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友人の兄と付き合ったはずが兄じゃないと聞かされパニックになる受けの話
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受けは久しぶりに田舎に帰っていた。
「あれ、受けくんじゃないか」
古いオープンカー(なんか今にも壊れそう)に乗ったサングラスの男に声をかけられた。
「いつの間にこんなに大きくなったんだ?」
気安い男には見覚えがあった。
「攻め……兄さん?」
友人の兄だ。
「こんな時期に帰ってくるなんて珍しいね」
家まで乗せてくれた攻めの車の助手席でなんと答えて良いか分からなくなる。
「まあ……ちょっと困ったことがあって……」
言葉を濁していると、膝に乗せた鞄がもぞもぞし始めた。
「あとちょっとだって、静かにしてくれよぉ」
泣きそうな声を上げてほんの少しファスナーを開けると、小さな頭をぴょこりと出したのはまだ生後半年にも満たない柴犬だった。
「えっ柴? 受けくん東京で犬を飼ってるのか?」
「えっと……押しつけられたんです」
元恋人……しかも別れた後に飼ったこの犬を突然押しつけられたのだ。
当然住んでいたアパートはペット禁止。
だが幼獣とも例えられる仔犬は元気盛りで家の中で大人しくしてくれない。
友人達も皆学生で引き取ってくれるはずもない。
どれだけ柴犬が今ブームになっていても、簡単に飼い主なんて見つからない。
アパートの管理人からも目を付けられ、どうしたら良いのか途方に暮れて夏休みを利用して実家に帰ってきたのだ。
この田舎町ならもしかして飼い主が見つかるかもしれないから、と。
僅かに顔を出した柴犬は力任せに全身飛び出して受けの顔に顔面アタック。
運転していた攻めは笑って、前を見ながら子犬の頭を撫でた。
「元気だな、これは破壊衝動も凄すぎるだろう」
「そうなんです……とても飼えなくて。どうしたら良いんだろうって」
抱っこすればペロペロと顔中をなめてくる元気さに余計困ってしまう受け。
なにせ、家中の家具が囓られてしまった後である。
一時もじっとできない仔犬相手に本当に頭を悩ませていた。
なぜ犬なんか押しつけたんだよと元恋人を恨んでも、犬本人には罪はない。
しょぼくれる受けの頭を撫で、攻めが前を見ながら笑う。
「それは大変だ。もし良かったらその子、俺が貰ってもいいか?」
「……えっ、良いんですか? でも……」
攻めの格好があまりにもチャラすぎて心配になる。
なにせビビットな色のTシャツの上にアロハシャツを纏い、下半身は膝丈のジャージにサングラス。
田舎を離れてから三年、憧れだった友人の兄に何があったのかと思うくらい、酷い出で立ちである。
幼獣ではあるがやはり三ヶ月も一緒にいた分だけ愛着が湧いてくる。
「だったら、一緒に住んでみる?そしたら安心だろ」
確かに……と小さく頷けば、「善は急げ」とばかりに彼の家へと向かう。
到着したのは古い一軒家……とはいえ、この田舎ではよくある……でしかも一人暮らしだった。
裏の山まで攻めの持ち物だという。
「じーさんから継いだんだけど、お前が気に入ってくれるなら嬉しいぞ」
柴犬にそう話しかけて家へと入れる。
庭だけでも広いのに家も広く、柴犬は大興奮。
家中を駆け回りあちこち転がってそのまま庭へとジャンプで飛び出した。
「すみません!」
「いいっていいって。迷子にならないようにだけしないとな。どうしても柴は興奮すると家に帰るの忘れるから」
おおらかに笑って受けの荷物を手に奥の一室に案内してくれた。
「ちゃんと掃除してるのこの部屋だけなんだけど、寝泊まりはここで良いかな?」
「いや、有り難いです……すみません」
「気にしないで。受けくんとの仲だし」
ペコリと頭を下げて夏休み期間を同居させて貰うことになった。
攻めは友人の兄という以外の情報を受けは持っていなかった。
けれど、彼との生活は楽しかった。
犬の飼育に関して詳しすぎるほど詳しく、思い切り野山を駆け回って遊んでは美味しいご飯を食べて過ごした仔犬は、かつての幼獣ぶりが鳴りを潜め人を困らせることはなくなった上に、きちんと躾をされて見違えるほどの「良い子」へと様変わりしていく。
また攻めが作ってくれるご飯の美味しさや会話の豊富さに、子供の頃に抱いていた憧れを思い出した。
(そういや、攻め兄さんって俺の初恋だったんだよな)
田舎の純朴な少年は身近な人を恋愛対象にするが当然異性だが、どうしてか子供の頃から受けは同性への憧れを強めていた。
隠し続けてきたが、攻めに会えば嬉しくて付き纏っていたのだ。
制服姿しか記憶になかったが、攻めは着るものに頓着しないのか、いつも箪笥の一番上から取った服を着るので、本当に酷い出で立ちで、仔犬と共に散歩に出かける度に近所の婦人会の面々から「少しは受けくんを身ならないなさいよ」と苦言を呈されても頭を掻いては次も酷い服装を繰り返す。
いつからか着る服は受けが決めて枕元に置くようになり、充実した共同生活を送る。
「東京の大学はどう?」
「そこそこ楽しいです……」
歯切れが悪いのはあまり良い思い出がないからだ。
恋人には振られるし、友達も少ない。
これから就職活動となるが何をしたいのかを見つけ切れていないのが不安で仕方ない。
焦りが一際大きくなり、暗中模索で途方に暮れていたのだ。
「まあそういうこともあるさ。誰だってすぐに将来のことを決められるわけじゃない。受けくんは受けくんのペースでゆっくり考えれば良いじゃないか。もしかしたら本当にやりたいことにまだ出会えていないだけなのかもしれないんだから」
その言葉がすーっと胸に染みて熱くなる。
出来の良い大学の友人達は早々と自分の進路を決めてしまい、取り残されたような淋しさを抱いていたのだ。
ずっと纏わり付いていた孤独感がゆっくりと消えていくのを感じた。
「攻め兄さんは優しいですね」
無理矢理笑っても思わず流れる涙を止められない。
そのままの自分を認めて貰ったようで、嬉しくて涙が止まらなくなる。
「そんな感動されると照れるからやめてくれ」
冗談で流してくれるのも嬉しくて、照れ笑いのまま涙を拭った。
照れくさそうに攻めも隣で頭を撫でそっぽを向く。
それからだ、なんとなく自分のことを話すようになったのは。
攻めだったらなんでも受け入れてくれるような気持ちになって、夏が終わりに近づいてきたころ、振られた恋人の話をした。
「えっ、受けくんが振られたって恋人、男だったのか!?」
恋人……と誤魔化していたのは性別を知られたくなかったからだ。
「……気持ち悪いですか?」
「あっ、違う違う。女の子が犬を飼ってやっぱり飼えなくなる話はよく聞くんだけど、男はまず飼うって選択肢がないから。ちょっと意外だっただけ」
なるほど。
納得してやはり性癖を糾弾されなかったことに安堵する。
だというのに攻めは少し複雑な顔をしていた。
やはり嫌だったのだろうか。
運動も食事も満足するだけ与えられた仔犬がソファの隣に寛いでいるのを撫でては、もうすぐお別れだなと感傷に浸る。
なにせ間もなく夏休みが終わり、受けは東京に戻らなければならない。
一緒に居る時間はそう長くないからと今打ち明けて良かった。
来週にはここを立たなければならないのだから。
「そう……なら俺にもチャンスがあるんだ」
「はい?」
「ずっと好きだったって言ったらさ、付き合ってくれる?」
「はいーー?」
あまりのことに大声を上げてしまい、驚いた仔犬が飛び起きた。
すわ事件かと吠える犬をなんでもないと落ち着かせている間にクイッと顎を持ち上げられる。
「まだ受けくんが子供だったから言えなかったけど、本当はずっと好きだったんだ」
「そんな……」
事件じゃないと理解した仔犬はまたソファに寝転がるが、そんな心の余裕は受けにはない。
けれど、ずっと好きだったのは自分も同じで……小さく頷いた。
「めちゃくちゃ嬉しい。ありがとう」
けれど、もうすぐ夏休みは終わってしまう。
せっかく恋人になっても離れ離れだ。
嬉しいのにその事実にしょんぼり俯いていると、また顎を持ち上げられキスされた。
「今から受けくんの全部、俺のものにしていい?」
一瞬にして真っ赤になって、でも頷いた。
それからクーラーも効いていない部屋で汗まみれになりながら一つになって、後ろを使った初めてに怯えていたのが嘘のように感じさせられて、終わったときにはくたくたになってしまった。
部屋の前で二人を探しに来た仔犬が吠えている。
「入れなくちゃ……」
ずっとアパートで隠して飼っていた名残か、一人が怖い仔犬を一人にしちゃ駄目だと動こうとするが、布団から起き上がれない。
「ごめん、犬相手でも受けくんの裸、見せるの嫌だから」
「でも犬は見てますよ何回も」
なんせ狭いアパートで一緒に暮らしていたのだ、風呂上がりの姿なんて何回も見せている。
だというのに、攻めは嫉妬したようにどかどかとドアを出ると仔犬を抱き上げ、「お前俺よりも先に受けくんの裸見るとは、幼獣でも許さないぞ!」とわけの分からない説教をし始める。
なんだよそれとつい笑ってしまって、離れるのが辛くなる。
東京に戻るまでの日々、本当に幸せだった。
好きだと言ってくれるし抱き締めてくれて、一緒に散歩に出れば手を握ってくれた。
恥ずかしいし近所になんて言われるか気が気じゃない受けだったが、攻めは全く気にしない。
むしろ犬にばかり気を取られてご近所の婦人達は撫で回すばかりかおやつと称してサツマイモやキャベツといったおやつを与え始める。
ずっとここにいたいな。
けれど大学の費用を出してくれた両親に申し訳ない。
最後の日、自分から好きだと言って攻めを押し倒して、その上で気持ちよくなった。
しばらく会えないだろうから……もしかしたら自然消滅してしまうかもしれないからと、貪った。
帰る日、東京の住所を聞かれ、メッセージアプリのIDを交換した。
寂しい気持ちをバッグにしまって東京へと戻った。
毎日のように攻めから連絡が来るが会うことも声を聴くこともできない。
仔犬がどうなったかも気になるけれど、声を聞いたら会いたくなるからと我慢していると、クリスマス前日に大学を出ると攻めが立っていた。
その足下には信じられないくらい賢くなった犬がお座りしている。
「えっ、なんで?」
「なんでってお迎え。年甲斐もなくドキドキしたな、大学の前で待つのって」
それよりもなぜ東京にいるのかを尋ねたいのに、攻めは驚いた受けの表情に満足して手を引っ張って歩き始めた。
あっ、もうお座りしなくていいんですねと犬も着いてくる。
あっちこっちに引っ張り回しては帰るのを拒否していたのと同じ犬かと思うくらいの忠犬に変貌している。
連れて行かれたのは大学から歩いて20分の住宅街に建つマンション。
犬を連れたままエレベータに乗るし、どうなってるんだ?
最上階に近い部屋に案内されて「ここに部屋を借りたんだ」と言われた。
「でも田舎の家は……?」
「維持管理ついでに従弟に貸したから。これからはここで生活するよ」
「でも仕事は……」
「言ってなかったっけ、獣医だからどこでも仕事できるの。本当は田舎に引っ込もうかと思ったけど、やっぱり恋人と一緒の方が良いだろう」
コートを脱いだ下にはやはりコーディネートなんて微塵も考えていない服が現れて、久しぶりに笑ってちょっとだけ泣いて抱きついた。
「めちゃめちゃ嬉しい」
「受けくんのそう言う素直なところ、好きだよ」
イブに相応しい時間を恋人と初めて過ごして、裸のまま抱き締められて眠った。
足下に当たり前のように眠るのが擽ったくて、冬休みはそのまま実家に帰らずにマンションで過ごした。
一緒に住もうと誘われたがそれは申し訳ないと断り、今までと変わらない生活に恋人との時間を加えた。
攻めの病院は大学の傍で、終われば手伝いに行き次第に動物に興味を覚えた。
「俺も攻め兄さんの病院手伝えるようになりたいな」
「それはやめて欲しいな」
「なんで?」
「んー、命だからね。時にはどうしても残酷な決断をしないといけないんだ。そういう所、受けくんに見せたくない」
患畜に向き合うときの真剣な表情や、噛まれても笑っているおおらかさに触れていたいと思ったのにと落ち込むが、ならばペット用品の会社はどうかと勧められてしまう。
本当は傍で支えたいのにどうして断るのだろうか。
それが寂しくて悲しかった。
春になり就職活動が本格的に始まり、けれどなかなか決まらない。
そんな中、田舎の友達が泊まらせて貰えないかと連絡が来た。
攻めの弟だ。
思わず「いいよ!」と返事をして、でも攻めとの関係を隠さなきゃと気を張る。
何社か受けるので一週間ほどの滞在で旧交を深めていると、「そういやねーちゃんが今度結婚するんだよ」と言い出した。
「……え?」
「親父の畑を一緒に手伝ってくれるって。今時農家と結婚とかって凄くねー?」
「凄いね、でもお兄さんが家を継がないから当たり前か」
「……何言ってんだ、俺にーちゃんなんかいねーぞ」
「え?」
そこから頭が上手く働かなくなる。
面接があるのに質問に答えることができなくて、面接官が訝しんだ顔をするのを見て落ち込んだ。
けれど、平気な振りなんてできない。
面接の帰りに病院を覗けばいつものようににこやかに患畜の相手をしている。
「就活、頑張ってる? あ、そうだ。来月の一週目、一週間ほど休むから」
「そう……」
いつもと変わらない攻めの笑顔。
貴方は誰ですか?
友人の兄ではなかったんですか?
訊ねたいのに口から出ない。
ぎこちない態度を取れば「どうしたんだ?」と抱き締めてくる。
「なんでもない、です……就活、上手くいかなくて」
「まだ始まったばかりなんだから焦らなくていいよ。英語が堪能なら外資系のペットフードの会社もあるし」
「そう……だね。うん、もうちょっと考えてみる」
貴方のことを、とは言えずレポートがあるからと帰った。
自分は騙されているのだろうか。
それとも変な夢を見続けているのだろうか。
こっそり動物病院のサイトを探そうとするがなくて、自分が知っている名前が本当かどうかすら分からなくなる。
不安がつきまとい、就活もぐだぐだになってしまう。
「最近どうしたんだ?俺で良かったら話を聞くよ」
「……大丈夫です」
友人の兄じゃなくて、誰なのだ?
自分が愛したのは誰なのだ?
分からなくて頭が混乱する。
誰だっていい、誠実な自分の恋人であるのは変わりないんだからと、割り切ることができない。
でも確かに自分が子供の頃、彼を攻め兄さんと呼んでいた。
攻めはいつも友人の家へと帰り、訪ねればあの家で一緒に遊んでくれた。
でも友人には兄がいないという。
「どういうことだよ……俺どうしたら良いんだよ」
何を信じれば良いか分からなくなる。
けれどこんなこと、誰にも相談できない。
受けは一人不安を抱えるしかなかった。
病院が休みの一週間、不安は肥大し、もう受けではどうすることもできなかった。
攻めがいないという最終日、アパートのインターフォンが鳴った。
出てみれば攻めがそこに立っていた。
いつにない整った姿に、自分に見せていたのは仮の姿だったのだろうかとすら考えてしまう。
「ど……したの?」
「入っていいかな?」
断る理由がなくて俯いたままドアを大きく開いた。
一人暮らしの狭い部屋。
家具のあちらこちらは柴犬が噛んだ跡を残している。
「今日、こっちに帰ってきたんだ。ちゃんと話し合おうと思って新幹線降りてすぐに来たんだ」
「そう……ですか?」
「何か凄く悩んでいるみたいだけど、どうしたんだ?もしかして俺との関係が嫌になった?」
訝しんで当たり前だ。
あれほど週末ごとに泊まっては……時々平日もだが、友人が泊まりに来てからしていないのだから。
「素直に話して欲しい。何があったんだ、受けくん」
「攻め兄さん……」
でも言えずに唇を噛む。
「別れたい?」
そんなつもりはない、ずっとこれから先も一緒にいたい。
首を振れば「ありがとう」と抱き締められた。
消毒液の匂いに、ここに来る前に病院に寄ったのが分かる。
今、数匹の患畜がいることは知っている、学生時代の友人や後輩に任せていくと言っていたのも覚えている。
それでも以前のように真っ直ぐに愛情を向けることができない。
「じゃあなにが受けくんの心を悩ませているのかな?」
貴方は誰ですか?
聞くのが怖くて、またはらりと涙を零した。
「俺……攻め兄さんに初めて会ったの、幼稚園の時だったって」
「そうだね。あれは……年長だったかな?凄く可愛かったの覚えてる」
記憶が違っているわけじゃないのか。
「でも中学に上がる頃に見なくなって……寂しくて……」
「大学に進学したからね。地元には獣医学部のある大学がないから。でも国立じゃないと高いから北海道の大学にしたんだ」
「……そ……だったんだ」
上手く切り出すことができなくて遠回しの話をする。
「どうして獣医になろうと思ったの?」
「ん?父親が獣医だったんだよ。家畜専門のだけど。それがずっと頭に残っててさ。もう顔も思い出せないのに、動物と向き合うときの姿がずっと目に焼き付いてるんだ」
父親が獣医?
友人宅は農家だ。
家族総出で広大な田畑を経営しているし、先日も姉の結婚相手が家業に入ってくれるという話をしたばかりだ。
「……農家……じゃなくて?」
「おじさんは父の弟なんだ。父が仕事のしすぎで倒れて死んだあと、じーちゃんが面倒を見てくれたんだけど、認知症が始まったから大学進学まで面倒を見てくれたんだ」
「そ……だったんだ……」
ということは友人とは従兄弟ということか。
そしてあの家をいとこに貸したと言っていたのはもしかして、新婚の友人の姉夫婦なのかもしれない。
合点がいってほっとして全身の力が抜けていく。
「よかった……」
また涙がポロポロと零れ始めた。
「えっなに!俺何かした?」
慌てる攻めになんでもないと首を振って、ずっと抱えていた不安を初めて口にした。
「なんだ、言ってくれたら免許証でもなんでも見せたのに」
「俺が勝手に不安になったんです……ごめんなさい」
「やっぱり就活が上手く達かないってのは嘘か。もっと早くにこうして話せば良かったな。悪かった」
攻めは何も悪くないのに何度も謝ってくれて、そのたびに頬や濡れた眦、瞼、そして唇にキスをくれた。
擽ったくて身を捩ったらそのまま服を脱がされて、久しぶりに味わう幸せな気持ちで抱かれた。
嬉しかった。
疲れた身体をベッドに預けていると攻めに撫で撫でされてふわりと温かい気持ちになってふと訊ねてみた。
「攻め兄さんって、小学生の俺が好きだったの?」
「はっ?」
「だってずっと好きだったって……」
「あーあれは言葉の綾というかなんというか……可愛いと思ったんだ」
恋だと気付かなくてただひたすら可愛くて構いたくて、その感情の名前に気付いたのは再会した時だという。
「昔から好きだったんだなって実感して、でもほらマイノリティだから内緒にしようと思ってたんだ」
ガキ臭いからさと笑う顔が可愛くて思わず腕を抱き締めた。
「そういえば犬、どうしてます?」
「あいつさ……預けた友達に懐いて帰宅拒否になった……俺が飼い主なのに」
柴犬は忠犬ではなかったのか。
笑って「明日一緒に迎えに行こう」と甘えるように頬を擦り付けた。
「俺、あと三年勉強しようって考えてるんだ」
「どうして?」
「愛玩動物看護資格とって攻め兄さんの手伝いしたい……駄目?」
「永久就職になっちゃうよ、それでいいの?」
むしろ望むところだ。
手を掴んで頬に擦り付ける。
上目遣いで「だめ?」と聞くと苦笑され「その前段階として一緒に住もうか」とまたのしかかられるのだった。
「あれ、受けくんじゃないか」
古いオープンカー(なんか今にも壊れそう)に乗ったサングラスの男に声をかけられた。
「いつの間にこんなに大きくなったんだ?」
気安い男には見覚えがあった。
「攻め……兄さん?」
友人の兄だ。
「こんな時期に帰ってくるなんて珍しいね」
家まで乗せてくれた攻めの車の助手席でなんと答えて良いか分からなくなる。
「まあ……ちょっと困ったことがあって……」
言葉を濁していると、膝に乗せた鞄がもぞもぞし始めた。
「あとちょっとだって、静かにしてくれよぉ」
泣きそうな声を上げてほんの少しファスナーを開けると、小さな頭をぴょこりと出したのはまだ生後半年にも満たない柴犬だった。
「えっ柴? 受けくん東京で犬を飼ってるのか?」
「えっと……押しつけられたんです」
元恋人……しかも別れた後に飼ったこの犬を突然押しつけられたのだ。
当然住んでいたアパートはペット禁止。
だが幼獣とも例えられる仔犬は元気盛りで家の中で大人しくしてくれない。
友人達も皆学生で引き取ってくれるはずもない。
どれだけ柴犬が今ブームになっていても、簡単に飼い主なんて見つからない。
アパートの管理人からも目を付けられ、どうしたら良いのか途方に暮れて夏休みを利用して実家に帰ってきたのだ。
この田舎町ならもしかして飼い主が見つかるかもしれないから、と。
僅かに顔を出した柴犬は力任せに全身飛び出して受けの顔に顔面アタック。
運転していた攻めは笑って、前を見ながら子犬の頭を撫でた。
「元気だな、これは破壊衝動も凄すぎるだろう」
「そうなんです……とても飼えなくて。どうしたら良いんだろうって」
抱っこすればペロペロと顔中をなめてくる元気さに余計困ってしまう受け。
なにせ、家中の家具が囓られてしまった後である。
一時もじっとできない仔犬相手に本当に頭を悩ませていた。
なぜ犬なんか押しつけたんだよと元恋人を恨んでも、犬本人には罪はない。
しょぼくれる受けの頭を撫で、攻めが前を見ながら笑う。
「それは大変だ。もし良かったらその子、俺が貰ってもいいか?」
「……えっ、良いんですか? でも……」
攻めの格好があまりにもチャラすぎて心配になる。
なにせビビットな色のTシャツの上にアロハシャツを纏い、下半身は膝丈のジャージにサングラス。
田舎を離れてから三年、憧れだった友人の兄に何があったのかと思うくらい、酷い出で立ちである。
幼獣ではあるがやはり三ヶ月も一緒にいた分だけ愛着が湧いてくる。
「だったら、一緒に住んでみる?そしたら安心だろ」
確かに……と小さく頷けば、「善は急げ」とばかりに彼の家へと向かう。
到着したのは古い一軒家……とはいえ、この田舎ではよくある……でしかも一人暮らしだった。
裏の山まで攻めの持ち物だという。
「じーさんから継いだんだけど、お前が気に入ってくれるなら嬉しいぞ」
柴犬にそう話しかけて家へと入れる。
庭だけでも広いのに家も広く、柴犬は大興奮。
家中を駆け回りあちこち転がってそのまま庭へとジャンプで飛び出した。
「すみません!」
「いいっていいって。迷子にならないようにだけしないとな。どうしても柴は興奮すると家に帰るの忘れるから」
おおらかに笑って受けの荷物を手に奥の一室に案内してくれた。
「ちゃんと掃除してるのこの部屋だけなんだけど、寝泊まりはここで良いかな?」
「いや、有り難いです……すみません」
「気にしないで。受けくんとの仲だし」
ペコリと頭を下げて夏休み期間を同居させて貰うことになった。
攻めは友人の兄という以外の情報を受けは持っていなかった。
けれど、彼との生活は楽しかった。
犬の飼育に関して詳しすぎるほど詳しく、思い切り野山を駆け回って遊んでは美味しいご飯を食べて過ごした仔犬は、かつての幼獣ぶりが鳴りを潜め人を困らせることはなくなった上に、きちんと躾をされて見違えるほどの「良い子」へと様変わりしていく。
また攻めが作ってくれるご飯の美味しさや会話の豊富さに、子供の頃に抱いていた憧れを思い出した。
(そういや、攻め兄さんって俺の初恋だったんだよな)
田舎の純朴な少年は身近な人を恋愛対象にするが当然異性だが、どうしてか子供の頃から受けは同性への憧れを強めていた。
隠し続けてきたが、攻めに会えば嬉しくて付き纏っていたのだ。
制服姿しか記憶になかったが、攻めは着るものに頓着しないのか、いつも箪笥の一番上から取った服を着るので、本当に酷い出で立ちで、仔犬と共に散歩に出かける度に近所の婦人会の面々から「少しは受けくんを身ならないなさいよ」と苦言を呈されても頭を掻いては次も酷い服装を繰り返す。
いつからか着る服は受けが決めて枕元に置くようになり、充実した共同生活を送る。
「東京の大学はどう?」
「そこそこ楽しいです……」
歯切れが悪いのはあまり良い思い出がないからだ。
恋人には振られるし、友達も少ない。
これから就職活動となるが何をしたいのかを見つけ切れていないのが不安で仕方ない。
焦りが一際大きくなり、暗中模索で途方に暮れていたのだ。
「まあそういうこともあるさ。誰だってすぐに将来のことを決められるわけじゃない。受けくんは受けくんのペースでゆっくり考えれば良いじゃないか。もしかしたら本当にやりたいことにまだ出会えていないだけなのかもしれないんだから」
その言葉がすーっと胸に染みて熱くなる。
出来の良い大学の友人達は早々と自分の進路を決めてしまい、取り残されたような淋しさを抱いていたのだ。
ずっと纏わり付いていた孤独感がゆっくりと消えていくのを感じた。
「攻め兄さんは優しいですね」
無理矢理笑っても思わず流れる涙を止められない。
そのままの自分を認めて貰ったようで、嬉しくて涙が止まらなくなる。
「そんな感動されると照れるからやめてくれ」
冗談で流してくれるのも嬉しくて、照れ笑いのまま涙を拭った。
照れくさそうに攻めも隣で頭を撫でそっぽを向く。
それからだ、なんとなく自分のことを話すようになったのは。
攻めだったらなんでも受け入れてくれるような気持ちになって、夏が終わりに近づいてきたころ、振られた恋人の話をした。
「えっ、受けくんが振られたって恋人、男だったのか!?」
恋人……と誤魔化していたのは性別を知られたくなかったからだ。
「……気持ち悪いですか?」
「あっ、違う違う。女の子が犬を飼ってやっぱり飼えなくなる話はよく聞くんだけど、男はまず飼うって選択肢がないから。ちょっと意外だっただけ」
なるほど。
納得してやはり性癖を糾弾されなかったことに安堵する。
だというのに攻めは少し複雑な顔をしていた。
やはり嫌だったのだろうか。
運動も食事も満足するだけ与えられた仔犬がソファの隣に寛いでいるのを撫でては、もうすぐお別れだなと感傷に浸る。
なにせ間もなく夏休みが終わり、受けは東京に戻らなければならない。
一緒に居る時間はそう長くないからと今打ち明けて良かった。
来週にはここを立たなければならないのだから。
「そう……なら俺にもチャンスがあるんだ」
「はい?」
「ずっと好きだったって言ったらさ、付き合ってくれる?」
「はいーー?」
あまりのことに大声を上げてしまい、驚いた仔犬が飛び起きた。
すわ事件かと吠える犬をなんでもないと落ち着かせている間にクイッと顎を持ち上げられる。
「まだ受けくんが子供だったから言えなかったけど、本当はずっと好きだったんだ」
「そんな……」
事件じゃないと理解した仔犬はまたソファに寝転がるが、そんな心の余裕は受けにはない。
けれど、ずっと好きだったのは自分も同じで……小さく頷いた。
「めちゃくちゃ嬉しい。ありがとう」
けれど、もうすぐ夏休みは終わってしまう。
せっかく恋人になっても離れ離れだ。
嬉しいのにその事実にしょんぼり俯いていると、また顎を持ち上げられキスされた。
「今から受けくんの全部、俺のものにしていい?」
一瞬にして真っ赤になって、でも頷いた。
それからクーラーも効いていない部屋で汗まみれになりながら一つになって、後ろを使った初めてに怯えていたのが嘘のように感じさせられて、終わったときにはくたくたになってしまった。
部屋の前で二人を探しに来た仔犬が吠えている。
「入れなくちゃ……」
ずっとアパートで隠して飼っていた名残か、一人が怖い仔犬を一人にしちゃ駄目だと動こうとするが、布団から起き上がれない。
「ごめん、犬相手でも受けくんの裸、見せるの嫌だから」
「でも犬は見てますよ何回も」
なんせ狭いアパートで一緒に暮らしていたのだ、風呂上がりの姿なんて何回も見せている。
だというのに、攻めは嫉妬したようにどかどかとドアを出ると仔犬を抱き上げ、「お前俺よりも先に受けくんの裸見るとは、幼獣でも許さないぞ!」とわけの分からない説教をし始める。
なんだよそれとつい笑ってしまって、離れるのが辛くなる。
東京に戻るまでの日々、本当に幸せだった。
好きだと言ってくれるし抱き締めてくれて、一緒に散歩に出れば手を握ってくれた。
恥ずかしいし近所になんて言われるか気が気じゃない受けだったが、攻めは全く気にしない。
むしろ犬にばかり気を取られてご近所の婦人達は撫で回すばかりかおやつと称してサツマイモやキャベツといったおやつを与え始める。
ずっとここにいたいな。
けれど大学の費用を出してくれた両親に申し訳ない。
最後の日、自分から好きだと言って攻めを押し倒して、その上で気持ちよくなった。
しばらく会えないだろうから……もしかしたら自然消滅してしまうかもしれないからと、貪った。
帰る日、東京の住所を聞かれ、メッセージアプリのIDを交換した。
寂しい気持ちをバッグにしまって東京へと戻った。
毎日のように攻めから連絡が来るが会うことも声を聴くこともできない。
仔犬がどうなったかも気になるけれど、声を聞いたら会いたくなるからと我慢していると、クリスマス前日に大学を出ると攻めが立っていた。
その足下には信じられないくらい賢くなった犬がお座りしている。
「えっ、なんで?」
「なんでってお迎え。年甲斐もなくドキドキしたな、大学の前で待つのって」
それよりもなぜ東京にいるのかを尋ねたいのに、攻めは驚いた受けの表情に満足して手を引っ張って歩き始めた。
あっ、もうお座りしなくていいんですねと犬も着いてくる。
あっちこっちに引っ張り回しては帰るのを拒否していたのと同じ犬かと思うくらいの忠犬に変貌している。
連れて行かれたのは大学から歩いて20分の住宅街に建つマンション。
犬を連れたままエレベータに乗るし、どうなってるんだ?
最上階に近い部屋に案内されて「ここに部屋を借りたんだ」と言われた。
「でも田舎の家は……?」
「維持管理ついでに従弟に貸したから。これからはここで生活するよ」
「でも仕事は……」
「言ってなかったっけ、獣医だからどこでも仕事できるの。本当は田舎に引っ込もうかと思ったけど、やっぱり恋人と一緒の方が良いだろう」
コートを脱いだ下にはやはりコーディネートなんて微塵も考えていない服が現れて、久しぶりに笑ってちょっとだけ泣いて抱きついた。
「めちゃめちゃ嬉しい」
「受けくんのそう言う素直なところ、好きだよ」
イブに相応しい時間を恋人と初めて過ごして、裸のまま抱き締められて眠った。
足下に当たり前のように眠るのが擽ったくて、冬休みはそのまま実家に帰らずにマンションで過ごした。
一緒に住もうと誘われたがそれは申し訳ないと断り、今までと変わらない生活に恋人との時間を加えた。
攻めの病院は大学の傍で、終われば手伝いに行き次第に動物に興味を覚えた。
「俺も攻め兄さんの病院手伝えるようになりたいな」
「それはやめて欲しいな」
「なんで?」
「んー、命だからね。時にはどうしても残酷な決断をしないといけないんだ。そういう所、受けくんに見せたくない」
患畜に向き合うときの真剣な表情や、噛まれても笑っているおおらかさに触れていたいと思ったのにと落ち込むが、ならばペット用品の会社はどうかと勧められてしまう。
本当は傍で支えたいのにどうして断るのだろうか。
それが寂しくて悲しかった。
春になり就職活動が本格的に始まり、けれどなかなか決まらない。
そんな中、田舎の友達が泊まらせて貰えないかと連絡が来た。
攻めの弟だ。
思わず「いいよ!」と返事をして、でも攻めとの関係を隠さなきゃと気を張る。
何社か受けるので一週間ほどの滞在で旧交を深めていると、「そういやねーちゃんが今度結婚するんだよ」と言い出した。
「……え?」
「親父の畑を一緒に手伝ってくれるって。今時農家と結婚とかって凄くねー?」
「凄いね、でもお兄さんが家を継がないから当たり前か」
「……何言ってんだ、俺にーちゃんなんかいねーぞ」
「え?」
そこから頭が上手く働かなくなる。
面接があるのに質問に答えることができなくて、面接官が訝しんだ顔をするのを見て落ち込んだ。
けれど、平気な振りなんてできない。
面接の帰りに病院を覗けばいつものようににこやかに患畜の相手をしている。
「就活、頑張ってる? あ、そうだ。来月の一週目、一週間ほど休むから」
「そう……」
いつもと変わらない攻めの笑顔。
貴方は誰ですか?
友人の兄ではなかったんですか?
訊ねたいのに口から出ない。
ぎこちない態度を取れば「どうしたんだ?」と抱き締めてくる。
「なんでもない、です……就活、上手くいかなくて」
「まだ始まったばかりなんだから焦らなくていいよ。英語が堪能なら外資系のペットフードの会社もあるし」
「そう……だね。うん、もうちょっと考えてみる」
貴方のことを、とは言えずレポートがあるからと帰った。
自分は騙されているのだろうか。
それとも変な夢を見続けているのだろうか。
こっそり動物病院のサイトを探そうとするがなくて、自分が知っている名前が本当かどうかすら分からなくなる。
不安がつきまとい、就活もぐだぐだになってしまう。
「最近どうしたんだ?俺で良かったら話を聞くよ」
「……大丈夫です」
友人の兄じゃなくて、誰なのだ?
自分が愛したのは誰なのだ?
分からなくて頭が混乱する。
誰だっていい、誠実な自分の恋人であるのは変わりないんだからと、割り切ることができない。
でも確かに自分が子供の頃、彼を攻め兄さんと呼んでいた。
攻めはいつも友人の家へと帰り、訪ねればあの家で一緒に遊んでくれた。
でも友人には兄がいないという。
「どういうことだよ……俺どうしたら良いんだよ」
何を信じれば良いか分からなくなる。
けれどこんなこと、誰にも相談できない。
受けは一人不安を抱えるしかなかった。
病院が休みの一週間、不安は肥大し、もう受けではどうすることもできなかった。
攻めがいないという最終日、アパートのインターフォンが鳴った。
出てみれば攻めがそこに立っていた。
いつにない整った姿に、自分に見せていたのは仮の姿だったのだろうかとすら考えてしまう。
「ど……したの?」
「入っていいかな?」
断る理由がなくて俯いたままドアを大きく開いた。
一人暮らしの狭い部屋。
家具のあちらこちらは柴犬が噛んだ跡を残している。
「今日、こっちに帰ってきたんだ。ちゃんと話し合おうと思って新幹線降りてすぐに来たんだ」
「そう……ですか?」
「何か凄く悩んでいるみたいだけど、どうしたんだ?もしかして俺との関係が嫌になった?」
訝しんで当たり前だ。
あれほど週末ごとに泊まっては……時々平日もだが、友人が泊まりに来てからしていないのだから。
「素直に話して欲しい。何があったんだ、受けくん」
「攻め兄さん……」
でも言えずに唇を噛む。
「別れたい?」
そんなつもりはない、ずっとこれから先も一緒にいたい。
首を振れば「ありがとう」と抱き締められた。
消毒液の匂いに、ここに来る前に病院に寄ったのが分かる。
今、数匹の患畜がいることは知っている、学生時代の友人や後輩に任せていくと言っていたのも覚えている。
それでも以前のように真っ直ぐに愛情を向けることができない。
「じゃあなにが受けくんの心を悩ませているのかな?」
貴方は誰ですか?
聞くのが怖くて、またはらりと涙を零した。
「俺……攻め兄さんに初めて会ったの、幼稚園の時だったって」
「そうだね。あれは……年長だったかな?凄く可愛かったの覚えてる」
記憶が違っているわけじゃないのか。
「でも中学に上がる頃に見なくなって……寂しくて……」
「大学に進学したからね。地元には獣医学部のある大学がないから。でも国立じゃないと高いから北海道の大学にしたんだ」
「……そ……だったんだ」
上手く切り出すことができなくて遠回しの話をする。
「どうして獣医になろうと思ったの?」
「ん?父親が獣医だったんだよ。家畜専門のだけど。それがずっと頭に残っててさ。もう顔も思い出せないのに、動物と向き合うときの姿がずっと目に焼き付いてるんだ」
父親が獣医?
友人宅は農家だ。
家族総出で広大な田畑を経営しているし、先日も姉の結婚相手が家業に入ってくれるという話をしたばかりだ。
「……農家……じゃなくて?」
「おじさんは父の弟なんだ。父が仕事のしすぎで倒れて死んだあと、じーちゃんが面倒を見てくれたんだけど、認知症が始まったから大学進学まで面倒を見てくれたんだ」
「そ……だったんだ……」
ということは友人とは従兄弟ということか。
そしてあの家をいとこに貸したと言っていたのはもしかして、新婚の友人の姉夫婦なのかもしれない。
合点がいってほっとして全身の力が抜けていく。
「よかった……」
また涙がポロポロと零れ始めた。
「えっなに!俺何かした?」
慌てる攻めになんでもないと首を振って、ずっと抱えていた不安を初めて口にした。
「なんだ、言ってくれたら免許証でもなんでも見せたのに」
「俺が勝手に不安になったんです……ごめんなさい」
「やっぱり就活が上手く達かないってのは嘘か。もっと早くにこうして話せば良かったな。悪かった」
攻めは何も悪くないのに何度も謝ってくれて、そのたびに頬や濡れた眦、瞼、そして唇にキスをくれた。
擽ったくて身を捩ったらそのまま服を脱がされて、久しぶりに味わう幸せな気持ちで抱かれた。
嬉しかった。
疲れた身体をベッドに預けていると攻めに撫で撫でされてふわりと温かい気持ちになってふと訊ねてみた。
「攻め兄さんって、小学生の俺が好きだったの?」
「はっ?」
「だってずっと好きだったって……」
「あーあれは言葉の綾というかなんというか……可愛いと思ったんだ」
恋だと気付かなくてただひたすら可愛くて構いたくて、その感情の名前に気付いたのは再会した時だという。
「昔から好きだったんだなって実感して、でもほらマイノリティだから内緒にしようと思ってたんだ」
ガキ臭いからさと笑う顔が可愛くて思わず腕を抱き締めた。
「そういえば犬、どうしてます?」
「あいつさ……預けた友達に懐いて帰宅拒否になった……俺が飼い主なのに」
柴犬は忠犬ではなかったのか。
笑って「明日一緒に迎えに行こう」と甘えるように頬を擦り付けた。
「俺、あと三年勉強しようって考えてるんだ」
「どうして?」
「愛玩動物看護資格とって攻め兄さんの手伝いしたい……駄目?」
「永久就職になっちゃうよ、それでいいの?」
むしろ望むところだ。
手を掴んで頬に擦り付ける。
上目遣いで「だめ?」と聞くと苦笑され「その前段階として一緒に住もうか」とまたのしかかられるのだった。
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