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 自分の桐生に対する気持ちが全く分からないのだと、実際あったエピソードを交えて話していく。

 酔った玄を無理矢理ビッチングした桐生に、どうしても心が追い付かないと敢えてぼかしながら、だが。

「それって変だよ」

 話を聞いた碧の第一声がそれだった。

「何が変なんだ」

「だって医師せんせいが言ってたよ。ビッチングってする方もされる方も、両方が相手を好きじゃなかったらできないって。簡単なことじゃないから実際の件数が少ないんだって。ただセックスして皆なっちゃったらもっとオメガの数が増えてるってことでしょ?」

「セックスって碧っ!」

「それくらい僕だって知ってる。話を逸らさないで。桐生さんは20年も玄兄さんが好きだったからそりゃ想いが強いのわかるけど、玄兄さんも桐生さんが好きだったから、オメガになっちゃったんでしょ。嫌いだったらならないし、子供もできないよ」

 なぜそこで断言するのだ。自分はあくまでも桐生を『認めていた』だけなのに。

「桐生さんが玄兄さんのことを大好きで、玄兄さんも桐生さんのことが好きだから、ここに赤ちゃんがいるんでしょ? 悩むことなんてないと僕思うんだけど」

 ここ、と優しく玄の腹部に触れる。その温かさに反応したのか、胎児が嬉しそうに暴れはじめた。まるで内側から碧の論を肯定するように。

「あ、動いた。赤ちゃんも分かっているんだね、玄兄さんの気持ちが。分かってないの、玄兄さんだけなんだね」

「…………私が桐生を好き?」

「うん、玄兄さんは桐生さんが大好きなんだよ。だからオメガになったし、赤ちゃんも来てくれたんだね」

 良かったねと天使のような微笑を向けられ、たじろいだ。

「だが、もし私が桐生を好きなら、碧の見合い相手に推挙などしないだろう。認めてはいるが好きでは……」

「んー、それは玄兄さんはアルファで、桐生さんもアルファだからでしょ。アルファの男同士じゃ結婚できないって玄兄さんが思い込んでいたから、一生懸命好きな気持ちを別のものだと思い込んでいたんじゃないかな?」

「そんな……」

「玄兄さんがどんなに気持ちを捻じ曲げて歪ませても、結果は出てるよ」

 その一言に、玄は言葉が出なかった。

 結果、自分はオメガになったし、妊娠もして今胎内で子供は大きくなっている。その事実は歪めようもない。

「私が……桐生を、好き?」

「そう。玄兄さんは桐生さんが大好きなんだよ。大好きだけど諦めないといけないから、だったら好きな桐生さんが可愛がっている弟の旦那さんになったらいいなって思ったんでしょ。そしたら桐生さんとちょっと遠いけど家族になれるからね。桐生さんって格好いいもんね。でも僕はやっぱり一輝さんが一番だな……だって一輝さんは優しくて穏やかで、いつも僕のこと大好きって言ってくれて、僕がどうしたら楽しめるか考えてくれるんだ。絵画だって僕が好きだからって一緒に美術館巡りをしてくれて。オメガだから結婚したんじゃなくて、僕のことが好きだから結婚したって言ってくれるし、すぐに子供作らないで二人の時間を楽しもうって……あ、また一輝さんの話になっちゃった」

 ついつい大好きな夫の話になってしまう自分に気付いた碧は、えへへと苦笑しながら紅くなった頬を押さえた。

「うん、だからね。玄兄さん安心して、桐生さんと玄兄さんは両想いだよ。ただ予測してないことが起こって、玄兄さんパニックになっちゃっただけで……でも玄兄さんの性格からしたら、アルファのまま告白されても受け入れないから、ちょっと強引だけど桐生さんのやり方が正しかったのかも」

「あんな無理矢理が正しいはずがないっ!」

「うん、そうだけど……じゃあ、好きだから付き合おうって言われたらどうしてた?」

「断るに決まってる!」

「どうして?」

「私はアルファとして菅原製薬を大きくさせ従業員の生活を守る義務がある!」

「やっぱり、それが玄兄さんの気持ちを邪魔させたんだね」

「うっ……」

「大丈夫だよ玄兄さん。菅原製薬だったら僕の子のどちらかが跡を継ぐから。二人ともアルファじゃなかったら、アルファの子が生まれてくるまで僕がいっぱい産むから。だから玄兄さんは従業員の幸せよりも自分の幸せを考えて」

「ぁ………」

 呪縛、されていたのだろうか。

 菅原製薬の長男として、それに見合うバースを持って生まれてきたからにはと構えていたのだろうか。優秀であることを常とし、自らを鎖で縛り付けていただけなのだろうか。

 もし大手製薬会社の跡取りではなくアルファでもなければ、こんなにも頑なになっていないのだろうか。

 そう、玄は頑なにそれを手放そうとしないだけだったのかもしれない。己のアイデンティティだったから。必死でしがみついてそれに見合う自分であろうとした。だから経営についても必死で学んだ。

 ifもしもは存在しない。今ある最善を尽くすしかない、例え最悪な状況もなかったことにはならないからこそ、その中で最善の対策を打つ。

 それが経営者に求められていることだ。

 結果を見て認め、過去をいつまでも嘆かない。その時間があれば今をもっとより良いものにするための対策を練ることに時間を費やせ。

 今玄が置かれている状況はまさにそれだ。いつの間にか自分は過去を振り返っては嘆いて、否定して、己の感情すらも肯定する勇気を持てないでいた。

(お前はそれが悲しかったのか?)

 そっと腹部の膨らみに触れる。初めて、胎児に目を向けたそんな気分だ。

 玄の動きに気付いた碧は慈しみの眼差しでその隣に手を置く。

「この子もちゃんとわかっているよ。桐生さんと玄兄さんが両想いだから自分がここにいるんだって」

『パパとママはちゃんと愛し合っている。大丈夫。だから元気に生まれてきなさい』

 碧の言葉と重なるように記憶の中の慈しみを込めた桐生の声が頭にこだまする。

「玄兄さんは桐生さんにいっぱい愛されてるんだから、自信をもって元気に赤ちゃんを産むことに集中すればいいんだよ」

 そう、なのだろうか。

 桐生に愛されている、それは嫌と言うほど分かっている。鬱陶しいほどにまとわりつき、縋ってきて、玄が言葉にしないことまで先を読んであれこれと世話を焼いては、とても幸せそうに笑っている。きっとこれが、愛されているということなのだろう。ここまで目に見えてわかるほど愛されているから自分は次第に傲慢になっていったのか。己の感情にも気付かないまま。

「でも玄兄さんは優秀だから、菅原製薬のことも自分の幸せも、両方手に入れられるんじゃないかな? なにも諦めなくていいと思うよ」

「あき、らめる?」

「あれ、違うの? どっちかを諦めないとできないって思ったから自分の幸せを諦めたんでしょ? 僕のお兄さんは優秀過ぎるくらい優秀だから、オメガになったくらいでどっちかを諦めなくちゃならないってことはないと思うんだ」

 あの場にいなかったのに、なぜ碧は母と同じことを口にするのだ。オメガになったと悲観している玄に、お前はそんな無能じゃないとあっさり言い放ち、キリュウ・コーポレーションの掌握を焚きつけて。

「私は優秀か?」

「うん、僕のお兄さんは誰よりも優秀だよ。だから自分の幸せも従業員の幸せもきっと掴めるよ」

「…………そうか」

 固かった玄の表情が和らいだ。初めて、慈しみを込めて腹部をゆっくりと撫でていく。一度は収まった動きがまた大きくなり、まるで自分がそこにいることを主張しているようだ。

「ところで、桐生さんの写真ってあるかな?」

「写真?」

「うん、結婚のお祝いに絵を描こうと思って。僕、人物画が苦手だから写真が手元にないと上手く描けないんだ。玄兄さんは桐生さんの写真持ってる?」

「……持ってはいない。だが後で桐生に届けるように言っておく」

「うん、分かった! それとね、約束の後一枚の絵はどうしよう……」

「後一枚? なんだそれは」

「『静謐』っていうね、玄兄さんの肖像画を桐生さんのために新しく描き下ろす約束をしたんだ。今ある『静謐』は玄兄さんの誕生日にプレゼントする予定だから。でも二人が結婚したから同じ絵が二枚あっても困るかなと思って……その代わり玄兄さんと桐生さん二人の絵を描こうって思ってるんだ、け……ど………」

 次第に険しくなる玄の顔に、碧の言葉が尻すぼみになっていく。

「私の肖像画だと? あいつ勝手なことを……」

「僕、もしかしていらないこと言っちゃった?」

「いや、碧は悪くない。教えてくれてありがとう。あとは私と桐生の問題だ」

 だが険しいままの顔である玄に、碧は心の中で深く桐生に詫びながら、「どうしよう、助けて一輝さん……」と今にも泣きそうになる。

 後日、碧のもとに自分の写真を届けに来た桐生の顔に青あざを見つけてどうしようもなく申し訳ない気持ちになるのだが、一輝に「夫婦のことは外部の人間が口を挟んじゃだめだよ」と窘められ、慰められ、謝罪の気持ちを込めて精いっぱい二人のために最高の絵を描こうと心に誓うのであった。
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