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【オメガバース】オメガ嫌いのアルファの嫁の話
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仕方なくオメガと結婚したアルファは大のオメガ嫌いだった。
そのオメガと結婚したのも結婚を急かす周囲を黙らせるため、愛情はない。
家に置いてやるが好きにしていいが、妊娠はするな、そんなスタンス。
仕事に集中したいための偽装だ。
誓いのキスだって頬にしたくらいオメガは嫌いだった。
家業を大きくすることだけを考え、結婚してもオメガに目を向けることなく仕事に励んだ。
オメガはアルファの会社の下請けの社長の子。
力関係は圧倒的にアルファの会社のほうが上。
むしろなぜあの家の事結婚を?と周囲が驚いたくらいだ。
政略結婚ではなく見初めたのだろうと周囲は納得。
オメガもそんな扱いをされているのに、静かに家でアルファの帰りを待ち続ける。
洗濯をして掃除をして、買い物に行っては旬の食材でご飯を作りと甲斐甲斐しい。
しかしアルファは一度も料理に手を付けてはくれない。
それでも毎日毎日ご飯を作り続けた。
アルファにはそれが鬱陶しくて仕方ない。
オメガなど、性欲を満たせれば誰にでも足を開くような穢れた存在が作った飯など食えるわけないとゴミ箱に皿ごと捨てる。
オメガは寂しい笑顔を浮かべるだけで、どんな罵倒を受けても酷いことをされても、何も言わない。
人形のようなその姿に苛立ちは一層募る。
媚びてくると思っていたのに一定の距離から近づかないし、逆に近づけば逃げようとする。
毎日箸がつけられない食事がテーブルに残るのに何も言わない。
涙一つ浮かべない。
ただ寂しそうにするだけだ。
アルファはただひたすらオメガに苛立ちをぶつけるように辛く当たった。
泣いて許しを乞いて離婚を切り出せと思う。
なのにオメガは何も言ってこない。
そんなある日、会食でオメガの父と会う。
あれはどうしてますか、ちゃんとお相手していますか。
品のない事を訊ねてくる。
ベータの両親、しかも経営者の子として生まれたなら高慢で、相手にしなければ好きに遊ぶだろうと思っていたのに、オメガの父の口からは出来損ないのタダ飯食いがようやく役に立ったとばかりの言葉が連なる。
オメガ父もオメガに偏見があった。
アルファと縁ができたのは自分が優秀だからだと勘違いしていた。
適当に選んだだけ、とは口にしなかった。
だがオメガ父の口ぶりは不快さを抱かせる。
いつかアルファに嫁がせるために大事に育てたわけではないと知り、少しの罪悪感が芽生える。
なにせアルファもオメガに偏見しか抱いていなかったからだ。
家に帰ると珍しく家の中が暗かった。
リビングに行けばご飯が用意されているが一人分だけ。
流しにも食洗機にもオメガが使った食器はない。
見回せば、一人分の食器しか存在しなかった。
気になってオメガの部屋を覗いた。
冷たい部屋の中、床に直に敷いた布団に包まって咳を繰り返している。
部屋には暖房器具はなく、オメガが持ち込んだダンボールが数個重なっているのみ
他の家具など何もなかった。
アルファは愕然とした。
会社に行っている間に与えたクレジットカードで勝手に整えているものと思っていたからだ。
すぐさま近づけばオメガの呼吸音がおかしいのがわかって救急車を呼んだ。
オメガは風邪を拗らせ肺炎を起こしていた。
ひどく衰弱しているという。
もうずっと症状があったのになぜこんな酷くなるまで放っておいたのだと怒ってきたのは、アルファの友人でもある医師。
栄養失調もあると言われ、アルファのほうが驚いた。
何をしたと問い詰められ今までのことを話した。
お前まだあれを引きずっているのか。
言われて沈黙した。
アルファの両親は同じアルファ性で不仲だった。
家のために結婚し、互いに外に愛人を囲っていた。
アルファはいわゆる試験管ベイビーだった。
両親から愛情はもらえず、世話をしてくれたのは住み込みのオメガだ。
アルファは懐いた。
しかしそのオメガもまた父の愛人だった。
二人がしているところを見てしまったのだ。
ショックで随分と荒れ、オメガ嫌いになった。
アルファ相手なら誰にでも足を開く汚い存在と貶さなければ自分を保てないくらいに。
医師はそれを知っていた。
オメガに虐待の跡がある、そう医師が言った。
最近のものではないが酷い跡だと。
お前の妻が蔑まれていたとは考えたことはなかったのかと問われ、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。
医師は言う、オメガが優遇される方が稀だ、ここに運び込まれるオメガの多くは虐待を受けている、劣等性というだけで意味もなく虐げられていると。
考えたこともなかった。
自分の不幸にばかり酔って他者がどうなのか考えたこともなかった。
オメガは回復するまで入院することになった。
アルファはオメガの荷物を確かめた。
ダンボールの中にあったのは僅かな服と数札の本、それだけだった。
クローゼットも見たがコートが一着かけられているだけ。
カードの使用履歴もスーパーの買い物だけ。
贅沢をした痕跡は何もない。
しかもアルファの物がなくなっていることもない。
アルファはリビングで呆然とした。
目を覚ましたオメガは病院にいるとわかると落ち込んだ。
アルファに迷惑をかけてしまった。
相手に負担をかけないよう過ごしてきたつもりだが病気をしてはまた何を言われるかと心が重くなるオメガはひたすら落ち込んだ。
点滴で栄養補給しなければならないほど、食事も喉を通らない。
バース診断が出た12歳からこの年になるまでずっと家族に虐げられたオメガ。
食卓には自分のご飯は出なくなり、何も食べさせてもらえない。
少しでもミスをすれば両親から折檻に合う日々だ。
兄もそんなオメガを嫌い同じ家にいることを許さない日もあった。
大きくなれたのは家政婦が家族の目を盗んでおにぎりを作ってくれたから。
それすらなかったら確実に死んでいただろう。
もう悲観するのにも疲れていた。
アルファの家は快適だった。
ご飯を食べてもらえないのは寂しいが、それも仕方ないと思った。
自分は劣等性だからお見舞いに来ないのも仕方ない。
けれど、回復して帰ったらどんな罰を受けるのだろうか、それが心配だった。
時折、医師がオメガの話を聞きにくる。
何を話していいかわからないが昔の話を聞かせてくれと言われて、ポロポロと話した。
医師は終始微笑んでいた。
蔑まれないことがほんの少しだけ嬉しかった。
退院の日になった。
正直もっといたいと思った。
誰にも冷たい目で見られたり嗤われないなんて初めてだったから。
けれど、退院はしなくてはいけない。
荷物なんて何一つないから退院の準備はあっという間に終わってしまった。
お金はどうしようか。
優しかった祖父母がわずかばかり譲ってくれたお金も結婚の際に兄に奪い取られてしまった。
オメガはナースステーションで分割の支払いにしてもらえないかと相談に行った。
しかし費用はすでに支払われているという。
驚くオメガは腕を掴まれた。
アルファだった。
帰るぞ。
そっけなく言うその後ろをトボトボと着いていった。
家に着くと、これから折檻が始まると身構えていたが、アルファはダイニングテーブルに着くよう言うだけだ。
所在なく座っているとアルファがキッチンに立った。
料理を作ろうとしてくれているらしいが悪戦苦闘している。
見かねて手伝おうとしても立つなときつく言う。
ようやく出てきたのは大きくてボロボロのおにぎりだった。
具の鮭ははみ出し海苔もいびつに巻かれてある。
オメガはひとくち食べた。
とてもしょっぱかった。
けれど美味しかった。
ぽろりと涙がこぼれてきた、どうしてかはわからない。
一口、また一口と食べていく。
それを見てアルファもようやくおにぎりに手を付けた。
しかしひとくち食べて固まり、トイレへと駆け込んだ。
訝しんでいると真っ青になったアルファが戻ってきておにぎりを奪った。
まずい、食うな。
美味しいと言ってもそれは流しに捨てられた。
オメガは悲しくて肩を落とした。
ばつが悪い顔でアルファはオメガの前に座ると頭を下げた。
不味いものを食わせて悪かった、料理がこんなに大変と知らず今まで捨てて悪かったと。
驚くオメガ。
アルファはすぐにテイクアウトの店に連絡し持ってきてもらう。
温かいスープにサンドイッチ、有名店のそれは美味しいはずなのに、オメガはあのおにぎりのほうが美味しいと思った。
半分でお腹いっぱいになると眠気が襲った。
まだ回復していない体力を痛感するが、寝たいとは言えず頑張って起きているとアルファは部屋へ行くよう促してくる。
久しぶりの自分の部屋、しかし全く別の部屋へと変わっていた。
ダンボールも布団もない。
代わりにベッドと本棚とおしゃれなテーブルが置かれている。
床にも毛の長いラグが。
オメガはただただ驚いた。
ゆっくり休め。
そう言うとアルファは扉を閉めた。
部屋はとても暖かかった。
それからオメガは変わらずアルファと生活をする。
どこかよそよそしく視線を合わせないが、食事を摂ってくれるようになった、安心した。
それだけで自分の存在価値ができたような気がした。
いつの間にか食器が総入れ替えしていて二人分になったのに驚いたが、相変わらず一人分だけ作っていると怒られた
それから夕飯は一緒に食べるようになった。
しかしそれだけでここにいていいのかわからない。
しかもオメガには言わなければならないことがあった。
ある日オメガは訊ねた、しなくていいのかと。
自分と結婚したのはそなためだろうと思ったからだ。
アルファは突然怒り出した、やっぱりお前らはすぐに足を開くと。
オメガには怒りの理由がわからなかった。
乱暴にキスをされた。
始まるのだ、オメガは下肢を出して壁に手をついた。
なぜ上を脱がないと服を掴まれた。
やめてくれ、オメガは必死で抵抗した。
力で敵うわけもない。
すぐにオメガは全裸にさせられた。
体を隠すようにうずくまったが、汚い跡は広範囲で隠せはしないそれは、両親に殴られた他に、兄や兄の友人から受けた暴行の跡だ。
古いものは10代前半からで、少し薄くなった程度、タバコを押し付けられたものも、新しいナイフの切れ味を試すと斬りつけられたものもある。
絶句するアルファから隠すように壁に背を押し付けて座った。
汚いのは誰よりもオメガが知っている。
それはどうした、アルファは震える声で訊ねてきた。
怒られると思ったオメガは恐怖に震えた、言わなければ殴られるかもしれない。
顔を腕で隠してオメガだからと答えた。
オメガだからこうされて当たり前だから、仕方ないと。
誰にされたと訊いてくる。
オメガは素直に答えた、そうすれば殴られる回数が減ると思ったからだ。
今まで何人に抱かれた。
冷たい声に震えながらわからないと答えた、本当にわからなかった。
代わる代わるやってくる兄の友人に犯されてきた、嫌だと言っても誰もやめてはくれなかった。
飽きるまで抱かれた。
親がいない日などは朝から晩までずっと誰ともわからない男たちに犯された。
でも、とオメガは言う。
きっと自分は妊娠しない、だって今まで発情したことがないから、オメガとしても出来損ないだからみんなこんなふうにするのだ。
泣きはしなかった。
当たり前のことだから。
諦めるのには慣れている、罵倒されるのも殴られるのも。
ただ本能でどうしても体を守ってしまうだけだ。
期待に添えられなくてごめんなさい、嫌なら離婚してくれて構わない。
離婚したらどうするんだ、アルファが訊く。
言葉につまりながらも、実家に帰るしかないと答えた。
それしか場所がない、逃げられない。
アルファが近づいた。
やっぱり殴られるんだ、でも当たり前だ。
発情しなければ子はできない、期待はずれだと思わせてしまったのだから。
アルファはそんなオメガを抱きしめた。
何も言わずただ抱きしめた。
オメガは戸惑った、こんなことをされるのはバース診断が出てから初めてだったから。
優しかった母も父も兄もあんなに酷いことをするのは自分がオメガだったからと、自分がいけないんだと思っていた。
ここにいればいい、すっといればいい。
アルファは絞り出すように言った。
でも発情しないなら子供ができない。
構わない、子供なんていなくてもいい。
それじゃオメガと結婚した意味がないのでは。
アルファは何も答えなかった。
オメガは戸惑ったがアルファの体温がすごく心地よくて、でも腕を回すのは怒られるかもしれないとできないけれど、その腕から離れたくないと思った。
それからしばらくして家に訪ねてくる人がいた。
オメガの話をずっと聞いてくれた医師だ。
本当は電話できればよかったがと言われ、携帯電話を持っていないことを謝った。
医師は自立支援を受けてみないかと言ってきた。
そういうNPOがあり、その気があるなら受け入れてもらえるとパンフレットをくれた。
そこには家族や番からの虐待を受けているならシェルターもあると書いてある。
驚いて医師を見れば変わらず微笑んでいる。
パンフレットのある部分を指差した。
そこには職業訓練と書かれてある。
その気があれば連絡してごらん。
医師が帰ったあと、オメガはパンフレットを隅から隅まで読んだ。
魅力的に感じた、もしアルファに離婚を言い渡されてもあの家に帰らなくていいと希望が持てた。
体験訓練もある。
申し込もうか悩み、オメガはそれを引き出しにしまった。
それから平日に何度も医師が訪ねて来るようになった。
様子を聞きに来たりNPOの事を話したり体験だけでもいい、オメガの意見を聞きたいからモニターになってみないかとも言われ、断れず頷いた。
医師はオメガの頭を撫で帰っていった。
それから少ししてインターホンが鳴った。
医師がまた来たのかと相手を確認せず扉を開いた。
そこにいたのは兄だった。
オメガの顔を見るなり胸ぐらを掴んで殴ってきた。
喧嘩慣れした兄の拳にオメガは吹き飛び、廊下の壁に体をぶつけた。
兄は遠慮なく家に入り馬乗りになってオメガを殴り続けた。
この役立たずが、出来損ないはやっぱり出来損ないだ、このまま死ね。
兄が何を言っているのかわからず、けれどオメガは抵抗せず殴られ続けた。
抵抗すればもっと酷いことをされると知っているから。
口の中が血の味でいっぱいになった。
それでも兄の気が収まらないのかずっと殴り続けてくる。
痛みが次第に熱さに変わりぼんやりとしてくる。
突然重い兄の体が退いた。
すぐに鈍いドンッという音がした。
ここで何をしている、アルファの声にホッとした。
兄が何か言っている。
オメガがヘマをしたから取り引きをやめたのだろう、でなければ他に理由がないと。
だからこれは正当な制裁なのだと。
しかしアルファはそんな兄を力いっぱい殴った。
たった一発なのに兄は気を失った。
アルファはすぐに警察と救急車を呼んだ。
兄は警察に連れて行かれようとしたとき、そいつが他の男と逢い引きしてるから取引を打ち切ったのかと吠え続けた。
途端にそれまでオメガを気遣っていたアルファの目が剣呑になった。
違う、あの人は違う。
くぐもった声で言ってもアルファには伝わらなかった。
オメガはまたすぐに諦めた。
病院で手当して念の為一日入院することになったが、迎えにアルファは来なかった。
オメガは諦めて1人病院を出た。
アルファは苛立った。
結婚してから色々やりすぎて、オメガとどう接すればいいかわからずにいたが、ようやく最近穏やかな関係が築けているのではと思った矢先、家に帰ればオメガがその兄に殴られていた。
慌てて助けたが、取り引きの打ち切りをオメガのせいにしていた。
違う、結婚をしてから納品物の質が極端に下がったのが原因だ。
これでは会社の製品の品質に関わると何度もクレームを入れたのに聞き入れなかったのはオメガ父だ。
見限って当たり前のことなのに愚かだと容赦なく警察に引き渡した。
その時、オメガが他の男と逢い引きしてると知らされた。
どす黒い感情が一気に渦巻いた。
この子も自分から離れるのかと許せなくて病院と警察に説明をしてからふて寝した。
昔のことを思い出した、自分を可愛がってくれたオメガの家政婦。
男だったが料理上手で、飲食系の仕事に就きたくて頑張ったがオメガということでどこにも雇ってもらえなかったと洩らしていた。
けれどもアルファには優しい人だった。
中学になり部活が早く終わった日、帰ってみれば住み込みの彼の部屋で父が後ろから犯していた。
やめてくれ、そう言いながらも感じきった声を上げていた。
裏切られた、そう思った。
アルファは周囲に当たり散らした。
特に家政婦本人に。
宥めてこようとするのを罵倒した。
いつの間にかいなくなった。
それから広い屋敷にアルファ1人だけとなった。
食事は夕方配達される弁当ばかり。
家は学校に行っている間に定期的にクリーニングされたが、アルファは誰がやっていたか見たことはない。
気がつけば大学を卒業するまでそんな生活だった。
一人の時間、オメガ性に対する恨みだけが膨れ上がった。
肺炎から退院したオメガの顔を見て、驚いた。
オメガの顔が全く別人だったからだ。
今までアルファの目には、家政婦の顔になっていた、けれどオメガは可愛い顔をして頼りなさげにこちらを見つめていた。
どう接していいか分からず、けれど意識してしまう。
なぜこんなにも頭が雨がばかり考えてしまうのかわからない。
そんなもやもやを抱えていた時、他の男に会っていると教えられて苛立ちが募った。
オメガは何かを言っていたがわからなかった。
余計に腹が立った。
病院から今日退院だと伝えられたが待てど暮らせど帰ってこない。
慌てて病院に問い合わせれば昼には出たと言われるどういうことだとまたオメガの部屋を漁った。
アルファが整えた部屋に増えたのはたった一つだった。
NPOのパンフレット。
アルファはそこに走っていった。
そこであの家政婦を見つけた。
家政婦もすぐにアルファがわかった、だがすぐにその顔は怒りへと変わった。
お前たちアルファのせいで自分は散々な目に遭った。
父親にレイプされるわお前にものを投げられるわ、やっと見つけた仕事なのに躾けられないのかと母親に罵られて首を切られた。
アルファなんかと関わらなきゃよかった。
そう言われて沈黙した。
アルファ性なんかとひとくくりにされた事は自分がオメガ性にしていたのと同じことだ。
アルファは頭を下げた。
けれど家政婦は続けた。
そんなお前の家にオメガをいさせられない、可哀相だ、また物のように扱うんだろう、と。
初めてアルファはオメガへと向けている感情が何なのかわかった。
どうしてここまで走ってきたのかもわかった。
違う、そうじゃない、オメガを大事にしたいんだ。
初めて抱きしめたときの感触が腕に蘇った。
小さく細い体を震わせ蹲る存在を大切にしたい、自分の腕の中に閉じ込めたい、そう願っているのだと。
他の誰にも奪われたくないほど心を寄せてしまった。
家政婦はそれを聞いて、アルファの後ろを見て笑った、良かったなと。
振り返ればそこには白衣をまとった男とオメガがいた。
アルファは感情のままに白衣の男からオメガを引き剥がし抱きしめた。
白衣の男は微笑んでいるだけで何も言わない。
腕の中のオメガは戸惑っていた。
あちらこちらにガーゼを貼られた顔は驚いている。
医師(せんせい)これは……戸惑った声。
白衣の男はネックホルダーから名刺を抜いた。
心療内科医と記載されていた。
洗脳で不安定なオメガを気にしていたのは番である家政婦からオメガをあの家から助けて欲しいと請われたからだ。
この施設で二人は出会い、傷を癒やすとともに心を寄せ合ったという。
心配は必要なかったね。
医師は優しくそう言うといつものようにオメガの頭を撫でた。
アルファはすぐにその手を払い除けた。
自分のものに触るなと。
アルファ特有の独占欲をよく知っている白衣の男は苦笑した。
けれどオメガは目を白黒させて状況が呑み込めていない。
アルファはオメガをすぐに連れ帰った。
なぜすぐに帰らなかったと叱責すれば、公共交通機関に乗るお金がないと言われた。
夜勤明けの医師に送り届ける代わりにNPOの様子を見て感想を教えてくれと頼まれ、承諾した。
なぜ連絡しないそう責めれば、連絡先を知らないし電話もないと怯えられた。
すべて迎えに行かなかったアルファの失態だ。
またしても自分の殻にこもり相手の状況を慮れなかった。
すまない、謝るしかなかった。
オメガは慌てて遮ってすぐに帰らなかったことを謝ってくる。
謝らせたいわけじゃないのにと自分に腹が立つ。
大事にしたいんだ、アルファは胸の内を明かした。
自分がなぜオメガに辛く当たったのかを伝え、許されるのならずっと一緒にいて欲しいと嘆願した。
オメガは驚いてまた目を白黒させていた。
好きになったんだ、そう伝えれば戸惑い始めた。
発情しないなら妊娠できない欠陥品だからというがそんなことアルファには関係なかった、ただ一緒にいて欲しい、できればこの想いに答えて欲しいだけだと。
でも、とオメガは言い淀み自分の体を抱きしめた。
その傷ごと大事にさせて欲しい。
その夜、二人は初めて体を重ねた。
結婚して一年が経っていた。
三年後、起きたオメガはだるい腰を叩きながらキッチンに立つ朝食の用意をしようとフラフラキッチンを歩き回る。
今にも倒れそうだ。
Tシャツから覗く項にはくっきりとした噛み跡。
用意が終わり寝室へと向かう。
あれから二人は心療内科医のカウンセリングを受けた、それぞれにトラウマがありゆっくりと心を整理している。
オメガの実家の会社は倒産した。
主要取引先であるアルファの会社に見限られ立ち直る前に不況の波に飲み込まれてしまった。
兄も暴行で服役となり今はどうなっているかわからない。
オメガに連絡を取ろうにも元のマンションは引き払った後だ。
今はセキュリティが厳重なマンションで穏やかに暮らしている。
アルファを起こすとすぐに腰を抱かれた。
大丈夫か。
顔が赤らむ。
発情不全だったオメガは病院に通い先月初めての発情を迎えた。
すぐさま噛みつかれたのだ。
起きないと遅刻すると離れようとしても離してくれない。
また引っ越さないとな、アルファがそう言った。
なぜと問えばするりと腹を撫でられる。
昨夜あんなにしたから子供ができているだろうからもっと広いところに移らないとと言われ顔が真っ赤になる。
二度目の発情を迎えてまだ三日、初日よりも落ち着いているがそれでもアルファが欲しくなってしまう。
そんな自分を振り切りアルファを食卓に着かせる。
一緒に食事をするのが当たり前になった。
会社に行くアルファを玄関で見送る。
今日は早く帰る。
行ってらっしゃい、そう言いながらキスして扉が閉まるまで見送った。
おしまい
そのオメガと結婚したのも結婚を急かす周囲を黙らせるため、愛情はない。
家に置いてやるが好きにしていいが、妊娠はするな、そんなスタンス。
仕事に集中したいための偽装だ。
誓いのキスだって頬にしたくらいオメガは嫌いだった。
家業を大きくすることだけを考え、結婚してもオメガに目を向けることなく仕事に励んだ。
オメガはアルファの会社の下請けの社長の子。
力関係は圧倒的にアルファの会社のほうが上。
むしろなぜあの家の事結婚を?と周囲が驚いたくらいだ。
政略結婚ではなく見初めたのだろうと周囲は納得。
オメガもそんな扱いをされているのに、静かに家でアルファの帰りを待ち続ける。
洗濯をして掃除をして、買い物に行っては旬の食材でご飯を作りと甲斐甲斐しい。
しかしアルファは一度も料理に手を付けてはくれない。
それでも毎日毎日ご飯を作り続けた。
アルファにはそれが鬱陶しくて仕方ない。
オメガなど、性欲を満たせれば誰にでも足を開くような穢れた存在が作った飯など食えるわけないとゴミ箱に皿ごと捨てる。
オメガは寂しい笑顔を浮かべるだけで、どんな罵倒を受けても酷いことをされても、何も言わない。
人形のようなその姿に苛立ちは一層募る。
媚びてくると思っていたのに一定の距離から近づかないし、逆に近づけば逃げようとする。
毎日箸がつけられない食事がテーブルに残るのに何も言わない。
涙一つ浮かべない。
ただ寂しそうにするだけだ。
アルファはただひたすらオメガに苛立ちをぶつけるように辛く当たった。
泣いて許しを乞いて離婚を切り出せと思う。
なのにオメガは何も言ってこない。
そんなある日、会食でオメガの父と会う。
あれはどうしてますか、ちゃんとお相手していますか。
品のない事を訊ねてくる。
ベータの両親、しかも経営者の子として生まれたなら高慢で、相手にしなければ好きに遊ぶだろうと思っていたのに、オメガの父の口からは出来損ないのタダ飯食いがようやく役に立ったとばかりの言葉が連なる。
オメガ父もオメガに偏見があった。
アルファと縁ができたのは自分が優秀だからだと勘違いしていた。
適当に選んだだけ、とは口にしなかった。
だがオメガ父の口ぶりは不快さを抱かせる。
いつかアルファに嫁がせるために大事に育てたわけではないと知り、少しの罪悪感が芽生える。
なにせアルファもオメガに偏見しか抱いていなかったからだ。
家に帰ると珍しく家の中が暗かった。
リビングに行けばご飯が用意されているが一人分だけ。
流しにも食洗機にもオメガが使った食器はない。
見回せば、一人分の食器しか存在しなかった。
気になってオメガの部屋を覗いた。
冷たい部屋の中、床に直に敷いた布団に包まって咳を繰り返している。
部屋には暖房器具はなく、オメガが持ち込んだダンボールが数個重なっているのみ
他の家具など何もなかった。
アルファは愕然とした。
会社に行っている間に与えたクレジットカードで勝手に整えているものと思っていたからだ。
すぐさま近づけばオメガの呼吸音がおかしいのがわかって救急車を呼んだ。
オメガは風邪を拗らせ肺炎を起こしていた。
ひどく衰弱しているという。
もうずっと症状があったのになぜこんな酷くなるまで放っておいたのだと怒ってきたのは、アルファの友人でもある医師。
栄養失調もあると言われ、アルファのほうが驚いた。
何をしたと問い詰められ今までのことを話した。
お前まだあれを引きずっているのか。
言われて沈黙した。
アルファの両親は同じアルファ性で不仲だった。
家のために結婚し、互いに外に愛人を囲っていた。
アルファはいわゆる試験管ベイビーだった。
両親から愛情はもらえず、世話をしてくれたのは住み込みのオメガだ。
アルファは懐いた。
しかしそのオメガもまた父の愛人だった。
二人がしているところを見てしまったのだ。
ショックで随分と荒れ、オメガ嫌いになった。
アルファ相手なら誰にでも足を開く汚い存在と貶さなければ自分を保てないくらいに。
医師はそれを知っていた。
オメガに虐待の跡がある、そう医師が言った。
最近のものではないが酷い跡だと。
お前の妻が蔑まれていたとは考えたことはなかったのかと問われ、頭を金槌で殴られたような衝撃を受けた。
医師は言う、オメガが優遇される方が稀だ、ここに運び込まれるオメガの多くは虐待を受けている、劣等性というだけで意味もなく虐げられていると。
考えたこともなかった。
自分の不幸にばかり酔って他者がどうなのか考えたこともなかった。
オメガは回復するまで入院することになった。
アルファはオメガの荷物を確かめた。
ダンボールの中にあったのは僅かな服と数札の本、それだけだった。
クローゼットも見たがコートが一着かけられているだけ。
カードの使用履歴もスーパーの買い物だけ。
贅沢をした痕跡は何もない。
しかもアルファの物がなくなっていることもない。
アルファはリビングで呆然とした。
目を覚ましたオメガは病院にいるとわかると落ち込んだ。
アルファに迷惑をかけてしまった。
相手に負担をかけないよう過ごしてきたつもりだが病気をしてはまた何を言われるかと心が重くなるオメガはひたすら落ち込んだ。
点滴で栄養補給しなければならないほど、食事も喉を通らない。
バース診断が出た12歳からこの年になるまでずっと家族に虐げられたオメガ。
食卓には自分のご飯は出なくなり、何も食べさせてもらえない。
少しでもミスをすれば両親から折檻に合う日々だ。
兄もそんなオメガを嫌い同じ家にいることを許さない日もあった。
大きくなれたのは家政婦が家族の目を盗んでおにぎりを作ってくれたから。
それすらなかったら確実に死んでいただろう。
もう悲観するのにも疲れていた。
アルファの家は快適だった。
ご飯を食べてもらえないのは寂しいが、それも仕方ないと思った。
自分は劣等性だからお見舞いに来ないのも仕方ない。
けれど、回復して帰ったらどんな罰を受けるのだろうか、それが心配だった。
時折、医師がオメガの話を聞きにくる。
何を話していいかわからないが昔の話を聞かせてくれと言われて、ポロポロと話した。
医師は終始微笑んでいた。
蔑まれないことがほんの少しだけ嬉しかった。
退院の日になった。
正直もっといたいと思った。
誰にも冷たい目で見られたり嗤われないなんて初めてだったから。
けれど、退院はしなくてはいけない。
荷物なんて何一つないから退院の準備はあっという間に終わってしまった。
お金はどうしようか。
優しかった祖父母がわずかばかり譲ってくれたお金も結婚の際に兄に奪い取られてしまった。
オメガはナースステーションで分割の支払いにしてもらえないかと相談に行った。
しかし費用はすでに支払われているという。
驚くオメガは腕を掴まれた。
アルファだった。
帰るぞ。
そっけなく言うその後ろをトボトボと着いていった。
家に着くと、これから折檻が始まると身構えていたが、アルファはダイニングテーブルに着くよう言うだけだ。
所在なく座っているとアルファがキッチンに立った。
料理を作ろうとしてくれているらしいが悪戦苦闘している。
見かねて手伝おうとしても立つなときつく言う。
ようやく出てきたのは大きくてボロボロのおにぎりだった。
具の鮭ははみ出し海苔もいびつに巻かれてある。
オメガはひとくち食べた。
とてもしょっぱかった。
けれど美味しかった。
ぽろりと涙がこぼれてきた、どうしてかはわからない。
一口、また一口と食べていく。
それを見てアルファもようやくおにぎりに手を付けた。
しかしひとくち食べて固まり、トイレへと駆け込んだ。
訝しんでいると真っ青になったアルファが戻ってきておにぎりを奪った。
まずい、食うな。
美味しいと言ってもそれは流しに捨てられた。
オメガは悲しくて肩を落とした。
ばつが悪い顔でアルファはオメガの前に座ると頭を下げた。
不味いものを食わせて悪かった、料理がこんなに大変と知らず今まで捨てて悪かったと。
驚くオメガ。
アルファはすぐにテイクアウトの店に連絡し持ってきてもらう。
温かいスープにサンドイッチ、有名店のそれは美味しいはずなのに、オメガはあのおにぎりのほうが美味しいと思った。
半分でお腹いっぱいになると眠気が襲った。
まだ回復していない体力を痛感するが、寝たいとは言えず頑張って起きているとアルファは部屋へ行くよう促してくる。
久しぶりの自分の部屋、しかし全く別の部屋へと変わっていた。
ダンボールも布団もない。
代わりにベッドと本棚とおしゃれなテーブルが置かれている。
床にも毛の長いラグが。
オメガはただただ驚いた。
ゆっくり休め。
そう言うとアルファは扉を閉めた。
部屋はとても暖かかった。
それからオメガは変わらずアルファと生活をする。
どこかよそよそしく視線を合わせないが、食事を摂ってくれるようになった、安心した。
それだけで自分の存在価値ができたような気がした。
いつの間にか食器が総入れ替えしていて二人分になったのに驚いたが、相変わらず一人分だけ作っていると怒られた
それから夕飯は一緒に食べるようになった。
しかしそれだけでここにいていいのかわからない。
しかもオメガには言わなければならないことがあった。
ある日オメガは訊ねた、しなくていいのかと。
自分と結婚したのはそなためだろうと思ったからだ。
アルファは突然怒り出した、やっぱりお前らはすぐに足を開くと。
オメガには怒りの理由がわからなかった。
乱暴にキスをされた。
始まるのだ、オメガは下肢を出して壁に手をついた。
なぜ上を脱がないと服を掴まれた。
やめてくれ、オメガは必死で抵抗した。
力で敵うわけもない。
すぐにオメガは全裸にさせられた。
体を隠すようにうずくまったが、汚い跡は広範囲で隠せはしないそれは、両親に殴られた他に、兄や兄の友人から受けた暴行の跡だ。
古いものは10代前半からで、少し薄くなった程度、タバコを押し付けられたものも、新しいナイフの切れ味を試すと斬りつけられたものもある。
絶句するアルファから隠すように壁に背を押し付けて座った。
汚いのは誰よりもオメガが知っている。
それはどうした、アルファは震える声で訊ねてきた。
怒られると思ったオメガは恐怖に震えた、言わなければ殴られるかもしれない。
顔を腕で隠してオメガだからと答えた。
オメガだからこうされて当たり前だから、仕方ないと。
誰にされたと訊いてくる。
オメガは素直に答えた、そうすれば殴られる回数が減ると思ったからだ。
今まで何人に抱かれた。
冷たい声に震えながらわからないと答えた、本当にわからなかった。
代わる代わるやってくる兄の友人に犯されてきた、嫌だと言っても誰もやめてはくれなかった。
飽きるまで抱かれた。
親がいない日などは朝から晩までずっと誰ともわからない男たちに犯された。
でも、とオメガは言う。
きっと自分は妊娠しない、だって今まで発情したことがないから、オメガとしても出来損ないだからみんなこんなふうにするのだ。
泣きはしなかった。
当たり前のことだから。
諦めるのには慣れている、罵倒されるのも殴られるのも。
ただ本能でどうしても体を守ってしまうだけだ。
期待に添えられなくてごめんなさい、嫌なら離婚してくれて構わない。
離婚したらどうするんだ、アルファが訊く。
言葉につまりながらも、実家に帰るしかないと答えた。
それしか場所がない、逃げられない。
アルファが近づいた。
やっぱり殴られるんだ、でも当たり前だ。
発情しなければ子はできない、期待はずれだと思わせてしまったのだから。
アルファはそんなオメガを抱きしめた。
何も言わずただ抱きしめた。
オメガは戸惑った、こんなことをされるのはバース診断が出てから初めてだったから。
優しかった母も父も兄もあんなに酷いことをするのは自分がオメガだったからと、自分がいけないんだと思っていた。
ここにいればいい、すっといればいい。
アルファは絞り出すように言った。
でも発情しないなら子供ができない。
構わない、子供なんていなくてもいい。
それじゃオメガと結婚した意味がないのでは。
アルファは何も答えなかった。
オメガは戸惑ったがアルファの体温がすごく心地よくて、でも腕を回すのは怒られるかもしれないとできないけれど、その腕から離れたくないと思った。
それからしばらくして家に訪ねてくる人がいた。
オメガの話をずっと聞いてくれた医師だ。
本当は電話できればよかったがと言われ、携帯電話を持っていないことを謝った。
医師は自立支援を受けてみないかと言ってきた。
そういうNPOがあり、その気があるなら受け入れてもらえるとパンフレットをくれた。
そこには家族や番からの虐待を受けているならシェルターもあると書いてある。
驚いて医師を見れば変わらず微笑んでいる。
パンフレットのある部分を指差した。
そこには職業訓練と書かれてある。
その気があれば連絡してごらん。
医師が帰ったあと、オメガはパンフレットを隅から隅まで読んだ。
魅力的に感じた、もしアルファに離婚を言い渡されてもあの家に帰らなくていいと希望が持てた。
体験訓練もある。
申し込もうか悩み、オメガはそれを引き出しにしまった。
それから平日に何度も医師が訪ねて来るようになった。
様子を聞きに来たりNPOの事を話したり体験だけでもいい、オメガの意見を聞きたいからモニターになってみないかとも言われ、断れず頷いた。
医師はオメガの頭を撫で帰っていった。
それから少ししてインターホンが鳴った。
医師がまた来たのかと相手を確認せず扉を開いた。
そこにいたのは兄だった。
オメガの顔を見るなり胸ぐらを掴んで殴ってきた。
喧嘩慣れした兄の拳にオメガは吹き飛び、廊下の壁に体をぶつけた。
兄は遠慮なく家に入り馬乗りになってオメガを殴り続けた。
この役立たずが、出来損ないはやっぱり出来損ないだ、このまま死ね。
兄が何を言っているのかわからず、けれどオメガは抵抗せず殴られ続けた。
抵抗すればもっと酷いことをされると知っているから。
口の中が血の味でいっぱいになった。
それでも兄の気が収まらないのかずっと殴り続けてくる。
痛みが次第に熱さに変わりぼんやりとしてくる。
突然重い兄の体が退いた。
すぐに鈍いドンッという音がした。
ここで何をしている、アルファの声にホッとした。
兄が何か言っている。
オメガがヘマをしたから取り引きをやめたのだろう、でなければ他に理由がないと。
だからこれは正当な制裁なのだと。
しかしアルファはそんな兄を力いっぱい殴った。
たった一発なのに兄は気を失った。
アルファはすぐに警察と救急車を呼んだ。
兄は警察に連れて行かれようとしたとき、そいつが他の男と逢い引きしてるから取引を打ち切ったのかと吠え続けた。
途端にそれまでオメガを気遣っていたアルファの目が剣呑になった。
違う、あの人は違う。
くぐもった声で言ってもアルファには伝わらなかった。
オメガはまたすぐに諦めた。
病院で手当して念の為一日入院することになったが、迎えにアルファは来なかった。
オメガは諦めて1人病院を出た。
アルファは苛立った。
結婚してから色々やりすぎて、オメガとどう接すればいいかわからずにいたが、ようやく最近穏やかな関係が築けているのではと思った矢先、家に帰ればオメガがその兄に殴られていた。
慌てて助けたが、取り引きの打ち切りをオメガのせいにしていた。
違う、結婚をしてから納品物の質が極端に下がったのが原因だ。
これでは会社の製品の品質に関わると何度もクレームを入れたのに聞き入れなかったのはオメガ父だ。
見限って当たり前のことなのに愚かだと容赦なく警察に引き渡した。
その時、オメガが他の男と逢い引きしてると知らされた。
どす黒い感情が一気に渦巻いた。
この子も自分から離れるのかと許せなくて病院と警察に説明をしてからふて寝した。
昔のことを思い出した、自分を可愛がってくれたオメガの家政婦。
男だったが料理上手で、飲食系の仕事に就きたくて頑張ったがオメガということでどこにも雇ってもらえなかったと洩らしていた。
けれどもアルファには優しい人だった。
中学になり部活が早く終わった日、帰ってみれば住み込みの彼の部屋で父が後ろから犯していた。
やめてくれ、そう言いながらも感じきった声を上げていた。
裏切られた、そう思った。
アルファは周囲に当たり散らした。
特に家政婦本人に。
宥めてこようとするのを罵倒した。
いつの間にかいなくなった。
それから広い屋敷にアルファ1人だけとなった。
食事は夕方配達される弁当ばかり。
家は学校に行っている間に定期的にクリーニングされたが、アルファは誰がやっていたか見たことはない。
気がつけば大学を卒業するまでそんな生活だった。
一人の時間、オメガ性に対する恨みだけが膨れ上がった。
肺炎から退院したオメガの顔を見て、驚いた。
オメガの顔が全く別人だったからだ。
今までアルファの目には、家政婦の顔になっていた、けれどオメガは可愛い顔をして頼りなさげにこちらを見つめていた。
どう接していいか分からず、けれど意識してしまう。
なぜこんなにも頭が雨がばかり考えてしまうのかわからない。
そんなもやもやを抱えていた時、他の男に会っていると教えられて苛立ちが募った。
オメガは何かを言っていたがわからなかった。
余計に腹が立った。
病院から今日退院だと伝えられたが待てど暮らせど帰ってこない。
慌てて病院に問い合わせれば昼には出たと言われるどういうことだとまたオメガの部屋を漁った。
アルファが整えた部屋に増えたのはたった一つだった。
NPOのパンフレット。
アルファはそこに走っていった。
そこであの家政婦を見つけた。
家政婦もすぐにアルファがわかった、だがすぐにその顔は怒りへと変わった。
お前たちアルファのせいで自分は散々な目に遭った。
父親にレイプされるわお前にものを投げられるわ、やっと見つけた仕事なのに躾けられないのかと母親に罵られて首を切られた。
アルファなんかと関わらなきゃよかった。
そう言われて沈黙した。
アルファ性なんかとひとくくりにされた事は自分がオメガ性にしていたのと同じことだ。
アルファは頭を下げた。
けれど家政婦は続けた。
そんなお前の家にオメガをいさせられない、可哀相だ、また物のように扱うんだろう、と。
初めてアルファはオメガへと向けている感情が何なのかわかった。
どうしてここまで走ってきたのかもわかった。
違う、そうじゃない、オメガを大事にしたいんだ。
初めて抱きしめたときの感触が腕に蘇った。
小さく細い体を震わせ蹲る存在を大切にしたい、自分の腕の中に閉じ込めたい、そう願っているのだと。
他の誰にも奪われたくないほど心を寄せてしまった。
家政婦はそれを聞いて、アルファの後ろを見て笑った、良かったなと。
振り返ればそこには白衣をまとった男とオメガがいた。
アルファは感情のままに白衣の男からオメガを引き剥がし抱きしめた。
白衣の男は微笑んでいるだけで何も言わない。
腕の中のオメガは戸惑っていた。
あちらこちらにガーゼを貼られた顔は驚いている。
医師(せんせい)これは……戸惑った声。
白衣の男はネックホルダーから名刺を抜いた。
心療内科医と記載されていた。
洗脳で不安定なオメガを気にしていたのは番である家政婦からオメガをあの家から助けて欲しいと請われたからだ。
この施設で二人は出会い、傷を癒やすとともに心を寄せ合ったという。
心配は必要なかったね。
医師は優しくそう言うといつものようにオメガの頭を撫でた。
アルファはすぐにその手を払い除けた。
自分のものに触るなと。
アルファ特有の独占欲をよく知っている白衣の男は苦笑した。
けれどオメガは目を白黒させて状況が呑み込めていない。
アルファはオメガをすぐに連れ帰った。
なぜすぐに帰らなかったと叱責すれば、公共交通機関に乗るお金がないと言われた。
夜勤明けの医師に送り届ける代わりにNPOの様子を見て感想を教えてくれと頼まれ、承諾した。
なぜ連絡しないそう責めれば、連絡先を知らないし電話もないと怯えられた。
すべて迎えに行かなかったアルファの失態だ。
またしても自分の殻にこもり相手の状況を慮れなかった。
すまない、謝るしかなかった。
オメガは慌てて遮ってすぐに帰らなかったことを謝ってくる。
謝らせたいわけじゃないのにと自分に腹が立つ。
大事にしたいんだ、アルファは胸の内を明かした。
自分がなぜオメガに辛く当たったのかを伝え、許されるのならずっと一緒にいて欲しいと嘆願した。
オメガは驚いてまた目を白黒させていた。
好きになったんだ、そう伝えれば戸惑い始めた。
発情しないなら妊娠できない欠陥品だからというがそんなことアルファには関係なかった、ただ一緒にいて欲しい、できればこの想いに答えて欲しいだけだと。
でも、とオメガは言い淀み自分の体を抱きしめた。
その傷ごと大事にさせて欲しい。
その夜、二人は初めて体を重ねた。
結婚して一年が経っていた。
三年後、起きたオメガはだるい腰を叩きながらキッチンに立つ朝食の用意をしようとフラフラキッチンを歩き回る。
今にも倒れそうだ。
Tシャツから覗く項にはくっきりとした噛み跡。
用意が終わり寝室へと向かう。
あれから二人は心療内科医のカウンセリングを受けた、それぞれにトラウマがありゆっくりと心を整理している。
オメガの実家の会社は倒産した。
主要取引先であるアルファの会社に見限られ立ち直る前に不況の波に飲み込まれてしまった。
兄も暴行で服役となり今はどうなっているかわからない。
オメガに連絡を取ろうにも元のマンションは引き払った後だ。
今はセキュリティが厳重なマンションで穏やかに暮らしている。
アルファを起こすとすぐに腰を抱かれた。
大丈夫か。
顔が赤らむ。
発情不全だったオメガは病院に通い先月初めての発情を迎えた。
すぐさま噛みつかれたのだ。
起きないと遅刻すると離れようとしても離してくれない。
また引っ越さないとな、アルファがそう言った。
なぜと問えばするりと腹を撫でられる。
昨夜あんなにしたから子供ができているだろうからもっと広いところに移らないとと言われ顔が真っ赤になる。
二度目の発情を迎えてまだ三日、初日よりも落ち着いているがそれでもアルファが欲しくなってしまう。
そんな自分を振り切りアルファを食卓に着かせる。
一緒に食事をするのが当たり前になった。
会社に行くアルファを玄関で見送る。
今日は早く帰る。
行ってらっしゃい、そう言いながらキスして扉が閉まるまで見送った。
おしまい
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