汀(みぎわ)

大秦頼太

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第十三話

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 東東大大島賢助教授の研究室。二人の男が部屋の隅で考え込んでいる。
 元霊能者ジエイこと増川英二が言った。
「変ですよね」
「変ですね」
 大島が応える。
「なぜ彼女は田沼姓で呼ばれているんでしょうかね」
「大島先生」
「なんですか?」
「この日記はどこから出てきたんでしたっけ?」
「田沼の元部下が持っていたそうです。その方はもう亡くなられているそうですが」
「墓は平成十三年頃に無縁仏として合祀された後、処分された」
「それについては興味深い話があって、お墓を処分する関係法律が出来たのはその前の年ですから、法律の施行後すぐに告知を出して合祀したことになるんですよ」
「なにか慌てた理由があったんですかね。お化けが出るとか」
「わかりませんが、一度訪ねてみましょう。それと田沼の家で働いていた方とか、そのご家族にも話を聞いてみたいと思います。ただ、少し気がかりなことがあって」
 大島は増川をちらりと見る。
「こちら側の身の安全ですね?」
 大島は小さくうなずく。
「安田先生たちのルールが通用しなかったわけですから我々も安全ではないのでしょうね」
「危険はあると思います。ただ、僕らと彼らでは大きく違う点もあります。ルールの大半はまだ生きているはずです」
 増川が答えると、大島は身を乗り出してくる。
「違い? なんですそれ?」
「僕もあなたも彼女の成仏を望んでないと言うことです。心に留めないこと。なるべく名前を出さない。その中でもフルネームを口に出さないこと。このルールは守っていきましょう」



 田沼の家で女中奉公をしていた一人、ハナエさんに話を聞くことが出来た。ハナエさんは当時二十そこそこで八十を超えた頃に体調を崩してからは十年以上この施設で暮らしている。我々の問いかけにも、はきはきととても元気に受け答えをしてくれた。
「おていさんのお葬式をしたのって中山さんだったわね。ええ、研究所で働いていた中山さんですよ。源次郎さんにお腹を刺されて……。そうですよ。源次郎さん、飛び降り自殺をしたあの頃は、随分とおかしくなっていましたら。私たちもよく怒鳴られましたよ。中山さん大怪我でしたけど何とか命は取り留めたそうで、目撃者として警察に事件のことを話したり、いろいろやってくれましたよ。それで葬儀が済んだ後におていさんを田沼の墓に入れてくれって泣いて大旦那様にお願いをしてましたけど、結局は聞いてもらえず少し離れたお寺に入ることになったんですよ。それも田沼の名前で。それで、大旦那様が大変お怒りになりましてね。すごい剣幕で中山さんを呼びつけたんですけど、結局あの人それっきりで、その後は大旦那様が亡くなっても現れませんでしたよ。チバラギの方へ行ったとか聞いたことがあるわね。大旦那様が亡くなった後はお屋敷は本家が引き取って今はもうマンションが建ってるわ」
 田沼源次郎の父は、源次郎が死んだ後もしばらく健在で、昭和五十年頃に八十六歳でこの世を去っていた。死因は外傷姓のものではなく老衰と見られる。
「それで、源次郎博士の日記を持っていった中山さんの行方は、今もまだわからないままなんですね?」
 ハナエさんは大げさに手を振ってみせる。
「違いますよ。日記を受け取っていったのは、新谷さんのほうだったはずよ。中山さんはおていさんの葬儀で忙しくて源次郎さんのお葬式には来てなかったと思うわ。だから新谷さんで間違いないわ」
「新谷さん?」
「そう新谷さん。下の名前はきち、きち、そう、吉十郎って言ったわね。チバラギの人で研究員っていうよりは、見習い書生っていう感じの子だったわね。細身でちょっと格好良いって言うより可愛い感じでね。ミツさんが熱を上げちゃってね。あ、中山さんは四角くて研究者って言うよりは牛みたいな人よ。中山さんの下の名前は知らないわ。覚えてないんじゃなくて、聞かなかったから知らないだけよ」
 安田先生が日記を受け取った相手は新谷さんの奥さんだったようだ。そちらにも会いに行って話を聞いてみようと思う。



 安勝寺では住職が話を聞かせてくれた。
「その話でしたら、よく覚えております。見ての通り小さな寺でございまして、なかなか新しいお墓を建てることが出来ませんで連絡を取ることが出来ない方は、大変申し訳ないのですがおまとめ頂いて場所を空けていただいております。田沼家にも何度かご連絡を差し上げているのですが、そんな人は知らないとか、うちの縁者ではないと冷たいことを言われまして困っておったのですよ。手続き上は何の問題もないのですが、後ろめたいおもいもしましてね。ただ、奉公をしていた中山さんという方が毎年墓参りに来られましてね。思い切って相談をしてみたら奥様も一人よりは大勢の方が楽しかろうと言ってくださいまして。ええ、ご自分を奉公人だとおっしゃっておりましたよ。そうですそうです。四角い顔の男性です」
 大島と増川は顔を見合わせる。中山という男の行動は支離滅裂だった。
「奥様というのは?」
「当然、汀子さんです。なんでも大旦那様に大変嫌われてしまって、一緒の墓に入れてもらえないのだとおっしゃられてました。ただ、中山さんはとても熱心でしたけど合祀してからは一度も来られてません。心臓が悪いとおっしゃられてたので、ここまで来るのが大変になってしまったのかもしれませんね。今はどこかに入院をされてるかも」
 大島が増川に耳打ちをする。
「源次郎の日記に出てくる中山は彼の味方のように思えますけど、どうもそうでもないようですね。どこか彼女に肩入れをし過ぎている印象が見られます。同情でしょうか?」
「本人じゃないとか?」
「元部下で名前が一緒で、四角い顔も同じなんて言う人が二人もいるとは思えませんね」
「その中山さんは同じ人物ですか?」
 増川が尋ねてみると、住職は笑った。
「ええ、間違いございません。遺骨を納めに来たのは中山さんです。当時、私は小僧でしたが覚えております。中山さんは少し老けたお顔立ちでしたから、やっと年齢に追いついてきたというか、昔の印象とあまり変わっておられない感じでしたが。あの青白い顔も心臓が悪いとすれば自然です」
「中山さんはその後どちらに行かれたかご存じですか?」
 住職は首を横に振った。
「わかりません。実のところ、どこにお住まいなのかも存じ上げないのです。お役に立てず申し訳ありません」
 寺を出ると、大島はうなった。
「正直な話、日記を受け取ったのは中山さんだと話が早かったのになぁ」
「でも、中山さんはまだ生きている可能性がありますよ。直接話を聞けるかもしれない。ひとまず新谷さんの奥さんにも聞いてみましょう。新しい展開があるかもしれない」
「そうだと良いんですが」



 新谷吉十郎氏の家を訪ねると、奥さんが話を聞いてくれた。
「安田さんをこのようなことに巻き込んで申し訳ありませんでした。この家の不幸を押し付けてしまったみたいで」
 頭を下げた満子夫人に大島も増川も驚いた。居間に通されると仏壇に目がいった。細身の年輩の男性の写真。若い夫婦と子供二人が写る家族写真。四つの真新しい位牌が他の位牌に囲まれるような感じで置かれていた。
「もう少し大きな仏壇を買ってあげようと思うんですけどね。なにぶん私一人になってしまいましたから、考えが上手くまとまらなくなってしまって」
「詳しく聞かせていただけますか?」
 満子夫人はゆっくりとうなずいて語りだした。
「主人が無くなる少し前に研究室で一緒だったという中山という人が訪ねてこられまして、主人は人が変わったように目を吊り上げて狂った様に喚いて中山という人を家から追い出したんですけど、たぶん、それが始まりだったんでしょうね。うちの人が亡くなったのが平成十三年です。趣味の夏山登山で滑落して死にました。その山にはもう何年も通っていてまるで庭みたいなものだと言っておりましたのに、いつもとは違うルートに迷い込んだらしく沢で二名の死体が発見されたそうです。もう一方の被害者が中山という人だったそうです。私はその中山っていう男にうちの人が殺されたんじゃないかって思ってるんですよ。山で待ち伏せにあってもみ合っているうちに沢から足を滑らせたんだと思ってます。それから十年くらいは何もなかったんですけど、今年になって息子夫婦が墓参りに来たんですけど、その帰り道で事故に遭いましてね。武と一緒に三人が亡くなり、すぐ後にもう一人残されていた俊も飛行機事故で失いました。何でこんなことになったのか」
 このあと調べてわかったことがある。新谷さんの息子夫妻と見られる家族が高速道路での事故で四人亡くなっている。数ヶ月後に起こった飛行機事故でも新谷さんの孫と見られる男性新谷俊さんの名前を発見した。
 また、平成十三年の新聞でも新谷吉十郎氏の死亡記事が確認された。
 一緒に亡くなった男性の名前が、中山常茂氏だった。
 新聞記事によると登山姿の新谷氏と一緒に沢を滑落したと見られる中山氏の格好が奇妙だったとあった。中山氏はとても登山をするような格好ではなくほとんど普段着のような感じで登山に必要となる荷物すら持っていなかったと書かれていた。新谷氏の元同僚であることとその名前がわかったが、当日の登山者の名簿には名前がなかったようだ。入山するためには名簿に名前を記さなくてはならない決まりだっただけに不自然さは拭えない。

 中山氏の消息がこれで判明したが、彼がなぜそこにいたのかという新しい謎が生まれた。
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