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思わず玄の腰を抱く手に力を籠め少しだけ抱き寄せる。これから、美しいマタニティスーツを身に着けた玄を会場の人々に見せつけながら、必要な挨拶をしなければならない。当然、玄を同伴して。
桐生はそれを玄の耳元に囁き、次に挨拶する人の元へとエスコートする。玄も心得ているのか、氷の視線ではなくビジネスモードで相手に対応する。
そうして小一時間ほど玄を連れ回し挨拶をした桐生は彼を休ませるべく、壁に置かれた椅子へと誘導した。
「今飲み物と食事を持ってくるからここで待っていて、玄。決して動いてはいけないよ」
「分かっている」
一瞬だけ、いつもの無表情が現れるのを目にし、桐生は大慌てで玄が口にするものを取りに行く。妊娠してからさっぱりしたものが好きだという玄のために、和食を中心とした料理を皿に盛りつけ、ソフトドリンクを手に席に戻る。だが、まもなく玄に辿り着くという桐生の前に思いがけない人物が現れた。
すでにキリュウ・コーポレーションのニューヨーク支社で自分の秘書を務めていたオリヴィアだ。
異動前に解雇し日本にいるはずがない彼女がなぜここにいるのかと訝しみながら、自然と眉間にシワを寄せる。
『ボスのパーティのパートナーは私でしょう。声をかけてくださらなかったから慌てて駆けつけたわよ』
一般的に美しい部類に入るだろう顔は自信に満ち溢れ、場にそぐわないほどの煌びやかな衣装を見せつけてくる。これは以前、日本大使館に招かれた時に彼女に買い与えたものだ。パートナーがみっともない格好をするのは恥ずかしいと随分と奮発したのを覚えている。当然、会社の経費で落としたのだがら桐生からのプレゼントではないが、彼女がそれを身に着けてきたということは桐生が私的に贈ったと勘違いしているのだろう。まるでこのドレスを身に着けている自分にこそ桐生の隣に立つ資格があると勘違いしている。
誰だ、この愚かな女を入れたのは。
桐生は一息つくと、彼女の存在そのものをオミットした。
こんな女は存在しない。自分と玄の間には誰もいないと思い込みまた歩き出そうとするのを、オリヴィアが慌てて止めようとする。
『ボス、なぜ私を見てくれないの。日本に帰ってから冷たいわ。いつ呼び寄せてくれるのかと待っていたのに』
未だにハーレクイン妄想から抜けきっていないようだ。それとも自分がいいように扱われた事実を認めたくないのか、必死で縋ってこようとする。グラスを持っている腕を掴まれ、持っていたソフトドリンクが零れる。
『キャァッ! せっかくボスが贈ってくれたドレスが……』
いや、経費で買ったものだと喉まで出かかって、だがオミットを決め込んだので声を出さないようにする。普通はそれで気付くのに、オリヴィアはしつこく話しかけてくる。自分がいかに桐生にふさわしいのかを熱弁してくる。そしてどうして自分をないがしろにしたのかと言外に攻めてくるのだ。
面倒な女を相手にした。
都合のいい扱いをしたのは認める。玄に思いを馳せながら下半身の処理に使ったのは否めないが、いい大人の関係と割り切れないのは彼女がベータだからか、それとも夢を見てそれが現実だと思い込んでいるのか。後者なら腕のいいメンタルクリニックを紹介するから早く離れろと叫び出したい。
だがこんなみっともない場面を玄には見られたくはなかった。
桐生は低い声で「Get out of my way(どけ)!」と彼女にだけ聞こえる音量で威嚇する。今桐生からはすさまじく凶悪なオーラが登り詰めているが、ベータには感じ取られないだろうけどオリヴィアは一瞬身体を強張らせた。こんなにも感情を剥き出しにした桐生を見たことがなかっただろう。常に紳士然とした振る舞いしか見ていなかった彼女に殺さんばかりの目を向ける。
「どうしたんだ」
間に入ってきたのは、玄だった。その姿を見て一瞬にして桐生は開け放しにしていたオーラを引っ込める。
「なんでもない、君のためにジュースが零れてしまった。新しいのを持って来よう。玄も一緒にどうだい」
早くこんな女の側から玄を離さなくてはとグラスと皿を片手で持ち、玄の腰を抱こうとするのをするりと躱される。そして玄はとても紳士的にオリヴィアに向き合った。彼女に自己紹介をする。だが日本語を全く理解していないオリヴィアの反応は薄い。そうと分かると玄はすぐに英語に切り替えた。
『綺麗なお嬢さん、大変困っているようですがいかがなさいましたか?』
いかにも日本人という顔の玄から飛び出したのが、流ちょうなクイーンズイングリッシュだったことにたじろぎながら、だが気丈なオリヴィアは話の通じない桐生よりも玄に助けを求めるように現状を訴えた。
『私はアツシゲの恋人よ。日本に行ってから全く連絡をくれなくて、心配になってきたのに何も話してくれないの』
『そうだったんですか、それは心細かったでしょう。こんなにも綺麗な人を一人にしておくなんて酷い人ですね、篤繁は』
「ちがっ! 私の恋人は!」
『そうなの。どんなに話しかけても私を見てくれなくて……とても悲しいわ』
「恋人だったことなど一度もない!」
『きっと久しぶりに会った貴方がとても美しくて声が出なかったのでしょう。どこか二人で話せるところに行ってはどうですか、ねぇ篤繁』
ちらりとこちらを見た玄の眼差しが、今までにないほどの棘をはらんでいる。まるで氷の刃を向けられているようだ。無意識に冷たい汗が背中を流れる。
『スタッフに空いている部屋がないかを聞きましょう。そこでゆっくり話せばいい』
『ありがとう、貴方の親切は忘れないわ』
玄はスタッフを呼びつけるとスマートな仕草で空いている部屋を訊ねる。すぐにスタッフが普段は結婚式の新婦の待機部屋になっている部屋が空いていると言い出した。
(なんでこうなるんだ……)
案内しようとするスタッフの後についてオリヴィアが動き始めたが、桐生はガシッと玄の腰を抱いた。
「この手はなんだ?」
「玄も一緒に行こう。ほら、誤解を解かないと……」
「なんの誤解だ? 貴様の恋人だろう、どうにかしてこい」
「そんな玄……駄目だ君が一緒に来てくれないのならあの女と話すことはなにもない」
「……自分の尻ぐらい自分で拭け」
「嫌だっ玄が一緒でないならあんな女放り出してやる」
「ちっ」
珍しく舌打ちをしながら忌々しそうな表情をする玄を放ってなど行けない。このまま別室に一人で移動したなら二度と玄に会えない、そんな予感しかしない。死んでも離さないぞと必死で抱き着いていると、諦めた玄はゆっくりとした足取りで彼女の後を追った。
「あ……もしかしてお腹が張ってる?」
ストレスは妊夫には大敵だ。張りの中には流産や早産につながるようなものがあるらしいし、休んですぐによくなるものもある。どちらかを見極めるためには、休ませて収まるかどうかを妊婦に確認する必要がある。今日のように長い時間立ったままでは玄の身体にだって影響しているだろう。
(なんでこんな時に……)
こんな面倒なことが起こるんだ。
己が蒔いた種だと言われればそれまでだが、それでもタイミングの悪さを呪わずにはいられない。
玄が部屋に入り、早々に自分は部外者だというように隅に置かれた椅子に腰かけた。体調がよくないのだろうと桐生も隣に座ろうとして、思い切りケツを蹴られる。
なにがどうあっても二人で話し合えというのか……。話すことなど何もないのに。
仕方なく桐生はオリヴィアに向き合った。尊大な態度で。
『ボスはどうしてそんな冷たい態度を取るの? わざわざ私が日本に来たのに』
『オリヴィア、なにか勘違いしているようだが、君とは恋人ではなかったと記憶しているが』
『嘘よ、だってベッドであんなに激しく愛し合ったじゃない』
『私は一度でも君に愛していると告げたかい?』
『それは……けれど言葉ではなく身体で何度も愛を語ってくれたわ。それに私たち身体の相性も良かったじゃない』
『思い込みだ。君は優秀な暇つぶしの相手だった。それには感謝しているがそれ以上の存在ではない』
『ひどい……酷すぎるわっ!』
ニューヨーカーならセックスが必ずしも恋愛ありきではないことくらい分かっているだろう。一瞬の暇つぶし、一時の夜の相手。そこで相性が良くて条件が良ければ次のステップに上がれるのだ。だからそのままセックスだけする関係の男女などたくさんいるし、上流階級を相手にするならむしろ一夜の相手など当たり前だ。そんなルールが徹底しているから、桐生は当然のように遊んだだけとオリヴィアに示していく。
『君だって分かっていてベッドに入ってきたのだろう』
始まりはオリヴィアが全裸でベッドに入ってきたからで、据え膳を拒むのは相手に失礼だと抱いたまでだ。本当はこんな会話を玄に聞かれたくない。心に誓った相手は玄以外いないのに……。
『君が自分の性処理に私を使っただけの話だ。それ以上ではないだろう』
『そんなっ』
オリヴィアが顔を両手で覆いながら泣き崩れるかのようにその場にしゃがみ込んだ。
芝居が込んでいる。
このまま放っておいて会場に戻ろうと踵を返した桐生は、立ち上がり彼女の背中をそっとさする玄の姿に度肝を抜いた。なぜそこでその女に優しくするんだ、自分には一ミリだって優しくしてくれたことがないのに。
『泣かないで、レディ。貴女には涙は似合わない』
『けれど……』
『こんな男のために人生を棒に振ってはもったいない。綺麗な女性は笑顔で輝いていなければ』
優しい玄の言葉にオリヴィアが顔を上げる。そしてしっかりと初めて玄を見つめた。眼鏡をかけた玄は、まさにインテリそのもので怜悧な眼差しがクールガイにしか映らないのだろう。オリヴィアの顔が恋する女の物へと変わっていく。玄自身は意識してやっていないのが腹立たしい。
なぜそれを自分に向けてくれないのか!
そんな態度を取られたら桐生だってすぐに彼をベッドに押し倒して、愛を叫びながら激しく抱くのにっ!
「玄っ!」
彼が自分のものだと主張するために近寄った桐生はそのまま玄に殴られた。
『こんなどうしようもない男よりもあなたを大切にする男性はいくらでもいますよ。さあ泣かないでレディ、運命の相手を探すためにパーティに戻りましょう』
「玄……それはないだろう……」
いくらなんでも殴ることないじゃないか……。
桐生はしくしくと泣き崩れるが、気にも留めてもらえない。むしろ足蹴にされ転がされる。
オリヴィアはそんなみっともない桐生を目にして、すとんと夢から冷めたような表情になった。今まで自分が追いかけてきたのがこんなにもみっともない男だったのかと愕然とした表情だ。
『女性に恥をかかせるな、みっともないぞ篤繁。しかも泣かせるなんて言語道断だ』
「誤解だ! 私が一番大事にしているのは君だけなんだ」
『みっともないぞ篤繁。さあレディ、こんな男なんて忘れて、新しい夢を追いかけましょう』
『ええ、ゲン』
『ぜひ私にエスコートさせてください』
『嬉しいわ』
手を取り合って二人が部屋から出ていくのをその足に縋ろうとして失敗する桐生だった。
桐生はそれを玄の耳元に囁き、次に挨拶する人の元へとエスコートする。玄も心得ているのか、氷の視線ではなくビジネスモードで相手に対応する。
そうして小一時間ほど玄を連れ回し挨拶をした桐生は彼を休ませるべく、壁に置かれた椅子へと誘導した。
「今飲み物と食事を持ってくるからここで待っていて、玄。決して動いてはいけないよ」
「分かっている」
一瞬だけ、いつもの無表情が現れるのを目にし、桐生は大慌てで玄が口にするものを取りに行く。妊娠してからさっぱりしたものが好きだという玄のために、和食を中心とした料理を皿に盛りつけ、ソフトドリンクを手に席に戻る。だが、まもなく玄に辿り着くという桐生の前に思いがけない人物が現れた。
すでにキリュウ・コーポレーションのニューヨーク支社で自分の秘書を務めていたオリヴィアだ。
異動前に解雇し日本にいるはずがない彼女がなぜここにいるのかと訝しみながら、自然と眉間にシワを寄せる。
『ボスのパーティのパートナーは私でしょう。声をかけてくださらなかったから慌てて駆けつけたわよ』
一般的に美しい部類に入るだろう顔は自信に満ち溢れ、場にそぐわないほどの煌びやかな衣装を見せつけてくる。これは以前、日本大使館に招かれた時に彼女に買い与えたものだ。パートナーがみっともない格好をするのは恥ずかしいと随分と奮発したのを覚えている。当然、会社の経費で落としたのだがら桐生からのプレゼントではないが、彼女がそれを身に着けてきたということは桐生が私的に贈ったと勘違いしているのだろう。まるでこのドレスを身に着けている自分にこそ桐生の隣に立つ資格があると勘違いしている。
誰だ、この愚かな女を入れたのは。
桐生は一息つくと、彼女の存在そのものをオミットした。
こんな女は存在しない。自分と玄の間には誰もいないと思い込みまた歩き出そうとするのを、オリヴィアが慌てて止めようとする。
『ボス、なぜ私を見てくれないの。日本に帰ってから冷たいわ。いつ呼び寄せてくれるのかと待っていたのに』
未だにハーレクイン妄想から抜けきっていないようだ。それとも自分がいいように扱われた事実を認めたくないのか、必死で縋ってこようとする。グラスを持っている腕を掴まれ、持っていたソフトドリンクが零れる。
『キャァッ! せっかくボスが贈ってくれたドレスが……』
いや、経費で買ったものだと喉まで出かかって、だがオミットを決め込んだので声を出さないようにする。普通はそれで気付くのに、オリヴィアはしつこく話しかけてくる。自分がいかに桐生にふさわしいのかを熱弁してくる。そしてどうして自分をないがしろにしたのかと言外に攻めてくるのだ。
面倒な女を相手にした。
都合のいい扱いをしたのは認める。玄に思いを馳せながら下半身の処理に使ったのは否めないが、いい大人の関係と割り切れないのは彼女がベータだからか、それとも夢を見てそれが現実だと思い込んでいるのか。後者なら腕のいいメンタルクリニックを紹介するから早く離れろと叫び出したい。
だがこんなみっともない場面を玄には見られたくはなかった。
桐生は低い声で「Get out of my way(どけ)!」と彼女にだけ聞こえる音量で威嚇する。今桐生からはすさまじく凶悪なオーラが登り詰めているが、ベータには感じ取られないだろうけどオリヴィアは一瞬身体を強張らせた。こんなにも感情を剥き出しにした桐生を見たことがなかっただろう。常に紳士然とした振る舞いしか見ていなかった彼女に殺さんばかりの目を向ける。
「どうしたんだ」
間に入ってきたのは、玄だった。その姿を見て一瞬にして桐生は開け放しにしていたオーラを引っ込める。
「なんでもない、君のためにジュースが零れてしまった。新しいのを持って来よう。玄も一緒にどうだい」
早くこんな女の側から玄を離さなくてはとグラスと皿を片手で持ち、玄の腰を抱こうとするのをするりと躱される。そして玄はとても紳士的にオリヴィアに向き合った。彼女に自己紹介をする。だが日本語を全く理解していないオリヴィアの反応は薄い。そうと分かると玄はすぐに英語に切り替えた。
『綺麗なお嬢さん、大変困っているようですがいかがなさいましたか?』
いかにも日本人という顔の玄から飛び出したのが、流ちょうなクイーンズイングリッシュだったことにたじろぎながら、だが気丈なオリヴィアは話の通じない桐生よりも玄に助けを求めるように現状を訴えた。
『私はアツシゲの恋人よ。日本に行ってから全く連絡をくれなくて、心配になってきたのに何も話してくれないの』
『そうだったんですか、それは心細かったでしょう。こんなにも綺麗な人を一人にしておくなんて酷い人ですね、篤繁は』
「ちがっ! 私の恋人は!」
『そうなの。どんなに話しかけても私を見てくれなくて……とても悲しいわ』
「恋人だったことなど一度もない!」
『きっと久しぶりに会った貴方がとても美しくて声が出なかったのでしょう。どこか二人で話せるところに行ってはどうですか、ねぇ篤繁』
ちらりとこちらを見た玄の眼差しが、今までにないほどの棘をはらんでいる。まるで氷の刃を向けられているようだ。無意識に冷たい汗が背中を流れる。
『スタッフに空いている部屋がないかを聞きましょう。そこでゆっくり話せばいい』
『ありがとう、貴方の親切は忘れないわ』
玄はスタッフを呼びつけるとスマートな仕草で空いている部屋を訊ねる。すぐにスタッフが普段は結婚式の新婦の待機部屋になっている部屋が空いていると言い出した。
(なんでこうなるんだ……)
案内しようとするスタッフの後についてオリヴィアが動き始めたが、桐生はガシッと玄の腰を抱いた。
「この手はなんだ?」
「玄も一緒に行こう。ほら、誤解を解かないと……」
「なんの誤解だ? 貴様の恋人だろう、どうにかしてこい」
「そんな玄……駄目だ君が一緒に来てくれないのならあの女と話すことはなにもない」
「……自分の尻ぐらい自分で拭け」
「嫌だっ玄が一緒でないならあんな女放り出してやる」
「ちっ」
珍しく舌打ちをしながら忌々しそうな表情をする玄を放ってなど行けない。このまま別室に一人で移動したなら二度と玄に会えない、そんな予感しかしない。死んでも離さないぞと必死で抱き着いていると、諦めた玄はゆっくりとした足取りで彼女の後を追った。
「あ……もしかしてお腹が張ってる?」
ストレスは妊夫には大敵だ。張りの中には流産や早産につながるようなものがあるらしいし、休んですぐによくなるものもある。どちらかを見極めるためには、休ませて収まるかどうかを妊婦に確認する必要がある。今日のように長い時間立ったままでは玄の身体にだって影響しているだろう。
(なんでこんな時に……)
こんな面倒なことが起こるんだ。
己が蒔いた種だと言われればそれまでだが、それでもタイミングの悪さを呪わずにはいられない。
玄が部屋に入り、早々に自分は部外者だというように隅に置かれた椅子に腰かけた。体調がよくないのだろうと桐生も隣に座ろうとして、思い切りケツを蹴られる。
なにがどうあっても二人で話し合えというのか……。話すことなど何もないのに。
仕方なく桐生はオリヴィアに向き合った。尊大な態度で。
『ボスはどうしてそんな冷たい態度を取るの? わざわざ私が日本に来たのに』
『オリヴィア、なにか勘違いしているようだが、君とは恋人ではなかったと記憶しているが』
『嘘よ、だってベッドであんなに激しく愛し合ったじゃない』
『私は一度でも君に愛していると告げたかい?』
『それは……けれど言葉ではなく身体で何度も愛を語ってくれたわ。それに私たち身体の相性も良かったじゃない』
『思い込みだ。君は優秀な暇つぶしの相手だった。それには感謝しているがそれ以上の存在ではない』
『ひどい……酷すぎるわっ!』
ニューヨーカーならセックスが必ずしも恋愛ありきではないことくらい分かっているだろう。一瞬の暇つぶし、一時の夜の相手。そこで相性が良くて条件が良ければ次のステップに上がれるのだ。だからそのままセックスだけする関係の男女などたくさんいるし、上流階級を相手にするならむしろ一夜の相手など当たり前だ。そんなルールが徹底しているから、桐生は当然のように遊んだだけとオリヴィアに示していく。
『君だって分かっていてベッドに入ってきたのだろう』
始まりはオリヴィアが全裸でベッドに入ってきたからで、据え膳を拒むのは相手に失礼だと抱いたまでだ。本当はこんな会話を玄に聞かれたくない。心に誓った相手は玄以外いないのに……。
『君が自分の性処理に私を使っただけの話だ。それ以上ではないだろう』
『そんなっ』
オリヴィアが顔を両手で覆いながら泣き崩れるかのようにその場にしゃがみ込んだ。
芝居が込んでいる。
このまま放っておいて会場に戻ろうと踵を返した桐生は、立ち上がり彼女の背中をそっとさする玄の姿に度肝を抜いた。なぜそこでその女に優しくするんだ、自分には一ミリだって優しくしてくれたことがないのに。
『泣かないで、レディ。貴女には涙は似合わない』
『けれど……』
『こんな男のために人生を棒に振ってはもったいない。綺麗な女性は笑顔で輝いていなければ』
優しい玄の言葉にオリヴィアが顔を上げる。そしてしっかりと初めて玄を見つめた。眼鏡をかけた玄は、まさにインテリそのもので怜悧な眼差しがクールガイにしか映らないのだろう。オリヴィアの顔が恋する女の物へと変わっていく。玄自身は意識してやっていないのが腹立たしい。
なぜそれを自分に向けてくれないのか!
そんな態度を取られたら桐生だってすぐに彼をベッドに押し倒して、愛を叫びながら激しく抱くのにっ!
「玄っ!」
彼が自分のものだと主張するために近寄った桐生はそのまま玄に殴られた。
『こんなどうしようもない男よりもあなたを大切にする男性はいくらでもいますよ。さあ泣かないでレディ、運命の相手を探すためにパーティに戻りましょう』
「玄……それはないだろう……」
いくらなんでも殴ることないじゃないか……。
桐生はしくしくと泣き崩れるが、気にも留めてもらえない。むしろ足蹴にされ転がされる。
オリヴィアはそんなみっともない桐生を目にして、すとんと夢から冷めたような表情になった。今まで自分が追いかけてきたのがこんなにもみっともない男だったのかと愕然とした表情だ。
『女性に恥をかかせるな、みっともないぞ篤繁。しかも泣かせるなんて言語道断だ』
「誤解だ! 私が一番大事にしているのは君だけなんだ」
『みっともないぞ篤繁。さあレディ、こんな男なんて忘れて、新しい夢を追いかけましょう』
『ええ、ゲン』
『ぜひ私にエスコートさせてください』
『嬉しいわ』
手を取り合って二人が部屋から出ていくのをその足に縋ろうとして失敗する桐生だった。
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