汀(みぎわ)

大秦頼太

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第八話

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 部屋の中を照らす明かりは、パソコンのモニターの青白い光。それを真っ正面に受ける男の陰。モニターの画面には一人の女性アイドルの写真たちで壁紙が作ってあった。
 モニターのスピーカーから、男性パーソナリティが送るラジオの音声が流れていた。
「はい、と言うわけで本日のゲストは、心霊アイドル皆霧夕夏ちゃんです! 夕夏ちゃんどうぞ!」
「はい! 勇気みなぎり皆霧夕夏、みなさんこんにちは、心霊アイドル皆霧夕夏です。よろしくお願いします」
「早速ですが、夕夏ちゃんは幽霊を見たりする?」
「見ますよー。今日もここに来るまでに10人は見ました」
「えぇ! そんなにいるの? ここにもいる?」
「今はいません」
「ってことは、さっきいたの? こえー」
「怖くないですよぉ」
「だって、幽霊だよ。怖いよぉ」
「どっちかって言うと、人間の方が怖いですよ」
「まぁ、確かに怖いけどさぁ。じゃあさ、人間と幽霊が同時に襲ってきたらどっちが怖い?」
「究極の選択ですね。どっちかなぁ~。あ、ファンの人に守ってもらう!」
「答えになってねー! っと言うことで、ここで一曲聴いてください。ハルカニアンで渚の金属バット」
 男が画面に向かってつぶやく。
「ゆうかちゃんは僕が守るよ」



「お疲れさまでしたー」
 皆霧夕夏はスタッフに明るく挨拶をしてラジオ局を離れる。あらかじめ予約して置いたタクシーに乗り込むとスマートフォンを取り出してSNSを確認する。タクシーの運転手の話には生返事で答える。
 ファンの反応はいつもと代わりがないようだった。夕夏はため息をつく。
「あ~ぁ、やっぱりグループだよね」
「グループですか?」
「うん。グループは強いよ」
「そんなもんですかねぇ」
「そんなもんですよ。たとえばさぁ、私に1.3人のファンがいるとするじゃん。CDの売り上げとかさ、小数点以下はカウントされないわけよ。でも、グループでやってればその小数点が生きてくるんだよね」
「そうですか。一人の取り分は変わらなさそうですけどね」
「そのままそこにいればね。でもね、小数点以下はさ、足して1になるとお金を生むんだよね。お金を生むと事務所もお金をかけてくれて、どんどん売り出してくれるの。そうするとある日一気にスターの仲間入りってことになるのよ」
「大変なんですね」
「大変なんですよ」
 夕夏はスマートフォンをしまう。外の景色を見る。
「ねぇ、運転手さん。なんか怖い話知らない? 新しい話を仕入れないとさ、呼んでもらえなくなるんだよね。すんごい怖い奴、ない?」
「そうですねぇ」
 運転手は少し考え込む。
「実はね、うちのタクシー会社はテレビ局もよく回るんですけど、最近、うちで乗せたお客さんのうち結構な人数の方が亡くなられてるみたいなんですよ」
 夕夏は後部座席から身を乗り出す。
「それって、何かの呪いですか?」
「まぁ、偶然なんでしょうけど」
 笑う運転手とは反対に夕夏はつまらなそうにため息をついて後部座席に戻った。
「偶然じゃ弱いよ。嘘でも良いから、乗客の怨念とか別のタクシー会社の呪いとか、そういう話にしないと」
「すみません」
「それじゃあ、お客さんは喜ばないよ」
 運転手は自分の娘くらいの年頃の女の子にそんな口を利かれても気にしない風にしていた。
「ダメだなぁ」
 夕夏はそう言ってスマートフォンを再びいじり始める。タクシーが強めのブレーキで止まる。
「ちょっとぉ」
 夕夏が顔を上げると、赤信号だった。運転手は振り向きもしない。夕夏の視線がSNSに戻る。すると、運転手が口を開く。
「実は、さっきの話にはお客さんには絶対に言っちゃいけない続きがあって」
「そうなんだ」
 夕夏の視線はスマートフォンの画面を見たまま。運転手は、ちらちらとルームミラーでそれを確認していた。
「亡くなったお客さんには共通点があって、みんな覚えていてはいけない名前を覚えていたせいで事故に巻き込まれて死んだらしいんですよ」
 夕夏が顔を上げた。運転手の顔が少し喜んだ瞬間、夕夏は助手席を後ろから蹴った。
「らしいとか、怪談で使うなよ。興ざめ」
 それから目的地に着くまで車内はずっと静かなままだった。
 精算をすませタクシーを降りるとき、夕夏は運転手に聞いた。
「で、覚えてちゃいけない名前って、なんて言うの?」
 運転手はしばらく黙っていたが、やがて圧に負けて口を開いた。
「私たちは事故を避けるために、みぎわこと呼んでいます」
「みぎわこ?」
「漢字に変換して調べればすぐに見つかると思います。け、蹴らないでくださいよ。事故に遭わないために私たちはその名前を言えないことになってるんですから」
「最初から、そう言ってくれればいいのに」
「冗談じゃない。後ろの席で検索されたら、私も一緒に死んでしまうじゃないですか」
「大げさ!」
 夕夏はタクシーのドアを力一杯しめてやった。運転手は非難がましく見ていたが、夕夏が無視して行ってしまったので、なにも言わずに帰っていった。
「みぎわこ。なんだそりゃ」
 マンションのオートロックを解除し、エレベーターで部屋の階まで上がる。その暇つぶしにスマートフォンで「みぎわこ」を変換する。
「みぎわこ。汀子。なんだろ、ていこ? かな?」
 エレベーターが止まり、ドアが開く。スマートフォンをしまいながら部屋を目指す。部屋のドアの前にピンクの包装紙に包まれた小包が置いてある。メッセージカードには「僕の大好きなゆうかへ」と書かれていた。
「気持ち悪」
 夕夏はそれを足払いして退けると鍵を差し込んで部屋に入る。
「ファンならプレゼントは事務所を通せって言ってんだろ。このクソストーカー野郎」
 部屋にはいるとすぐにドアに鍵をかける。
「事務所にゴミの撤去頼んでおかないと」
 スマートフォンを取り出し、画面に触りかけたその手が止まる。
「なにこれ」
 スマートフォンの画面いっぱいに、塗れた新聞紙が写っている。
「こんなアプリあったっけ?」
 画面に映された新聞の小さな文字を読んでみる。
「昭和二十三年四月十八日、田沼源次郎博士無理心中か。田沼博士の内縁の妻汀子が全身の血を抜かれもだえ苦しんでいるとの報告を受け、駐在所の警察官が博士宅を訪れると、汀子すでに絶命し、博士の姿なく殺人事件と断定。博士の消息を求めるが、三日後、F崎の断崖より飛び降りて海中に没す。漁船にて引き上げられたが絶命との報告あり」
 夕夏は、内縁の妻汀子の文字に目を落とす。
「汀子」
 夕夏がつぶやくと、スマートフォンの電源が落ちた。



「オカルトの世界でもマニアックなんだよね。その田沼源次郎って博士は」
 河本信は夕夏の心霊情報共有仲間の一人で、若いくせに昭和初期のオカルトに詳しい。仲間内ではオカルトの変態紳士と呼ばれている。夕夏はスマートフォンに映った新聞のことを相談したのだった。
 河本はまだ大学生だったが、心霊系の雑誌で有名な某雑誌者でアルバイトをしながら資料を見させてもらっている。最近では記事も書くらしく自由な時間も増えたという。
 二人は雑誌者の近くの喫茶店で持ってきた資料を広げていた。
「田沼博士は日本の吸血王とも呼ばれていて、血液を使った実験を数多くしていたんだ。フランスの物理学者ルネ・カントンの愛犬を使った血液と海水の入れ替え実験は知ってるかな? 簡単に説明すると、生き物の血液と海水を入れ替えても犬は生存し続けたっていう実験なんだけどね。田沼博士はどうもそれと同じような実験を秘密裏に自分の身内にも行っていたようなんだ」
「それって、大丈夫なの?」
「以外と大丈夫だったようなんだ。現在の科学でもさ、淡水魚と海水魚がどっちも生きられる水って言うのがあるんだけど、それはミネラル水なんだよね。ミネラル分を整える魔法の粉と呼ばれるミネラルの集まりを水に入れるとどちらの魚もごく普通に泳ぎ続けるんだ。それと似たようなことなんだろうけど、おそらくはカントンも田沼博士も先に行き過ぎちゃったんだろうね」
「でも内縁の妻は失血死でしょ?」
「その人、本当にいたのかな? 僕の知ってる話には出てこないんだよね。その新聞のコピーでもあれば良かったんだけど」
「なんかさ、そのすぐ後にスマホが故障しちゃって、でもその内縁の妻のてい……」
 河本があわてて制止する。
「夕夏ちゃん。電話でも言ったように、名前は言わない方がいい。僕らもタクシーの運転手と同じように”みぎわこ”と言うんだ」
「ビビりすぎじゃない? まぁいいけど。みぎわこは何で最期には血を抜かれて殺されたの?」
 河本は少し考えてから言った。
「抜かれたのだけなのかな? 本当は、海水の代わりになる別の何かを入れられたんじゃないかな」
「海水の代わりの何か? それはなに?」
「わからないんだけど、田沼博士が吸血王と呼ばれるには理由があって、家族に実験をする以前はどうも軍の命令で死なない人間を作ろうとしていたみたいなんだ」
「死なない人間?」
「うん。旧日本帝国陸軍内に死なない兵士で構成された部隊を作るという極秘計画があって、田沼博士はそれを研究していた科学者の一人なんだ」
「みぎわこを死なない人間にしようとして失敗をして殺してしまったから自殺をした?」
「それが真相だろうね」
「愛する人に殺されたから、みぎわこは出てきて人を殺すのね」
「うん。名前を呼ぶことがトリガーだね」
「なに、トリガーって」
「引き金」
「あ、それ使う」
「使う?」
「みごわこを使って、心霊アイドルのトップに上り詰めるの」
「そういうのあんまり良くないよ」
「呼ばなければ危なくないんでしょ。ルールは覚えたから大丈夫」
 そう言うと夕夏は伝票を抜いて先に行く。
「あ、ここは僕が」
「いいのいいの。トップが見えたから、協力してくれたお礼よ」




「みなさんも本当の名前は調べちゃいけませんよ」
 スタジオのどよめきは皆霧夕夏を絶頂にするのに十分だった。
 田沼博士と”みぎわこ”の関係、博士の行っていた実験、最近テレビ局関係者を襲った不可解な死亡事故。これらの点を線でつないで見せた夕夏は一躍心霊クイーンと呼ばれるようになった。ルールがわかったことで一時は減っていた”みぎわこ”を取り上げる番組も増え続け、その番組のいずれにも皆霧夕夏の姿があった。もはや彼女なしでは”みぎわこ”の話は出来ないものとさえ言われるようになっていた。
「あー疲れた」
 その日も遅くまで収録が続き、テレビ局が用意してくれたタクシーで自宅マンションに帰宅する。スマートフォンでSNSの反応を確認し、運転手と会話など一切しない。
「ていこ」
 そんな運転手の言葉が耳に入るまでは。
「え?」
「っていうか、私のこと覚えてます?」
「あ、っていうか、か。え?」
 夕夏はバックミラー越しに運転手の顔を確認する。どこかで見たことがあると言えば見たことがある。最近はタクシーなど毎日乗っているせいで運転手の区別など出来るわけもなかった。
「覚えてますよー」
 笑顔でそう答えてスマートフォンの画面に戻る。
 運転手が強くブレーキをかける。夕夏は助手席にぶつかる。
「なにすんだよ! 会社に電話するからな!」
「すみません。猫が飛び出してきたんです。着きましたよ」
 精算をすませ、外に出る。するとタクシーの運転手がまた声をかけてきた。
「本当に覚えてませんか?」
「しつこい」
 そう言うと、夕夏はマンションのホールに向かっていく。後ろからアクセルを吹かす音が聞こえ、振り返るとタクシーが急発進して来るのが見えた。
 夕夏はとっさに横に倒れ混むとそのすぐ側をタクシーが通り過ぎ、玄関ホールの入り口に突き刺さった。
「なにこれ」
 頭から血を流しながら運転手がタクシーを降りてくる。その右手にはボールペンが握られている。
「俺が話してやった話で上手いこと金儲けしやがったくせに、そのてめえの態度は何なんだよ」
 運転手は正気ではなかった。少なくとも夕夏はそう思ったに違いない。すぐさま立ち上がると、割れたガラスを踏んでエレベーターを呼ぶ。しかし、すぐには来ない。ホール奥の非常口の扉を開き階段を上る。
 運転手もすぐに追いかけてくるが、衝突の影響か歩みは遅かった。
「ていこていこていこていこていこていこていこていこていこ」
 呪文のようにそう呟きながら運転手は階段の下から迫ってくる。
「け、警察を」
 スマートフォンで警察を呼ぼうとするが、手が震えてなかなか電話をかけることが出来なかった。
 自宅のある階まで上ると、部屋を目指す。部屋までたどり着ければ安心できる。そう思って膝をぶつけながら廊下を走っていく。
 目の前に人影が見えて驚いて叫びそうになるが、人影が運転手ではないと気がついてほっとする。
「助けて」
 かすれた声だったが、人影は夕夏を見てくれた。小太りの男だった。左手につぶれたピンク色の小包を握りしめている。右手には包丁。
「……裏切り者」
「あなた誰よ」
「今まで渡したプレゼント、全部返してくださいよ」
 夕夏は、あっと思い出した。
「うちの前に置いてたのあなただったの? プレゼントは全部事務所を通してってお願いしたでしょ?」
「ファンなら、本物のファンなら直接届けにくるに決まってるだろ!」
 小太りの男は包丁を出しながら寄ってくる。後ろからは、
「ていこていこていこていこていこていこていこていこていこていこ」
 と、声が近づいてくる。
「ファンなら助けてよ」
 震える声で、目の前の男に懇願する。小太りの男は迷っている風だった。すると、後ろからタクシー運転手が現れる。一瞬、タクシー運転手は動きを止めたが、すぐに歩き出す。
「お客さん、田沼汀子を捜すと事件事故に巻き込まれて死ぬんですよ。だから、名前を言わないように気を使ってたのに、何でそれでお金儲けをしちゃうかなぁ」
「わああああああああああ!」
 突然、小太りの男が大声を上げて夕夏の横を通り過ぎタクシー運転手に飛びかかっていった。右手に持っていた包丁でタクシー運転手を滅多刺しにする。
 その間に夕夏は部屋のドアを開こうとするが鍵がどうしても鍵穴に入らなかった。
 静かになった通路に目をやると、タクシーの運転手はもう動いていなかった。小太りの男が笑って言った。
「もうファン辞めるからさ。今まで送ったプレゼント返してよ」
 夕夏は小刻みにうなずいてみせる。
「うん。うん。部屋の中にあるから、ここで待ってて。取ってくるから」
 小太りの男はゆっくりと近づいてくる。
「無かったよ」
「え?」
「部屋の中には無かったよ。嘘つかないでよ」
「何で知ってんのよ」
「中に入って捜したからに決まってるだろ!」
 夕夏は考える。鍵穴に何かが詰まっていて部屋には入れない。通路は行き止まり。外を見る。地上五階。下はおそらくアスファルト。通路の縁に乗って別の通路に飛び移ることは出来なくはないだろう。
 勇気があれば。
「ファンをバカにしやがって」
 小太りの男はたぶん追ってこれない。夕夏は倒れているタクシー運転手を指さした。
「まだ生きてる!」
 小太りの男はタクシーの運転手を振り返り、不安にかられているのか生死など確かめもせずに倒れたままのタクシー運転手に襲いかかる。その隙に夕夏は通路の奥まで走り縁によじ登って区切られた別の通路にダイビングした。
 騙されたことを知った小太りの男が大声を上げて悔しがるのが聞こえた。
 夕夏は階段をかけ降りる。
「管理人室まで逃げれば助かる」
 勢い良く四階から三階への階段へ回り込んだ瞬間、目の前に灰色の肌をした女が現れた。
「うっ!」
 急に止まることも出来ずに抱き合うような形で二人は階段を転げ落ちていく。そのまま三階の壁に激突し、小さなうめき声を上げた後、二人は動かなくなった。
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