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狛犬の足~北海道神宮頓宮(北海道札幌市)
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「どうしてうまくいかないの」
何度この言葉を口にしたことか。
好きでいる気持ちと、相性は別なのだと思う。
お互いに好きな気持ちは本当なのに、いつも喧嘩になる。別れようって言葉が出て、実際に別れたこともある。
理由はいつだって些細なこと。私の言葉の使い方とか、大切にしているものが少し違っていることとか。
ケンカを吹っ掛けるのはいつも私。でも匠はそれを受け流さないで真っ向から受けて立つ。
私は言葉がきつくて匠を傷つけてしまうし、匠は言葉が足りなくて、何を考えているか分からないから、私はそんな匠にイライラしてしまう。
もっと気持ちを話してほしいって何度も言ったのに、匠はちゃんと話してくれない。
そんな態度に腹が立ち、きつい言葉で当たり散らす。
それはもう悪循環だ。
何度も別れては戻ってを繰り返してもう三年にもなる。だけど今回はもうダメだと思う。
結局私たちは分かり合えないのだ。
それに、これが一番大きな問題だと自分でも気づいているが、私の年齢は年明け早々、十の位が変わってしまう。
結婚願望が強いわけじゃないけど、結婚したり母になったりしている友達が増える中で、つい感じる焦りをどうしても消せない。
「男はいいよね」
「なんでだよ、急に」
共通の友達の結婚式の帰り道で、匠の車の中で私は巧みに突っかかる。
「結婚しても仕事辞めなくていいし、マタハラとかもないし、子どもがいても気兼ねなく遅くまで飲みに行けるし」
本音だけど、匠にしたら言いがかりに過ぎない内容だった。そんなのはわかっている。
匠は結婚したら仕事を辞めろとはいっていない。私がいつか妊娠して、誰かにマタハラをされるとしても、それは匠のせいじゃない。飲み会とかそんなことで自由を束縛する人じゃないのも知っている。
でも言葉が止まらない。だって、仕事を辞めろと言われていないけど、結婚しようとも言われていないから。
運転席で黙り込む匠は、私を家まで送り届け、次の約束もなく去った。
謝れば良かった。でも私は素直じゃない。ごめんねって簡単に謝れるような性格ならば、こんなに何度も別れたりすることもなかっただろう。
しあわせそうなウエディングドレス姿の友達よりも、娘の晴れ姿に涙するご両親の姿の方が、私の心を強くえぐった。
心がとてもスースーした。それなのに、私のそんな心のすきま風をわかってくれない匠の、穏やかな顔に腹が立ったのだ。
お互い誘わないまま、二つの週末が過ぎた日曜の夜、突然匠からLINEが来た。
数分おきに覗いていたスマホの画面に浮かび上がってきた言葉は
『別れたほうが美冬のためだと思う』
それだけだった。
美冬のためじゃなくて、匠のためでしょと書いてやりたかった。
まず先にごめんねと言うべきなのはわかっている。そんな簡単なことができなくて、大切なものを失うなんてばかみたいってことも。
日曜日が月曜日に変わり、画面を何度も睨みつけるけど、結局どうすることもできずにスマホを裏返してため息をついた。
そして、既読をつけないまま一週間が過ぎてしまった。
『恋愛運をあげる』と同僚がよく話していた神社が頭をよぎった。
恋愛運の問題なのかはわからない。そもそも恋愛運って何だろう。いい人と出会う運ならもう使っている。問題はその先なんだけど。恋愛運が上がれば、しあわせになれるのだろうか。
よくわからないまま、神様のところに行くことにしたのは、聖なる場所に行けば変われるかもしれないとか、万が一があるかもしれないから、神頼みをしてみようとか、そんな不純な動機だった。
なので休みを待って土曜日の朝一で、私はここまでやってきた。
恋愛運を上げるには、狛犬の足を触るといいと知っていたけれど、神社には狛犬がいっぱいいたので、とりあえず全部の狛犬の両足を触った。まあ、なんとかなるだろう。
そう思ってお社に向かうと、立派なイチョウの木が二本、まるで神様に続く大きな門のように、参道の両脇に立っていた。
隣り合う巨木の真ん中に立って見上げると、朝日で黄金に輝くイチョウの葉で覆われた、二本の木の先が混じり合っていた。
まるで夫婦みたいだ。
地面では別々なのに、見上げたうんと先で、どちらの枝がわからないほど混じり合って一つになって輝いている。
もともとは別々の存在。
そうだよね。
匠は私じゃない。だから私のイライラの理由を匠は正しく理解できなくても仕方ない。
匠は優しい人だから、こうしてほしいと頼めば受け入れてくれるのに。私は言葉で伝えることを怠り、態度でわかってほしいのに、私の心を察してくれない匠に勝手にイラついた。
今ならそれは身勝手だったとわかるのに。
今ならちゃんと謝れるような気がした。
私はお社で神様にその決意を伝えた。
もし別れることになったとしても、最後にちゃんと謝ります。
もし別れずに済んだのなら、これからはもっと素直に言葉で伝えます。
ごめんねもありがとうも大好きだよも、みんな言葉に出して伝えます。
だからもう一度匠と話すチャンスをください。
帰ったら会いたいってLINEをしよう。
そう誓って振り返ると、イチョウの木の下に匠がいた。
「なんで? 」
「やっぱり美冬だった」
二人同時にそう言って、同時に笑った。
「別れようってLINEを送った後、先輩にめっちゃ叱られた」
「先輩って、よく話している小林さん?」
「うん。その小林さん。
好きなのになんでそんなこと書いたんただ、馬鹿なのかって」
「…うん」
『好きなのに』って言葉に、にやけそうになるのを堪えた。
「それで昨日、飯食うかって呼ばれて先輩の家に行ったら、先輩の奥さんにめちゃめちゃ叱られた」
「え? なんで? 」
なぜ先輩の奥さんが匠を叱るのか、さっぱりわからない。
「三年も付き合ってプロポーズしていないこととか、女は結婚したらほんとうにいろいろ大変なのに、もっとわかってやれとか、なんとか。なんか知らんけど先輩も一緒に叱られて」
ちょっと意味がよくわからないけど、その奥さんにめちゃめちゃ感謝したくなる。
「俺は美冬との結婚のこと、考えてないわけじゃないんだ」
「そうなの? 」
そんな素振りが全くなかったから、匠は結婚する気持ちなんて全くないと思っていた。
「俺、自信がなくて。美冬って物知りだし、しっかりしているし、先のことまでちゃんと考えているし。それなのに俺は何も考えてなくてさ。そんな俺が結婚してしあわせにできるかなぁって自信なくて。だからその話、ずっと避けていた」
「そう…だったんだ」
「でも、本気で向き合おうって思った。うまくいくかどうかはわからないけど、もっと美冬の気持ちとか、結婚した後の環境とかのことも、いっぱい考えてさ。わかってやれる男になろうと思った」
「そんなこと考えてくれなくても匠は十分優しいよ、私、そんな匠のこと傷つけてばかりで、私の方こそ… 」
「いいよ。傷つく俺が弱いんだよ」
そういう匠がとても男らしく見えた。
「だからさ、俺、神頼みとかパワースポットとか、そういうの信じないんだけど。自分を変えたいなら新しいことをしろって言われてさ。あ、奥さんにね。神にでも誓ってもっとびしっとしろって言われてさ。
神頼みとかそんな類はあまり好きじゃないけど、神様に誓いを立てるのなら、何かしっくりくるかなって言ったらっさ、先輩の奥さんが、明日朝一でこの神社に行けって」
うん。その奥さんに会いたくなった。
「それでさ、来てみたらさ、美冬にそっくりな女の人がそこに立っててビビった」
匠の言葉に思わず笑ってしまう。
「そりゃあびっくりするよね」
「うん、なんかさ、神様って信じていなかったけど、マジでいるって今思いかけている」
神様なんて全く信じるタイプじゃなかったのに、たったこれだけのことでもう信じる匠が可愛くてそしておかしかった。
「私の方こそごめんね」
笑いながら素直にやっとそう言った。
「もういいよ」
照れ臭そうに笑いながら匠が近づいてくる。
素直に謝ったせいなのか、私もなんだか照れ臭くなって、
「狛犬の足を触るとね、恋愛運が上がるんだって。だから私ね、ここにいる狛犬の足、全部触ったよ。入口の二体の両足と、こっちの狛犬の両足」
と、お社の横に立つ狛犬を指差した。
「まじかよ」
ちょっと焦った顔で匠が言った。
「こっちの狛犬は子宝に恵まれるって聞いたぞ」
それを聞いて恥ずかしくて顔が熱くなる。
匠は笑って
「俺はいつでもいいぞ」と言った。
「何それ」と怒った口調で言いながら、口元がほころんでしまう。
「今度さ、一緒に先輩の家に行こう。先輩と奥さんのこと紹介するよ」
と言われ、なんだかわからないけど、一歩進めた気がして、ご利益があったなと、心から感謝でいっぱいになった。
何度この言葉を口にしたことか。
好きでいる気持ちと、相性は別なのだと思う。
お互いに好きな気持ちは本当なのに、いつも喧嘩になる。別れようって言葉が出て、実際に別れたこともある。
理由はいつだって些細なこと。私の言葉の使い方とか、大切にしているものが少し違っていることとか。
ケンカを吹っ掛けるのはいつも私。でも匠はそれを受け流さないで真っ向から受けて立つ。
私は言葉がきつくて匠を傷つけてしまうし、匠は言葉が足りなくて、何を考えているか分からないから、私はそんな匠にイライラしてしまう。
もっと気持ちを話してほしいって何度も言ったのに、匠はちゃんと話してくれない。
そんな態度に腹が立ち、きつい言葉で当たり散らす。
それはもう悪循環だ。
何度も別れては戻ってを繰り返してもう三年にもなる。だけど今回はもうダメだと思う。
結局私たちは分かり合えないのだ。
それに、これが一番大きな問題だと自分でも気づいているが、私の年齢は年明け早々、十の位が変わってしまう。
結婚願望が強いわけじゃないけど、結婚したり母になったりしている友達が増える中で、つい感じる焦りをどうしても消せない。
「男はいいよね」
「なんでだよ、急に」
共通の友達の結婚式の帰り道で、匠の車の中で私は巧みに突っかかる。
「結婚しても仕事辞めなくていいし、マタハラとかもないし、子どもがいても気兼ねなく遅くまで飲みに行けるし」
本音だけど、匠にしたら言いがかりに過ぎない内容だった。そんなのはわかっている。
匠は結婚したら仕事を辞めろとはいっていない。私がいつか妊娠して、誰かにマタハラをされるとしても、それは匠のせいじゃない。飲み会とかそんなことで自由を束縛する人じゃないのも知っている。
でも言葉が止まらない。だって、仕事を辞めろと言われていないけど、結婚しようとも言われていないから。
運転席で黙り込む匠は、私を家まで送り届け、次の約束もなく去った。
謝れば良かった。でも私は素直じゃない。ごめんねって簡単に謝れるような性格ならば、こんなに何度も別れたりすることもなかっただろう。
しあわせそうなウエディングドレス姿の友達よりも、娘の晴れ姿に涙するご両親の姿の方が、私の心を強くえぐった。
心がとてもスースーした。それなのに、私のそんな心のすきま風をわかってくれない匠の、穏やかな顔に腹が立ったのだ。
お互い誘わないまま、二つの週末が過ぎた日曜の夜、突然匠からLINEが来た。
数分おきに覗いていたスマホの画面に浮かび上がってきた言葉は
『別れたほうが美冬のためだと思う』
それだけだった。
美冬のためじゃなくて、匠のためでしょと書いてやりたかった。
まず先にごめんねと言うべきなのはわかっている。そんな簡単なことができなくて、大切なものを失うなんてばかみたいってことも。
日曜日が月曜日に変わり、画面を何度も睨みつけるけど、結局どうすることもできずにスマホを裏返してため息をついた。
そして、既読をつけないまま一週間が過ぎてしまった。
『恋愛運をあげる』と同僚がよく話していた神社が頭をよぎった。
恋愛運の問題なのかはわからない。そもそも恋愛運って何だろう。いい人と出会う運ならもう使っている。問題はその先なんだけど。恋愛運が上がれば、しあわせになれるのだろうか。
よくわからないまま、神様のところに行くことにしたのは、聖なる場所に行けば変われるかもしれないとか、万が一があるかもしれないから、神頼みをしてみようとか、そんな不純な動機だった。
なので休みを待って土曜日の朝一で、私はここまでやってきた。
恋愛運を上げるには、狛犬の足を触るといいと知っていたけれど、神社には狛犬がいっぱいいたので、とりあえず全部の狛犬の両足を触った。まあ、なんとかなるだろう。
そう思ってお社に向かうと、立派なイチョウの木が二本、まるで神様に続く大きな門のように、参道の両脇に立っていた。
隣り合う巨木の真ん中に立って見上げると、朝日で黄金に輝くイチョウの葉で覆われた、二本の木の先が混じり合っていた。
まるで夫婦みたいだ。
地面では別々なのに、見上げたうんと先で、どちらの枝がわからないほど混じり合って一つになって輝いている。
もともとは別々の存在。
そうだよね。
匠は私じゃない。だから私のイライラの理由を匠は正しく理解できなくても仕方ない。
匠は優しい人だから、こうしてほしいと頼めば受け入れてくれるのに。私は言葉で伝えることを怠り、態度でわかってほしいのに、私の心を察してくれない匠に勝手にイラついた。
今ならそれは身勝手だったとわかるのに。
今ならちゃんと謝れるような気がした。
私はお社で神様にその決意を伝えた。
もし別れることになったとしても、最後にちゃんと謝ります。
もし別れずに済んだのなら、これからはもっと素直に言葉で伝えます。
ごめんねもありがとうも大好きだよも、みんな言葉に出して伝えます。
だからもう一度匠と話すチャンスをください。
帰ったら会いたいってLINEをしよう。
そう誓って振り返ると、イチョウの木の下に匠がいた。
「なんで? 」
「やっぱり美冬だった」
二人同時にそう言って、同時に笑った。
「別れようってLINEを送った後、先輩にめっちゃ叱られた」
「先輩って、よく話している小林さん?」
「うん。その小林さん。
好きなのになんでそんなこと書いたんただ、馬鹿なのかって」
「…うん」
『好きなのに』って言葉に、にやけそうになるのを堪えた。
「それで昨日、飯食うかって呼ばれて先輩の家に行ったら、先輩の奥さんにめちゃめちゃ叱られた」
「え? なんで? 」
なぜ先輩の奥さんが匠を叱るのか、さっぱりわからない。
「三年も付き合ってプロポーズしていないこととか、女は結婚したらほんとうにいろいろ大変なのに、もっとわかってやれとか、なんとか。なんか知らんけど先輩も一緒に叱られて」
ちょっと意味がよくわからないけど、その奥さんにめちゃめちゃ感謝したくなる。
「俺は美冬との結婚のこと、考えてないわけじゃないんだ」
「そうなの? 」
そんな素振りが全くなかったから、匠は結婚する気持ちなんて全くないと思っていた。
「俺、自信がなくて。美冬って物知りだし、しっかりしているし、先のことまでちゃんと考えているし。それなのに俺は何も考えてなくてさ。そんな俺が結婚してしあわせにできるかなぁって自信なくて。だからその話、ずっと避けていた」
「そう…だったんだ」
「でも、本気で向き合おうって思った。うまくいくかどうかはわからないけど、もっと美冬の気持ちとか、結婚した後の環境とかのことも、いっぱい考えてさ。わかってやれる男になろうと思った」
「そんなこと考えてくれなくても匠は十分優しいよ、私、そんな匠のこと傷つけてばかりで、私の方こそ… 」
「いいよ。傷つく俺が弱いんだよ」
そういう匠がとても男らしく見えた。
「だからさ、俺、神頼みとかパワースポットとか、そういうの信じないんだけど。自分を変えたいなら新しいことをしろって言われてさ。あ、奥さんにね。神にでも誓ってもっとびしっとしろって言われてさ。
神頼みとかそんな類はあまり好きじゃないけど、神様に誓いを立てるのなら、何かしっくりくるかなって言ったらっさ、先輩の奥さんが、明日朝一でこの神社に行けって」
うん。その奥さんに会いたくなった。
「それでさ、来てみたらさ、美冬にそっくりな女の人がそこに立っててビビった」
匠の言葉に思わず笑ってしまう。
「そりゃあびっくりするよね」
「うん、なんかさ、神様って信じていなかったけど、マジでいるって今思いかけている」
神様なんて全く信じるタイプじゃなかったのに、たったこれだけのことでもう信じる匠が可愛くてそしておかしかった。
「私の方こそごめんね」
笑いながら素直にやっとそう言った。
「もういいよ」
照れ臭そうに笑いながら匠が近づいてくる。
素直に謝ったせいなのか、私もなんだか照れ臭くなって、
「狛犬の足を触るとね、恋愛運が上がるんだって。だから私ね、ここにいる狛犬の足、全部触ったよ。入口の二体の両足と、こっちの狛犬の両足」
と、お社の横に立つ狛犬を指差した。
「まじかよ」
ちょっと焦った顔で匠が言った。
「こっちの狛犬は子宝に恵まれるって聞いたぞ」
それを聞いて恥ずかしくて顔が熱くなる。
匠は笑って
「俺はいつでもいいぞ」と言った。
「何それ」と怒った口調で言いながら、口元がほころんでしまう。
「今度さ、一緒に先輩の家に行こう。先輩と奥さんのこと紹介するよ」
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