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ー20年前ー


「おい、菅原。二年に転校生が入ったらしいぜ」

 その情報をくれたのは同じクラスで自分のサポートをしている学級委員だ。

 私鉄沿線にあるアルファ校の中等部。名目は男女共学だが、実質は男女で棟が分かれており、その間にはよじ登ることを考えるのでさえ放棄したくなるほど高いコンクリートの塀が築き上げられている、実質男子校だ。校内の娯楽と言えば、通学途中に会った女子高の女の子が可愛いとか、それくらい。だから僅かなゴシップに皆が群がるみっともない状況になっている。

「そうなのか」

 一年生の学級委員を取りまとめる副会長をしている玄は、だから何だという気持ちしかなかった。

 品行方正公明正大、人に恥じるようなことをせず後ろ指を指されぬよう常に己の行動に気を張れと教えられ大きくなった玄からすれば、こんな些細な出来事を面白おかしく喋ることすら恥ずかしい。しかもたかが一年上の学年に転入生の話だ。全く興味を覚えない。

「なんでも今まで海外にいたらしいぜ。うちに来たってことは、どこかの企業の人間かな?」

 首都圏にあるこの明治時代から続く由緒あるアルファ校は、横のつながりを求めて親がこぞって入れたがるため、大なり小なり皆どこかの企業の御曹司だ。玄だって老舗製薬会社の第一子として将来は会社を引っ張っていくため、今からこうして生徒会活動を通して人を動かすことを勉強している身だ。この学校で御曹司以外を見つけるほうが困難だ。

 こんな話をして、果たして何が面白いのか。

 そんなことを頭の中で叫びながら、相手の話に相槌を打っていく。己の感情を優先せず、相手の弱みを握るために話を聞き出していく。

「もしかして、海外企業のトップの息子とか」

 バカが。そんな奴は基本地元のアルファ校か、もっと世界的に活躍する企業なら王族も通うような名門アルファ校に入っているはずだ。今さら東洋の小国に編入するような人間は、雇われ社長の息子か大使の息子に決まっているだろう。

 そう思いながらも口には出さない。

 なにせ沈黙は金雄弁は銀、下手なことを口走って言質を取られてはたまったものではない。

「その可能性があるかもな」

 あくまでも可能性。僅かな可能性が残っているのなら否定はしない。それが菅原玄だ。

「なぁ菅原、どんな奴か見に行こうぜ」

「申し訳ない。この資料をまとめたら職員室に届けなければならないんだ。良ければ君だけ見に行けばいい」

 その言葉に背中を押されたのか、雄弁な同級生は仕事を放り出して二年生の教室へと向かっていった。

(バカめ)

 心の中で毒づく。

 下級生が自分の教室の前をうろついてたら、縄張り意識の強いアルファ校だ、上級生に目を付けられかねないとなぜわからない。そんな愚を簡単に犯すほどに、男ばかりの学校は話題に飢えているのだろうか。

(馬鹿らしい)

 同級生でもない転校生を知ったところでなにになる。それよりも早くこの仕事を終わらせて家に帰らなければ。

 年の離れた弟が自分の帰りを今か今かと待っているのだから、誰とも知らぬ転校生よりも目の前の仕事を終わらせろと心の中で叫ぶ。

 明日の生徒会の資料をまとめ終え、それを生徒会室に持っていく。まだ別の仕事をしていた上級生に指示を求め資料を片付けていく。

(ふぅ、やっと帰れる)

 やることさえ終わらせればもう学校にいる意味はない、可愛い弟と遊べるのを楽しみに帰り支度をし、挨拶をして生徒会室から出ると、なぜか教科担当の二年の学年主任が待ち構えていた。

「菅原、おまえ暇か?」

 暇じゃありませんすぐに帰りたいです仕事押し付けんなよこの野郎、という気持ちを綺麗に包み隠して笑顔で学年主任に向き合う。

「どうかされましたか?」

「頼みたいことがあるんだ。時間があるならちょっと着いてきてくれよ」

 もう帰ろうとする生徒を捕まえてなんだよと言いたいのをぐっと堪える。

 土曜日という早く帰れる日に、部活もしていない玄にとっては、可愛い弟である碧とたっぷり遊べる貴重な一日だ。四年前に生まれてから菅原家のアイドルの座をほしいままにしている可愛い末弟を構い倒せる貴重な時間を邪魔するなと言いたいが、優等生を地でいく玄には教師の頼みごとを無下にしてはならないという、ある意味強迫観念に似た信念を持ち合わせていた。

「分かりました」

 さっさと用事を済ませて帰ろう。

 学年主任が向かったのは二年生の教室が立ち並ぶ階だった。

 その中の一室に生徒がわじゃわじゃと群がっているが、妙に静かだ。これほどまでに人がいれば、血気盛んな男だけの空間、騒がしくなって当たり前なのに、なぜか皆がその教室を覗くばかりで少し遠巻きにしている。

 学年主任はそんな生徒たちにかまうことなく群がりを掻き分けて教室へと入っていった。

「桐生、ちょっといいか?」

 大声で呼びかけて手招きした相手は、校内で見かけない顔だった。

(これが噂の……)

 顔覚えのいい玄の記憶にないということは、彼が噂の転入生かと合点する。だがその転入生を呼び出して学年主任は何を自分にさせようというのか。

(嫌な予感しかしない……)

 玄は必死で不快さを押し殺し、平静を装った。

 学年主任に連れられ、件の転入生が目の前にやってくる。

(なるほどな……これが遠巻きにされてる原因か)

 まだ中学生だというのに妙に整った容姿は一目で日本人ではないと分かる。彫りの深い顔に明るい髪の色。瞳の色も髪色と似た明るさで西洋の血が流れていることを物語っている。

 だが生徒たちが遠巻きにしているのはその容姿のせいではない。

 威圧しているとも取れるアルファ特有のオーラをこれでもかと放っているからだ。己の強さを示すためかそれとも制御する方法を知らないのか、無駄に攻撃的なオーラを垂れ流している。これでは島国育ちの温室御曹司たちが気安く話しかけることはできないだろう。近づいたらすぐにでも喉元を食いちぎられそうな、そんな凶暴さを孕んでいる。

(こんなところでマウントをとってどうしようってんだ)

 協調性と調和を重んじる日本社会で、柔和な表と裏腹に敵意剥き出しでいられたら、他の生徒は授業に集中できないだろうに。

「こいつは一年の菅原だ。彼に校内を案内してもらってくれ」

「分かりました」

「えっ……」

 何かを言いかけようとした玄の肩を学年主任は素早く抱いて耳打ちをし始めた。

「なにも言うな菅原。お前だけが頼りなんだ」

「でもおかしいじゃないですか。普通、校内の案内なんて、学級委員がするもんでしょ。なんで下級生がしないといけないんですかっ」

 対応する玄も自然と小声になる。

「お前にだってわかってるだろ。にクラスの奴らがビビッて誰もやってくれないんだ。でも菅原なら問題ないだろ、お前他人に興味ないから」

 その通りだ。家族というか溺愛している末弟以外どうだっていいとすら思っている。例え目の前の戦闘民族然とした上級生が凶悪なオーラを垂れ流していても意に介さないし、むしろ視界にすら入らない。対抗しようという意識が全くないのが玄という男である。

 それを公言したわけではないが、入学して半年でこの教師は見破ったようだ。さすがアルファ校に長く勤めているだけのことはある。

「菅原なら断らないしな。頼むよ。内申ちょっと上乗せしてやるから」

 大学までエスカレータで進むことができるこの学校で、内申がどうのとか全く関係ないが、悪いよりは良いに越したことはない。

「はぁ……分かりました」

「お前なら引き受けてくれると思っていたよ。ありがとうな、菅原。では桐生、彼に案内してもらえ」

 話がまとまればもう用はないと、学年主任はその場からスタスタと離れていく。残されたのは玄と転入生、それに数多のやじ馬だけだ。こんな場所に長居しても仕方ない。玄は相手に向き合った。

「桐生先輩、一年で生徒会副会長を務めています菅原です。案内しますので着いてきてください」

 慇懃無礼な態度で相手を促す。

 通り一遍の説明をして早く帰ろう。

 玄は先頭に立ち、校内を順に回っていく。授業で使う教室を中心にこれから先困らない範囲で説明していく。

「ここが理科実験室です。標本や模型が多いのであまり中で暴れないようにしてください」

「なんだ、日本の理科室にはゾンビでも出るのか?」

 面白がって絡んでくる相手をいなすのはお手の物だ。玄を気に入らない同級生は多い。そんな奴らをいちいち相手にするだけ時間の無駄だということは学習していた。

「日本の学校では長い髪で床を這う上半身だけの女のお化けが主流です。先輩のような容姿なら付き纏われるでしょうね。家に帰りましたら『テケテケ』で検索してください」

 鼻で笑って煽れば相手が調べることだろう。それも盛り込んで伝えるだけで次へと移る。

 主要な移動教室を案内し、次は建物の外に出る。

「あれが体育館で、この高い柵の向こうが女子中等部です。有刺鉄線の真下に電流が流れているという噂ですので、くれぐれも乗り越えようとしないでください」

「なんだ、共学と聞いていたが同じ敷地内で分かれているなんて詐欺だな」

「その通りだと思います。男女七歳にして席を同じうせずなんて言葉が存在するくらいですからね、日本には。次に向こうに見えるのが高等部です。あまり近づかないことをお勧めします」

「なんでだ? 交流がないのか?」

「マウンティングが激しいアルファだけの環境ですからね。自分がマーキングしている場所にヨソモノが闊歩しているのが嫌なようです。先輩もアルファですのでお分かりでしょ。その無用な威圧と同じようなものです」

「……随分とはっきり言うね」

「鬱陶しいのでやめてもらえませんか? そんなものを振りかざしたって腹が膨れるわけじゃないんですから無駄な労力ですよ」

 思っていることをズバズバと口にするのは、あまりにも桐生が垂れ流しているオーラが鬱陶しいからだ。自己主張なら他の方法でしろと言いたいのを我慢していたが、長時間一緒にいるだけで疲れる。これでは可愛い末弟と遊ぶ体力がなくなってしまいそうで、いい加減にしろと怒鳴る代わりに、冷たく言い放つ。

 ついでに冷たい一瞥も付け加える。

「自分の力を無駄に見せびらかそうとするのは、馬鹿か弱者のすることです。能ある鷹は爪を隠すと言葉をご存じですか?」

「日本の言葉には疎いんだ」

「Do you know the word "A wise head makes a close mouth"」

「なるほどね。やはり君は面白いね」

「それはどうも。では一通りの案内は終了しました。来週から楽しい学園生活をお送りください。さようなら」

 もうこれでこちらに関わってくることはないだろう。教科書の詰まったカバンを持ったまま案内していたので、右手が痺れ始めたため左手に持ち替えようとすると、ひょいっと桐生がそれを取り上げた。

「ぁ……」

「気に入ったよ、もう一度名前を教えてくれるかい」

「菅原玄です。鞄を返してください」

「こんな広い校内を案内してくれたお礼に、送ってあげよう」

「いえ、結構です。私にかまわないでください」

 これが本音だ。

 正直、桐生の構うだけの関心もなければ興味もない。頼まれたから仕方なく案内しただけで、終わったなら一秒でも早く家に帰りたい。その気持ちが桐生には理解しがたいようだ。彫りの深い顔が険しくなる。

「そういえば一度も私について訊いてはこなかったね」

「聞いてどうしろというんですか。さしたる興味もないですから」

 早く鞄を返せと苛立ちのまま、口調が荒々しくなってしまう。

「君のように私に全く関心を示さない人間は初めてだ」

「そうですか。それは希少種に出会えてよかったですね。では早く鞄を返してください、もう帰りたいので」

「玄、私は君という人間に興味を湧いたよ」

「一過性の興味なら結構です。20年以上興味を覚え続けてくれたなら相手にしますよ」

 その一言が後々自分を不幸に陥れるとも知らず、今すぐこの場を離れたい一心で適当なことを口にする。

「20年とはずいぶんと長いね。まあいい。では行こうか」

「行くってどこにですか! 早く鞄を返してください」

「君を家まで送るよ、玄」

 馴れ馴れしくファーストネームを呼んでくる桐生は、玄の叫びにも軽く笑っていなすと、どんどんと校門へと進んでいく。玄の鞄以外は持っていないのにこのまま帰ろうとしているようだ。

「先輩、荷物はいいんですか?」

 だが桐生は返事せずそのまま校門をくぐっていく。

 そこから少し離れたところに黒塗りの車が待機していた。

(もしや……)

 玄は速足で桐生の隣に立った。

「もしや先輩の車ですか?」

「そうだが?」

「うちの学校が自家用車での送迎は禁止されているのはご存じですか? こんなバカでかい車が路上駐車していたら、近隣の迷惑です」

「おや、そうだったのかい。今日が登校初日だから大目に見てくれると嬉しいな。さあ乗って」

「嫌です。ルール違反する人間の仲間と見られたくないので。鞄を返してください」

「……随分と厳しいね。私が電車を使えば玄を送ることは可能かい?」

「不可能です。親しくない人間に送ってもらう謂れはありません。早く鞄を返してください」

「案内してくれた礼がしたいんだが、どうしたらいいんだい」

「結構です。頼んだのは先輩ではありませんから。急いでますからいい加減鞄を返してください」

 なんでこんなにも不毛な会話に時間を割かなければならないんだ。家で可愛い末弟が自分の帰りを待っているというのに。幼稚園のない土曜日は暇を持て余し、兄たる自分の帰りを今か今かと待っているはずなのに。

 もう鞄は諦めるか。対したプリントが配られているわけでもない、宿題が山のように出ているがそれは諦めよう。教師に説明すればいいことだ。

 定期はスラックスのポケットの中にあるのを確認し、玄はあっさりと鞄を諦めた。

「埒が明かないので帰ります。さようなら」

 踵を返し駅に向かうと、それまで余裕をもって玄をからかってきた桐生は急に慌て始めた。あの容姿に強烈なアルファオーラだ、きっと今まで誰かに相手にされないという経験がなかったのだろう。プライドを傷つけられたと憤怒するかと思ったが、意外なことに桐生は玄を追いかけ、そして謝罪した。

「不快にさせたなら申し訳ない。怒らせるつもりではなかったんだ。玄と一緒に帰るにはどうしたらいいかを教えてくれ」

「私は誰かと帰りたいと思っていませんし、帰る方向が一緒とは限らないでしょう。無駄に時間を費やすのは嫌いです。ところで、鞄は返してくれるかくれないかのどちらですか?」

「できれば君と一緒に家までこれを送り届けたいんだが、駄目かい?」

「駄目です。今すぐ返すか月曜日に学校に持ってくるかしてください」

 取り付く島もない物言いに、桐生がずっと無駄にはなっているオーラが引っ込んだ。戦意を喪失したのだろうか。だが桐生がなにをしようが玄の態度は何一つ変わらなかった。

「分かった、今日は引き下がるよ。君が心を開くのを待とう」

「いつになるかわかりませんが、お好きにどうぞ」

 鞄を受け取って玄は一度も桐生を振り返ることなく駅へと向かった。どこまでもまっすぐな背筋、凛とした面差しを桐生がずっと眺めていたとも知らずに。

 そっけないほどに離れていく姿を、桐生は消えるまでずっと眺めていた。
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