トゥリからの手紙

山田

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 カウニス城から少し離れた丘で、水で作られた龍は急に失速し、そしてその頂に辿り着くと同時に空気中で分散し、ただの水に戻った。
 何とか怪我もなく着地出来た一同は、遠くで未だ燃えているカウニス城に目を向ける。
といっても、離れたこの場所から、城の戦況を見ることは到底叶わず、ただ燃える城を前に状況を空想することしかできない。
 龍が急に消えたことに胸騒ぎを覚えながらも、ピルヴィは放心したように泣き続けるイハナに声を掛ける。が、その努力も空しく、彼女は嗚咽を上げるだけであった。
 無理もない。これが最後かも知れないという時に拒絶されたのだ。彼女の負った心の傷は計り知れない。しかし、彼女の泣いている理由はそれではなく、トゥリにそんなことを言わせてしまった自分の不甲斐なさにあった。
「なあ、お嬢ちゃん」
 そんなおり、それまで空気と化していた赤毛の男がおずおずと声を掛ける。泣きはらした目でイハナが見た男の手には、素っ気ない作りの手紙が握られている。
「あの炎の旦那がさ、あんたに渡せって」
 そっとその手紙を取り、封を開ける。
 その中には、彼の普段の行いからは到底考えつかないような綺麗な字で、紙の中央に短くこう記されていた。
『俺も幸せだった。ありがとう』
 一緒に、幸せになりませんか?
 十年前にかわしたあの約束は、既に果たされていたのだ。
 あの、幼稚で、無理矢理な約束。幸せを感じていたのは、自分だけではなかった。トゥリも、幸せに感じてくれていたのだ。
 途端、今までトゥリと過ごした十年間が走馬燈のように思い出される。初めて一緒に寝た夜。喧嘩をした日、敵を追い払った日。そして、トゥリが笑った日……。
 手紙を読んだ彼女は、涙をぐっと拭い、どこか吹っ切った表情で燃えるカウニス城を見る。
「トゥリ、サデさん、負けないで。私たちは、ここで終わりじゃない。これからも幸せになるんです」
 そして彼女は手を組んで祈る。
 掛け替えのない存在の彼らの無事を。これから過ごす幸せな日々をーー。

 ・

「あと少しだ、頑張れよ」
 落花直前で業火を放ち、衝撃を緩和することに成功したトゥリは、サデを担ぎながら落下地点から少し離れた小部屋に避難していた。
 死は免れたものの、サデは腹を抉られ、トゥリは落下の際に骨を二、三本折るという満身創痍の状態である。
 しかし、彼らの顔には疲労や苦痛の色こそ有るものの、絶望や諦めといった負の感情は一切感じられない。むしろ達成感に満ちていた。
 最早満足に戦うことすら出来ない彼らが、何故このような表情を浮かべているのか。それは、彼らが持つ切り札と、この地に来たときから決めていた覚悟にあった。
「悪いな、お前まで付き合わせて」
「気に、するな。元より覚悟はしていた」
 二人はお互い寄り添うようにして壁を背にして、そのまま座り込む。
 言葉に出す必要もなく、互いの手は重ねられており、そこには膨大な力が渦巻いていた。
 ズシン、と何かが崩れる音と共に、無数の足音が近づいてくる音が聞こえてくる。恐らく、追っ手が来たのだろう。
「良かったのか? あの少女、イハナと共にならなくて。あの子と子を儲け、一生寄り添って暮らすのがお前の……」
「ばーか。そんなんじゃねえんだよ。あいつは俺の命であり、家族であり、宝だ。あいつが幸せになるならそれで良いんだよ。お前だって、ピルヴィとそんな風になりたかったのか?」
「止めろ。誰があんななよなよしい奴と……」
「うっわ、酷いな」
 ここで二人は顔を見合わせて笑う。
 それはこの状況には決してそぐわぬ光景。けれど二人はまるで昼下がりの昼食時のように朗らかに笑っていた。
「なあ、さっきサーダに一発食わせて、すっきりしたか?」
「ああ、したな。……いや、むしろ逆か。しばらくはすっきりしたが、後になれば虚しさだけが残る。幾らサーダを痛めつけたとて、あの人は帰ってこない。その事実を突きつけられたようでな」
 だが、と苦しそうに顔をしかめながらサデは言葉を続ける。
 幾ら自分の体液を操り、止血を施しているとは言え、彼女は既に多量の血を流している。今こうして話を出来ているのは、彼女の強靱すぎる精神力があってこそであった。
「ここで奴を倒せば、ピルヴィや、他の契約者を守る事が出来る。それが出来るならば、本望だ」
「漢だな。うん、俺、やっぱりお前が好きだわ」
 苦しげに閉じていた目が、驚愕に見開かれる。
「お前みたいな男前な女、そういない。信念を持っていて、誰よりも他人を思いやる。最高だよ」
 思いがけない告白に絶句するサデを余所に、乳もあるしな。と下世話なことを口にする。
「よし、決めた。なあ、サデ。死ぬなよ。俺はお前と子を沢山作って、イハナとピルヴィが悔しがる程幸せになる。絶対にな」
 真剣な表情で無茶な要求をしてくるその姿に、サデの顔が綻んでくる。初めて自然な笑顔を見せた彼女は、馬鹿らしい。と呟きながらも、どこか嬉しそうな表情を浮かべ、
「利用されるのは腹立たしいが、それも一興、か。良いだろう。付き合ってやる。だからお前も死ぬなよ。置いて行かれるのは、もうごめんだ」
 約束だ。と、二人は空いた方の手でお互いの小指を絡める。

 二人が約束を交わしたその数分後、彼らが休む広間は無数のパヒン国の兵によって埋め尽くされた。
 無数のウスコアが能力発動を今かと待つ状態で、人並みをかき分けて二人の目の前にやってきたサーダは嫌みったらしく笑みを浮かべる。
「生きていて良かった。落下程度で死なれてはつまらんからな」
「おお、お前そっちの方が男前になったな」
「……ウスコアの面汚しに相応しい」
 嫌みに対して嫌みで返すと、ぎりぎりで保っていたサーダの余裕は瞬時にして消え失せた。
 怒りを露わに、周囲の粉塵を巻き上げるサーダの姿に、二人は声を上げて笑う。それに対して更に怒ったサーダは室内のウスコア全員に能力の解放を命じた。
 直後、サデが懐から銀色の筒を取り出して宙に投げる。
 鈍い銀色の光を放つそれは、周囲の四元素の力に反応し、その小さな体の両端から眩いばかりの光を放つ。宙に留まりながら周囲のウスコアの力を奪うそれは、先の戦いで破壊された筈の吸収管であった。
「貴様……!」
 ピルヴィが必死に修理を施した吸収管により力を封じられ、あまつさえ動くことすら出来なくなったサーダは、かすれた声で忌々しげに二人を睨みつけることしか出来ない。
 無力と化したかつての仲間を眺め、トゥリはサデと重ねた手が熱くなるのを感じながら、
「これさ、誰かさんに壊されたせいで、いつ暴発してもおかしくない状況なんだよ。そんな状況で、ウスコアの能力何十と吸わせたら危険だよな。そこに加え、だ」
 ここでトゥリは動かし辛い体に鞭を打ち、それまで重ねていた手を離す。
 そこにはサデとトゥリの能力により、限界まで熱された小さな水球が握られていた。
 極限まで圧縮された、小さな体積でとてつもない質量を兼ね備えているそれは、手のひらサイズの太陽と言っても過言ではない程のエネルギーを持っていた。
「おい、そんなものをぶつけたら……!」
「ああ、吹き飛ぶな。何もかも」
「ふざけるな! 何故私が貴様のような下賤な輩の心中になど付き合わねばならないのだ!」
「お前のつまらん理想論に未来をめちゃくちゃにされるよりはマシだ。それに俺たちは死なねえよ」
「すま……ない。トゥリ、もう、限界だ……」
「ああ。俺もだ」
 ゆっくりと二人の手を離れ、筒へと向かう小さな太陽を見送りながら、トゥリは不器用な別れ方をしてしまった掛け替えの無い存在を思い描く。
 あの雨の夜に出会った少女は、今きっと泣いているだろう。自分がどれだけ少女に救われ、感謝しているかも知らないまま。
しかし、もう、自分がその涙を拭ってやることはない。彼女の横にいる者が、この先彼女の涙を拭い、そして支えていくだろう。
 すぐ近くでサーダが怒鳴る声がするが、そんなものは耳に入らない。どうせ口にしているのは、自分たちへの恨み辛み。そして聞くに耐えない幼稚な理想論だけだ。
 最後の反乱とばかりに武器を持った契約者が、自分たちを殺そうと迫る。無理に動かした体から血が吹き出すことも気にせず、トゥリはサデを引き寄せ、彼女を守るようにして抱き抱える。そしてトゥリはイハナと出会った十年間のことを思い出す。
 今思えば、繊細な彼女と、我が強い自分は相性が悪かったのかもしれない。泣かしたこと、怒らせたこと、それは最早計算出来ないほどだ。
 けれど、同時に彼女を笑わせたことも数知れず。
 今思い出すのも、彼女と笑い合った幸せな日のことばかり。散々した筈の喧嘩は何一つ思い出せなかった。
 彼女と暮らした日の中で後悔した事は何一つ無い。否、たった一つあるとすれば、このような別れ方をしてしまった事だけだ。最後の最後に、人を信じる心を思い出させてくれた彼女を傷つけてしまった。それだけが悔やまれる。
 ーー本当に、不器用だな。
 体の至る所に剣が突き立てられ、燃えるような痛みを感じながら、首を捻って頭上で輝く吸収管を見る。彼が放った小さな太陽は、今、正に吸収管に取り込まれようとしていた。
「イハナ、どうか……」
 幸せに。
 直後、ガラスが砕けるような音と共に、吸収管から目も開けられない程の閃光が放たれた。
 光に続き、轟音が轟く中で、チャリン、と鉄のプレートが微かに鳴った。

 ・

 カウニス城から放たれた、空を駆ける閃光にイハナは閉じていた目を開けた。
 彼女の目に映ったのは、閃光の中で轟音と共に崩れ落ちて行く古城。
 崩れゆく城の中で何が起こったのか、それを知る術を持っていない彼女は、トゥリとサデがどうなっているのか知ることが出来ない。しかし、彼らが城の中にいた場合、ただでは済まないという事は理解していた。
 嫌な予感がした。その予感を拭おうと、隣にいるピルヴィを見る。
 彼は何も言わずに城を見つめていた。その茶色の目から涙を流し、唇を噛みしめながら。
 言葉にせずとも、彼が今何を想像し、何を思って涙を流しているのか。そんなことは容易く想像出来る。
「ピルヴィさん……」
「イハナさん、ごめん。僕が吸収管を直してしまったから……」
「貴方のせいじゃないです! 誰の、誰のせいでも……。トゥリと、サデさんの目的を果たすためには、これしか……」
 イハナは知っている。ピルヴィがトゥリに言われて吸収管を修理したことを。そしてそれを渡すことを最後まで拒否していたことを。
 彼はきっと理解していたのだろう。吸収管を渡してしまえば、こちらの勝率は格段に上がるが、それと同時に生存率をほぼ皆無にしてしまうということを。だからこそ彼は不眠症に陥るほど悩み、今こうして後悔に打ちひしがれているのだ。
 地面に崩れ落ちたイハナの目から、今まで賢明に堪えていた涙が溢れ、地面を濡らす。
 もうどれだけ泣いても「泣いたら負けだ」と茶化されることはない。
 けれど、泣いていたらまたあのからかうような口調で、お約束の言葉が掛けられるような気がして、イハナは泣き続けた。
 泣いて、泣いて、涙が枯れるまで泣き、やがて彼女は太陽の光に照らされたカウニス城を、泣きはらして真っ赤になった目に映す。
 朝日に照らされた古城は、夜明けまでそこに建造物が有ったなど信じられないただの荒れ地と化していた。
 そこには当然トゥリ達の姿はなく、また、サーダ達パヒン国のウスコアの姿も見られなかった。
 手放しでは喜べない状況ではあるが、トゥリとサデは自分たちの契約者を守りきったのである。
 腫れた目を擦り、少女は手紙を握りしめたまま、空を仰ぐ。
「……ありがとう」
 届く宛のない少女の感謝の言葉は、空を覆う朝靄の中へと消えていった。

 ・

 それから、四年もの月日が流れた。
 サデ達の目論見通り、サーダを失ったパヒン国は国家運営の舵を取ることが出来ず、数ヶ月の間にあっさりと滅び去った。
 その後しばらくは多少の戦火は見られたものの、年月が経つにつれその火は収まり、今では多少の小競り合いが起こる程度に収まりつつあった。
 イハナとピルヴィはと言うと、トゥリとサデを探すために始めたカウニス城跡捜索が人を呼び、周囲を整地して城周りに町を作り出すという大儀を成していた。
 遺跡として保護されるようになったカウニス城周辺の町は、今や人の往来が盛んになる程に発展している。
 そんな町の外れの丘で、イハナは小さな家を一軒立てた。
 そこには毎日、イハナの絵本の読み聞かせを楽しみにしてやってくる子どもたちの姿があり、今日もイハナを取り囲むようにして沢山の子どもたちが目を輝かせてイハナの姿を見ている。
「そして、火の戦士、水の戦士は地の戦士を倒すことに成功したのです。……はい、今日はここでおしまいです。皆さん、気を付けてお帰りくださいね」
 トゥリとサデをの絵本は、今子どもたちの中で最も人気な話の一つであった。
 手を振りながら家へと帰って行く子どもたちを見送りながら、イハナは今読んだばかりのページをめくる。
「イハナさん、ただいま」
「お帰りなさい。ピルヴィさん」
 めくったページを眺めていると、仕事から帰ってきたピルヴィが声を掛ける。彼もまた、イハナと同じようにこの町に家を構えていた。
 と言っても、ピルヴィは常にイハナの家に入り浸っているため、自分の家は倉庫代わり程度にしか使っていない。本人曰く、仕事場がイハナの家の方が近いから。だそうだが、その言葉の裏に別の目的があるのは明らかであった。
 今日も今日とて大量の発明品の器具を持って室内に入ってきたピルヴィは、部屋の隅に荷物を置いて、イハナの隣に座る。動作の流れで絵本を見た彼は、その内容を見て首を傾げた。
 広げられたページは真っ白。絵は愚か、一文字も描かれていない状況であったからだ。
「これって、カウニス城のだよね。続き、描かないの?」
 その至極真っ当な問いに、イハナは少し困ったように眉を下げた。
「描けないんです。私はトゥリとサデさんがこの戦いに勝利したことは知っています。でも、その後の二人の足取りを知らないから……。最後のページは出来ているんですけどね」
 順番、おかしいですよね。と苦笑を漏らしながら、イハナはピルヴィに水を出す。
 あれから四年が経ち、今やピルヴィはこの町一の発明家となり、今も火事が目立つガス街灯に変わる新たな街灯の研究発明に勤しみ、イハナは絵本作家としてそれなりの知名度を得ていた。
 それなりの大人へと成長し、自らの特技を活かした職に着いた彼らだが、依然、彼らの心は、特に、イハナの心はカウニス城が崩壊したあの夜に取り残されたままであった。
 サデとピルヴィは前もって話し合い、別れが来ることを覚悟していたが、イハナとトゥリは違った。お互いの性格上、言い出しにくかったのだろうが、きちんと別れることが出来なかったことが、未だにイハナの心に後悔として居座っていた。
 イハナ自身、吹っ切ろうと努力しているのだが、深層心理に居座る後悔の根は深く、彼女は満月の夜になると、毎回悪夢を見て目を覚ましている。
 また、彼女は四年前のあの日から、一切泣かなくなった。彼女自身、それについては強くなったからですと言って譲らないが、ピルヴィから見れば無理をしているようにしか見えなかった。
 別に泣いている姿を見たいわけではない。泣くというのは、発散方法の一つである。それを行わないと言うのは、今は平気でも後々彼女の心に何かしら悪影響を与えるだろう。
 どうしたら、彼女は前のように感情に素直に向き合えるのだろう? 全く解決の糸口が見つからない難題に頭を悩ませていると、赤毛の配達員が軽く戸口をノックする。
「イハナちゃん、郵便だよ」
「いつもありがとうございます。どなたから……」
 手紙を受け取ったイハナの言葉が、不意に止まった。
 それがあまりに不自然だった為、ピルヴィは悩みすぎて沸騰寸前になった頭を冷やすために飲んでいた水を置き、彼女の元に寄る。
 その際に目に入った顔なじみの配達員の男は、慈しむような暖かい眼差しでイハナを見つめている。
 その眼差しにピンと来るものがあった彼は慌ててイハナの様子を見る。直後、彼女の青い目から、一筋の涙が、ツウと静かに白い肌を伝った。
 それは四年ぶりに目にする彼女の涙。
 それを拭うこともせず、彼女は食い入るように「イハナへ」と書かれた綺麗な字を見ている。その字は毎日欠かさず見ていた手紙と全く同じ筆跡であった。
 静かに鼻を鳴らし、イハナはアクセサリーと化したプレートがかかった手で、そっと手紙を裏返して差出人の名前を見る。
 その時、開け放たれた扉から一陣の風が吹き、イハナが描けなかった絵本のページをめくる。次のページには「終わり」の代わりに「命有る限り続く」と書かれた一文と共に、手を取って笑い合う四人の男女の姿が描かれていた。
 差出人の名前を見て、イハナは嬉しそうに目を細める。それにより溢れた涙が、手紙の上にぽたりと落ちる。
 その差出人の名前はーー。

 ーートゥリからの手紙 完ーー
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