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第二十話
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1
東東大助教授大島賢。時々であるが、大島賢助、教授と呼ばれることがある。本人はあえて訂正はしない。訂正はあまり意味のないことだと思っているからだ。
田沼源次郎の助手を務めていた二人は山で同じ日に死んだ。それが平成十三年。それから程なくして田沼汀子の怨霊話が聞こえ始める。それも研究所のあった関東でもなく、汀子の出身地方とみられる東北でもなく、九州から始まっているのだ。黒い人影に始まり、事故に巻き込まれて死に続ける死を告げるものとして都市伝説のような存在だった彼女が、ここ数年では非常に強力な存在になりつつあるようだった。
原因は何か。
心霊科学者安田智太郎が生きていればそれを確かめることもできたかもしれない。いや、彼にもわからないだろう。
研究分野が違う大島にとっては、難解過ぎた。残された資料の中から答えを探そうとしても、答えがそこに書いてなければ見つかるわけもない。まだあたっていない関係者から話を聞いて見る必要がある。
だが、有力な候補者がいなくなっていた。
今年の頭くらいのことになるが、田沼の助手の一人新谷氏の息子夫婦とその子どもが死んだ。自動車事故で夫妻と長男が、飛行機の事故で次男が亡くなっている。いずれの事故にも同乗者にタヌマテイコに似た名前があった。もしかしたら、新谷氏の息子家族は彼女に近づきすぎたのかもしれない。
もう一人の助手中山氏の方は、親戚に連絡を取ってみたが反応がなかった。
手詰まり感が途方もなく重たかった。
そんな時だった。増川英二の元に大山サチコという情報提供者からの連絡が入ったのは。
2
大山サチコから増川英二に連絡があり、彼女の従姉妹の山崎ハルナの勤務先である大広情報処理センターで連続的に発生した死亡事故や自殺の原因を調べるために元霊能力者ジエイであった増川英二が呼ばれたのだ。
「前にも言ったように、僕は霊能力者を廃業したんですよ」
と、彼は言うのだが、今は霊能者というよりは好奇心で動く探求者というところだろうか。
二人で訪れる前に大山サチコから事前に調べていた調査の内容を聞く。大山サチコはA4用紙にカラープリントされた写真を見せながら誰が亡くなったのかを教えてくれた。
「……小森さんって方から頂いたんですけど、彼女、昨日の夜に」
大山サチコが真面目な顔をする。増川英二と一緒に吸い込まれるように息を呑む。
「ぎっくり腰になっちゃってしばらくお休みするそうです」
「なあんだ。びっくりさせないでくれよ」
大山サチコと顔を見合わせて笑うが、増川英二は笑っていなかった。
「飛行機事故で亡くなったシステムエンジニアの方の名前は、なんていうかわかりますか? 新谷俊さんじゃないですか?」
「すごい! さすがジエイさん!」
大山サチコが手を叩く。新谷俊という名前を聞いて、あ、と大島賢が声を上げる。
「大島さんも気が付きました?」
「うん」
「なんですか?」
「実は、田沼博士の助手の新谷吉十郎氏のお孫さんがその頃に飛行機事故で亡くなっているんだ。名前と職種が合致する」
「じゃあ、死亡事故の原因はその新谷さんということなんですか?」
「どうかな。可能性はあるかもしれないね」
可能性を指摘すると、大山サチコは悲鳴にも似た声を上げた。
「それじゃあ、インターネットを介して世界中に怨念がバラまかれたってことですか?」
それは飛躍しすぎだが、可能性はゼロではないと思う。新谷俊が怨霊に操られその意のままにプログラムに彼女の存在を組み込んでいたら、十分にありえるだろう。
「怨念をプログラムできるとは思えないから大丈夫だと思います」
増川英二が言った。
「出来るとすればもっと電気的な介入」
電気的な介入?
「先生、人間の記憶ってある種の電気刺激なんですよね?」
「うん」
「他人の夢をコピーして見せることも出来るという記事を見たことがあります」
「そうなんですか?」
「まぁ、事実かどうかはわからないけどね」
「仮にそうだとすると、電子が記憶を持ち歩いて、……この場合は怨念ですが。それが被害者の脳に電気刺激として介入し心霊現象を見せる。って思ったんです」
電子が記憶を持ったまま自由に移動できるのだろうか。
「それで見せられた現象に沿って人間が行動する。信号を無視したり、自殺をしたり」
「でもそれだと巻き込まれて死ぬ人も同じ電子の影響を受けていることになるんじゃないかな?」
「怨霊の電子が一つでなかったら?」
「そうか」
増川英二の話もわからなくもない。そうか。
「だから、巻き込まれるのか」
「はい」
納得しあう二人のそばで大山サチコが不機嫌そうな顔をする。
「ちっともわかりません」
怨霊を持った電子aがAさんに影響を与える。怨霊を持った電子bがBさんに影響を与える。2つの怨霊電子に操られたAさんとBさんが心霊現象を体験させられて同じ事故現場に導かれて事故死する。これが巻き込まれという形になった。
「電子の持っている念の種類で行動が別れてしまうのかもしれない。似たような名前が巻き込まれている人に多いんじゃないかと」
「じゃあ、幽霊って電気なんですか?」
「それはわからないよ。誰も証明してないから」
「そうだとしたら、どうやったら解決するんでしょうか」
大山サチコの問いに増川英二も大島賢も答えられなかった。
3
大広情報処理センターに着くとビルの前で山崎ハルナが待っていた。エレベーターで入力室の階まで上がると、年配の男性高山と竹原という男性社員が待っていた。
「ご苦労様です。もう少ししたら就業時間になりますので、それからお願いします」
中に通され広い部屋の中ほどにあるテーブルに案内される。周囲を見回すと社員のほとんどは入力を続けていたが、何人かはこちらが気になるようで顔を上げ下げしていた。
「女性が多いですね」
増川英二に話しかけたのだが、山崎ハルナが答えた。
「はい。そうなんです。求人も女性がメインでした」
増川はじっと入力している社員たちの一角を見ていた。
「なんですか?」
大山サチコが増川英二をどかすように押し出して、彼は我に返ったようだった。
「あ、すみません」
程なく就業時間を迎え、社員たちが集められると、簡単な説明がありグループ単位で話を聞くことになった。
しかし、大山サチコがすでに調べ上げていた事実以上のものは出てきそうになかった。
「すみません」
「いや、大山さんの取材力の高さが証明されたってことですよ」
増川英二に褒められて大山サチコは嬉しそうだった。
そこに高山が声をかけてきた。
「除霊はいつ始まるんでしょうか?」
増川英二は全員を真ん中に集めてから、自身は部屋を一周りしてから中心まで戻ってきて、懐から数珠を取り出し、何かお経のようなものを唱えだした。20分くらいそうやって振り返ると、増川英二の額には汗が滲んでいた。
「すでにこの場所には問題は無いと思います。念のために経を上げさせていただきました」
「そ、そ、そうですか」
高山が増川英二に近づいていく。
「皆さんはもうお帰りいただいて大丈夫です」
増川英二がそう言っても高山は離れなかった。言い出しにくそうにしている。それを察したのか、増川英二が笑ってみせた。
「布施などは結構です。私、一度この仕事を離れてましたので、今日は慈善活動ということで」
「あ、そうですか。それは、なんとも」
社員たちが帰っていく中、一人の女性社員が近づいてくる。
「もう、安心ですか?」
顔の青白いあまり健康そうには見えない女性だった。
「大丈夫ですよね?」
増川英二を肘で押すと、増川英二は「え、ええ」と緊張気味に言った。
「加山タカコです」
加山タカコが増川英二に握手を求めた。彼はその手をじっと見ていた。横から大山サチコが出てきてそれを遮る。大山サチコは加山タカコの手をぎゅっと握るとぶんぶん振り回しながら作り笑顔をした。
「お疲れ様でした。今までありがとうございましたー」
「私、知ってますよ。田沼汀子」
加山タカコは、大山サチコを無視した。室内の電気が徐々に消されていく。
「すみません。閉めます」
竹原が遠くから言った。
「私、エレベータを呼んできます」
加山タカコが動こうとした瞬間、増川英二がその手を掴んだ。
「ちょっと、聞きたいことがあります。みんなは先に降りててください」
増川英二がそう言うので、私たちは二人を残して先に降りることにした。
エレベータの中で、大山サチコが「趣味悪い。ほんっと趣味悪い」と小声で繰り返していた。それがなんだかおかしくて軽く吹き出すと、大山サチコは恐ろしい形相でこちらを睨んできた。その目の怖いことと言ったら、すぐにエレベータから飛び出して逃げ出したくなるくらいだった。
不機嫌なままの大山サチコに山崎ハルナは脳天気に話しかけてかなり酷い扱いを受けていたが、山崎ハルナは一向に気にしてないようだった。稀有な人間である。
しばらくすると、増川英二と加山タカコが降りてきた。増川は大分疲労しているようだ。お経を呼んだ後も汗をかいていたが、除霊というのは相当に消耗をするということだろう。
「増川さん、またね」
加山タカコがそう言って去っていった。増川英二は軽くお辞儀をしただけだった。
「私達も帰ります」
大山サチコと山崎ハルナも私達のところからさっさと離れていく。彼女の背中に増川英二が声をかけると大山サチコはダッシュで戻ってきた。子犬みたいな女の子だ。
「はい! なんですか?」
「集合写真をもらってもいいですか?」
増川英二がそう言うと、大山サチコはまた不機嫌な調子に戻った。バッグの中に手を突っ込むと、増川英二に集合写真の紙を押し付けた。
「どうもお疲れ様でした!」
そう言って大山サチコはドカドカと歩き去っていった。ガサツな人間である。
増川英二が集合写真を見せて言った。
「どの人が加山さんですか?」
妙なことを聞くと思った。集合写真を見ればすぐわかる。私が加山タカコを指差すと、増川英二ははっきりとこう言った。
「大島さん、どうやら僕が死ぬ番が来たみたいです」
4
部屋に入った瞬間、空気が違うことがわかった。今まで感じたことがないほどの強烈な空気の重さ。それが一転に集中しているようだった。そこには黒い人型がいた。初めて見る。大抵の場合、黒い影は足元を通り過ぎるだけだ。あの黒い人型はそこに存在し続けている。
大山さんに押されて我に返った。黒い人型はそのままだったが。
「あ、すみません」
大山さんがいてくれてよかった。そうでなかったら飲み込まれていた。ここは危ない。気が抜けない。ここにいる人を全員無事に外に出さないと。
黒い人影の存在が強烈過ぎて話に集中できない。もしも、ここに一人で来ていたら気が狂うかもしれない。大島先生と大山さんの存在がありがたかった。
形ばかりの除霊を終え、全員をここから出す。
「タヌマテイコです」
黒い人型が目の前に滑り込んできた。大山さんが人型に触れる。ダメだ。それに触れちゃ。それはもう人じゃない。
「お疲れ様でした。今までありがとうございましたー」
「私、知ってますよ。田沼汀子」
黒い人型から声が聞こえる。室内の電気が徐々に消えていく中で、人型がまた声を出した。
「私、エレベータを呼んできます」
動き出した黒い人型を掴んだ。ぬるっとした冷たさ。
「ちょっと、聞きたいことがあります。みんなは先に降りててください」
暗い部屋の中に黒い人型と立つ。部屋の暗さを吸い込むほどの闇の色。
「なんですか? 聞きたいことって?」
「田沼汀子の何を知っているんですか?」
「名前」
「名前? それだけ?」
「ジエイさん、全部教えたらもう会ってくれなそうだから」
黒い人型の表情は読めないが、笑ってるような雰囲気だった。それが、とても怖かった。
「デートしてくれたら、色々教えてあげますよ。ジエイさん、私が初めて付き合った人に似てるから」
みんなはもう無事に外に出られただろうか。おそらく今目の前にいるのが田沼汀子だ。僕は失敗してしまったのだ。この問題を解決する前に彼女を呼び込んでしまった。それでも、みんなをこれから訪れる死に巻き込まなくて良かった。先生も大山さんも。
「エレベータ来ましたよ」
鉄の棺桶が入口を開けていた。中にはすでに田沼汀子という死神が乗っている。あの時、一緒に乗っていたら全員一緒に殺されていただろう。
黒い人型が頭を斜めにした。首を傾げたのだろう。
「どうも」
冤罪で死刑執行に向かう罪人はこんな気持なのかもしれない。絶対に助からない最後の瞬間に自分の足で行くのだ。エレベータに乗り込むと黒い人型の後ろに立つ。
「連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。レンラクサキオシエテクダサイ」
これから殺されるのに連絡先を知ってどうするのか。そう思ったが、スマホを取り出して黒い人型に番号を教えてやる。怨霊と番号交換をした初の生きている人間だ。
「必ず連絡しますね」
黒い人型がゆらゆら横に揺れる。それをぼんやりと見つめて、最後の瞬間を待った。
何事もなく1階で扉は開いた。状況が飲み込めずに黒い人型に連れられるままに外に出た。大島先生と大山さんが待っていた。
「増川さん、またね」
黒い人型が声を出した。それに向かってお辞儀をする。どういうことかわからなかったが、どうやら今回は違ったようだ。もしかしたら、巻き添えの電子を待っているのだろうか。
「私達も帰ります」
大山さんが山崎さんを連れて帰っていく。
「大山さん!」
声をかけると大山サチコはダッシュで戻ってきた。
「はい! なんですか?」
「集合写真をもらってもいいですか?」
そう言うと、大山さんはバッグの中に手を突っ込むと、僕の胸に集合写真の紙を押し付けた。
「どうもお疲れ様でした!」
そう言ってドカドカと歩き去っていった。山崎さんと喧嘩でもしたのだろうか。
振り返ると大島先生に集合写真を見せた。
「どの人が加山さんですか?」
妙なことを聞くと思っただろう。集合写真を見ればすぐわかるのになぜそんなことを聞くのだろうかと。先生は加山タカコを指差す。彼女はもう死んでいる。先生たちに見えている加山タカコと僕が見ている黒い人型は別の人間だ。加山タカコは田沼汀子に取って代わられたのだ。
麻痺していた脳に鋭い衝撃が走る。中山常重だ。彼もまた田沼汀子に乗っ取られていたのだ。どういう方法なのかわからないが、平成十三年に中山常重の身体が行動不能に陥るまで田沼汀子の怨霊が彼を支配していた。だから、それ以降の田沼汀子の怨霊は支配する身体を探して人を殺していたのだ。
大島先生が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「僕が死ぬ番が来たみたいです」
怨霊田沼汀子の秘密を一つ暴く。
どうやら、これが僕の役目だったようだ。
東東大助教授大島賢。時々であるが、大島賢助、教授と呼ばれることがある。本人はあえて訂正はしない。訂正はあまり意味のないことだと思っているからだ。
田沼源次郎の助手を務めていた二人は山で同じ日に死んだ。それが平成十三年。それから程なくして田沼汀子の怨霊話が聞こえ始める。それも研究所のあった関東でもなく、汀子の出身地方とみられる東北でもなく、九州から始まっているのだ。黒い人影に始まり、事故に巻き込まれて死に続ける死を告げるものとして都市伝説のような存在だった彼女が、ここ数年では非常に強力な存在になりつつあるようだった。
原因は何か。
心霊科学者安田智太郎が生きていればそれを確かめることもできたかもしれない。いや、彼にもわからないだろう。
研究分野が違う大島にとっては、難解過ぎた。残された資料の中から答えを探そうとしても、答えがそこに書いてなければ見つかるわけもない。まだあたっていない関係者から話を聞いて見る必要がある。
だが、有力な候補者がいなくなっていた。
今年の頭くらいのことになるが、田沼の助手の一人新谷氏の息子夫婦とその子どもが死んだ。自動車事故で夫妻と長男が、飛行機の事故で次男が亡くなっている。いずれの事故にも同乗者にタヌマテイコに似た名前があった。もしかしたら、新谷氏の息子家族は彼女に近づきすぎたのかもしれない。
もう一人の助手中山氏の方は、親戚に連絡を取ってみたが反応がなかった。
手詰まり感が途方もなく重たかった。
そんな時だった。増川英二の元に大山サチコという情報提供者からの連絡が入ったのは。
2
大山サチコから増川英二に連絡があり、彼女の従姉妹の山崎ハルナの勤務先である大広情報処理センターで連続的に発生した死亡事故や自殺の原因を調べるために元霊能力者ジエイであった増川英二が呼ばれたのだ。
「前にも言ったように、僕は霊能力者を廃業したんですよ」
と、彼は言うのだが、今は霊能者というよりは好奇心で動く探求者というところだろうか。
二人で訪れる前に大山サチコから事前に調べていた調査の内容を聞く。大山サチコはA4用紙にカラープリントされた写真を見せながら誰が亡くなったのかを教えてくれた。
「……小森さんって方から頂いたんですけど、彼女、昨日の夜に」
大山サチコが真面目な顔をする。増川英二と一緒に吸い込まれるように息を呑む。
「ぎっくり腰になっちゃってしばらくお休みするそうです」
「なあんだ。びっくりさせないでくれよ」
大山サチコと顔を見合わせて笑うが、増川英二は笑っていなかった。
「飛行機事故で亡くなったシステムエンジニアの方の名前は、なんていうかわかりますか? 新谷俊さんじゃないですか?」
「すごい! さすがジエイさん!」
大山サチコが手を叩く。新谷俊という名前を聞いて、あ、と大島賢が声を上げる。
「大島さんも気が付きました?」
「うん」
「なんですか?」
「実は、田沼博士の助手の新谷吉十郎氏のお孫さんがその頃に飛行機事故で亡くなっているんだ。名前と職種が合致する」
「じゃあ、死亡事故の原因はその新谷さんということなんですか?」
「どうかな。可能性はあるかもしれないね」
可能性を指摘すると、大山サチコは悲鳴にも似た声を上げた。
「それじゃあ、インターネットを介して世界中に怨念がバラまかれたってことですか?」
それは飛躍しすぎだが、可能性はゼロではないと思う。新谷俊が怨霊に操られその意のままにプログラムに彼女の存在を組み込んでいたら、十分にありえるだろう。
「怨念をプログラムできるとは思えないから大丈夫だと思います」
増川英二が言った。
「出来るとすればもっと電気的な介入」
電気的な介入?
「先生、人間の記憶ってある種の電気刺激なんですよね?」
「うん」
「他人の夢をコピーして見せることも出来るという記事を見たことがあります」
「そうなんですか?」
「まぁ、事実かどうかはわからないけどね」
「仮にそうだとすると、電子が記憶を持ち歩いて、……この場合は怨念ですが。それが被害者の脳に電気刺激として介入し心霊現象を見せる。って思ったんです」
電子が記憶を持ったまま自由に移動できるのだろうか。
「それで見せられた現象に沿って人間が行動する。信号を無視したり、自殺をしたり」
「でもそれだと巻き込まれて死ぬ人も同じ電子の影響を受けていることになるんじゃないかな?」
「怨霊の電子が一つでなかったら?」
「そうか」
増川英二の話もわからなくもない。そうか。
「だから、巻き込まれるのか」
「はい」
納得しあう二人のそばで大山サチコが不機嫌そうな顔をする。
「ちっともわかりません」
怨霊を持った電子aがAさんに影響を与える。怨霊を持った電子bがBさんに影響を与える。2つの怨霊電子に操られたAさんとBさんが心霊現象を体験させられて同じ事故現場に導かれて事故死する。これが巻き込まれという形になった。
「電子の持っている念の種類で行動が別れてしまうのかもしれない。似たような名前が巻き込まれている人に多いんじゃないかと」
「じゃあ、幽霊って電気なんですか?」
「それはわからないよ。誰も証明してないから」
「そうだとしたら、どうやったら解決するんでしょうか」
大山サチコの問いに増川英二も大島賢も答えられなかった。
3
大広情報処理センターに着くとビルの前で山崎ハルナが待っていた。エレベーターで入力室の階まで上がると、年配の男性高山と竹原という男性社員が待っていた。
「ご苦労様です。もう少ししたら就業時間になりますので、それからお願いします」
中に通され広い部屋の中ほどにあるテーブルに案内される。周囲を見回すと社員のほとんどは入力を続けていたが、何人かはこちらが気になるようで顔を上げ下げしていた。
「女性が多いですね」
増川英二に話しかけたのだが、山崎ハルナが答えた。
「はい。そうなんです。求人も女性がメインでした」
増川はじっと入力している社員たちの一角を見ていた。
「なんですか?」
大山サチコが増川英二をどかすように押し出して、彼は我に返ったようだった。
「あ、すみません」
程なく就業時間を迎え、社員たちが集められると、簡単な説明がありグループ単位で話を聞くことになった。
しかし、大山サチコがすでに調べ上げていた事実以上のものは出てきそうになかった。
「すみません」
「いや、大山さんの取材力の高さが証明されたってことですよ」
増川英二に褒められて大山サチコは嬉しそうだった。
そこに高山が声をかけてきた。
「除霊はいつ始まるんでしょうか?」
増川英二は全員を真ん中に集めてから、自身は部屋を一周りしてから中心まで戻ってきて、懐から数珠を取り出し、何かお経のようなものを唱えだした。20分くらいそうやって振り返ると、増川英二の額には汗が滲んでいた。
「すでにこの場所には問題は無いと思います。念のために経を上げさせていただきました」
「そ、そ、そうですか」
高山が増川英二に近づいていく。
「皆さんはもうお帰りいただいて大丈夫です」
増川英二がそう言っても高山は離れなかった。言い出しにくそうにしている。それを察したのか、増川英二が笑ってみせた。
「布施などは結構です。私、一度この仕事を離れてましたので、今日は慈善活動ということで」
「あ、そうですか。それは、なんとも」
社員たちが帰っていく中、一人の女性社員が近づいてくる。
「もう、安心ですか?」
顔の青白いあまり健康そうには見えない女性だった。
「大丈夫ですよね?」
増川英二を肘で押すと、増川英二は「え、ええ」と緊張気味に言った。
「加山タカコです」
加山タカコが増川英二に握手を求めた。彼はその手をじっと見ていた。横から大山サチコが出てきてそれを遮る。大山サチコは加山タカコの手をぎゅっと握るとぶんぶん振り回しながら作り笑顔をした。
「お疲れ様でした。今までありがとうございましたー」
「私、知ってますよ。田沼汀子」
加山タカコは、大山サチコを無視した。室内の電気が徐々に消されていく。
「すみません。閉めます」
竹原が遠くから言った。
「私、エレベータを呼んできます」
加山タカコが動こうとした瞬間、増川英二がその手を掴んだ。
「ちょっと、聞きたいことがあります。みんなは先に降りててください」
増川英二がそう言うので、私たちは二人を残して先に降りることにした。
エレベータの中で、大山サチコが「趣味悪い。ほんっと趣味悪い」と小声で繰り返していた。それがなんだかおかしくて軽く吹き出すと、大山サチコは恐ろしい形相でこちらを睨んできた。その目の怖いことと言ったら、すぐにエレベータから飛び出して逃げ出したくなるくらいだった。
不機嫌なままの大山サチコに山崎ハルナは脳天気に話しかけてかなり酷い扱いを受けていたが、山崎ハルナは一向に気にしてないようだった。稀有な人間である。
しばらくすると、増川英二と加山タカコが降りてきた。増川は大分疲労しているようだ。お経を呼んだ後も汗をかいていたが、除霊というのは相当に消耗をするということだろう。
「増川さん、またね」
加山タカコがそう言って去っていった。増川英二は軽くお辞儀をしただけだった。
「私達も帰ります」
大山サチコと山崎ハルナも私達のところからさっさと離れていく。彼女の背中に増川英二が声をかけると大山サチコはダッシュで戻ってきた。子犬みたいな女の子だ。
「はい! なんですか?」
「集合写真をもらってもいいですか?」
増川英二がそう言うと、大山サチコはまた不機嫌な調子に戻った。バッグの中に手を突っ込むと、増川英二に集合写真の紙を押し付けた。
「どうもお疲れ様でした!」
そう言って大山サチコはドカドカと歩き去っていった。ガサツな人間である。
増川英二が集合写真を見せて言った。
「どの人が加山さんですか?」
妙なことを聞くと思った。集合写真を見ればすぐわかる。私が加山タカコを指差すと、増川英二ははっきりとこう言った。
「大島さん、どうやら僕が死ぬ番が来たみたいです」
4
部屋に入った瞬間、空気が違うことがわかった。今まで感じたことがないほどの強烈な空気の重さ。それが一転に集中しているようだった。そこには黒い人型がいた。初めて見る。大抵の場合、黒い影は足元を通り過ぎるだけだ。あの黒い人型はそこに存在し続けている。
大山さんに押されて我に返った。黒い人型はそのままだったが。
「あ、すみません」
大山さんがいてくれてよかった。そうでなかったら飲み込まれていた。ここは危ない。気が抜けない。ここにいる人を全員無事に外に出さないと。
黒い人影の存在が強烈過ぎて話に集中できない。もしも、ここに一人で来ていたら気が狂うかもしれない。大島先生と大山さんの存在がありがたかった。
形ばかりの除霊を終え、全員をここから出す。
「タヌマテイコです」
黒い人型が目の前に滑り込んできた。大山さんが人型に触れる。ダメだ。それに触れちゃ。それはもう人じゃない。
「お疲れ様でした。今までありがとうございましたー」
「私、知ってますよ。田沼汀子」
黒い人型から声が聞こえる。室内の電気が徐々に消えていく中で、人型がまた声を出した。
「私、エレベータを呼んできます」
動き出した黒い人型を掴んだ。ぬるっとした冷たさ。
「ちょっと、聞きたいことがあります。みんなは先に降りててください」
暗い部屋の中に黒い人型と立つ。部屋の暗さを吸い込むほどの闇の色。
「なんですか? 聞きたいことって?」
「田沼汀子の何を知っているんですか?」
「名前」
「名前? それだけ?」
「ジエイさん、全部教えたらもう会ってくれなそうだから」
黒い人型の表情は読めないが、笑ってるような雰囲気だった。それが、とても怖かった。
「デートしてくれたら、色々教えてあげますよ。ジエイさん、私が初めて付き合った人に似てるから」
みんなはもう無事に外に出られただろうか。おそらく今目の前にいるのが田沼汀子だ。僕は失敗してしまったのだ。この問題を解決する前に彼女を呼び込んでしまった。それでも、みんなをこれから訪れる死に巻き込まなくて良かった。先生も大山さんも。
「エレベータ来ましたよ」
鉄の棺桶が入口を開けていた。中にはすでに田沼汀子という死神が乗っている。あの時、一緒に乗っていたら全員一緒に殺されていただろう。
黒い人型が頭を斜めにした。首を傾げたのだろう。
「どうも」
冤罪で死刑執行に向かう罪人はこんな気持なのかもしれない。絶対に助からない最後の瞬間に自分の足で行くのだ。エレベータに乗り込むと黒い人型の後ろに立つ。
「連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。連絡先教えてください。レンラクサキオシエテクダサイ」
これから殺されるのに連絡先を知ってどうするのか。そう思ったが、スマホを取り出して黒い人型に番号を教えてやる。怨霊と番号交換をした初の生きている人間だ。
「必ず連絡しますね」
黒い人型がゆらゆら横に揺れる。それをぼんやりと見つめて、最後の瞬間を待った。
何事もなく1階で扉は開いた。状況が飲み込めずに黒い人型に連れられるままに外に出た。大島先生と大山さんが待っていた。
「増川さん、またね」
黒い人型が声を出した。それに向かってお辞儀をする。どういうことかわからなかったが、どうやら今回は違ったようだ。もしかしたら、巻き添えの電子を待っているのだろうか。
「私達も帰ります」
大山さんが山崎さんを連れて帰っていく。
「大山さん!」
声をかけると大山サチコはダッシュで戻ってきた。
「はい! なんですか?」
「集合写真をもらってもいいですか?」
そう言うと、大山さんはバッグの中に手を突っ込むと、僕の胸に集合写真の紙を押し付けた。
「どうもお疲れ様でした!」
そう言ってドカドカと歩き去っていった。山崎さんと喧嘩でもしたのだろうか。
振り返ると大島先生に集合写真を見せた。
「どの人が加山さんですか?」
妙なことを聞くと思っただろう。集合写真を見ればすぐわかるのになぜそんなことを聞くのだろうかと。先生は加山タカコを指差す。彼女はもう死んでいる。先生たちに見えている加山タカコと僕が見ている黒い人型は別の人間だ。加山タカコは田沼汀子に取って代わられたのだ。
麻痺していた脳に鋭い衝撃が走る。中山常重だ。彼もまた田沼汀子に乗っ取られていたのだ。どういう方法なのかわからないが、平成十三年に中山常重の身体が行動不能に陥るまで田沼汀子の怨霊が彼を支配していた。だから、それ以降の田沼汀子の怨霊は支配する身体を探して人を殺していたのだ。
大島先生が不思議そうな顔でこちらを見ている。
「僕が死ぬ番が来たみたいです」
怨霊田沼汀子の秘密を一つ暴く。
どうやら、これが僕の役目だったようだ。
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下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
アポリアの林
千年砂漠
ホラー
中学三年生の久住晴彦は学校でのイジメに耐えかねて家出し、プロフィール完全未公開の小説家の羽崎薫に保護された。
しかし羽崎の家で一ヶ月過した後家に戻った晴彦は重大な事件を起こしてしまう。
晴彦の事件を捜査する井川達夫と小宮俊介は、晴彦を保護した羽崎に滞在中の晴彦の話を聞きに行くが、特に不審な点はない。が、羽崎の家のある林の中で赤いワンピースの少女を見た小宮は、少女に示唆され夢で晴彦が事件を起こすまでの日々の追体験をするようになる。
羽崎の態度に引っかかる物を感じた井川は、晴彦のクラスメートで人の意識や感情が見える共感覚の持ち主の原田詩織の助けを得て小宮と共に、羽崎と少女の謎の解明へと乗り出す。
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Jamais Vu (ジャメヴュ)
宮田歩
ホラー
Jamais Vu (ジャメヴュ)と書いてある怪しいドリンクを飲んでしまった美知。ジャメヴュとはデジャヴの反対、つまり、普段見慣れている光景や物事がまるで未体験のように感じられる現象の事。美知に訪れる衝撃の結末とは——。
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