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 高校へと進学した玄は当然のように生徒会役員になっていた。中学時代の実績を買われたのかと思いきや、現副会長が桐生であることに驚いた。どうやら高校に進学してから真面目に学業を修めているようだ。

(あのちゃらんぽらんな人が変わるものだな)

 中学までの桐生が高校で人が変わったように真面目になり、人間関係をそつなくこなしている様を間近に見て、年下なのになぜか上から目線で玄は評価を改めた。

 アルファの力関係を前面に出して己の優位性を主張するのではなく、人間社会に適したパワーの主張ができるようになっているようだ。まだ二年になったばかりだというのに、生徒会長を退けて『キング・オブ・アルファ』と呼ばれているらしい。

 アルファとして人として優れている意味らしいが、支配階級の人間が集まる中で、その面々がさらに支配する側の人間だと認めた人間だというのなら、それなりの結果を出した証拠なのだろう。

(この一年で随分と人間らしくなったが、なにかあったのだろうか)

 エスカレータ式の学校だが、高等部の内部情報はなかなか中等部には伝わらない。

 高等部に上がったというだけで、どこか大人になったような錯覚に陥っているのか、中等部を子供扱いしているようでもあるが、たった一年しか違わなくて何が違うのかと、高校に進学した今も思っているが、クラスメイトの中には勘違いしている面々は確かにいた。

「〇〇女子の子、どうだったんだよ天羽!」

「あぁ。そこそこだったよ。すぐに足を開いてくれるのはいいけど、そのあとが鬱陶しい」

「すげー清楚系なのに幻滅だ……憧れの○○女子……」

「でもベータは駄目だね、アルファを繋ぎとめたくて目が血走ってるのが怖いよ。ポイ捨て確定だね」

 夏休みを前にして浮かれているのか、クラスのあちらこちらから卑猥な会話が漏れ聞こえてくる。

(学校の看板をしょっているという自覚がないな……己の行動がどれだけの恥なのか分かっていない)

 そんな会話を耳にするたびに玄は苦虫を噛み潰したような顔になる。

 アルファである以上品行方正で誰にも恥じない行動をするのが当然なのに、それが解っていない輩が多すぎる。しかも、この学校の生徒だというだけで近隣の女生徒たちには垂涎の的だと分かっていて手を出すのは、下品極まりない。

(校則で規制させたほうが良いか……あまりにも品がなさすぎる)

 品行方正を絵にかいたような人間と言われる玄には彼らの会話は聞くに堪えない。

「一度でいいからオメガの相手してみたいな」

「なんかすげーらしいじゃん、オメガって。どんなプレイでもさせてくれるって噂だし、レイプでも感じるんだろ?」

「そう簡単にオメガなんて転がってないだろう。でも一度は相手してみたいね」

 オメガという単語が耳に入り、玄の露骨に顔を歪めた。今玄が手にしているのは、父の会社の研究員が出してきたレポートのコピーだ。そこには発情抑制に必要な医薬成分が専門的な用語で記載されている。玄は最近ある懸念を抱き、もしそれが当たっていた時のためにと、学業とは別に医薬関連の知識を蓄えていた。

 その懸念とは、最愛の末弟のバースについてだ。年の離れた弟はあまりにも繊細でフワフワしていて庇護欲を掻き立てるのは、バースに原因があるのではないかと考え始めたからだ。もし彼らが面白おかしく話しているオメガだったら、あほなアルファの餌食になりかねない。そのために何をするべきか、有能な玄はすぐに結論を出し、そのための行動に出はじめていた。

 だからこそ、バースを弄ぶような会話を平気でするクラスメイトに負の感情が募る。

 ぎろりと相手を睨みつけてしまうほどに。

「やばっ、委員長に目を付けられたっ!」

 玄に睨まれた面々が一瞬にして蒼白になる。

 学級委員でもない玄が「委員長」と呼ばれるのは、規律に厳しい態度や役職に着いていたりいなかったりと変動があることから、「委員長っぽい」略して「委員長」であるが、なぜそこまで恐れられているのかを玄本人は知らない。

 玄に秘かに想いを寄せている桐生が裏で『菅原玄に何かしたらただじゃおかない』と己のすべてで保護しているからだ。桐生が日本有数財閥の経営者一族で祖父が経団連の陰の支配者であると知れ渡ってからは、生家の家業を容易に揺るがす存在に歯向かうものなどおらず、彼のお気に入りである玄に関わろうとする無鉄砲な人間は、このアルファ校に存在していなかった。

 睨まれたメンバーがすごすごと玄の視界から消えようとするのを確かめてから手元の書類に集中する。

(やはりオメガのフェロモンを押さえるにはホルモンの分泌を止めるのが一番だな)

 薬の成分表だけでそこまでの結果を導き出し、頭の中で様々な組み合わせを数パターン出しながらそれをノートに書き留めておく。

(もし、可愛い碧がオメガだったら絶対にあんな奴らに好き勝手させないようにしないと! 同じアルファの恥だ)

 アルファの恥だと言われているのが分かっていても、年頃の男子高生、ついつい猥談をしてしまうのは性というものであるが、その楽しい会話に対し目を付けられ、将来大変なことになるとは知る由もないだろう。

(そろそろ生徒会に顔を出す時間だな)

 玄は腕時計で時間を確かめてから、大切な資料を鞄の中に入れ、生徒会室に向かった。

 昼食を終えた生徒会メンバーが長期休暇を前に早くたまった案件を終わらせるために集まってきている。

 その中には当然、桐生も加わっていた。

「先輩方、お早いですね」

 書記として定位置になっている席に腰かけながら、たまった案件を処理していく。夏季休暇中に行われる高校総体や甲子園などの部活関連の案件が山積みになっている。その地区予選を確認しながら、学期初めに割り振った予算が足りるかどうかの審議を行い、同時にどの金額が適正かを皆で話し合っていき、その議事録をパソコンに打ち込む。また、休暇が明けてすぐに文化祭や体育祭といった大きなイベントが待ち受けており、その下準備も秘かに進めていかなければならず、いくら大学までエスカレータ式で進学できると言っても、三年生は受験に専念しなければならないから主に一・二年を中心に担当の割り振りを進めていく。この夏季休暇前が一番忙しいと言っても過言ではなかった。だから昼休みであるにもかかわらず集まり、こうして仕事をしなければならない。

 間もなく午後の授業が始まろうとする時間に一度解散し、また放課後に集まり仕事の続きをするのだが、それを効率的に行うために少し残っていると桐生が近づいてきた。

「玄は夏休みにどこかに行くのかい?」

「予定はありません」

 夏季休暇だからと浮かれてなどいられない。

 週に数度は学校に来てイベントの下準備をするし、空いた時間は早々と課題を終わらせ最愛の末弟の相手をしなければならない。そして夜になれば自分が今頭の中に浮かべている新薬の配合が確かなのかを長弟と実験しなければならない。どこかに行くとしたら、末弟のお願いを叶えるくらいだろう。

 来年には小学校に上がる末弟が気兼ねなく過ごせる最後の夏だ。生徒会の仕事以外では学校関係者に会いたくないというのが本音である。

 だがこの学校で夏季休暇にどこにも行かない生徒などいないだろう。それなりに生家に財力があり、休暇ともなれば国内外問わず旅行に出かけることだろう。だが真面目な玄にとって、海外は旅行先ではなく勉強先でしかない。言葉を学び、その国の教育機関がどんなシステムで行い、どんな研究をしているのかを見に行くところであり、クラスメイトのようにどんな女性(時には同性)をつまみ食いしたとかそんなことには興味はないのだった。

「もし君に時間があれば、一緒にスイスの別荘に遊びに行かないかい?」

「お断りします。出かける予定はありませんが、他の予定は詰まっております。それに、未成年が親の同伴なしに海外に行くのはいかがなものかと思います」

 今、玄の両親は多忙だ。代替わりしたばかりの菅原製薬は社長が長期休暇を取って遊びに行けるほど体制が整っていないし、そのサポートに当たっている母も幼子の面倒を家政婦に任せて出社を余儀なくされている。そんな多忙の両親に同伴など頼めるわけがない。

「我が家が責任をもって預かるよ。ご両親の許可が必要なら……」

「結構です。そもそも海外に行くのなら、大学に入ってからと決めています」

「……相変わらず堅物だね」

「お褒めに預かり光栄です」

 ああ言えばこう言う返しをすれば桐生は諦めると思っていたが、なぜかそうはいかなかった。

「なら君の家に遊びに行ってもいいかい?」

「……………………なにをしにですか?」

 冷たい視線と言葉を返す玄に、桐生は苦笑を浮かべる。他の面々なら凍り付いてすぐにその場を離れるだろうが、桐生はただ困った笑みで見つめ返すばかりだ。何かを察しろというのだろうか。

「君ともっと親しくなりたいんだが」

「充分親しいじゃないですか。これ以上親しくする必要はないと思います」

 にべもない対応をひたすら続けられているというのに、桐生は諦めようとはしない。何としてもプライベートで玄に接触して来ようとする。

 それをしっしと指先で払いのけようとするのにしつこくまとわりついてくる。まるでハエのようだ。

「こんなに長い期間、君に会えないのは寂しいな」

「私に会いたいのであれば、生徒会の集まりの日に嫌でも会えますよ。それ以上に会う必要はありません」

「冷たいことを言わないでくれ。そうだ、なら映画でもどうだい?」

「見たい映画はありませんし、あれは時間の無駄です」

 劇場もそうだ。二時間も人を拘束してそれだけしか見せないという傲慢さを玄は嫌っている。テレビであれば並行して他のことができるが、室内を暗くし、それだけに集中させるのが気に入らない。

「ではどこかの遊園地にでも……」

「それは弟と行くのでご安心ください」

「……去年中等部に入学したという弟君と?」

「そんなわけ……」

 しまった。末弟の存在は学校の面々には内緒だったのを思い出す。バースがアルファかベータなら隠す必要もないが、オメガの疑いがある末弟に興味を覚えられては厄介だ。自分を通してちょっかいをかけられてはたまったものではない。

「そうです、その弟とです。おかしいですか?」

 慌てて言い直す。

 だが桐生は表情を変えずじっと玄を見つめるばかりだ。その視線がなにか探っているようで落ち着かない。嘘を口にしていることの罪悪感に視線を逸らし、パソコンをシャットダウンする。

「間もなく授業が始まりますよ桐生先輩。五時間目は移動ではなかったんですか?」

「……私の授業のことを覚えていてくれるのか?」

「他の先輩たちがそう言って出ていったではないですか。早くしないと間に合いませんよ。では失礼します」

 桐生の視線から逃げるように教室へと戻った。

 いつも飄々としている桐生の、時折相手の心のうちまで見透かそうとするあの目が嫌いだ。心のうちまでもを見透かされそうで、不愉快だ。

(やはり桐生とは距離を置いたほうが良い。何を考えているのかわかりづらい人間は面倒だ)

 同時に自分の情報もあまり渡さないのが得策だろう。信用ならない人物に弱みを見せる愚は犯したくないし、無用な会話でそのきっかけとなる情報を与えてもならない。

 なんせ、玄には守るものがあるのだから。

 玄は授業と生徒会の活動を終えると、再び桐生が声をかけて来ないうちに早々と下校した。親しいふりをして決して心を開かない玄に桐生がイラついているとも知らず。

 自宅の玄関を通ると、可愛い末弟が待ってましたとばかりに近づいてきた。

「玄にいさんおかえりなさぁいっ」

 まだ伸びきっていない手をいっぱいに広げて玄の太ももにタックルしてくる。そして大きな目をキラキラと見開きながら玄を見上げてくる。その顔の可愛さに、いつもの鉄面皮が剥がれ自然と相好が崩れる。

 やっぱり碧は可愛いなと思いながら、末弟と同じ視線の高さになるようしゃがみこんだ。

「ただいま、碧。今日の幼稚園は楽しかったかい?」

「うん! きょうもね、おともだちといっぱいあそんだの!」

「そうか、どんな遊びをしたんだ?」

「きょうはね、けっこんしきごっこ。みなとくんにね、ぷろぽぅずされたんだよ」

 いささか許容範囲外の単語を耳にして、笑顔のまま無意識にこめかみがピクついた。

「……ほう、みなとくんね。それは同じクラスの子かな?」

「みなとくんは、すいかぐみだよ」

「スイカ組のみなとくんか。そうかそうか」

 ニコニコと満面の笑みを浮かべる末弟に合わせ笑顔を浮かべながらも、殺戮リストにその名を刻みこんでいく。親バカならぬ兄バカぶりを炸裂しながら、無邪気な末弟から色々な情報を仕入れていく。

「碧はそのみなとくんが好きなのか?」

「んーっと、わからない! でもみなとくんはあおいのことがだいすきだから、おおきくなったらけっこんしようねっていうの」

「そうか……結婚ね…………」

 幼児の他愛ない会話だというのに、玄の心にブリザードが吹き荒れていく。同時にもしもの将来がないよう、件のみなとくんとやらに釘を刺さねばと心に刻みつけておく。相手が可愛い女の子ならいざ知らず、男相手にそう言ってくる輩に碧を近づけていいはずがない。

(あとで園長にクレームの電話をしなければならないな)

 ちらりと執事に目をやれば、玄がなにを思い考えるのかを一番に理解している使用人は小さく頷きその場から離れた。

「それはそうと。碧は夏休みになったら行きたいところはあるか? 父さんと母さんは仕事で忙しいから私が連れていってあげよう」

「なつやすみはね、きょうにいさんと、ずっとあそぶおやくそくしたの! だからね、げんにいさんとはあそべないんだ」

「なんだとっ!」

「せいとかい、のおしごとで、げんにいさんがいそがしいってきいたから……」

 どう考えても、碧を独り占めしようと目論んだ梗が碧に何か吹き込んだのだろう。純粋な末弟はそれを素直に信じ、長兄の邪魔にならないようにしようとしているに違いない。

「ごめんね、げんにいさん……」

「いや……それは…ならお出かけの日は三人で行こうか」

「いいの?」

「当然じゃないか」

「うれしいげんにいさん!」

「碧はどこに行きたいんだ?」

「えっとね…………おにわ!」

 まさかの出掛先が家の敷地内とは。

「ほら、遊園地とか海とか山とか。碧が行きたいところならどこでも連れていってやるぞ」

「あおいはね、…………おにわ!」

「そうか……では庭師に碧の好きなヒマワリをいっぱい植えてもらおう」

「うん、ありがとうげんにいさんだいすきっ」

 また力いっぱい抱きしめられて、校内で見せるのとは全く違うだらしない顔になってしまう。

 同じ両親から生まれたというのに、どうして末弟はここまで天使なんだと感慨にふけりながら、頭の片隅にある懸念を払拭するべく、新薬の構想を早く練り上げなければと心に誓った。
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