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 自分に全く興味がないという姿勢を取られたのは生まれて初めてだ。その衝撃と相まって相手の凛とした表情に興味を覚えた。誰かをもっと知りたいと思ったことも初めてで、自分にも人間らしい感情が存在するのだと驚愕した。これが一番適切な表現だろう。桐生は入ったばかりの学校で出会った下級生のことを思い出して、自分が自然と笑っていることに気付いてまた驚愕した。

 アルファであること、そこそこ裕福な家に生まれたこと、他者よりも秀でていることが当たり前すぎて、周囲を馬鹿にして育ったせいで性格が歪んでいるのは自覚していたが、だからといってそれを直そうとも思ってはいなかった。

 同性のアルファなら自分に怯え、異性はバースに関係なく自分にすり寄ってきたから、世の中とはそんなもんだろうと、どこか諦観していたのかもしれない。

 だが今日会った下級生、菅原は違った。

 どれほど自分が優れているのかをオーラを放って威嚇しているにも拘らず、全く気にする素振りすら見せなかった。それどころか時折鬱陶しそうにし、だからなんだとあしらわれた。

 その対応があまりにも新鮮で、興味を覚えずにはいられなかった。

「彼ともっと話したいな」

 生真面目が服を着て歩いているような品行方正な見た目、男にしては綺麗で整った上品な顔をしながら、誰にも臆することのない芯の強さを垣間見せる。桐生にとって初めて会うタイプの人間だ。

 今まで様々な国に行き、そのたびに同じようなことをしてきたが、自分を避けるか擦り寄ってくるかの二タイプしかなかった。子供の世界といえど、本能は動物と変わりない。強いものを前にした反応などそのどちらかと信じて疑わなかった。まだ大人の世界には程遠い思春期の子供たちが押し込められている学校は、野生の本能を露にしたほうが勝ちだと思っていたが、どうやらその子供の流儀は菅原には通用しないようだ。

「随分大人びた子だったな」

 逆に自分がしてきたことに恥ずかしくなる。

 まだ13歳なのに、なんであんなにも聡明なのだろうか。

「やっぱりもっと話してみたいな。さてどうしたらいいんだろう」

 そういえばなにやら「テケテケ」で検索しろと言っていたな。

 桐生はパソコンを立ち上げ、彼の言う言葉のまま検索を開始した。

「ぐっ……なんだこれはっ!」

 漆黒の髪を垂れ流した顔色の白い女が、上半身だけで迫ってくる動画を見てしまった桐生は、あまりの恐ろしさに悲鳴をあげそうになった。いつも家の中でも冷静沈着で人をおちょくっている桐生は醜態を曝さぬよう必死で悲鳴を飲みこむ。だが恐怖のあまりその画面を消すこともできない。

 海外のホラー映画によくある悲鳴で恐怖を煽るのではなく、音楽と暗めの映像でじわじわと恐怖心をくすぐってくる全く未知の領域に、全身から血が引くのを感じる。

 こんな恐怖の煽り方もあるのか。

 わずか数分のムービーだったにも拘らず、たっぷりと桐生に恐怖心を与えることに成功した。

「彼はこれを解っていて私に見ろと言ったのか……」

 確かに彼が怒るように煽ったのは桐生だ。それは分かっている。

 だからといってこれはないだろう。

「日本のホラーがこれほどまでにえぐいとは知らなかった……」

 本当にこれが学校に現れるなら、心穏やかに勉学に励むなどできないではないか。

 あまりにもな動画の余韻を引きずりながら、桐生は月曜日を待ち、朝一に一年の教室を一つ一つ回った。当然玄を探すためだ。生徒会の副会長を務めている玄は、真面目なその性格に見合ったすっと綺麗に伸ばした背筋のままで自分の席に着いていた。

「やあ、玄。あの動画はなんなんだ」

「動画? ……あぁ調べたんですね、『テケテケ』を。楽しんでいただけましたか?」

「楽しませてもらったよ……そのお礼を是非させてもらいたいんだが、駄目かい?」

「いや結構です。お礼をしていただくことではありませんから」

 クラスメイトが皆遠巻きにしていると解っていても、玄は全く動じることはなかった。それどころか、笑みを浮かべたままなのに、ちらりともこちらを見ようともしない。相変わらず桐生には関心がないと言わんばかりだ。自分に話しかけているのが誰かわかっているはずなのに視線を動かそうという気もない。

 なぜこうまでも全く自分に興味がないのだろうか。

 どうしても振り向かせたい。

 その一心で話しかけるが、どうしてかちらりとも見てもらえない。それどころかこれから始まる授業の準備のほうが大切だとばかりに教科書などを鞄から出すほうに専念している。

「いや、ぜひとも礼をさせて欲しいんだ。今日の帰りは暇かい?」

「暇はありません。それに私は生徒会の仕事がありますので、帰りが皆さんよりも遅いんですよ」

 とても残念です、と付け加えながらも一ミリも残念がっていない。むしろそれを口実に今後関わってくるなとでもいうような満面の笑みを浮かべている。

(喰えないな)

 面白いなと思いながら、さてどう口説き落とそうかと思案する。関係を築き上げる糸口が全く見つけられないのだ。何をしてもあっさりと躱されてしまう、慇懃無礼に。

「それよりも、間もなく朝のホームルームの時間ですよ。ご自分の教室にお戻りになったほうが良いです」

 あの無駄に放たれていたオーラを収めて会いに来たというのに、どうしてこうもつれないのだろう。しかも取り付く島もない。

 少しでも親しくなりたいのに、なぜこうもすげなくしてくるのだろう。

「君と親しくなるにはどうしたらいいんだい?」

「私は親しくするつもりはありませんので、お気遣いありがとうございます」

 なぜそこで「気遣い」などという言葉が出るのか。日本特有の機微を持ち合わせていない桐生は、言外にさっさと去れと言われていることに気付かない。

 それよりも親しくなりたくないとはどういうことだと眉間を寄せる。

「君の仕事が終わるのを待つよ。電車でなら一緒に帰ってもいいんだろう」

「そろそろチャイムが鳴りますよ。いつまでも先輩がここにいては、私のクラスメイトが落ち着きませんので、いい加減お引き取りください」

 桐生がいては他の者たちが落ち着かないと言われて、桐生は周囲を見回した。時間は確かにホームルームが始まろうとしているが、玄のクラスメイトは席に着くこともできず、玄と桐生のやり取りに注目して動きを止めたままだ。

「一度退散するが、約束をしてくれると嬉しいな。今日は一緒に帰ろう」

「嫌です」

「なぜそこまで拒絶するのかな? 私は君と仲良くなりたいだけなんだが」

「貴方に割く時間がありません。とても残念です」

 残念とも思っていないのに、なにが残念だ。そういう喰えないところも魅力的だ。眼鏡の奥での笑っていない目が、一層彼の魅力にもなっている。

「分かった、今は引き下がるよ」

 押すばかりが口説き方ではない。それは恋愛でも友人関係でも変わりない。

 桐生はなぜか玄の前では紳士的にいたいと感じ始めていた。彼の前にいるとなぜか背筋が伸び、品行方正であろうとする自分がいる。きっと関心を持ってほしいのと同時に軽蔑されたくないと感じているからだ。

 チャイムが鳴る前に一年の教室を後にする。そしてひたすら授業が終わるのを待つだけだ。

 幼少期より家庭教師をつけている桐生は、すでに高校の勉強を始めているから、中学の授業など退屈でしかない。古典以外は。だが玄に会った後だとだらしないという噂すら彼の耳に届けたくないと思い始めていた。

 真面目に授業に臨むふりして、なぜこれほどまでに彼に関心を寄せるのか自問自答する。自分に対する態度が新鮮だったことは否めない。だが、再会して再びすげなくあしらわれて、普段の桐生だったら怒り狂っているはずだ。なぜ自分を視界に入れようとしないのかと。なぜこうまで存在を拒絶するのだと。

 アルファの多くは自己顕示欲の塊だ。誰かに認めてもらうのが当然で、認めない者に牙を向ける性質がある。バースによる優位性で相手の感情を支配しなければ気が済まないのかもしれない。だから本来、玄のように自分よりも弱いと解っているアルファが不遜な態度を取れば、どちらが強者かを分からせるために叩きつぶすし、そうしなければ己の矜持が保てないはずなのに、彼に対して嫌悪感が湧いては来ない。逆にもっと親しくなりたい、自分を見て欲しいという欲求が増していく。相当アルファとして有能なのだろうが、自分よりも優れているとも思えない相手に、こんな感情は初めてだ。

 だが自分の感情とは裏腹に、あまりにもそっけない態度を取られている。

 話しかければ応じてくれるが、ちっとも目を合わせてくれようとはしないし、向けたオーラすらもいなしてくる。

(さてどうするべきか)

 この教室の面々のように恐怖でもう桐生に話しかけられないのではない、興味がないから話しかけてくるなと言わんばかりの相手をどうやって振り向かせればいいのだろうか。

 押しても躱されるのは、今朝で解った。

 なら別の方法を探るしかない。

 どうしたら自分を見てくれるだろうか……。

 それから少しだけ桐生は玄と距離を置いた。周囲を観察するために。

 まずは日本の学校システムを理解し、その中でどうにかできないかを模索する。と同時に玄の行動をもチェックしておく。

 朝は毎日決まった電車に乗り登校、そして教室に行く前に生徒会室へと立ち寄り仕事をこなしていく。ホームルームが始まる10分前に教室に到着し授業の準備を始め、一日のカリキュラムをこなすとまた生徒会室へ顔を出し雑用を済ませ、帰宅。この繰り返しだ。

 友人と話すこともあるが、特定の人間と仲良くしているそぶりはない。不特定多数というか、必要なこと以外自分から話しかけない状況だ。

 しばらく玄を観察して分かったのは、桐生だけではなく、全生徒に対して無関心だということ。だが無関心ではあるが、それでも親しくする者が存在する。

(この手ならすげなくされることはないだろう)

 玄が絶対に逃げ出すことなく、自分と向き合わなければならない唯一の方法を見つけた桐生は、ニヤリと笑いながらその存在になるために動き始めた。
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