そそくさと教室を出て行く。クスクスと笑い声が漏れる教室内。有紀は、困ったように美冬を見る。美冬と目が合うが、美冬はすぐに目を伏せた。
 海美が有紀の前にやってくる。
「で、どこに取りに行けばいい?」
 一瞬、教室内が静かになった。有紀が戸惑っていると長い髪の女子が近づいてくる。
「仲村さんは、教室で待ってればいいのよ」
「そうそうウニちゃんは、ここで待ってなよ」
 お団子頭の女子が笑う。海美は教室の中を見回す。視線は海美に注がれている。
「ん? なんで?」
「佐々木さんの仕事だし」
 そばかす顔の女子が立ち上がる。有紀のそばまで歩いてきて、その肩を突き飛ばす。長い髪の女子が海美を覗き込む。
「あぁ、もしかして、机が汚れちゃうと思ってる?」
「ひどーい」
 お団子頭の女子が顔を両手で隠すと教室中がどっと笑いに包まれる。
 海美は、小さなため息を突いてぼさぼさの頭を掻く。
「で、どこに行けばいい?」
「じゅ、準備室」
 有紀は海美の勢いに飲み込まれた。
「案内して」
「え?」
「場所、わかんないから」
「あ、うん」
「おい、無視してんなよ」
 そばかす顔の女子が海美の肩をつかむ。その瞬間、バチッ! っと火花が散って、そばか素顔の女子は手を引っ込める。
「痛い!」
 海美は、つまらなさそうに生徒たちを一瞥する。
「あ、ごめん。あたし静電気体質なんだ」
 そのまま、海美は有紀の背中を叩いて教室を出る。有紀がその後に続く。
「何あのチビ。いってぇ……」
 手を押さえながら、二人を見送ったそばかす顔の女子を生徒たちが囲む。
「大丈夫だった?」
「うん。ちょっと驚いただけ」
「静電気って冬だけじゃないんだ?」
「電気ウニっていたっけ?」
 そばかす顔の女子がおどけて見せると教室内は三度爆笑となった。



 昼間だと言うのに校舎の中は薄暗い。長く続く廊下の端が暗闇の中に消えている。増築に増築を重ね続けたこの建物は迷宮のように入り組んでいた。
 海美は革バッグも案山子を持ったまま机を運ぼうとしている。そのことが気になったのか隣を歩く有紀がチラチラと海美に視線を向けてくる。
「何?」
 海美の言葉に有紀はびくりとして首を横に振った。
「なんでもない」
 二人はまた無言で歩いていく。
「何か言ってやればいいのに」
 海美の声に有紀は小さくつぶやく。
「言えないよ。言ったらもっとひどくなるもん」
「あっそう」
 会話は続かなかった。
 二人は黙り込んだまま暗い廊下を進んでいく。
「ここよ」
 準備室と書かれたプレートの前で止まる有紀。考え事をしていた海美は少し行き過ぎていた。海美が戻ってくる間に有紀がドアを開く。
「待ってて」
 そう言うと、有紀はそのまま中に入っていく。すぐに机と椅子を1つずつ持ってくる。
「荷物置いてくればよかったのにね」
「なんで?」
「邪魔じゃない?」
「別に。このままでいい」
「そう。じゃ、持って行こうか。机持ってあげる」
 有紀の笑みは幸薄そうだった。腕まくりをするとその細い腕にある印が海美の目に入る。その印は薄く見えたが、昨日、マンションから飛び降りた女子高生にもついていた印だ。
「それ……」
「あ……」
 有紀は、あわてて印を隠す。その顔は青ざめている。
「な、なんでもないの」
「昨日も1人死んだね」
 海美の視線から逃れるように有紀は目をそらす。
「……うん。もう3人目」
「もうそんなに……」
「洗っても消えないし、ファンデ塗ってもすぐに出てくるの」
「いつから……」
「もう行こう。もう次の授業始まってるよ」
「ん」
「あ」
 海美は机の上に革バッグを載せて机を持つと、さらに器用に案山子を肩に担ぐ。そして、何か考え事をしているかのように歩き出す。
 有紀は慌てて椅子を持って海美を呼び止める。
「こっちこっち!」
 海美は道を間違えていたことに気がつかず、苦笑いした。廊下を戻りながらようやく二人はやや打ち解けてきたように話を始めた。
「お父さん、エコノミストなの?」
 有紀の顔に落ち着きが戻って来た。海美は首を振った。
「エクソシストだよ。エコノミストって何?」
「分かんない。エクソシストって、なあに?」
 難しい顔をする有紀に海美はまた小さく首を振った。
「わかんない。親の仕事なんて。それに今はいないから」
「お仕事忙しいのね」
 再び会話が途切れる。暗い廊下が深く入り組んでいる。
「迷路みたいだ」
 海美のつぶやきに有紀がすぐ反応する。
「迷うと出て来られないって噂もあるのよ」
「へぇ」
「実際に行方不明になっちゃった人もいるし……」
「そうなんだ」
 有紀は小さな体の海美の様子を見て、立ち止まる。
「何か持とうか?」
「椅子だけでいい」
 海美は、有紀を振り返る。有紀の瞳の奥にあるおびえを見透かす。転入生は有紀にとって世界を守るための防壁になりえる存在だ。その存在に嫌われてしまうことは無限の荒野に身一つで立っているようなものなのだろう。誰だって心細い。転入生だって、心細いはずだ。だからこそ、お互いにお互いの防壁になることが出来る。そんな感じかもしれない。
「お前、いい奴だな」
「私、佐々木有紀。よろしくね」
「ああ。仲村海美だ」
「知ってるわよ」
「そうだな」



 一年B組の教室の中。窓際の一番奥の席に座っている海美は退屈そうに外を眺めていた。時折、教室の中に目を向けるとあれほど騒がしかった生徒たちが、今はおとなしく黒板を見て英語教師の話を聞いている。
「時間がもったいないな……」
 海美は、声にならないつぶやきを吐いた。教室の隅に立てかけられた案山子を見てため息を吐く。
「いいか? 学校の勉強が世の中で役に立たないなんていう奴がいるが、確かに世の中では役に立たないかもしれない。だが、自分の役には立つんだ。しっかり勉強をすればその分自分の中身がしっかりするんだ。いいか? 学生時代は勉強をするのが仕事だ。それを怠るものは、社会の……」
 教壇に立つ英語教師は、授業が始まってからほとんど英語を使っていない。これでは何の授業なのか分からない。
 海美はまた窓の外を眺め始める。
 すると、チャイムが鳴った。
 英語教師に挨拶をすると、教師はひどくご満悦の表情で帰っていった。その背中に向かって冷たい言葉が向けられていたが、海美には関係ないことなのでわざわざ聞き取るようなことはしなかった。それよりも大きな動きは、スクールバッグを持って教室を出て行く生徒たちがいることだ。
 海美は嬉しそうに有紀に問いかける。
「もう帰っていいのか?」
「体育だから、みんな更衣室に行くのよ」
「そういうことか」
 やや当てが外れたが、校内を歩き回れるのは嬉しかった。海美は、案山子とカバンを持つ。有紀が慌てて海美を止める。
「バッグ持っていくの? いたずらされるのは私のだから大丈夫よ」
「……前の学校では持ちっぱなしだった」
「そうなの?」
「みんな案外のん気なんだな。自分のロッカーはないのか?」
「貴重品用の小さいのはあるけど」
「ふむ」
 革バッグを置きかける海美を有紀が再び呼び止める。
「お財布とか大事な物はロッカーに入れてね」
 海美は複雑な表情をして、再び革バッグを持ち上げる。
「大事なものだけでいいのよ」
「じゃあ、全部だ」
「全部?」
「これがないと仕事にならない」
「仕事? 何が入ってるの?」
「うーん。……塩と水、あとは石だな。古い本も入ってる」
「そんなもの誰も取らないと思うけど」
「そうか?」
 そばかす顔の女子がわざと大きな声で海美に声をかけてくる。
「ウニちゃん。佐々木さんと一緒だと更衣室使えるの最後になるけどいいの?」
 そばかす顔の女子は得意げな顔で海美を見下ろす。
「なんで?」
 自然に問い返す海美にうろたえると別の生徒が助けに入ってくる。
「そういう決まりなの」
「そうなの?」
 海美は有紀を振り返る。有紀は小さくうなづいた。
「うん」
 海美は興味が無いように軽くうなると、有紀に笑いかけた。
「ふーん。じゃ、案内して」
「え?」
「着替えるんだろ?」
「てめぇ、話聞いてんのか?」
 そばかす顔の女子が海美につかみかかるが、海美はそれを何気なくするりと交わす。なおも捕まえようと躍起になる彼女を海美が見据える。
「また静電気が起きるよ?」
 その言葉にたじろぐ生徒たち。
「ほら行こう」
 有紀の手をつかんで教室を出て行く。そばかす顔の女子はその後姿を見送る。
「せ、静電気なんか起こんねーじゃんかよ!」

 更衣室ではすでに生徒たちが、制服からジャージに着替えている。海美たちが更衣室に入ると、有紀の姿を見た数人が変な顔をする。海美は案山子の帽子を頭の全部が入るくらいに目深にかぶせる。
 生徒の一人が有紀に向かって言葉を吐く。
「佐々木さん。まだ早いよ」
「ごめんなさい。でも……」
「たまにはいいんじゃないの。仲村さん、その案山子みたいなの授業に持って来ちゃダメよ」
「確かにここはマズイな……」
「そんなもの学校に持ってこないでよ」
 美冬は、そう言うとさっさと着替えを終えて海美たちの前を横切る。
「美冬……」
 話しかける有紀を無視して、美冬は更衣室から出て行く。
 海美は、掃除用具入れの中に案山子を乱暴に突き入れる。その様子に有紀が気がつき近づいてくる。
「それ、大事じゃないの? あ、空いてるロッカーに荷物は入れてね」
 掃除用具入れの隣のロッカーを開く有紀。海美はその隣のロッカーを開く。
「さっきの子、知り合い?」
「美冬のこと?」
「うん」
 海美は有紀と話しながら更衣室の中を見回す。その目は主に腕に注がれている。
「幼馴染なんだ。昔はよく遊んだんだけど、今は……」
「そっか」
 海美はさっさと着替えを終えてロッカーに鍵をかけると革バッグを持って更衣室を出て行く。あまりにも早いので、有紀もあわてて着替えてついていく。



 ジャージ姿でランニングしている生徒たち。有紀にちょっかいを出してくる三人の姿が見えなかった。海美の革バッグがグラウンドの手前の隅に置かれている。
 海美の側を有紀が走る。息の荒い有紀に比べて、海美は平然とした顔で走っている。
「仲村さん、兄弟はいるの?」
「いるよ。兄貴が一人」
 海美は平然と言葉を返す。有紀はそうは行かなかった。息を飲み込むようにしてやっと言葉を続けるのだった。
「いいなぁ」
「よくないよ。うるさいし」
「私、一人っ子だから、お兄ちゃん欲しかったなぁ」
「ふーん」
「お兄ちゃんってどんな人?」
「どんな?」
「格好いいの?」
 海美、ちょっと考える。
「格好はよくないな」
「そっか」
 海美が急に立ち止まり校舎を凝視した。後ろを走っていた生徒がぶつかりそうになって、文句を行ってすり抜けていった。有紀が立ち止まり振りかえる。
「どうしたの?」

 海美は全身にゾクリと視線を感じた。そびえる校舎を見上げ視線の主を探す海美。
「ごめん」
 海美は急に走り出し、革バッグをつかむと校舎に向かって行く。
「仲村さん!」

 人気の無い更衣室内に誰かが入ってくる。人影はそのままロッカーに近づくと、美冬の荷物のしまってあるロッカーを開いた。そして、美冬のカバンを物色し始める。
 掃除用具入れが突然開き、中に立てかけてあった案山子がほうきたちと共に床の上に倒れこむ。男性英語教師は驚き、床に転がった案山子を見る。
 案山子のつぶらな瞳が、男性英語教師の姿を捉える。半裸で女子生徒のスカートを頭にかぶっている。
 英語教師と案山子の視線が結ばれた。案山子の口から人間の声が漏れる。
「やっとの思いで開けたのに、そりゃないよ……」
「うあああああああああ!」
 人間の言葉を吐き出した案山子を見て英語教師は色を失った。頭にスカート、半裸姿のまま更衣室を飛び出して逃げ出していく。
「……泣きそう」
 案山子は寝転がったままぼそりとつぶやいた。
 遠くで女子生徒の悲鳴が上がった。

 人気のない薄暗い廊下を海美が走ってくる。肩で担いだ革バッグ、手には古い本が握られている。周囲を探るように気配を探り続けた。
「どこだ?」
 悲鳴。
 振り返る海美。廊下の暗闇がどこまでも深い。

 校舎の4F。そばかす顔の女子とお団子頭の女子が震えながら廊下に座り込んでいる。その手には、タバコの包みがグシャグシャに握られていた。
 海美がそこに走りこんでくる。勢いの割に息は上がっていなかった。
「どうした?」
 二人はトイレを指差し、震えている。
 海美は本を前に出しながら中に入っていく。

 トイレの中にはピンク色のドアが5つ並んでいる。白い四角いタイルが敷き詰められ、一番奥のドアの下から水が流れ出てトイレの中央の溝に向かっていく。
 海美は周囲をうかがう。特に気配は感じられなかった。ゆっくりと進んでいく。そして、奥の扉を開ける。
 扉は中で引っかかり完全には開かない。それでも小柄な海美はもぐりこむように個室の中に身を滑り込ませる。
 髪の長い女子生徒が便座と便器に頭をはさまれ、便器の中に顔を突っ込んで身動き一つしていなかった。溢れる水の流れに黒髪が揺らめいていた。ゆっくりと女子生徒を便器の中から出してやる。すると、頭は力なく背中側に不自然に折れ曲がった。
「首の骨が折れているな」
 海美は女子生徒の両腕をまくる。そして、左腕についた文字のような印を見つける。
「悪魔の印……」



 教室の中は静まり返っていた。亡くなった生徒の席が空いている。
 担任教師が教壇に立つ。
「これから順番にカウンセリングルームに行ってもらうが、私語は厳禁です。まず安藤から」
「はい」
 担任に連れられて美冬が教室を出て行く。二人がいなくなるのと同時に、数人の生徒たちの有紀に視線が集中する。
「違う」
 立ち上がる有紀。生徒たちの視線は外れない。逆に全員に見られる形になった。怯える有紀は呼吸を乱しながら席を離れる。
「あたしじゃない! あたしじゃない!」
 教室から逃げ出す有紀。それを見ていた誰かが言った。
「何あいつ。きょどりやがって」
 その後は誰も何も言わなかった。海美だけがそっと立ち上がった。案山子と革バッグを持って有紀の後を追った。

 有紀は教室を出てすぐの階段に座って泣き崩れていた。
 案山子を持った海美が近づいてくる。
「きっと次はあたしの番よ……」
 海美は壁に革バッグを置いて案山子を立てかけると、有紀の肩にそっと手を置くと優しく励ました。
「大丈夫。大丈夫だよ」
「あなたに何が分かるのよ!」
 有紀の手が海美の手を振り払う。
「わかるよ」
「え?」
「もうあいつらの思い通りにはさせないから、佐々木さんも、ううん、有紀も力を貸して」
「どうやって? 警察なんかに言っても信じてもらえないわよ」
「だから、あたしがいるんだ」
「え?」
 海美はまっすぐに有紀を見つめた。
「有紀の力が必要なんだ」
 有紀は小さくうなずいた。
「……うん」
「殺された人の順番と場所、詳しく教えてくれるかな?」
 海美の言葉に驚く有紀。もう一度、確認するかのように海美に聞き返す。
「え? 殺された?」
 海美はゆっくりとうなずいた。
「これは殺人事件だよ。みんな自殺みたいに見えるけど」
 有紀は自らを抱きしめるように腕を押さえる。
「誰が、何のためにそんなことをしてるの? もしかして真嶋先生?」
「誰?」
「行方不明になった先生。真嶋先生はこんな事しないわ、優しい先生だったもん」
「それを調べるためにあたしは来た」
「調べる? 調べるってどういうこと? 仲村さん。あなた一体?」
「任せといてよ。で、誰が一番最初に死んだの?」
 海美はじっと有紀を見ている。有紀は思い出すように視線を動かす。
「最初は、稲葉さん。一ヶ月前に部活中にプールで溺死。次が大森さん、二週間前に、家庭科の授業中にガスコンロの火が飛び火して、その火傷が原因で亡くなったわ」
「次が飛び降り?」
 有紀はうなずく。
「それが長谷川さん」
「わかった」
 海美は有紀の肩を叩いた。
「これ以上、ヤツの好きにはさせない」
「ヤツ? 誰がやったか知っているの?」
「悪魔さ」
「悪魔? そんなのいるわけない……」
 有紀の顔が青ざめる。
「有紀の腕についてる印は、目印なんだ。悪魔の印。生贄の印とも呼ばれてる」
「生贄……。じゃあ、やっぱり次はあたしなのね」
「それはわからない」
「はじめはあたしに嫌がらせをした人ばかりだったから、いい気味だと思ってたけど、自分にもそんなことが起こるなんて……」
 有紀、階段の下を見つめる。小さな声が海美に向けられる。
「順番はどうやって決めているの?」
「特に決まってないけど悪魔は弱いやつを狙うんだ」
「おかしいわ。だったら一番先に私が殺されるはずよ」
「イジメをするようなやつのほうが弱いってことなんだろ。イジメをするなんて病気みたいなもんだし」
「そんなの変よ」
「悪魔やその契約者は、印を持つ者に守護の放棄を迫ってくる」
「守護の放棄? それは、なに?」
「うん。神様や守護霊から守ってもらう権利を奪うのがあいつらの目的なのさ。孤立して誰も味方がいないって思わせるんだ」
「あいつら……」
「守護を放棄した人間は魂が完全に無防備になる。そうして無防備になった魂を悪魔が奪っていくってわけ」
「怖い」
「大丈夫。あたしは契約者を探す。契約者さえ見つけてしまえばこっちのもんだからね」
「契約者……」
「契約者には、契約者の証があるんだ」
 有紀、印のついた腕を押さえる。
「これと同じもの?」
「ううん。契約者の証は、印と違ってもっと濃くて複雑なんだって。有紀の腕のは、他の子のと同じものだから生贄の印だ」
「生贄。生贄……」
 生贄という言葉を聴いて、有紀の顔は血の気を失う。海美は有紀の顔を覗きこんで言った。
「悪魔は、契約者を騙してこの世界に存在を得ようとしている。一例だけど契約者の一番大事なモノをその手に取り戻せる方法を教えるとか言って、この世界に存在できるように肉体を騙し取ろうとする。前の町では、亡くなった子供を蘇らせると言って、その死んだ子供の肉体を使って契約者を操っていた」
「どうやって探すの?」
「それは、このカバンの中の道具とか、あとは……」
「俺の出番ってわけさ」
 案山子が急にしゃべりだす。有紀は驚いて身をよじりその場から逃げ出そうとした。だが、足に力が入らなかったのか、立ち上がれずにもがくだけだった。
「キャ!」
「兄貴」
 海美は、案山子を有紀から遠ざける。廊下に転がる案山子。
「失礼」
「案山子がしゃべった」
「始めまして、海美の兄です。どうぞよろしく」
「これがお兄さん?」
「な? 格好悪いだろ」
「あはは」
 有紀が笑った。海美も軽く笑ってみせる。案山子が声を出す。
「俺と海美は、悪魔に両親を殺されたんだ」
 海美が案山子の言葉に続ける。
「父さんはエコノミストだったんだ」
「エクソシストだよ」
「そうそうエクソシスト。あれ? じゃあ、なんでエコノミストなの?」
 首をかしげる海美に、案山子は説明をする。
「親の職業がエクソシストじゃこの学校に入れないからな。経済学者ということにして編入の手続きをしたんだ。常識的に考えて悪魔祓い師なんて書けるわけがないだろ」
「うるさいな。脳みそワラのくせに細かいんだよ」
 海美が案山子を勢いよく持ち上げて壁に押し付ける。
「痛い! もっと大事に扱え!」
「痛みなんか感じないくせに!」
「お前だって……」
「悪魔を見つけたらどうするの?」
 兄妹げんかが始まりそうな瞬間に有紀が割って入ってくる。案山子がそれに答える。
「名前を聞き出して、地獄に送り返す。シンプルだけどそれが一番いい方法」
「それが無理なら倒すしかないけどね。むしろこっちが得意」
「脳筋妹だからな」
「なんだよ綿の脳みそ兄貴」
 有紀が不審そうな顔を向ける。
「倒せるの?」
「やるだけやってみるよ」
「そっか」
「有紀、居心地が悪いと思うけど教室で待ってて。どんな状況になっても、あきらめちゃダメだよ」
 有紀はゆっくりとうなずく。フラフラと立ち上がると歩き出す。振り返ったその顔には、かすかな明るさが見えた。
「わかった。あたし、海美ちゃんを信じる」



 プールの柵には使用禁止の張り紙が貼り付けられていた。張られた水は事故から入れ替えられたのだろうか。かすかな濁りが見えた。
 海美はプールサイドで革バッグを広げた。案山子がその側で自立していた。
「結構、汚れてるもんだな」
 海美は案山子をチラリと見る。
「後で洗ってあげるよ」
「洗濯機に突っ込むだけだろ」
「そうとも言う」
 海美は案山子に笑いかけると、その足を掴んでプールの上に案山子を放り投げる。案山子は空中で姿勢を整えてプールの水の上にきれいに立った。クルリと横に一回転する。
「残念。残留思念は薄いな」
「そっか」
「ちょっと待ってくれ。あぁ、ある。船を出してくれ」
「拾える?」
 海美は広げた荷物の中から紙で折られた舟を取り出す。水の上に浮かべると、船は案山子に向かって進んでいく。
「サルベージする」
 船は案山子の足を軸にして大きな円を描いていく。
 ざざざざざ。
 起こる波の音の中に、かすかな人の声が聞こえてくる。
「何?」
「何か言ってるな。ミフユ?」
「ミフユ? 美冬か」
「同じクラスに安藤美冬がいるな」
「うん」
「個人的に話を聞いてみる必要があるかもな」
 案山子の言葉に海美はうなりながら広げた荷物をカバンの中に放り込んでいく。
「ねぇ、死者に聞くとかできないの?」
「そんなお手軽の方法があるかい」
「兄貴、レベル低いもんね」
「魂がこっちに残ってないからだよ!」
「さ、次行こう」
 案山子の抗議を無視して海美はカバンを持ち上げ走り出す。
 紙の船が沈み水に溶ける。
 プールの中心で案山子が叫ぶ。
「移動するなら俺も連れてってくれ」
 バランスを崩し案山子はプールに浮かぶ。

 暗い廊下を進む海美たち。
「大体、お前は俺を兄だと理解して無いだろう? え? おい。聞いてるのか?」
 ぶつぶつ文句を言う案山子を引きずりながら海美は家庭科室にたどり着く。
「あー、分かりにくかった」
 家庭科室の戸を引き中に入っていく。
 ガスコンロのついたテーブルがいくつか並んでいる。事故が起きたというテーブルは今でもうっすらと焦げているのですぐに分かった。
 海美はゆっくりとそこへ近づいていく。
「焦げ臭いな」
「鼻もないのによく匂いが分かるね」
「うるさい」
「なんかある?」
 案山子の目が、焦げ付いたしみを凝視する。
「ここの思念は強く残ってるぞ。これなら何もなくても拾えそうだ」
「どんなの?」
 案山子の目が閉じられる。
「ねえ、ねえってば」
「うるさい。静かにしろ」
「何だよ」
 案山子が声を出す。
「この子も美冬に強い思いがあったようだな」
「強い思い……」
「これは、憎しみ。……疑念だ」
 海美は腕を組んで考え込む。有紀に冷たい態度を取る安藤美冬。飛び降りの現場にも居た。
「あいつが契約者か」
 目を開く案山子。海美の言葉に同意して見せた。
「決定ではないが、その可能性が高いな。どうする? ここで詰めるか?」
「うーん。次はマンションを見てくるから、兄貴は美冬が側に寄らないように有紀を守ってて。いじめに合いそうだったら、電気をバチッとね」
「大丈夫か?」
「時間をかければ、思念くらい追えるよ。道具もあるしね」
「気をつけてな」
「まったく、心配性だな。急ごう!」
 海美は案山子を担ぐと家庭科室を飛び出す。出口の戸に案山子の頭が当たる。案山子が勢いよく怒り出す。
「だから、お前は……!」

 窓の外を見ている有紀の側に案山子が立っている。有紀が見下ろしている先には、正門に立ち、有紀に向かって手を振っている海美の姿があった。
 有紀の口元がうっすらと微笑む。有紀は小さく手を振り返す。



 マンションの敷地内。つい先日起こった落下事故の現場、マンション内では受験ノイローゼによる自殺という説が有力だった。海美は花が飾られた地面を見つめていた。
 革バッグから楕円の白い石を取り出すと地面に置く。人通りが少なくなるのを目を閉じて待つ。
 その後ろからそばかす顔の女子が近づいてくる。
「何してんだよ」
 海美、一瞥しただけでまた目を閉じる。
「このちび!」
 そばかす顔の女子は、海美をいきなり突き飛ばした。海美は抵抗することも無く地面に倒れこんだ。海美を見下ろすそばかす顔の女子の顔は得意げであった。
「得意の静電気でも出してみろよ!」
「邪魔するな」
 海美は大した問題でも内容に立ち上がると、制服についた汚れを払って落とす。その余裕が気に入らなかったのか、そばかす顔の女子はさらに激昂した。
「うるせえ!」
 勢いそのままに飛び掛ってくる。海美はそれをひらりとかわして背中を蹴飛ばす。植え込みの中に突き刺さるそばかす顔の女子。奇声を発しながらそばかす顔の女子は戦線に復帰し海美に向かって飛び掛ってくる。
「この!」
 海美は飛び掛ってくるその力を利用してそばかす顔の女子を投げ飛ばす。再び植え込みに突き刺さる。懲りずに立ち上がるそばかす顔の女子が飛び掛る前に止める声があった。
「何してるの! やめなさい」
 そばかす顔の女子は舌打ちをして走り去っていく。その声には海美も聞き覚えがあった。
「安藤美冬」
 海美の前に美冬が立っていた。
「!」
 美冬が海美に平手打ちをする。すぐに反撃しようとした海美の手が美冬の顔を見て止まる。
「人が死んでるのよ。それも友達が……」
 美冬は震えていた。左腕を必死に押さえて涙をこらえているようだった。海美はそれに気がついたのだ。美冬は声を押し出す。
「こんなことしてる場合じゃないでしょう」
「腕を見せろ」
 海美は無理やり美冬の袖を捲り上げる。美冬は嫌がるそぶりを見せたが、海美は腕を放さなかった。
 現れた美冬の腕に印があった。死んだ女子生徒と同じ印がそこに存在していた。
「離してよ!」
 必死になって海美の手を振りほどくと美冬は海美に背を向けた。海美は美冬に疑いの目を向けた。
「お前、契約者じゃないのか?」
 今度は美冬が眉を寄せる。
「契約者? 何を言ってるの?」
「いつからだ?」
 海美の強い口調に美冬は腕の印を押さえ黙り込んだ。
「言えよ!」
「これは……」
「いつからだ?」
「わからない。気がついたら腕に浮かび上がってたのよ」
 首を横に振る美冬の肩を海美が掴む。その力が強いのか美冬の顔がゆがむ。
「思い出してくれ。頼む」
「そんなこと言われても……」
 美冬はあっと声を出す。
「前の担任の先生が学園内で行方不明になってからかも」
「前の担任? 誰だそれ?」
「真嶋先生」
「行方不明……」
 海美の頭の中で考えが始まる。
 行方不明になった真嶋が契約者として少女たちを生贄にしている。その望みは何だろうか。海美は美冬を放すと革バッグの中から本を取り出して開く。
「印を見せてくれ」
 美冬は言われたままに腕の印を海美に見せる。海美は本と図を見比べるように何度も顔を上下させる。美冬がこらえ切れずに海美に聞く。
「この印は何なの?」
「悪魔の印、簡単に言えば殺害予告みたいなもんだ」
 さらりと出る言葉に美冬は戸惑っているようだった。美冬はすぐに聞き返した。
「え? 何?」
「前の担任って言ったな? どんな奴だった?」
 美冬は海美から視線をそらす。
「ひどい奴よ。いろんな生徒に手を出すし、有紀がいじめられてるのを見て見ぬ振りして」
「それはお前もだろ」
「私は、かばうときもあるわよ。行き過ぎないようにちゃんと……」
「別に責めてないよ。良い子なんだろ」
「そんなのじゃない!」
 美冬は必死に否定する。しかし、海美の興味は別のところにあった。
「前の担任がいなくなったのはいつ頃?」
「あなた一体何なのよ!」
「答えろ」
 にらみつける美冬にまったく動じることなく視線を返す海美。美冬が先に目をそらした。
「一月前よ」
「最初の事件と一致するな……」
「最初の事件?」
「真嶋ってのは、どこでいなくなったんだ?」
「知らないわ。たぶん学校だって言われてるけど……」
「また迷路か」
 海美は革バッグを持ってその場から離れようとする。美冬がその後ろを追いかける。
「学校に行くの? 私も一緒にいくわ」

10

 夕日の色が濃く校庭を染める。それは落城の色か血の色か。校門の辺りにはまだ人が居たが、校内に人影が見えない。そして不自然なことにそれに誰も気がついていない。
 海美と美冬が走りこんでくる。肩で息をしている美冬に対し、海美は平然としている。パンパンに膨れた革バッグを持っているのにだ。美冬は校内に人の気配が無いことに気がついたのだろうか。しきりに外と内を見比べていた。
 息を整えながら、美冬が口を開く。
「何であなた平気なの?」
「構造が違うからさ」
「え?」
 イラついたのか美冬は海美をにらんだが、海美はまったく相手にしていなかった。
「先に行くよ」
「待って」
 美冬、学園の奥を指差す。煙が立ち上っている。海美が首をひねる。
「何?」
「焼却炉よ」
「で?」
「この時間、焼却炉は使わないはずよ。何かあるかも……」
 海美はその言葉に反応した。
「ヤバイ! 兄貴が危ない」
「どうしたの?」
「有紀たちが、次の標的だ!」
「どうしたの?」
「兄貴が燃えちゃう!」
「は?」
「焼却炉はあっちだな?」
 美冬の返事を待たずに海美は煙の登る方向へ駆け出そうとする。
「え? 待って、あたしも行く」
 海美は振り返る。その顔には、鬼気迫るものがあり、美冬はつばを飲み込んだ。
「お前、足が遅いから邪魔なんだけど」
「あなた、いちいち癇に障るわね」
「お前は、有紀を探してくれ」
「わかった」
 二人はバラバラになって駆け出した。

 校舎の脇から海美が走りこんでくる。焼却炉の投入口から案山子の足である棒部分が出ていた。
 煙突からは煙がもうもうと立ち上る。かすかに叫び声のようなものが聞こえる。
 海美が投入口の案山子の足に飛びつく。
「兄貴! 兄貴!」
 案山子の足を海美は力いっぱい引き抜く。全身を黒く焦がした案山子が投入口から救い出される。
「ゴホゴホゴホ」
 咳き込みながら黒い煙を吐く案山子を見て海美はほっとする。案山子を地面に立てて、一回転させて笑う。
「何だ、意外に燃えてないな」
「まぁ、仮にも化け物だからな。これくらいの火じゃ、焦げるだけさ、うわっ」
 海美が案山子を持って振り回すと、煤が薄くなっていく。
「だからって、乱暴はよせ」
「そういう大事なことは早く教えといてよ」
 案山子を担いで走り出す海美に案山子が声のトーンを少し絞った。
「俺が死ぬのは魂が消えるときだけさ」
「それって、ものすごい丈夫だって覚えておけばいいの?」
「それでもいいかな」
「そうそう、犯人がわかったよ」
「ああ」
 二人は同時に告げる。
「前の担任の真嶋だ」
「佐々木有紀だ」
「え?」
 立ち止まって海美は案山子と向かい合う。
「真嶋って誰だよ」
「前の担任の……」
「有紀に騙されたな」
「でも、印があるのに契約者だなんてありえない。印と証は、相容れないものだし、有紀が利用されてるのかも」
「ああ。どう言うことだか捕まえて聞こうじゃないか」

11

 有紀は一年B組の教室から窓の外を静かに見下ろしていた。美冬がそこへやってくる。
「有紀! 大丈夫?」
 乱雑に散らばっている机をよけながら、美冬は有紀に近寄っていく。
「なあに?」
 振り返る有紀の顔は逆光になって見えない。美冬、立ち止まる。
「有紀?」
「どうしたの美冬。そんな変な顔をして」
 美冬は言葉を出せないでいた。有紀が美冬に向かって一歩近づいた。
「怖いの?」
 美冬、後ずさりする。美冬が下がると、有紀がその分をつめてくる。表情は見えない。影がその深さを増す。
「大丈夫よ。あなたならあっちの世界に行っても、誰かを踏みにじっていけるわ」
「何言ってるの?」
「彼らはなぜ魂を欲しがるか知ってる?」
 日が落ち、教室の中は暗くなる。暗い教室の中でさらに暗さを際立たせる有紀の影に美冬は怯えていた。
「何を言ってるのよ!」
「あの人達の世界ではね、苦しみも楽しみもずっと得られるんですって」
「あなたなの?」
「年も取らない。でも、彼らのためにずっと誰かを苦しめなければならないの。そうじゃないと自分が苦しんじゃうから」
「答えて!」
「でも、あなた向きよね。いつでも誰かを陥れているあなたにふさわしい世界よね」
「あなたがみんなを殺したの?」
 有紀の目が青く宝石のように光る。
「お前のせいだ!」
 有紀の叫びに呼応するように机が自ら動き出して二人を丸く取り囲む。美冬は逃げ場を失い有紀を見るしかなかった。その口が、震える声を出す。
「どうして?」
 返事は長い沈黙を持っていた。それなのに体はピクリとも動かなかった。有紀の声に絶望のような響きがあった。小さく、それでも心臓にまで届きそうなほど鋭い声だった。
「真嶋先生を取った」
「え?」
「あたしが先生を好きなのを知ってて奪ったのよ!」
「違う……。誤解よ。私はあんな奴、好きでもなんでも無かった。むしろ迷惑だったわ」
「返してよ! あたしの先生を返してよ!」
「はい、そこまで」
 教室の入り口に海美と案山子が立っていた。海美の手にはペットボトルが握られている。
 海美たちの姿を見ても有紀は少しも動じた様子を見せなかった。
「もう遅いわ」
「そうかな?」
 海美が近づこうとすると、有紀は美冬を指差した。
「こいつを殺せばあたしの勝ち」
「5人も殺してまだ満足しないのか?」
 海美はペットボトルのふたを開く。中には透明な液体が入っている。
「5人?」
 美冬は有紀から目を放し海美を見た。
「その子は行方不明の先生も殺しちまったのさ」
 美冬、驚いて飛び上がる。
「案山子がしゃべった」
「あんなのあたしの先生じゃない」
 有紀、側にあった机を美冬に向かって投げつける。丸めた紙でも投げるかのようにかるく投げられた机は勢いよく美冬に向かっていく。
「くそ!」
 海美は案山子を掴んで美冬に駆け寄る。ペットボトルの中の水が教室の中にこぼれる。
美冬を突き飛ばすと間一髪のところで机が壁に激突する。
 すぐに別の机を振り上げている有紀。海美と美冬は部屋の角に追い込まれていく。
「さようなら」
「海美、俺を前に!」
「そうか」
 海美は床に案山子を突きたてる。
 案山子は机をその身に受ける。衝撃が案山子を揺らすが、海美たちは無事だった。案山子が床に倒れこむ。
「頼むから、帽子を取ってからにしてくれ……」
「食らえ!」
 海美は案山子の抗議を無視して、ペットボトルの中の水を有紀にぶちまける。
「ぐあああああああああああああ!」
 有紀の体から白い湯気が上がる。床の上に倒れこみもがき苦しむ。その姿を見て、美冬が海美に平手打ちをする。
「有紀に何するのよ! 何をかけたの!」
「食塩水だよ!」
「つまらねえことしやがって!」
 起き上がる有紀は両手に机を持ち、海美たちに向かって放り投げた。海美は美冬を横に突き飛ばす。だが、海美は二つの机をまともに受けて壁に激突する。
「海美! 早く立ち上がれ! あいつが逃げるぞ!」
 案山子の声を聞きながら、海美はゆっくりと起き上がる。その額に小さなヒビが入っている。
「いってぇ」
 顔を上げると、有紀の姿がない。美冬もいない。窓ガラスが全開になっていた。
「しまった!」
「上だ! 急ぐぞ」
 海美は革バッグと案山子を掴んで走り出す。

12

 星一つ無い夜空の下、屋上の周りには背の高いフェンスが張られている。
 美冬は有紀に髪をつかまれて屋上の上を引きずられる。
 有紀の片手にはナイフが握られていた。
「有紀、やめてよ。友達でしょ? 何でこんなこと……」
「許してあげる」
 有紀はフェンスに美冬を叩きつける。同時に美冬の胸を押さえ込んだ。美冬は苦しげに息を吐き出す。
「お願い」
「美冬なんて死ねばいい。本当は私に謝りながら死んでもらいたかったけど時間が失くなってきたの」
 有紀の笑顔は飛び切りの笑顔だった。
「どうして?」
「あなたはこれから手首を切るの。そして、この屋上を血で染めるの。大丈夫、私がやってあげるから」
 有紀の目が青く光る。美冬の腕がフェンスに張り付けられる。有紀の腕だけではない見えない力が美冬を押さえつけていた。美冬の手首に有紀がナイフを当てる。
「嫌よ」
「自分でする?」
 命を奪うにしてはあまりにも軽い言葉だった。犬の散歩でもさせるようなそんな言葉の響きだった。美冬は小さく首を横に振った。
「助けて!」
「助けて!」
 有紀は美冬のマネをして優しく笑う。美冬の手首に当てたナイフを軽く引く。筋が一つついただけで切れなかった。
「ねえ、小学校の頃のこと覚えてる?」
「小学校?」
 有紀はまた美冬の手首にナイフを当てて軽く引く。筋が一本増える。それを何度も繰り返す。
「美冬がいじめられてたのをあたしが助けた」
 美冬は手首に増える傷を数えた。五回目のナイフが薄皮を切り裂き、うっすらと血がにじんだ。
「そうしたら、私がいじめられるようになったよね。美冬は助けてくれなかった」
「だって、そんなことしたら今度はまた私が……」
「そうね。美冬は優しいもんね」
「ごめんなさい」
「もう気にしてないよ」
 有紀は美冬の手首を凝視しながらナイフを振り上げる。美冬がフェンスを揺らしながら抵抗を見せるが体は離れなかった。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい!」
「人間が小さいぞ!」
 海美の声がして石が有紀の手首を打つ。持っていたナイフを床に落とすと有紀は手を引いた。その手に火傷の跡が残されている。床の上に転がった白い楕円の石には、何か文字のようなものが掘り込まれていた。美冬が膝から床に倒れる。
 有紀が忌々しそうに振り返る。
 その視線の先に案山子を持った海美が立っている。
「しつこい? ……お前もな」
 有紀はしゃがみ込んだ美冬の首を掴むと、海美をけん制する。その目は再び青く輝き始める。
「一歩でも近づいたら、絞め殺すからな」
「嫌な奴」
「同感」
 案山子を構えて海美は有紀たちににじり寄っていく。
「邪魔をするな」
「悪魔の言うことなんか聞かないよ」
 有紀は首を振った。掴んだ美冬の首をさらに強く締める。美冬がうめき声を上げる。
「悪魔はこいつらのほうだ」
「あんたも負けてないよ」
「あたしは違う」
「有紀、もうやめて」
 かすれる美冬の声は有紀には届いているのか分からなかった。海美は立ち止まる。
「そいつはもうあんたの友達じゃない」
「有紀、お願い」
 有紀、美冬の首をじわじわ絞めていく。美冬は有紀の手を解こうとするが、外れなかった。諦めかけてだらりと下がった手が楕円の石に触れる。美冬はそれを握り締めた。
 案山子がつぶやく。
「海美、帽子を取れ」
「有紀は契約者じゃない!」
「手遅れだ!」
「まだ間に合う! 私に考えがある!」
「だが、このままじゃ……」
「任せて。行くよ!」
 美冬は海美が投げた楕円の石を有紀の手に押し当てた。叫び声を上げて有紀は美冬を放り出した。そのとき海美は案山子を振り上げ、有紀に突進する。振り回される案山子。
「え? ええ?」
「にーちゃんパンチ!」
 海美は有紀を案山子で殴りつける。
「ぐえ」
「ぐあ」
 有紀は案山子の打撃を受けて床の上すべり吹き飛んだ。
「ぐぅ……」
 美冬が海美の元にかけてくる。
「仲村さん。お願い。有紀を助けて!」
「今やってる!」
 有紀がうずくまりながらすすり泣く。
「海美ちゃん。どうして邪魔をするの? あなたには関係ないでしょ?」
 海美は案山子を振り回しながら有紀に突進する。
 有紀は再び案山子で殴られる。
「お前の名前を言え! 名前を言うんだ!」
「お願い。あと一人なの」
 有紀は殴られ床の上を滑っていく。海美はその上に馬乗りになって拳を振り上げる。
「美冬、助けて。悪魔はもういないわ。私から離れてるのよ……。痛い! 痛いよぉ! 美冬―!」
 有紀、美冬を見る目には青い輝きは無かった。その目から涙がこぼれる。
「美冬。このままじゃあたしが殺されちゃうよぉ」
 美冬は有紀に向かって歩き出す。
「有紀」
「美冬……」
「そいつの言うことを聞くな!」
 美冬は海美と有紀を交互に見る。有紀が美冬に懇願する。
「たすけて……」
「私、あんたよりも有紀を信じる」
 美冬が、有紀に駆け寄っていく。海美を有紀から引き剥がす。美冬と有紀の二人の力を受けて海美は床の上を転がる。海美は思わず舌打ちをする。
「ああ、もう! 面倒くさいな」
「ありがとう美冬!」
「有紀!」
 座り込んだ有紀に駆け寄ろうとする美冬。腰の後ろに隠した有紀の手に、再びナイフが握られている。
 その目が再び青く変わる。
「にーちゃんキーック!」
「うぎょええええええええ!」
 案山子が足向けて有紀に向かっていく。
「うがふ」
 有紀の腹部に案山子の足が突き刺さる。そのままの勢いで有紀が吹き飛ばされる。
「おのれぇ……」
「何で言わないんだよ! 有紀、名前を言えばお前は助かるんだよ!」
「海美! ダメだ! この子が契約者だ!」
 床に転がる案山子が叫ぶ。海美は首を振る。
「でも印が! 有紀は生贄の印だった! それはどうやって説明するんだよ」
 海美は、倒れている有紀に近づいていく。有紀は体から煙を上げてもだえ苦しんでいる。
「海美、諦めるんだ。有紀が契約者でなければ説明がつかない」
 海美は白い楕円の石を有紀に放り投げる。軽く当たっただけで有紀の体は裂け黒っぽい液体が吹き出した。
「本当に契約者なんだな……。じゃなきゃ、そうだよな……」
「お願い。もうやめて! 全部、全部私が悪いの」
 海美、立ち止まる。美冬を見つめる。
「やめろ。守護が離れるぞ」
「守護?」
 聞き返す美冬を無視して海美は再び雪の上に馬乗りになる。
 海美は左手で有紀の頭をつかむと、無造作に殴り始める。
「さあ、出て来い。姿を見せろ」
「ひどい」
 美冬、ふらつく足で海美に寄っていく。殴られ続ける有紀を見て海美を強引に有紀から引き剥がす。
「邪魔をするな!」
「そんなに殺したいなら、私を先に殺しなさいよ! 有紀を、これ以上、有紀を苦しめないで! 私が死ねば、有紀は幸せになれるんでしょ! 誰の守護もいらないわ! 私が有紀を守る番よ!」
 美冬の頬を伝う涙。海美は美冬を突き飛ばす。
「バカが。その子を苦しめてるのはお前だ。今、有紀の魂は悪魔に……」
「何が悪魔よ! この世の中は悪魔ばかりじゃない! あたしだって、悪魔よ! そうよ。悪魔よ。みんな悪魔よ。神様なんて、どこに居るのよ! あんたなんて、あんたなんて、ここに来なければよかったのよ! 神様なんていないのよ!」
 その時、有紀の目の青い輝きが強さを増した。その手が、美冬をつかむ。
「海美!」
「しまった!」
 海美、美冬に手を伸ばす。
「もう遅い!」
 有紀は、美冬を背中から抱きしめる。そのまま手に持ったナイフで美冬のノドを切り裂く。
「え?」
 小さな声を上げながら美冬はそのまま床に倒れこむ。視線の先に居る有紀は、微笑んでいた。
「有紀?」
 床に大量の血が流れ出る。有紀は動かなくなっていく美冬につぶやいた。
「向こうで会おうね。わたしたちずっと友達よ」
 海美、走り出して案山子を拾う。有紀はその間にフェンスに向かって駆け出す。
「逃がすもんか」
「海美、よせ! 落ち着け」
「ははははは!」
 有紀は、フェンスによじ登り、その上に立ち空を仰ぐ。空はすでに暗闇に飲み込まれていた。そして暗闇よりも暗い黒が頭上を覆い始める。
「ごめん兄貴、もうこれしか無いみたい」
 海美は、案山子の帽子を掴み取り、案山子の頭生えるのは白く輝く刀身だった。案山子を槍のように構える。海美は小さな言葉を唱える。すると、穂先に闇を照らす光が現れ出した。
 有紀の目の青い光が内側に吸い込まれていく。。
「さあ、あたしの願いをかなえて!」
 その声に別の声が答える。
「いいだろう」
 有紀は空に祈りを捧げる。
「真嶋先生!」
 急激に膨らむ有紀の腹部。
「センセエェェェェェッ!」
 有紀の口から、液体が勢い良く吐き出される。床の上で嘔吐物が形を作っていく。
「先生……」
 嘔吐物から形作られたのは一人の男だった。
「真嶋先生」
 有紀の声を聞いて真嶋は、ゆっくりとフェンスを登っていく。
「佐々木」
 抱き締めあう二人。真嶋が有紀の耳元でつぶやいた。
「ありがとう」
 二人を見上げる海美は案山子の足を握りその穂先に力を注いでいた。穂先の光はすでに太陽の光のような強さがあった。
「男のほうだ」
 真嶋の胸に顔をうずめる有紀。その顔には友を殺した後ろめたさなど微塵も無く、ただただ幸せそうな輝きがあった。
「先生。あたしの先生……」
 案山子の足を力強く握ると真嶋に向かって構える。
「行くよ!」
「おう」
 真嶋は有紀の肩を持ち、顔を覗き込むと有紀は涙を流しながら目を瞑る。
 だが、それは有紀が望んでいた口づけではなかった。真嶋の手が、ゆっくりと有紀の首を絞める。
「よくも僕を殺したな。魂を迷わせたな! よくも僕の愛する美冬を殺してくれたなぁ!」
 有紀の目がカッと開く。
「いやああああああああああああ!」
 有紀の腕が真嶋を突き飛ばす。フェンスの上からバランスを崩して落ちる二人。外側に落ちかけた有紀はフェンスの手をかけて落下を免れたが、真嶋は屋上の床の上に頭から落下した。鈍い音がして真嶋の体が痙攣を起こす。そして、動かなくなる。
「有紀! そのまま離すな!」
 海美が有紀に声をかける。案山子が叫ぶ。
「海美! 早く男の方をやれ! 乗っ取られたら厄介だ」
 有紀はフェンスにしがみつき真嶋を見ている。
「私は、また先生を殺しちゃった。もう先生を食べるのは嫌よ。また起き上がっても、どうせ美冬のことを好きだって言うつもりなんでしょ。だったら、そこで死んでればいい。死んでればいいのよ!」
 真嶋は有紀の言葉に反応するかのように立ち上がった。
「契約は履行された」
 そこへ案山子の槍をで海美が突進してくる。真嶋が振り返る。海美の顔を見て、その顔がゆがんだ。
「知ってるぞ! お前たちのことを知ってるぞ!」
 真嶋の両手の爪が伸び鋭いとげになる。向かってくる海美に突き出される腕はあっという間に光り輝く刃によって焼き落とされてしまう。
「人形の心臓め!」
 刃は止まることなく真嶋の胸に突き刺さった。
「ぬぐぅ」
 刃の光で、真嶋が燃えていく。
「くそぉ!」
 有紀がフェンスから滑り落ちていく。海美は真嶋が刺さったままの案山子を放り投げると、フェンスを駆け上がる。
「有紀!」
 海美の伸ばした手が、有紀の手を掴む。もう一方の手でフェンスを掴む。
 有紀は海美を見た。
「私の邪魔ばかりして、あんたバカじゃないの」
 有紀は海美の手を振りほどいた。海美は手に力を込めることが出来なかった。有紀は地面に落ちていく。それを見送ることしか出来なかった。

 どさ。

 海美は、有紀を見つめる。その背中に悲痛な声が聞こえてくる。
「海美! 帽子を!」
 海美は我に返るとフェンスを上り、真嶋の燃えカスから案山子を引き抜く。
 屋上の床に落ちている帽子を拾うと案山子の頭にかぶせる。
「どうだ?」
「終わった。終わった……」

 空が白んでくる。
 地面に有紀が倒れている。海美は有紀の袖をまくる。腕に悪魔の印。海美がぬぐうと、その下から濃い色の別の証が現れる。
「契約の証だな。上から塗って隠していたのか」
「あいつら、こんな手も使うんだね」
 朝日が校舎を照らす。
 その光が有紀にも当たる。すると有紀の体から煙が上がりあっという間に燃え上がった。
「最後は人間であることも許されないか」
 海美たちは有紀の身体が燃え尽きるのを見守る。有紀は影を残し空気の中に消え去ってしまった。
「名前さえわかればもっと情報を聞き出せたのに……」
「ん?」
「ううん。なんでもない。ごめんね」
 海美は残された有紀の影を見て寂しそうに微笑む。
「いいさ、行こう。次があるさ」
「うん」
 海美は革バッグを抱え案山子を担ぎ上げると、正門に向かって走り出した。

                                   終
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楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

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