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 自分は何も割り切っていなかった。

 だがオリヴィアのように桐生に親しく接することができるかと自問すれば、否だ。そんな女々しいことできるはずがない。誰かに迎合するなど玄の超高層タワーよりもひたすら高いプライドが邪魔をする。

 自分がどうしたいのか分からないまま、「if」ばかりを考えはじめ不安になる。だからといって自分のスタンスも変えることができない。

 今だって、もう帰ると思いながらも桐生が追いかけてくるのではないかと歩調がゆっくりになる。

 追いかけて欲しいのかそれともつれなくしたいのか、自分でもわからない。悶々としながら出口へ向かって歩き続けた。もう少しでエレベータホールというところでようやく桐生が自分を見つけ、慌てて走ってくるのを感じ取る。

「玄、どこにいくつもりだ」

 探し回ったのだろう弾んだ息の合間に紡がれた言葉に、心の奥が少し温かくなる。

「もう帰る」

「体調がよくないのか? なら上の部屋でゆっくり過ごそう」

「部屋?」

「玄が体調を崩した時のために一部屋押さえておいたんだ。さあ、行こう」

 桐生はオリヴィアのことを口にせず、何事もなかったかのように玄の腰を抱き上階へ向かうエレベータに乗り込む。高速さを感じさせない有能なエレベータはすぐさま目的階に到着するとフワリと停まりチーンと軽やかな音を出して扉を開いた。

 宿泊フロアだと一目でわかる静けさだ。毛の長い絨毯が足音を完全に消してくれる。桐生は慣れた仕草でその中の一室へと玄を案内し扉を開けた。

「玄、ソファに座ろう。何も食べていないからルームサービスを取ろう」

 無理矢理ソファに座らせ棚から出したブランケットを掛けると、急いでルームサービスのメニュー表を持ってくる甲斐甲斐しさを見せる。彼女に見せていた冷たい眼差しではなく、どこまでも自分を気遣う優しい眼差しにホッとすると同時に苛立ちが募る。

 どうしてだろう、桐生に対してこんなに苛立つのは。普通ならここまで甲斐甲斐しく世話をしてきて愛を囁かれたら悪い気はしないはずだ。むしろ次第に好意を寄せていくものだろう、例え以前は興味がなかったとしても。

「つわりも随分と収まったから、少しは栄養の付くものにしようか」

 玄が好きな和食ならこんなのがあると見ればわかるものをわざわざ口にする。そこにはオリヴィアに見せた傲慢な態度はどこにもない。

 さっき離れた時にはあれほどまでに押し寄せていた不安が一瞬にして凪ぎ鎮まっていく。代わりに優越感が玄の指先にまで広がっていく。

(こいつと居てはだめだ……)

 玄は冷静に自分の感情を見つめ始めた。冷静沈着で俊敏であろうとする自分が崩される。傍にいれば感情が振り回され、自分が自分でなくなってしまう恐怖が芽生え始める。気付かないうちに傲慢になったり、離れることに寂しさを覚えたり。知りたくなかった嫉妬という感情を植え付けてきたりと、桐生が隣にいるだけで玄は理想とする自分の姿だけでなく今までの自分までも保てなくなる。

 だからこそ、怖いのだ。

 融通が利かないと言われようが、玄は自分が目標とするものへと向かうことで様々なことから目を瞑ることができたし泰然とした態度を取ることができた。それが崩されるのが、ただただ怖いのだ。

(逃げるしかないのか……)

 退去するしかないのが一番情けないし、その情けない手法がすぐに頭に浮かぶほど初めて感じる感情たちに恐怖を覚えている。

(けれど……)

 本心を見据えようと桐生を見つめ、そのむこうにある自分の心と向き合う。

 桐生と離れたいのか。そうは思わない、一緒にいても苦痛ではない。

 では一緒にいたいのか。居てもいい。実家にいるころに比べれば鬱陶しいことこの上ないが、不快には感じない。

 桐生に対して特別な想いがあるか。碧へ向ける想いに比べたら大したことはない。だが家族以外の人間の中ではもしかしたら一番気に入った人間なのかもしれない。なぜなら、友人と呼べるような親しい人間を作ってこなかった玄にとって、彼だけがずっと傍にいようとしてくれていたのだから。

 そう、桐生だけだ。

 学生時代からずっと自分を熱く見ていたのは。

 社会に出てからも、折々で連絡を寄越してはこちらの近況を聞いてきて絶えず連絡を取り合ってきたただ一人の人だ。仕事でどうしてもという場面でなければ、学生時代の同級生が玄と話そうとはしないだろう。もっと気の合う友人がたくさんいるはずだし、それは桐生も同じだろう。だが、なぜか桐生はずっと玄を見てくる。そう、彼の言葉を借りれば20年も想い続けてくれていたのだ。

 20年、その重みは玄にはよくわからなかった。

 出会ってからずっと同じ人を想い続けられるのだろうか、人間というのは。

 恋愛をしたことがないうえに、家族以外の人間に興味がなかった玄には、それがどれほど凄いことなのかわからない。しかしよく考えれば、碧が生まれて結婚した期間よりも長いのだ。普通の精神ではありえないだろう。

 見つめていた桐生の顔がゆっくりと近づいてくる。そして頭をフル回転させている玄に唇を合わせてくる。桐生の厚い唇の感触が甘く玄の思考を痺れさせる。

「んっ! 何をする!」

「いや玄が熱く見つめてくるからこういうことがしたいのかと思って」

「そんなわけないだろっ、何を考えているんだ」

「いや、その……そろそろしたくなるころなんじゃないかと……」

「貴様は下半身だけで生きすぎなんだ! 大体彼女に対してなんだあの態度はっ」

「あれはその……割り切った関係だと思ったんだ、恋人でもないし……私がずっと想い続けていたのは玄だけなんだ! それだけは信じてくれっ!」

「うるさい、節操のない下半身を私に近づけるな!」

「過去のことを言われれば申し訳ないとしか言いようがないが、でもこれからは玄にだけだから! これは玄専用品だから大事にしてやってくれ!」

「うるさいっ、さっさと使い物になるようにしろ!」

「すぐにでも!」

 全然甘い雰囲気など微塵もないはずなのに、なぜか桐生は妙に嬉しそうに所謂お姫様抱っこで玄を抱き上げると、ベッドへと向かった。恭しく靴と試作品でもあるスーツを丁寧に脱がしていく。まるで王様に傅く家来のようだ。

(いや、じゃないのだろうか……)

 アルファであるのにこんな風に誰かに傅くのは。しかも誰よりも甲斐甲斐しく玄の面倒を見て、その見返りなど全くないというのになぜそこまで見るに堪えない蕩けた顔ができるのか、全く理解できない。

 破れやすい金箔を扱うような丁寧さで着衣を一枚一枚脱がしていきブリーフだけにすると、玄のお腹に負担がかからないように横から抱きしめねっとりとしたキスを始めた。

「っ……ぁ」

 舌を絡ませるキスにはもう慣れた。口内を縦横無尽に舐め尽くされるのも。

 身体は優しく抱きながら、どこまでも濃厚で淫らなキスをし続けてくる桐生に、玄の分身も反応し始める。

 舌の裏をくすぐるように舐められて思わず吐息のような声を漏らす。こんなキスをどれくらい彼としただろうか。執拗に舐られながら指がブリーフの上から分身をくすぐってくる。玄がどこを弄られれば感じるかをよく知っている節張った指が、くびれと裏筋を集中的に攻めてきてすぐさま玄をその気にさせる。

「ぅっ……んん」

 唾液で濡れた唇の間を甘い声が零れ落ちていく。

「玄のここ、大きくなってきたね。口で可愛がられたい? 好きだろうフェラされるの」

 吐息の合間に囁かれる淫らな内容が頭に届く前に身体が反応する。桐生の口で愛された時の興奮を思い出し、すぐにでもしてもらいたくなって勝手に腰が揺らめいてしまう。そうなればもう、己の身体だというのに玄の言うことを聞かなくなる。早くあの熱い口内で扱かれたいと勝手に足は開き、思考もどんどんとぼんやりとしてしまう。

「言って、玄。好き?」

「……す…きだ……」

「して欲しい?」

「んっ……ぁ……しろ、はやくぅ」

「仰せのままに」

 玄からの了解を得た桐生は嬉しそうにキスを一つ残すと、未だ布に包まれたままの分身へと顔を埋める。

「ぁっ」

 布の上から唇で噛まれ、玄の腰が跳ねる。じわりじわりと白いブリーフの上から受ける愛撫はいつも以上に玄を興奮させ、もどかしさに喘ぎながらもっととねだってしまう。桐生もそれを知っていてやっているようで、玄がねだってねだって、分身を固くしながら蜜を零して堪えられなくなるタイミングを待ってから下着を抜き取る。下着から解放されて跳ねるのをこの上なく愛おしそうに見つめるのを知っていて、でも玄は抵抗できず桐生の為すがままにする。

 性技にまだ乏しい玄よりも経験値が豊富で場数をこなしている桐生の愛撫は巧みすぎて、抗うことができないままずぶずぶに溺れてしまうから。嫌だと拒んでも自分からねだるまで焦らされ続け、そして欲した以上の快楽を与えられては抵抗などできるはずがない。
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