百合斬首～晒しな日記～

第3章 虚ろなる人形

第68話 人を描く

　これから、いよいよ渡辺真理を殺害するーが、このアトリエは汚したくはない。
　絞殺という手段をとる場合、相手は苦痛のあまり失禁するという話を聞いたことがある。人間の死因で最も苦しいのは窒息死らしい。それゆえに、最後はその苦痛に耐えきれず汚物を垂れ流して絶命に至る。
　勅使河原も、一応は芸術を嗜む身の上である以上は、自身の創作活動に必要なこの場所を汚したくはなかった。
　ーとはいえ、これから作る工芸品も、私にとっては芸術の一部なのだけれどー
　それでも、やはりこの場所で殺すのはためらわれた。
　その一方で、この屋敷にはいくらでも殺害に適した場所はあるので、別段困るようなこともなかった。
　ーそろそろ、行動に移ろうかしらー
　そのためには、さらにまりを油断させる必要がある。勅使河原は、アトリエの中の絵を、目を輝かせながら見つめている真理に対して優し気に声をかけた。
「ねえ、渡辺さん。もしよろしければ、私の絵のモデルになっていただけないかしら？」
「・・・え？」
　真理が、一瞬戸惑いの表情を見せた。何を言われたのか、にわかには気が付かなかったといったところか。
「これから、この部屋であなたの絵を描きたいのよ。せっかく、私の屋敷までいらしたんだもの。その記念という意味もあるわ・・・」
　真理の表情が、ぱああっと輝いた。
「わ、私なんかでいいんですか！？勅使河原さん」
　そう尋ねつつも、既に真理自身は勅使河原の絵のモデルにしてもらえるということだけで舞い上がっている様子だった。
　ー本当に、太平楽な娘ねー
　そんな真理の様子を見て思わず苦笑してしまいたくなる勅使河原だったが、ここで相手に不審がられても困るので、苦笑ではなく微笑に留めて答えた。
「もちろんよ。私は、今のあなたの姿を描きたいの。もちろん、あなたが良ければだけど」
　渡辺の容姿自体は至って普通だ。まあ、不細工ではないにしろ、決して美少女というわけでもない。平凡よりはわずかながら上くらいだろうか。
　だからこそ、絵のモデルとしてはちょうどいいのかもしれないーと勅使河原は思った。思えば、自分も父も、芸術を志しながら、その実、人物画に関してはあまり振るわなかった。むしろ、人よりも建築物や背景を好んでいたからかもしれない。
　というよりも、そもそも人を見てこなかったというのが、一番の理由ではなかっただろうか。思えば父も、人付き合いはほとんどしないタイプの人間だった。あまり他人と接する機会を持たなかった父は、ともすれば周囲からは人嫌いの偏屈者と思われていただろう。身も蓋もない言い方をすれば、父も自分も他者への関心が以上に薄かったような気がする。
　人と付き合わず、観察もしてこなかった者が、果たして優れた人物画を描けるだろうかー
「ありがとうございます、勅使河原さん！私でよければ、ぜひともモデル役をやらせていただきます！！」
　真理は、満面の笑みを浮かべて感激を隠しもせず、何度も勅使河原にお礼を言った。
　勅使河原にとって、これは儀式の一つとなるだろう。これから作り上げる工芸品の、最も至福に満ちた瞬間を、その絵の中に描き納める。その後、真理を別室まで案内し、首を絞めて殺す。おそらく、相手は苦痛に満ちた表情のまま、幽世へと旅立つだろうが、絵の中の真理を生の象徴とするならば、殺害後に作り上げる工芸品ー彼女の生首は死出の象徴となるだろう。
　彼女の生と死ーその狭間に介在するのは、絵を描く勅使河原自身の手であり、また彼女の首を絞める手でもあるのだ。彼女の現世と幽世を繋ぐのは、勅使河原自身の手なのであるー。